「末永雅雄」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
37行目: 37行目:
* 『末永雅雄著作集 全5巻』 雄山閣、1990年 ISBN 4-639-00957-7
* 『末永雅雄著作集 全5巻』 雄山閣、1990年 ISBN 4-639-00957-7
* 『古墳の航空大観 写真篇』 学生社、1999年4月 ISBN 4-311-75026-9
* 『古墳の航空大観 写真篇』 学生社、1999年4月 ISBN 4-311-75026-9

== 記念論集 ==
*『末永先生古稀記念古代学論叢』(同記念会、1967年)
*『末永先生米寿記念献呈論文集』乾・坤(同記念会、1985年)


{{Academic-bio-stub}}
{{Academic-bio-stub}}

2012年8月5日 (日) 16:57時点における版

末永 雅雄(すえなが まさお、1897年6月23日 - 1991年5月7日)は、日本の考古学者橿原考古学研究所初代所長。関西大学名誉教授文学博士龍谷大学、1948年(学位論文「近畿古文化の研究」))。大阪府南河内郡狭山村(現・大阪狭山市)生まれ。1976年日本学士院会員。大阪狭山市名誉市民。奈良県明日香村名誉村民。

人物

大学は卒業していないものの、京都帝国大学の考古学研究室員として、濱田耕作に師事する。その後、奈良県史蹟名勝天然記念物調査会嘱託として研究を行う。

奈良県吉野郡宮滝遺跡の発掘が1930年(昭和5年)から1938年(昭和13年)まで奈良県による本格的におこなわれた。その成果が『宮滝の遺跡』(1944年)として発刊された。

1950年(昭和25年)、関西大学の講師に就任。その後も、高松塚古墳を初め、大和地方の古墳を多く手掛ける。また、航空機による古墳観察を初めて実践した。後進の考古学者(伊達宗泰網干善教森浩一など)を育てたことでも知られる。同年代の考古学者だった梅原末治とは確執があった。

受賞歴・叙勲歴

主な著書

記念論集

  • 『末永先生古稀記念古代学論叢』(同記念会、1967年)
  • 『末永先生米寿記念献呈論文集』乾・坤(同記念会、1985年)