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とくしまし ウィキデータを編集
徳島市
左上:阿波踊り
右上:徳島駅
中左:眉山
中右:末広大橋
下左:吉野川
下右:大神子海岸
徳島市旗
徳島市章
1909年10月9日制定
日本の旗 日本
地方 四国地方
都道府県 徳島県
市町村コード 36201-8
法人番号 6000020362018 ウィキデータを編集
面積 191.52km2
総人口 246,495[編集]
推計人口、2024年3月1日)
人口密度 1,287人/km2
隣接自治体 小松島市
板野郡松茂町北島町藍住町
名西郡石井町神山町
名東郡佐那河内村
勝浦郡勝浦町
市の木 ホルトノキ
市の花 サクラ
市長 原秀樹
徳島市役所
市長 遠藤彰良
所在地 770-8571
徳島県徳島市幸町二丁目5番地
外部リンク 徳島市

徳島市位置図

― 市 / ― 町・村

ウィキプロジェクト

徳島市(とくしまし)は、日本四国北東部に位置する都市で、徳島県県庁所在地である。旧名東郡[1]。キャッチフレーズは「心おどる水都・とくしま」。

概要

徳島市は江戸時代徳島藩城下町として栄え、幕末には産業の進展で国内で人口が上位10位に入る城下町となった。徳島県の政治・経済・文化の中心都市であり、四国地方でも最大規模の都市の一つである。古来より近畿地方との繋がりが強く、現在でも神戸淡路鳴門自動車道関西地方テレビラジオを通じて人的・物的・経済的な交流が盛んである。地理的には「四国三郎」と呼ばれる吉野川河口に位置し、紀淡海峡に面している。毎年8月のお盆期間に開催される当市の阿波おどりは日本の著名な伝統芸能の一つであり、阿波踊り期間中の4日間に日本国内外から約130万人の観光客が訪れる[2]

地理

沿岸側から見た徳島市街
眉山ロープウェイから眺める徳島市街
新町川(手前)と助任川の合流点。写真中央の建物は徳島県庁舎

吉野川河口に位置し、その三角州上に発達した都市である。当市内には138の川が流れる。当市の大半は徳島平野に位置し平坦であるが、ほぼ中央には当市のシンボルである眉山がそびえ、風光明媚な景観を創り出している。南部は山林が広がる山間部となっている。

主な山

標高 備考
眉山 277m 映画「眉山-びざん-」の舞台
城山 62m 徳島城
中津峰山 773m 当市内でもっとも高い
西竜王山 495m 山内には徳島県立神山森林公園がある
東竜王山 408m 西竜王山の東部に位置している
弁天山 6.1m 自然の山としては日本一低い
平石山 648m 当市と勝浦郡勝浦町の境界に位置する山
古田山 660m 当市と名東郡佐那河内村の境界に位置する山
負出山 346m 当市と名東郡佐那河内村の境界に位置する山
日峰山 191m 当市と小松島市の境界に位置する山
津田山 77m 阿波狸合戦ゆかりの地
気延山 212m 源義経ゆかりの地
辰ヶ山 197m 名東郡国府町名西郡入田村の境界に位置する山
向寺山 190m 山内には徳島県立文化の森総合公園がある

主な川

水系 本川 支流
吉野川 鮎喰川 飯尾川西大堀川金治谷川
新町川 助任川田宮川佐古川沖洲川大岡川興源寺川住吉島川
園瀬川 御座船入江川冷田川大松川新川多々羅川千切山川星河内谷川長谷川
今切川 榎瀬江湖川宮島江湖川
正法寺川
勝浦川 八多川 仕出川金谷川
打樋川
廃河川 寺島川

その他

人口


徳島市(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より


人口は約26万人と、四国の県庁所在地の中では最も少ないが、徳島都市圏の人口は約60万人(四国第3位)となっている[3]

合併構想

当市は、四国の県庁所在地の中では唯一平成の大合併を行っていないが、徳島県などが合併構想を持っており、徳島県市町村合併推進審議会の答申[4]では当市を含む合併構想について2つの案を示している。1つ目の枠組み案は小松島市勝浦町上勝町佐那河内村石井町神山町および板野郡の各町を含むもので、この枠組みでの人口は約45万人(四国第2位)となる。もう1つの枠組み案は、1つ目の枠組み案から板野郡を除いたもので、この枠組みでの人口は約35万人(四国第3位)となる。

