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2012年11月13日 (火) 09:53時点における版
大喪儀(たいそうぎ)は、天皇・皇后・太皇太后・皇太后等の皇室の葬儀のこと。
現在の日本国憲法下では、現皇室典範の規定により天皇の時は、国の儀式として「大喪の礼」が行われる。
構成
変遷
元々江戸時代までの皇室の葬儀は仏式で寺院において行われていたが、明治時代以降神式が行われるようになった。
飛鳥時代までは、殯宮を設置して1年間遺体を安置する慣わしであったが、持統天皇の時に火葬が導入されて以後は簡略化されて30日間が通例とされた。
奈良時代に、聖武天皇の時に仏教に則った方式に変更され、以後村上天皇までは天皇の葬儀が国家的行事として行われてきたが、次の在位中の崩御となった後一条天皇の葬儀以後、崩御の事実を隠して譲位の儀式を行った後に天皇家の私的行事である太上天皇の葬儀の形式で内々に行われるようになり、穢との関連から外戚や近臣などの例外を除いては公卿が参列することもなくなった[1]。
平安時代以後も、鎌倉時代・室町時代・安土桃山時代に至るまで、仏教に則った方式が行われ、生前に造営した寺院などで行う事になり、北朝の後光厳天皇以後は京都泉涌寺で開催されることとなった。前述の事情により、天皇の葬儀に関する作業の多くはほとんど僧侶の手で行われる一種の秘儀となったが、戦乱による泉涌寺の荒廃によって僧侶が揃えられなかった後土御門天皇の時は、実際に手伝った公卿の東坊城和長は『明応記』と称される詳細な葬儀記録(凶事記)を残して、後世に天皇の葬儀の様子を伝えている。なお、同天皇の葬儀は応仁の乱後の財政難から作業の中断を余儀なくされ、実際の葬儀が開かれたのは崩御から43日後で後世に「玉体腐損、而蟲湧出」(『続本朝通鑑』)と伝えられた(ただし、真相は不明である)[2]。
江戸時代に入ると、江戸幕府の影響の下で再び国家的行事の性格を有するようになり、現職の摂関以外のほとんどの公卿が参列するものとなった[1]。また、後光明天皇以後は様式は火葬のまま、実際には土葬の制が復活した。
江戸時代末期から明治時代になり、孝明天皇の時に神道に則った形式へ変更され、明治維新と東京奠都の影響により、その三年祭は東京に移された宮中で神道に則って開催された。以後、英照皇太后と明治天皇と神式の形式が取られていった。
大正時代には、1909年に皇室服喪令、続いて1924年に皇室喪儀令が制定され、天皇及び三后の逝去を「崩御」・葬儀を「大喪」と呼称する事が定められた。戦後の皇室典範改正により、皇室服喪令・皇室喪儀令は廃されたものの、慣例としてこれに準じた儀礼が採用された。
戦後、日本国憲法施行後は、1989年の昭和天皇の場合には、政教分離原則に反しない形で国家の儀式として「大喪の礼」、皇室の儀式として「大喪儀」と、名目上は分離され開催されており、「大喪儀」は神道に則った形式で執り行われた。
脚注
- ^ a b 久水俊和「天皇家の葬送儀礼と室町殿」(初出:『國學院大學大学院紀要(文学研究科)』34号(2002年)/改題所収:「天皇家の葬送儀礼からみる室町殿」久水『室町期の朝廷公事と公武関係』(岩田書院、2011年) ISBN 978-4-87294-705-2)
- ^ 久水俊和「東坊城和長の『明徳凶事記』」(初出:『文化継承学論集』5号(2009年)/改題所収:「〈凶事記〉の作成とその意義」久水『室町期の朝廷公事と公武関係』(岩田書院、2011年) ISBN 978-4-87294-705-2)