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2012年4月19日 (木) 08:29時点における版

姥山貝塚(うばやまかいづか)は、千葉県市川市柏井町一丁目にある縄文時代中期から後期にかけての貝塚大柏川左岸の標高約24メートルの台地上に広がった東西130メートル・南北120メートルの南に開口した馬蹄形の貝塚である。現在は、姥山貝塚公園として整備されている。

比較的早い時期からその存在が知られ、1893年以後何度か調査が行われていたが、本格的な調査は1926年の東京人類遠足会及び東京帝国大学人類学教室による発掘調査である。その結果、縄文時代の竪穴式住居跡が完全な形で発掘されたばかりではなく、計20件確認することが出来た。これは縄文時代の集落の存在を示す最初の遺跡の発見であった。更にうち1つからは成人男女各2名と子供1名、計5名の人骨が発掘され、当時の住居の居住人数を推測する手掛かりともなった。ちなみに、この住居跡からはフグの骨も発掘されており、ここの住人たちはフグを食べて中毒死したとする説もあるが、詳細は不明である。その後も周辺部の調査が進み、計39か所の竪穴式住居跡、計143体の人骨が発掘されており、当時の集落の構成や埋葬に関する貴重な資料を提供した。

発掘品は東京大学・南山大学明治大学などに保管されているほか、同じ市川市内の堀之内貝塚に隣接して建設された市川考古博物館にも展示されている。

参考文献

  • 堀越正行「姥山貝塚」『日本古代遺跡事典』(吉川弘文館、1995年) ISBN 978-4-642-07721-7

関連項目

外部リンク