また当市は「第4次徳島市総合計画[5]」などで合併に前向きな姿勢を示しており、40万人規模の中核市とすることを目標[6]にしている。しかし、周辺市町村の足並みが揃っていない[7]など合併には数多くの課題を抱えているため、当市は周辺市町村に呼び掛けて「徳島東部地域市長村長懇話会[8]」を設け、共通の行政課題や地域のあり方ついて話し合うことで将来的な合併に向けての足がかりを得ようとしている。

2010年(平成22年)、東部地域市町村町懇話会に参加する全市町村が参加した定住自立圏を形成し、当市が近く中心市宣言を行うことを発表した。

気候

市街地は瀬戸内海式気候と南海型太平洋側気候のちょうど境目に位置している。南海上の湿った気流による影響が大きい点から、南海型太平洋側気候に分類されることがある。ただ降水日数や年降水量の観点から見ると、瀬戸内海式気候が明瞭である。

渇水、空梅雨の年、台風襲来のない年は、瀬戸内側の他の地域と同様に降水量がかなり少なくなり、年降水量は1000mm前後になる。また夏から秋に梅雨台風秋雨などで雨量が集中すると、南海型太平洋側気候を示す地域と殆ど変わらない2000mm以上の年降水量になる。

典型的な海洋性気候で年間を通じて温暖であり、冬日(日最低気温0℃未満の日)はごく稀で、冬季の最低気温の平均は四国四県の県庁所在地中で一番高い。

また日照時間は全国的に見て長く、県庁所在地47地点中6位である。

年平年値(1981年 - 2010年平均)は、気温:16.6℃、降水量:1,453.8mm(最多雨月9月:210.0mm、最少雨月1月:38.9mm)、日照時間:2,092.9時間、1mm以上の降水日数:97.5日/年である[9]

歴史

江戸時代まで

明治維新から第二次世界大戦まで

徳島市章
1909年10月29日制定

第二次世界大戦後(昭和後期)

平成以後

  • 1989年(平成元年)
    • 08月 - 新町川水際公園が完成。
    • 09月 - 徳島中央公園に鷲の門再建。
    • 10月 - 市制施行100周年記念式典開催。
  • 1990年(平成02年)11月 - 文化の森総合公園が開園。
  • 1991年(平成03年)
    • 04月 - 西部環境事業所が本格稼働。
    • 10月 - 中国丹東市と友好都市締結。
  • 1992年(平成04年)10月 - 徳島城博物館が開館。
  • 1993年(平成05年)
    • 09月〜10月 - 東四国国体開催。
    • 11月 - 全国身体障害者スポーツ大会開催。
  • 1994年(平成06年)03月 - 阿波史跡公園(古代の邑)が完成。
  • 1998年(平成10年)
    • 04月 - とくしま動物園が開園。
    • 11月 - 考古資料館が開館。
  • 1999年(平成11年)
    • 01月06日 - 徳島市選挙管理委員会が「吉野川可動堰建設計画の賛否を問う住民投票条例」制定を求める直接請求の有効署名数を確定[13]
    • 02月08日 - 徳島市議会、本会議で「吉野川可動堰建設計画の賛否を問う住民投票条例案」否決[14]
    • 04月 - 北部下水処理場で汚水処理開始。
    • 08月 - 阿波おどり会館が開館。
    • 12月 - 吉野川可動堰建設計画の賛否を問う徳島市住民投票条例[15]が可決。
  • 2000年(平成12年)01月23日 - 吉野川可動堰建設計画の賛否を問うための住民投票を実施し、反対多数となる。詳しくは、吉野川第十堰を参照[16]
  • 2001年(平成13年)
  • 2002年(平成14年)
    • 04月 - 天狗久資料館が開館。とくしま植物園が開園。
    • 07月 - ポイ捨て及び犬のふん害の防止に関する条例を施行。
    • 08月 - 住民基本台帳ネットワークシステムが稼働。
  • 2004年(平成16年)
    • 01月 - 徳島市民活力開発センターオープン。
    • 03月 - 太陽光発電システムを導入。
    • 07月 - 阿波踊り有料演舞場に2部入れ替え指定席制を導入。
    • 10月20日 - 台風23号の大雨で市内の園瀬川が氾濫し、死者2名[17]のほか、上八万町を中心に約530世帯が床上浸水。
    • 11月 - 市役所本庁舎がISO14001の認証を取得。
  • 2006年(平成18年) - 徳島を題材とした『バルトの楽園』(松平健主演)『眉山』(作者さだまさし)が映画化され、市内各地で関連イベントが実施される。

