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==生涯==
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幼少から[[髄膜炎]]で以も苦し一生阿片などの麻薬を服用する。1920年ごろから俳優活動をはじめ、また詩もものし始める。一時[[シュールレアリスム]]運動に加わるも、[[アンドレ・ブルトン|ブルトン]]と衝突。『[[新フランス評論|NRF]]』誌のリビエールとの交信は有名。アルフレッド・ジャリ劇場を創設し、身体演劇である「[[残酷劇]]」を提唱。現代演劇に絶大な影響を与える。
幼少に罹患した[[髄膜炎]]遺症の痛に耐えるために一生阿片などの麻薬を服用し続けた。1920年ごろから俳優活動をはじめ、また詩もものし始める。一時[[シュールレアリスム]]運動に加わるも、[[アンドレ・ブルトン|ブルトン]]と衝突。『[[新フランス評論|NRF]]』誌のリビエールとの交信は有名。アルフレッド・ジャリ劇場を創設し、身体演劇である「[[残酷劇]]」を提唱。現代演劇に絶大な影響を与える。


1920年代後半には映画に関わる仕事が続く。[[アベル・ガンス]]監督の超大作映画『ナポレオン』(1926年)出演([[ジャン=ポール・マラー]]役)に続いて、サイレント映画の最高峰と評される[[カール・ドライヤー]]監督の『[[裁かるゝジャンヌ]]』(1927年)に出演(修道士ジャン・マシュー役)。また同じ時期に[[ジェルメーヌ・デュラック]]監督『[[貝殻と僧侶]]』(1927年)の脚本を書いている。
1920年代後半には映画に関わる仕事が続く。[[アベル・ガンス]]監督の超大作映画『ナポレオン』(1926年)出演([[ジャン=ポール・マラー]]役)に続いて、サイレント映画の最高峰と評される[[カール・ドライヤー]]監督の『[[裁かるゝジャンヌ]]』(1927年)に出演(修道士ジャン・マシュー役)。また同じ時期に[[ジェルメーヌ・デュラック]]監督『[[貝殻と僧侶]]』(1927年)の脚本を書いている。

2012年5月20日 (日) 00:34時点における版

アントナン・アルトー(Antonin Artaud, 1896年9月4日 - 1948年3月4日)は、フランスの俳優・詩人・小説家・演劇家。

生涯

幼少に罹患した髄膜炎の後遺症の痛みに耐えるために一生阿片などの麻薬を服用し続けた。1920年ごろから俳優活動をはじめ、また詩もものし始める。一時シュールレアリスム運動に加わるも、ブルトンと衝突。『NRF』誌のリビエールとの交信は有名。アルフレッド・ジャリ劇場を創設し、身体演劇である「残酷劇」を提唱。現代演劇に絶大な影響を与える。

1920年代後半には映画に関わる仕事が続く。アベル・ガンス監督の超大作映画『ナポレオン』(1926年)出演(ジャン=ポール・マラー役)に続いて、サイレント映画の最高峰と評されるカール・ドライヤー監督の『裁かるゝジャンヌ』(1927年)に出演(修道士ジャン・マシュー役)。また同じ時期にジェルメーヌ・デュラック監督『貝殻と僧侶』(1927年)の脚本を書いている。

1936年、アイルランド旅行中に精神病院に収監され、1947年に退院するが、その体験を後に告発した。『ヴァン・ゴッホ』でサント・ブーブ賞受賞。その思想はドゥルーズデリダに影響を与え、その演劇論はピーター・ブルックらに受け継がれる。

日本語訳された著作

関連項目

外部リンク