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'''小山 政種'''(おやま まさたね)は、[[安土桃山時代]]の[[小山氏]]当主。[[小山秀綱]]の嫡子。母は[[成田氏長]]の娘。異母兄に[[小山秀広]]がいる。
'''小山 政種'''(おやま まさたね)は、[[安土桃山時代]]の[[小山氏]]当主。[[小山秀綱]]の嫡子。母は[[成田氏長]]の娘。異母兄に[[小山秀広]]がいる。


天正5年([[1576年]])に[[後北条氏|北条氏]]の[[祇園城]]攻略によって所領を失った小山秀綱父子は秀綱の娘婿[[岡本禅哲]]を頼って[[常陸国]]に逃れる。禅哲は主君の[[佐竹義重 (十八代当主)|佐竹義重]]に乞うて秀綱父子を同国古内宿(現在の[[茨城県]][[城里町]])に匿った。この頃、政種は秀綱から家督を譲られている。だが、天正9年(異説もある)に14歳の若さで没した。このため、父の秀綱が再び小山氏当主となった。
天正5年([[1576年]])に[[後北条氏|北条氏]]の[[祇園城]]攻略によって所領を失った小山秀綱父子は秀綱の娘婿[[岡本禅哲]]を頼って[[常陸国]]に逃れる。禅哲は主君の[[佐竹義重 (十八代当主)|佐竹義重]]に乞うて秀綱父子を同国古内宿(現在の[[茨城県]][[城里町]])に匿った。この頃、政種は秀綱から家督を譲られている。だが、天正9年(異説もある)に14歳の若さで没した(北条氏との戦いで戦死したと言われている)。このため、父の秀綱が再び小山氏当主となった。


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2012年7月8日 (日) 06:54時点における版

 
小山政種
時代 安土桃山時代
生誕 永禄11年(1568年
死没 天正9年(1581年
改名 伊勢千代丸(幼名)、政種
氏族 小山氏
父母 父:小山秀綱、母:成田氏長
兄弟 秀広政種、女(岡本禅哲室)
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小山 政種(おやま まさたね)は、安土桃山時代小山氏当主。小山秀綱の嫡子。母は成田氏長の娘。異母兄に小山秀広がいる。

天正5年(1576年)に北条氏祇園城攻略によって所領を失った小山秀綱父子は秀綱の娘婿岡本禅哲を頼って常陸国に逃れる。禅哲は主君の佐竹義重に乞うて秀綱父子を同国古内宿(現在の茨城県城里町)に匿った。この頃、政種は秀綱から家督を譲られている。だが、天正9年(異説もある)に14歳の若さで没した(北条氏との戦いで戦死したと言われている)。このため、父の秀綱が再び小山氏当主となった。