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2012年7月15日 (日) 10:48時点における版
シャルマネセル5世(Shalmaneser V、在位:紀元前727年 - 紀元前722年)は、新アッシリア王国時代のアッシリアの王である。アッカド語ではシャルマヌ・アシャレド (Shulmanu asharid) と表記される。名前の意味は「シャルマヌ神は至高なり」である。
来歴
ティグラト・ピレセル3世の子として生まれた。父王の治世にはジミッラ (zimirra) 州の長官を務めていた。紀元前727年に王位を継ぐが、彼の王碑文が残っていない上に他の史料にもほとんど登場せず、治世についての情報は少ない。
彼の治世中にイスラエル王ホシェアがエジプトと結んで反乱を起こした。それに対して遠征を行った。ホシェアは抵抗を諦めて降伏したが、サマリア市は2年に渡って抵抗した。紀元前722年にサマリアを占領したことが旧約聖書「列王記」とバビロニアの年代記に記録されている。しかし同年遠征から帰還する前に死去し、兄弟のサルゴン2世が恐らく王位継承の争いの末に王座を継いだ。
なお、彼はアラム語等で残された一部の史料ではウルラユと言う名前で記載されている。これは「エルルの月に生まれた」という意味の名前であり、王位継承前の彼の名前であった可能性がある。
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