行政

徳島市役所

市長

氏名 就任年月日 退任年月日 備考
井上高格 1889年明治22年)11月11日 1890年(明治23年)06月03日  
2 坂部広織 1890年(明治23年)06月17日 1896年(明治29年)06月12日  
3 保富正三 1896年(明治29年)06月29日 1897年(明治30年)11月02日  
4 高井幸雄 1898年(明治31年)01月31日 1902年(明治35年)10月27日  
5 桑村猪平 1902年(明治35年)12月01日 1906年(明治39年)08月31日  
6-9 一坂俊太郎 1907年(明治40年)04月13日 1922年大正11年)02月03日  
10 武市影一 1922年(大正11年)04月18日 1925年(大正14年)11月14日  
11 矢野猪之八 1926年(大正15年)06月09日 1927年昭和02年)05月05日  
12 橋本菊太郎 1927年(昭和02年)05月19日 1931年(昭和06年)05月18日  
13 坂本政五郎 1931年(昭和06年)06月05日 1933年(昭和08年)09月06日  
14 藤岡直平衛 1933年(昭和08年)09月07日 1937年(昭和12年)09月06日  
15 工藤隆治 1937年(昭和12年)12月06日 1941年(昭和16年)12月01日  
16 森六郎 1942年(昭和17年)03月27日 1945年(昭和20年)04月15日  
17 吉積文平 1945年(昭和20年)05月08日 1946年(昭和21年)11月14日  
18 妹尾芳太郎 1947年(昭和22年)04月07日 1948年(昭和23年)07月01日  
19 原菊太郎 1948年(昭和23年)08月27日 1951年(昭和26年)03月30日  
20-21 長尾新九郎 1951年(昭和26年)04月24日 1959年(昭和34年)05月01日  
22-23 豊田幸太郎 1959年(昭和34年)05月02日 1967年(昭和42年)05月01日  
24-25 武市一夫 1967年(昭和42年)05月02日 1973年(昭和48年)01月31日  
26-28 山本潤造 1973年(昭和48年)03月04日 1985年(昭和60年)03月03日  
29-30 三木俊治 1985年(昭和60年)03月04日 1993年平成05年)03月03日  
31-33 小池正勝 1993年(平成05年)03月04日 2004年(平成16年)03月05日  
34-35 原秀樹 2004年(平成16年)04月19日 現職(2期目)  

議会

姉妹都市・提携都市

日本国内

日本国外

経済

  • 江戸時代より徳島県経済の中心であり、四国でも県庁所在地高松市松山市高知市と並び重要な位置を占めている。江戸時代から明治時代までは、の集散地として大いに栄え、全国でも有数の商都であった。大正以後は、藍産業の衰退にともなって一時停滞を余儀なくされたが、藍商人が長年蓄積した富を資本にした金融機関の設立や、紡績製紙電力などの近代産業の発展が見られ、現在の経済の基盤が築かれた。戦後は新産業都市の指定を受け、化学工業を中心に工場の誘致が進んだ。1998年(平成10年)の明石海峡大橋開通前後には、流通産業や、関西系企業を中心とした製造業の立地が進んだ。
  • 年間商品販売額は、四国の市町村中で高松、松山、高知市に次いで第4位であり、年間製造品出荷額は第6位(県庁所在地中では第1位)である(2007年)。
  • 一太郎を開発したジャストシステムや、自動車等で使われる特殊紙でトップクラスのシェアを誇る阿波製紙といった、世界的に評価の高い企業もある。[18]
  • ハム・ソーセージ最大手の日本ハムや、英会話のイーオンジオスといった有名企業の発祥地である。
  • 仏壇製造などの木工産業が古くから盛んであり、唐木仏壇は全国トップのシェアを誇る。
  • 農業も盛んであり、農業粗生産額は四国の市町村中で最大である。関西向けの近郊農業が発達し、カリフラワーなど、全国最大の出荷量を誇る品目もある。徳島市中央卸売市場は、徳島県の農産品流通の中枢を担っている。

商業

商業施設が集積する元町交差点周辺
  • 当市の年間商業販売額は約1兆円(9979億円・2007年)であり、徳島県全体の6割強を占める。この額は、鳴門市発祥で川内地区に主要生産、研究拠点を持つ大塚ホールディングスの年間売上高(9560億円・2009年3月期)とほぼ同額である。
  • 年間商品販売額のうち、卸売販売額は約7000億円、小売販売額は約3000億円である。いずれも減少傾向にある。
  • 卸売業は県内向けの商品が主に取り扱われているが、本州から四国各地への商品の流通も明石海峡大橋の開通後増加している。
  • 小売業は、徳島駅前に百貨店などの大型商業施設、郊外にロードサイド型の店舗が数多く立地し、徳島県内全域から集客がある。
  • しかし、近年では近郊の板野郡北島町藍住町などに大型商業施設が次々と進出したため、市外からの集客力は低下傾向にあり、当市民も市外で買い物することが増えている。さらに明石海峡大橋(1998年)、高松自動車道(2003年)の開通により、関西や香川県への消費流出も指摘されている[19]
  • 中心市街地の東新町などの商店街が著しく衰退しており、問題となっている。

