「ナヴィン・ラングーラム」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
ZéroBot (会話 | 投稿記録)
m r2.7.1) (ロボットによる 追加: no:Navinchandra Ramgoolam
編集の要約なし
33行目: 33行目:


==経歴==
==経歴==
[[1947年]][[7月14日]]に生まれる。[[父]]は[[英連邦王国]]として独立を果たさせた[[シウサガル・ラングーラム]]。ナヴィン・ラングーラムは、[[アイルランド]][[首都]]の[[ダブリン]]で[[医師]]として修業に努め、[[1977年]]に[[医師免許]]を得た。また、[[政治家]]としての[[キャリア]]を積むため、[[修士]]の[[学位]]を[[ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス]]にて取得した。
[[1947年]][[7月14日]]に生まれる。[[父]]は[[英連邦王国]]として独立を果たさせた[[シウサガル・ラングーラム]]。ラングーラムは、[[アイルランド]][[首都]]の[[ダブリン]]で[[医師]]として修業に努め、[[1977年]]に[[医師免許]]を得た。また、[[政治家]]としての[[キャリア]]を積むため、[[修士]]の[[学位]]を[[ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス]]にて取得した。


モーリシャス4代[[首相]]Paul Bérengerが[[2005年]][[7月5日]]に退任後、Paul Bérengerと[[選挙]]で対立し、選挙に勝利し首相に就任した。所属政党は、首相が設立した[[モーリシャス闘争運動]]と連立した[[モーリシャス社会主義運動]]。
モーリシャス4代[[首相]]Paul Bérengerが[[2005年]][[7月5日]]に退任後、Paul Bérengerと[[選挙]]で対立し、選挙に勝利し首相に就任した。所属政党は、首相が設立した[[モーリシャス闘争運動]]と連立した[[モーリシャス社会主義運動]]。


ナヴィン・ラングーラムの[[政策]]は、モーリシャス国民への無料交通の導入、高齢者に対する温厚政策などを行うために、モーリシャスの[[税制]]を厳罰化するなど、今までに無い[[改革]]が行われている。
ラングーラムの[[政策]]は、モーリシャス国民への無料交通の導入、高齢者に対する温厚政策などを行うために、モーリシャスの[[税制]]を厳罰化するなど、今までに無い[[改革]]が行われている。


実験を握るラングラームと、名誉職である大統領の[[アヌルード・ジュグノート]]との対立が激化し、ジュグノートは2012年3月31日で辞任するに至った<ref>{{Cite news
|url=http://sankei.jp.msn.com/world/news/120330/asi12033020550003-n1.htm
|title=モーリシャス大統領辞任へ 首相と対立
|work=MSN産経ニュース
|newspaper=[[産経新聞]]
|date=2012-03-30
|accessdate=2012-04-06
}}</ref>。

== 出典 ==
{{Reflist}}


{{先代次代|5代[[モーリシャスの首相]]|[[2005年]] - |Paul Bérenger|-}}
{{先代次代|5代[[モーリシャスの首相]]|[[2005年]] - |Paul Bérenger|-}}

{{Politician-stub}}
{{Politician-stub}}
{{MU-stub}}
{{MU-stub}}

2012年4月6日 (金) 13:16時点における版

ナヴィン・ラングーラム
नवीन चन्‍द्र रामगुलाम
生年月日 1947年7月14日
前職 医師
弁護士
所属政党 モーリシャス社会主義運動
称号 修士
親族 シウサガル・ラングーラム

在任期間 2005年7月5日 -
大統領 アヌルード・ジュグノート
テンプレートを表示

ナヴィン・ラングーラムヒンディー語:नवीन चन्‍द्र रामगुलाम、1947年7月14日 -)はモーリシャス共和国政治家。革新系連合のモーリシャス社会主義運動所属議員。モーリシャス5代首相

経歴

1947年7月14日に生まれる。英連邦王国として独立を果たさせたシウサガル・ラングーラム。ラングーラムは、アイルランド首都ダブリン医師として修業に努め、1977年医師免許を得た。また、政治家としてのキャリアを積むため、修士学位ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスにて取得した。

モーリシャス4代首相Paul Bérengerが2005年7月5日に退任後、Paul Bérengerと選挙で対立し、選挙に勝利し首相に就任した。所属政党は、前首相が設立したモーリシャス闘争運動と連立したモーリシャス社会主義運動

ラングーラムの政策は、モーリシャス国民への無料交通の導入、高齢者に対する温厚政策などを行うために、モーリシャスの税制を厳罰化するなど、今までに無い改革が行われている。

実験を握るラングラームと、名誉職である大統領のアヌルード・ジュグノートとの対立が激化し、ジュグノートは2012年3月31日で辞任するに至った[1]

出典

先代
Paul Bérenger
5代モーリシャスの首相
2005年 -
次代
-