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2012年11月15日 (木) 18:02時点における版
フランス領スーダン(French Sudan)は、1890年-1902年および1920年-1960年の間、西アフリカにあったフランスの植民地。フランス領西アフリカの一部であり、現在のマリ共和国の領域を管轄としていた。
現在のマリ共和国の地域にフランス植民地政府が置かれたのは1880年のことである。当時はオート・セネガル植民地と呼ばれ、首都はカイに置かれた。1890年にはフランス領スーダンと改称され、1899年には首都はカイからバマコへと遷都された。1902年にはセネガルやニジェールと統合され、フランス領セネガンビア・ニジェールとなった。1904年にはオート・セネガル・ニジェール植民地となり、1920年には再びマリの領域だけで再独立してフランス領スーダンの呼称に戻った。
1958年10月4日の国民投票の結果、1958年11月25日にフランス領スーダンはフランス共同体の中で自治権を得た。その後各植民地の完全独立の動きが高まる中、フランス領スーダンの首相であるモディボ・ケイタは同じくフランス領セネガルの首相レオポール・セダール・サンゴールとともに両国の連合を組むことに合意し、1960年6月20日両国はマリ連邦として統一して独立した。しかし、両植民地の意見の食い違いにより、1960年8月20日にセネガルは脱退し、わずか2ヶ月でマリ連邦は崩壊。残されたスーダンはマリ共和国として単独独立することとなった。