卸売業

  • 市内には、南部の八万地区に繊維卸団地、海岸部の沖洲地区に中央卸売市場とマリンピア沖洲が立地している。
  • 地区別では、八万が2700億円で全体の40%を占め、次いで沖洲が1700億円(25%)、佐古が1100億円(15%)となっている。かつては市中心部の西新町に卸問屋街、幸町、船場町などに青果市場があって賑わっていたが、戦後は取扱量が増加し、またトラック輸送が主体となったことから、郊外の広い卸団地に業者が次々と移転した。八万の繊維卸団地は、もと西新町にあった業者が大半を占めている。これにより中心部の卸問屋街は著しく衰退することとなった。

中心市街地

  • 中心市街地(徳島市の定義)は、内町地区と呼ばれる、JR徳島駅元町側と、新町地区と呼ばれる東新町商店街周辺の2つの地区から成り立っている。四国の県庁所在地の中では最も狭いが、当市では中心市街地以外の地域にも商店街が広く形成され、小売店が多く立地しているため、市全体に占める中心市街地の店舗数、小売販売額の割合は小さくなっている。
  • 昭和に入ると、東京大阪の大手百貨店による出張販売会が頻繁に行われるようになり、百貨店進出を警戒した地元商店主や資本家が中心となって、同9年、東新町商店街鉄筋コンクリート5階建ての丸新百貨店が開店した。翌年には一楽屋百貨店も開店(徳島空襲後、廃業)し、激しい競争が繰り広げられた。
  • 1945年(昭和20年)の徳島空襲で、市街地は壊滅し、新町地区も丸新百貨店を除いて全て消失した。これにより、江戸時代から残っていた歴史ある街並みも完全に消滅し、新たな都市計画に基づいたまちづくりが行われることとなった。新町地区では、若手商店主による積極的な復興活動が行われ、昭和20年代後半には、戦前並みの賑わいが戻ってきた。
  • それに続く高度経済成長期には、売り上げ、歩行者通行量ともに右肩上がりに増加し、丸新百貨店も3度にわたる増床を行った。昭和46年には大手スーパーのダイエー徳島店、ファッションビルの「サカエヤ」(現在のキョーエイが経営)が相次いで開店し、映画館の増設も加わって、その繁栄は頂点に達した。
  • 1983年に大手百貨店の「そごう徳島店」がJR徳島駅前に開店してからは人の流れが変わり、東新町よりもJR徳島駅前の方が賑わう様になり始めた。1995年には東新町に店舗を構えていた地元老鋪の丸新百貨店が閉店し、跡地は東新町商店街のイベント広場になった。さらに2005年11月には、ダイエー徳島店及び徳島東宝が閉館した。ダイエー閉店後新町地区は著しく縮小した。東新町商店街の通行量は著しく減少し、昭和40年代の20分の1にまで落ち込んだ。空き店舗が増加し、取り壊された建物の跡地がコインパーキング化するなど、空洞化が目立っている。各商店街では、日曜市といったイベントの開催や、空き店舗を利用した市営の託児所や大学のカルチャースペースの誘致が行われ、衰退に歯止めをかけようと対策が行われている。また、ダイエー徳島店跡地などの空きスペースには都市型マンションが次々と建設されており、居住人口の増加も期待されている。マンション1階の商店街側は店舗テナントとなり、ダイエー跡マンションの1階には地元スーパーの「がんばり屋」(末広町)が出店した。
  • 空き店舗の多さは商店街によって差が出ており、東新町1丁目や籠屋町、新町橋、両国本町、両国橋商店街では少なくなっている。これらの商店街には、ハラダ、池田、徳島メガネ、オガワ、ブラジルコーヒー、八百秀、ヤラカスイマデヤファミリー両国といった、市の郊外にも多く店舗を持つ企業の本店・本社や、多角経営をしている店が集中しており、新町地区が長年徳島県の小売業の中心であったことを物語っている。現在店舗自体はないが、徳島地場最大手のスーパーであるキョーエイは、籠屋町商店街が発祥である。これらの商店街では近年店舗の改装やアーケード、舗装の改修などが盛んに行われている。
  • 一方、西新町、元町、東新町2丁目商店街では空き店舗が多く、主に昔ながらの店舗で構成されている。西新町商店街、新町橋商店街の西側を含む新町西地区では、地元地権者と市、都市開発機構による再開発が計画され、2008年に音楽・芸術ホール(老朽化している市文化センターを移転)やタワーマンション、店舗テナントを主体とする「新町西地区市街地再開発事業」が発表された。しかし、再開発の効果に対する疑問や、タワーマンションにより市街地から眉山が見えにくくなるといった景観上の問題から、市民グループの強い反対にあい、飯泉嘉門県知事が都市計画決定に反対の意を表明するなど、計画は暗礁に乗り上げている。市は、文化センターがまもなく築50年を迎え、県庁所在地のホールとしては音響、舞台装置などが著しく劣っており、早急に建て替えが必要なことや、新町西地区は徳島駅から近く交通の便が良いこと、建設費が安く抑えられること、県の補助を受けなくても再開発が可能なことなどを示して、地権者とともに打開案を検討している。
  • このため、そごう徳島店やクレメントプラザ、とくしまCITYなどの商業施設では共同でバーゲンを開催するなど、少しでも消費者が流出しないよう力を入れているが、消費者流出の歯止めには余り至っていないのが実状[要出典]である。一方で新たな来客喚起のための開発は行なわれており、2006年名店街ビルがリニューアルオープンし、タリーズコーヒースターバックス(県内唯一)・餃子の王将マツモトキヨシ(県内唯一)などの大手チェーン店が相次いで進出するなどしている。また、そごう徳島店には、2010年10月、ロフトが進出した。

