「西武鉄道アイスホッケー部」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
2行目: 2行目:


== 歴史 ==
== 歴史 ==
[[1966年]]、ウィンタースポーツとして初めての全国規模の社会人リーグ戦「日本アイスホッケーリーグ」が開幕したと同時に結成され、リーグ発足当初は日本リーグと[[全日本アイスホッケー選手権大会|全日本選手権]]のタイトルを数多く獲得し、日本のアイスホッケーの強豪といわれた。しかし、[[1972年]]に西武の実質的な親会社だった国土計画(後に[[コクド]]と社名を変更。[[2006年]][[西武ホールディングス]]傘下の[[プリンスホテル]]と吸収合併し消滅)の[[SEIBUプリンス ラビッツ|アイスホッケー部]]とチームを実質的に分割。それでも常にコクド、[[王子イーグルス|王子製紙]]等とともにライバル関係を築き上げていった。
[[1966年]]、ウィンタースポーツとして初めての全国規模の社会人リーグ戦「[[日本アイスホッケーリーグ]]」が開幕したと同時に結成され、リーグ発足当初は日本リーグと[[全日本アイスホッケー選手権大会|全日本選手権]]のタイトルを数多く獲得し、日本のアイスホッケーの強豪といわれた。しかし、[[1972年]]に西武の実質的な親会社だった国土計画(後に[[コクド]]と社名を変更。[[2006年]][[西武ホールディングス]]傘下の[[プリンスホテル]]と吸収合併し消滅)の[[SEIBUプリンス ラビッツ|アイスホッケー部]]とチームを実質的に分割。それでも常にコクド、[[王子イーグルス|王子製紙]]等とともにライバル関係を築き上げていった。


しかし、経営の合理化などを理由に[[2002年]]-[[2003年]]のシーズンを最後に36年間に渡る西武アイスホッケー部の活動にピリオドが打たれ、コクドアイスホッケー部(2006年に西武プリンスラビッツと改名)と再統合した。これをきっかけに、[[日本プロ野球|プロ野球]][[埼玉西武ライオンズ]]とマスコット([[手塚治虫]]製作の[[ライオン]]のマスコット)を共有するようになる。
しかし、経営の合理化などを理由に[[2002年]]-[[2003年]]のシーズンを最後に36年間に渡る西武アイスホッケー部の活動にピリオドが打たれ、コクドアイスホッケー部(2006年に[[西武プリンスラビッツ]]と改名)と再統合した。これをきっかけに、[[日本プロ野球|プロ野球]][[埼玉西武ライオンズ]]とマスコット([[手塚治虫]]製作の[[ライオン]]のマスコット)を共有するようになる。


== 獲得タイトル ==
== 獲得タイトル ==

2012年9月9日 (日) 05:32時点における版

西武鉄道アイスホッケー部(せいぶてつどう・アイスホッケーぶ)は、かつて日本に実在したアイスホッケーの実業団チームである。本拠地は東京都西東京市(旧・保谷市東伏見アイスアリーナ)だった。ペットマークは白熊。

歴史

1966年、ウィンタースポーツとして初めての全国規模の社会人リーグ戦「日本アイスホッケーリーグ」が開幕したと同時に結成され、リーグ発足当初は日本リーグと全日本選手権のタイトルを数多く獲得し、日本のアイスホッケーの強豪といわれた。しかし、1972年に西武の実質的な親会社だった国土計画(後にコクドと社名を変更。2006年西武ホールディングス傘下のプリンスホテルと吸収合併し消滅)のアイスホッケー部とチームを実質的に分割。それでも常にコクド、王子製紙等とともにライバル関係を築き上げていった。

しかし、経営の合理化などを理由に2002年-2003年のシーズンを最後に36年間に渡る西武アイスホッケー部の活動にピリオドが打たれ、コクドアイスホッケー部(2006年に西武プリンスラビッツと改名)と再統合した。これをきっかけに、プロ野球埼玉西武ライオンズとマスコット(手塚治虫製作のライオンのマスコット)を共有するようになる。

獲得タイトル

  • 日本リーグ : 10回
    1970-71、1971-1972、1972-1973、1975-1976、1976-1977、1978-1979、1980-1981、1995-1996、1996-1997、1999-2000
  • 全日本選手権 : 7回
    1969-1970、1970-1971、1971-1972、1973-1974、1977-1978、1978-1979、2000-2001

関連項目