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'''村山 三男'''(むらやま みつお、[[1920年]][[4月1日]] - [[1979年]][[7月29日]])は、日本の[[映画監督]]。 |
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[[新潟県]]生まれ。戦前は、[[日活撮影所|日活多摩川撮影所]]に入社。戦後は[[大映]]で助監督を務めながら、[[1951年]][[3月1日]]、[[映画演劇労働組合連合会|日本映画演劇労働組合連合]](映演労連)の議長となった<ref>[http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/24/rn1952-594a.html 法政大学大原社研 日本映画演劇労働組合連合〔日本労働年鑑 第24集 594a〕]</ref> 。[[1956年]]、『東京犯罪地図』で監督デビュー。戦争映画の巨匠としても知られ、また、テレビドラマ『[[東京警備指令 ザ・ガードマン|ザ・ガードマン]]』『[[江戸の鷹 御用部屋犯科帖|江戸の鷹]]』などの演出も担当した。 |
[[新潟県]]生まれ。戦前は、[[日活撮影所|日活多摩川撮影所]]に入社。戦後は[[大映]]で助監督を務めながら、[[1951年]][[3月1日]]、[[映画演劇労働組合連合会|日本映画演劇労働組合連合]](映演労連)の議長となった<ref>[http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/24/rn1952-594a.html 法政大学大原社研 日本映画演劇労働組合連合〔日本労働年鑑 第24集 594a〕]</ref> 。[[1956年]]、『東京犯罪地図』で監督デビュー。戦争映画の巨匠としても知られ、また、テレビドラマ『[[東京警備指令 ザ・ガードマン|ザ・ガードマン]]』『[[江戸の鷹 御用部屋犯科帖|江戸の鷹]]』などの演出も担当した。 |
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2012年6月30日 (土) 10:15時点における版
村山 三男(むらやま みつお、1920年4月1日 - 1979年7月29日)は、日本の映画監督。
新潟県生まれ。戦前は、日活多摩川撮影所に入社。戦後は大映で助監督を務めながら、1951年3月1日、日本映画演劇労働組合連合(映演労連)の議長となった[1] 。1956年、『東京犯罪地図』で監督デビュー。戦争映画の巨匠としても知られ、また、テレビドラマ『ザ・ガードマン』『江戸の鷹』などの演出も担当した。
1955年に大映とショウ・ブラザーズが組んだ『楊貴妃』がきっかけとなって、1969年からショウ・ブラザーズに招かれて、穆時傑の名前で、『人頭馬 Dark Rendezvous』などの映画を監督した[2]。
フィルモグラフィ
- 『虹男』(大映東京、1949年)監督助手
- 『楊貴妃』(大映東京=ショウ・ブラザース、1955年)助監督
- 『東京犯罪地図』(大映東京、1956年)以下すべて監督
- 『女中さん日記』(大映東京、1956年)
- 『残月講道館』(大映東京、1957年)
- 『透明人間と蝿男』(大映東京、1957年)
- 『冥土の顔役』(大映東京、1957年)
- 『土俵物語』(大映東京、1958年)
- 『かあちゃんは犯人じゃない』(大映東京、1958年)
- 『消された刑事』(大映東京、1958年)
- 『白昼の侵入者』(大映東京、1958年)
- 『都会の牙』(大映東京、1959年)
- 『代診日記』(大映東京、1959年)
- 『海軍兵学校物語 あゝ江田島』(大映東京、1959年)
- 『山男の歌』(大映京京、1962年)
- 『風神雷神』(大映東京、1962年)
- 『あゝ零戦』(大映東京、1965年)
- 『学生仁義』(大映東京、1965年)
- 『悪魔からの勲章』(大映東京、1967年)
- 『ジェットF104脱出せよ』(大映東京、1968年)
- 『あゝ海軍』(大映東京、1969年)
- 『あゝ陸軍隼戦闘隊』(大映東京、1969年)
- 『人頭馬 Dark Rendezvous』(ショウ・ブラザーズ、1969年)
- 『殺機 A Cause To Kill』(ショウ・ブラザーズ、1970年)
- 『女秘密調査員 唇に賭けろ』(大映東京、1970年)
- 『樺太1945年夏 氷雪の門』(JPM、1974年)