徳島駅から比較的近い市街地での大型スーパーマーケットがこれで消滅することとなったため、市街地の空洞化にさらなる拍車がかかることになる。残りのショッピングセンターはいずれも徳島駅から2駅以上離れた場所にあり、さらに鉄道駅からも遠いために、日常的な消費を行う店舗へのアクセスは自動車に頼らざるを得なくなっている。

商業施設

そごう徳島店
クレメントプラザ(中央)、とくしまCITY(右)

 

百貨店

徳島県内で唯一の百貨店であり、JR徳島駅前に立地する。1983年(昭和58年)に開店。店舗面積は約20,000m2

当市に初めての百貨店が誕生したのは1934年(昭和9年)のことで、東新町商店街に開業した地元資本の「丸新百貨店」(開店当時は「新町百貨店」)であった。長らく徳島の老舗百貨店として親しまれてきたが、そごうの開店と中心市街地衰退に伴って業績が悪化し、1995年(平成7年)に閉店した。跡地は東新町商店街のイベント広場となっている。

市内には他にも、徳島駅に近い元町に地元資本の「つぼみ屋」があったが、1986年(昭和61年)に閉店した。同店はその後、「徳島ビブレ」を経て「ラスタ徳島」(複合商業ビル)となったが、2003年に閉店し、現在は空きビルとなっている。

大型商業施設

市街地では、全てJR徳島駅前に集まっている。かつては東新町商店街にダイエー徳島店があったが、2004年(平成16年)に撤退した。万代町にサティがあったが、2008年(平成20年)に撤退した。末広町にジャスコがあったが、2009年(平成21年)に撤退した。そのため、現在当市内に大手の大型スーパーは皆無となっている。また、当市内に店舗面積が30,000m2を超える大型ショッピングセンターは立地していない。大型店は当市と鳴門市の中間にあり、用地取得の容易な吉野川北岸の北島町、藍住町などへの出店が増加しており、当市の小売業を衰退させる一要因となっている。

つぼ美屋が業態転換して開店したが、1998年(平成10年)に閉店。その後ファッションビルのラスタ徳島が開店したが、これも2003年(平成15年)に閉店した。現在はノヴィルが所有しているが、テナントは入居せず、空きビルとなっている。
地場最大手のキョーエイが経営する複合商業施設。デオデオなどが入る。

スーパーマーケット

地元資本の勢力が強く、複数の地場スーパーがチェーン展開を行っている。かつてはダイエー、ジャスコ、サティもあったが相次いで撤退した。店舗数は増加しており、市街地や郊外を問わず市内一円に立地している。競争が激化しているため、徳島県産の生鮮食料品の販売に力を入れたり24時間営業を行うなど、各店がさまざまなサービスを展開している。

コンビニエンスストア

徳島駅前や、市街地の主要道路沿い、郊外に多く立地している。店舗数は増加を続けており、競争が激化している。差別化や、新たな顧客獲得のため、野菜などの生鮮食料品を売る店や、高齢者向けの小売品を販売する店が増えている。

