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'''高山 啓義'''(たかやま ひろよし、[[1974年]][[3月18日]] - )は、[[栃木県]]出身の[[審判員 (サッカー)|サッカー審判員]]。[[栃木県立宇都宮北高等学校|宇都宮北高校]]、[[国士舘大学]]卒業。 |
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2012年6月1日 (金) 11:53時点における版
高山 啓義(たかやま ひろよし、1974年3月18日 - )は、栃木県出身のサッカー審判員。宇都宮北高校、国士舘大学卒業。
経歴
1999年11月に1級審判登録され、2003年からJリーグDivision 1でも主審を務めている。国際主審でもある。
2006年にカタール・ドーハで行われたアジア大会の男子決勝カタール対イラクの主審を務めた。
評価
2004年頃までは不安定で不可解な判定が多く[要出典]、特に2003年シーズンは、開幕戦からしばらくの間、J1・J2含め主審を務めた試合で必ず退場者が出る事態が続いた。またカードを頻繁に出す傾向があり、2004年5月9日の清水エスパルス対セレッソ大阪戦ではJリーグ最多記録となる一試合13枚のイエローカードを提示し(レッドカード2枚)、退場の回数が多いことで知られる大久保嘉人から試合中に「落ち着いてやってください」と忠告された[要出典](大久保はこの試合で退場している)。
エピソード
2007年6月30日に行われた川崎フロンターレ対ヴィッセル神戸の後半、ファウルの判定を巡り、神戸DFと高山が小競り合いになった際、味方である神戸DFを突き飛ばしてまで制止した神戸FW大久保嘉人に対して、上記事件の軽い意趣返しのつもりか「大久保も随分とおとなしくなったもんだな」という言葉を投げかけた[要出典]。
2009年6月29日、セレッソ大阪対水戸ホーリーホック戦において、スローインを他の選手に代わろうとした香川真司に対してイエローカードを出すそぶりで威嚇した。[1]
2009年8月22日、柏レイソル対横浜F・マリノスにおいて、横浜山瀬功治が相手DFに両手で抱え込まれて倒れたが、主審の高山は故意の転倒と判断し、山瀬に対しこの試合2枚目のイエローカードを提示、退場処分とした。この判定に対してマリノスはJリーグへ意見書を提出。Jリーグは高山に2試合割り当てを外す処分を行った。その後、高山は誤審を認めた[要出典]。
同じくサッカー審判員である吉田寿光と共に、栃木県立石橋高等学校にて同時期に教員を務めていたことがある。