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[[石川忠雄]]の門下生。内閣官房「日・ASEAN包括的経済連携構想を考える懇談会」、外務省「新日中友好21世紀委員会」など中国を中心としたアジア関係の外交・経済問題に関する政府の審議委員を務めるなど、政府機関への登場も多い。 |
[[石川忠雄]]の門下生。内閣官房「日・ASEAN包括的経済連携構想を考える懇談会」、外務省「新日中友好21世紀委員会」など中国を中心としたアジア関係の外交・経済問題に関する政府の審議委員を務めるなど、政府機関への登場も多い。 |
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*1997年、『アジア時代の検証』で毎日新聞社[[アジア太平洋賞]]特別賞 |
*1997年、『アジア時代の検証』で毎日新聞社[[アジア太平洋賞]]特別賞 |
2012年3月12日 (月) 21:28時点における版
国分 良成 | |
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ファイル:Voa chinese Kokubun Ryosei 21dec09.jpg | |
生誕 |
1953年11月1日(70歳) 日本 東京都 |
教育 | 博士 (法学)(慶應義塾大学、2002年) |
業績 | |
専門分野 | 現代中国政治 |
所属機関 | 慶應義塾大学 |
国分 良成(こくぶん りょうせい、1953年(昭和28年)11月1日 - )は、日本の政治学者、慶應義塾大学教授。専攻は現代中国政治。博士 (法学)(慶應義塾大学、2002年)。東京都出身。
略歴
学歴
- 1971年神奈川県立鶴見高等学校卒業 3月 -
- 1976年法学部政治学科卒業 3月 - 慶應義塾大学
- 1981年大学院法学研究科博士課程単位取得満期退学 3月 - 慶應義塾大学
職歴
- 1981年専任講師 4月 - 慶應義塾大学法学部
- 1985年助教授 4月 - 慶應義塾大学法学部
- 1992年 4月 - 慶應義塾大学法学部教授
- 2003年慶應義塾大学東アジア研究所長兼任(07年まで) 4月 -
- 2007年 4月-2011年9月 - 慶應義塾大学法学部長
- 2012年防衛大学校長[1]。 4月 -
在外研究歴
- 1982年-1983年 - 米国ハーバード大学フェアバンクスセンター研究員
- 1983年-1984年 - 米国ミシガン大学中国研究センター研究員
- 1987年-1988年 - 中国復旦大学研究員
- 1997年-(在職中) - 北京大学政治学・行政管理学部客員研究員
- 1998年-(在職中) - 台湾大学法学院客員研究員
学外における役職
- 2005年から07年までアジア政経学会理事長、2006年から08年まで日本国際政治学会理事長を務めた。
- 日本比較政治学会理事、日本現代中国学会理事
- 『中央日報』(韓国)海外コラムニスト
- The China Quarterly編集委員、The Journal of East Asian Studies編集委員
活動
石川忠雄の門下生。内閣官房「日・ASEAN包括的経済連携構想を考える懇談会」、外務省「新日中友好21世紀委員会」など中国を中心としたアジア関係の外交・経済問題に関する政府の審議委員を務めるなど、政府機関への登場も多い。
2002年、慶應義塾大学の学術系サークルである経済新人会が、三田祭において李登輝・前台湾総統の講演会を企画した。櫻井よしこによると、総合政策学部教授の小島朋之は『産経新聞』(2002年10月2日)が講演予定を報じた2日後の2002年10月4日、李に訪日の再考を促すメールを送付した[2]。
金美齢は、「小島教授は、事前の連絡が皆無、準備期間もなく困惑、自分と国分(良成)教授の面子が失われると書いて、せっかくの、学生たちによる李前総統への招待を退けようとしたのです」と述べ、小島の行動を非難した[2]。
李登輝の代理人によれば、国分・小島側から、李を説得するため2人で訪台する旨が伝えられたが、李は「後ろ向きの説得なら会わない」として、面会を断った[2]。講演会は、李が日本の外務省からビザの発給を拒否された[2]ことで訪日できなかったため、実現しなかった。
受賞歴
著書
単著
- 『中国政治と民主化――改革・開放政策の実証分析』(サイマル出版会、1992年)
- 『アジア時代の検証――中国の視点から』(朝日新聞社[朝日選書]、1996年)
- 『中華人民共和国』(筑摩書房[ちくま新書]、1999年)
- 『現代中国の政治と官僚制』(慶應義塾大学出版会、2004年)
共著
編著
- 『日本・アメリカ・中国――協調へのシナリオ』(TBSブリタニカ、1997年)
- Challenges for China-Japan-U.S. cooperation, (Japan Center for International Exchange, 1998).
- 『現代アジア危機からの再生』(慶應義塾大学出版会、1999年)
- 『中国全球化が世界を揺るがす――われわれの命運を握る中国の決断』(ウェッジ[ウェッジ選書]、2000年)
- 『グローバル化時代の中国』(日本国際問題研究所, 2002年)
- 『中国文化大革命再論』(慶應義塾大学出版会、2003年)
- 『現代東アジアと日本(2)中国政治と東アジア』(慶應義塾大学出版会、2004年)
- 『世界のなかの東アジア』(慶應義塾大学出版会、2006年)
- 『中国の統治能力――政治・経済・外交の相互連関分析』(慶應義塾大学出版会、2006年)
- 『現代東アジア――朝鮮半島・中国・台湾・モンゴル』(慶應義塾大学出版会, 2009年)
共編著
- (毛里和子)『原典中国現代史(1)政治(上)』(岩波書店、1994年)
- (可児弘明・鈴木正崇・関根政美)『民族で読む中国』(朝日新聞社[朝日選書]、1998年)
- (岡部達味・高木誠一郎)『日米中安全保障協力を目指して』(勁草書房、1999年)
- (藤原帰一・林振江)『グローバル化した中国はどうなるか』(新書館、2000年)
- The rise of China and a changing East Asian order , co-edited with Wang Jisi, (Japan Center for International Exchange, 2004).
- (渋沢雅英・山本正・小此木政夫)『東アジアにおけるシヴィル・ソサエティの役割』(慶應義塾大学出版会、2007年)
- (酒井啓子・遠藤貢)『日本の国際政治学(3)地域から見た国際政治』(有斐閣, 2009年)
脚注
- ^ 防衛省発令(2012年3月31日、内閣承認)2012年3月9日閲覧
- ^ a b c d 櫻井よしこ (2002年12月9日). “慶應は福澤翁の精神を忘れ政治の思惑に屈服したか”. 『週刊ダイヤモンド』(2002年12月14日号). 2011年12月13日閲覧。