ラーメン店

近年、全国的に有名になった「徳島ラーメン」を中心に、さまざまなタイプのラーメン(中華そば・支那そば)店がある。徳島保健所管内の中華そば店としての届け出店舗は224軒で、人口1万人当たり4.74軒となっている。これは、古くからラーメンで有名な福岡市(1万人当たり1.87軒)、札幌市(同3.21軒)の数字を大きく上回っており、全国でも有数のラーメン激戦区となっている。かつては家族経営の小規模な店舗ばかりだったが、徳島ラーメンが有名になるにつれチェーン化する店が増えてきた。主要道路沿いに広い駐車場を構える店舗ばかりではなく、飲み屋街や住宅街、工場地帯などで長年の味を守っている名店も数多いようである。

市内にある徳島ラーメンの主な店舗は次の通り。市外に本店を持つ店の出店が増えている。

  • いのたに       
  • 東大    
  • 麺王    
  • ふく利 - 本店は北島町。
  • いわた   
  • 可成家   
  • 三八
  • 広東
  • 春陽軒
  • 巽屋
  • 一福

薬局・ドラッグストア

徳島大学薬学部があること、医療機関が多いことを背景に、調剤薬局の数は非常に多く、人口当たりの薬剤師数は全国第1位となっている。医薬分業が進んだことで、新規開業が増え、チェーン化する薬局も現れている。とくに、徳島大学病院徳島県立中央病院徳島市民病院など大型病院の近辺には集中しており、競争が激化している。

ドラッグストアは、地元資本ではアクサス(ノヴィルから分社化)の営業するチャーリーと、キョーエイの営業するキョーエイドラッグなどがある。郊外を中心に県外資本の出店が相次いでいる。特に関西地盤の進出が多い。

市内の主な薬局・ドラッグストア

商店街

中心市街地には、主に次の商店街がある。かつては百貨店や大型スーパー、映画館、劇場が集まり、徳島県下はもとより四国でも最大規模の繁華街を形成し、最先端の流行、文化を得られる場所として賑わった。

しかし、昭和50年代以降、モータリーゼーションの進展にともない郊外の大型店に客を奪われはじめ、さらに1983年(昭和58年)にそごうの入ったアミコビルが、1993年(平成5年)にクレメントプラザが徳島駅前に開業したことからさらに衰退し、大型商業施設や映画館は全て姿を消し、通行量も昭和40年代の5%ほどにまで減少している。

中心市街地のほかにも、その周辺の市街地(佐古渭北渭東、JR蔵本駅前)に商店街が広く伸びており、また、八万国府地区などの郊外にも商店街が形成されている。

産業

  • 製造品出荷額は4,998億円(2008年(平成20年)「統計徳島」より)で、徳島県全体の3分の1ほどを占める。ここ数年増加傾向にある。
  • 化学工業の割合が高いのが特徴で、製造品出荷額で全体の68%(3,395億円)となっている。

市内に本社・本部を置く主要企業

事業所等を置く主要企業

金融

  • 徳島県に本社を持つ金融機関の多くが当市に本店を持っており、大手・地方銀行、証券会社、保険会社などの支店も集中している。
  • 当市に初めてできた銀行は、地元商人の久次米兵次郎1880年(明治13年)に設立した久次米銀行であり、全国第6番目の銀行であった。資本金は三井銀行に次いで2番目であり、徳島のみならず、大阪、東京にも支店を持つ大銀行だったが、1892年(明治25年)に経営破綻し、その債務整理のために阿波商業銀行(阿波銀行の前身)が設立された。阿波銀行は、経営破綻して以後一貫して「堅実経営」を行是としており、そのため全国の銀行の中では経営状態が非常に良い。2010年、日本格付研究所(JCR)から長期優先債務格付「AA-」(現状維持)の判定を受けた。これは地方銀行の中では極めて高いランクである。
  • 四国銀行高知市)の前身の一つである関西銀行の本店が置かれていたため、同銀行の店舗が多く存在する。
  • 徳島県民一人あたりの個人預貯金残高ならびに保険加入額は全国トップクラスである(個人預貯金残高は都道府県中3位、簡易生命保険金額1位)ことなどから、徳島県民には経済感覚に卓越した人が多いと言われる[21]
  • 大手金融機関の四国統括の支店が集中する高松市に距離的に近いため、日本銀行をはじめ当市を高松支店の営業エリアに組み込んでいる金融機関が多く、当市は松山市や高知市に比べて県外金融機関の店舗は少なくなっている。その分、当市と高松市の金融面での連携は強く、第二地方銀行の徳島銀行香川銀行が2010年に経営統合するといった動きがみられる。

