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1859年に[[王立天文学会ゴールドメダル]]を受賞し、1860年に[[王立協会]]のフェローになった<ref>{{FRS |code = NA3473 |title = Carrington; Richard Christopher (1826 - 1875) |accessdate = 2011-12-11 }}</ref>。
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== 関連項目 ==

*[[1859年の太陽嵐]]
== 出典 ==
== 出典 ==
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2012年6月29日 (金) 15:43時点における版

リチャード・クリストファー・キャリントン(Richard Christopher Carrington、1826年5月26日1875年11月27日)はイギリスの天文学者である。太陽黒点の観測を行い、太陽の自転軸の傾きを求めた。黒点の活動の周期性を示す観測を行った。

チェルシーの豊かな醸造業者の家に生まれた。1849年からダーラム大学の天文台に加わり1852年には私設の天文台をつくって天体観測を始めた。1859年に太陽のフレアの発生を目撃し、その翌日におきたオーロラの活動の活発化との関連を考えた最初の一人である。1863年に黒点の観測から太陽の自転軸の傾きを求めた。太陽黒点数の周期性の発見はハインリッヒ・シュワーベによってなされたが、黒点の発生した緯度を含む観測データはシュペーラーの法則の確立を導いた。

1859年に王立天文学会ゴールドメダルを受賞し、1860年に王立協会のフェローになった[1]

関連項目

出典

  1. ^ "Carrington; Richard Christopher (1826 - 1875)". Record (英語). The Royal Society. 2011年12月11日閲覧

外部リンク