市内に本店を置く金融機関 

市内に支店を置く金融機関

四国銀行徳島営業部
愛媛銀行徳島支店
メガバンク
地方銀行(本店所在地) - 四国に本店を持つ銀行は全て支店を持つ。
信用金庫
徳島信用金庫以外に支店を持つものはない。
労働金庫

医療・福祉

当市は医師歯科医師薬剤師看護師などの医療従事者が非常に多いことで知られており、人口当たりの病院・診療所数は全国の市町村中4位、医師数は同19位となっている[22]。徳島県全体で医療従事者数は全国的に非常に多くなっているが、とりわけ当市に数が集中し、医師数で3分の2、医療施設で約6割を占めており、全国でも最高クラスの医療激戦区となっている(徳島経済研究所 徳島県の経済と産業2009年版)。県内はもとより四国各県や兵庫県淡路島などから患者が集まるようになっている。

市内に医療従事者が多い理由としては、徳島大学の存在が言われている[23]。同大学は医学部歯学部薬学部が揃う四国で唯一の大学であり、長年にわたり多くの医療従事者を輩出している。特に医学部は戦前の設立であり、1973年に愛媛大学に設置されるまで四国で唯一の医学部だった。歯学部、薬学部は現在でも四国の国立大学では徳島大学にしかない。

医療施設、従事者の集中とともに、製薬などの医療関連産業も発達しており、市内には大塚製薬といった大手製薬メーカーの工場や研究所が立地しているほか、関連地場産業の発展もみられる。徳島大学との産学連携事業が盛んである[24](全国大学の産学連携について2006年に経済産業省が調査した「企業からみた評価ランキング」で、徳島大学は第7位となっている)。

以下は人口10万人あたり(徳島県発行「統計でみる徳島・平成18年度版」より)。 

  • 歯科診療所数(69.1施設、徳島県平均52.7施設・全国7位、全国平均52.2施設)
  • 医師数(439.7人、県平均281.7人・全国1位、全国平均211.7人)
  • 歯科医師数(175.9人、県平均95.6人・全国3位、全国平均74.6人)  
  • 看護師数(965.8人、県平均779.7人・全国10位、全国平均595.4人)
  • 薬剤師数(532.5人、県平均305.8人・全国1位、全国平均306.5人) 

主な公共医療施設

徳島赤十字病院は、隣の小松島市にある。

教育

  • 鳴門教育大学徳島工業短期大学を除き、徳島県内の大学は全て本市に立地している。また、県内の高校のうち、2011年度現在で存続している私立高校は全て本市に集中している。
  • 本市に大学が設置されたのは戦後に入ってからだが、戦前には徳島医学専門学校などの国立専門学校が集中して開校し、四国の高等教育の中枢を担った。現在でも、四国で医歯薬学部の揃った大学は徳島大学のみであり、また、同大工学部の学生数は中四国の大学で最多である。
  • 明治8年には、福澤諭吉の方針によって慶応義塾の支塾も開設された。同塾が支塾を開校したのは、全国で大阪、京都、徳島の3都市だけである。

大学・短期大学

徳島大学

高等学校

市立・県立
私立

中学校

小学校

太字の学校には制服がある。

保育所

  • 徳島市立富田保育所
  • 徳島市立内町保育所
  • 徳島市立渭東保育所
  • 徳島市立西富田保育所
  • 徳島市立津田保育所
  • 徳島市立加茂保育所
  • 徳島市立南井上保育所
  • 徳島市立渭北保育所
  • 徳島市立八万東保育所
  • 徳島市立国府保育所
  • 徳島市立北井上保育所
  • 徳島市立佐古保育所
  • 徳島市立論田保育所
  • 徳島市立加茂名保育所
  • 徳島市立昭和保育所
  • 徳島市立八万保育所
  • 徳島市立沖洲保育所
  • 徳島市立川内保育所
  • 徳島市立大松保育所
  • 徳島市立名東保育所
  • 徳島市立方上保育所
  • 徳島市立一宮保育所
  • 徳島市立不動保育所
  • 徳島市立北島田保育所
  • 徳島市立応神保育所
  • 徳島市立芝原保育所
  • 徳島市立明善保育所
  • 徳島市立新浜保育所
  • 徳島市立八多保育所
  • 徳島市立多家良保育所
  • 徳島市立渋野保育所
  • 徳島市立丈六保育所
  • 徳島市立飯谷保育所
  • 徳島市立新浜西保育所
  • 私立梅の花保育所
  • 私立阿波国慈恵院保育所
  • 私立出来島保育所
  • 私立前川乳児保育所
  • 私立南佐古保育所
  • 私立さくら保育所
  • 私立西富田乳児保育所
  • 私立若松保育所
  • 私立みずほ保育所
  • 私立青葉保育所
  • 私立もとしろ保育所
  • 私立島田保育所
  • 私立ひまわり保育所
  • 私立くるみ保育所
  • 私立なかよし保育所
  • 私立川内南アコール
  • 私立すぎのこ保育所
  • 私立わかば保育所
  • 私立城南保育所
  • 私立大原保育所
  • 私立あゆみ保育所
  • 私立助任保育所
  • 私立みのり保育所
  • 私立みどり保育所
  • 私立光花保育所
  • 私立春日保育所
  • 私立育英保育所
  • 私立おおぎ保育所
  • 私立青嵐保育園
  • 私立川内わかば保育所
  • 私立四国大学附属保育所
  • 私立めだか保育所

幼稚園

専門学校

特殊学校

児童養護施設

廃校

交通

鉄道

当市内をはじめ、徳島県内全線全区間が非電化であり、電車はまったく走っていない。関西以東への移動は、瀬戸大橋を経由しなければならない鉄道よりも、明石海峡大橋を通る高速バスのほうが圧倒的に速く、料金も安いため、四国の他県都と違って同方面への需要はほとんどない。また、高知市松山市への移動も鉄道より高速バスを利用する人が多いため、中・長距離移動で鉄道を利用する人は少ない。これが当市の鉄道路線が電化されない理由の一つになっている。 ただし、通勤・通学などの近距離輸送の需要は比較的高く、徳島駅の乗降客数は高松駅に次いで四国第2位になっている。これは、市内の朝夕の道路渋滞が激しいことや、徳島駅前にそごうなどの大型商業施設が集中し、当市最大の繁華街が形成されていること、路線バス・高速バスがほぼ全て徳島駅起点であり、鉄道との接続がスムーズであることなどが理由として挙げられる。しかし、少子化による通学需要の減少や、中心市街地の衰退に伴い、利用者は減少傾向にある。

バス

路線バス

市内に私鉄や地下鉄が通っていないため、市街地内や市街地と郊外を結ぶ公共交通機関として重要な役割を果たしており、通勤通学や高齢者の買い物や通院の足となっている。ほぼすべての路線がJR徳島駅前を発着点にしており、JRや他のバス路線への乗り継ぎが分かりやすくなっている。5分以内の間隔で運行されている区間が存在するなど、私鉄がない分多くのバスが運行されているものの、最終便が早く、大半の路線で21時台となっている。全国の地方都市の路線バスと同じく利用者の減少に悩まされており、均一運賃の導入による料金体系の見直しや循環バスの運行、運転士のサービス改善といった対策が行われている。

2010年9月26日と10月31日の2日間、徳島市の「まちにいこうよ」事業の一環として、市内を発着する全ての路線バスの運賃を一律100円にする社会実験が行われた。期間中、利用者が大幅に増加し好評だったことから、2011年3月までの間、各月の最終日曜日に継続して実施されることになった。実施日に合わせて、中心市街地でさまざまなイベントが開催されることになっている。

徳島市内を発着する路線バス企業

高速バス

全て当市内発着、または徳島市内のバスストップに停車する高速バス路線。大半はJR徳島駅発着である。関西方面へは、料金、時間ともに鉄道に対して圧倒的な優位性を持っており、同方面へ1日100往復を超える高速バスが運行されている。しかし、高速道路料金の値下げによりマイカー利用者が増加したため、利用者は減少している。また、高速バスより価格が安く、目的地で終日自由行動できるツアーバスも運行されはじめ、手ごわいライバルになっている。とくに東京方面では片道5000~6000円の格安ツアーバスがほぼ毎日運行されており、高速バスのみならず徳島空港発着の航空機の需要も奪いつつある。

徳島バス
ジェイアール四国バス
徳島バス・ジェイアール四国バス共同運行
その他の路線

高速バスストップ

  • 徳島大学前バスストップ(神戸線、阿南発着便、高松便のみ停車)
  • 徳島駅バスストップ(阿南発着便・ドリーム高知号は経由しない)
  • 工業団地前バスストップ(大阪線の数便、高松線のみ停車)
  • 徳島マリンピア(JRバス徳島大阪線・徳島神戸線の一部のみ発着)
  • 徳島文理大西口バスストップ(阿南発着便のみ停車)
  • 鈴江バスストップ(高知線・松山線のみ停車)
  • 加茂名バスストップ(東京線吉野川市発着便・大阪線石井発着便のみ停車)

道路

当市の主要幹線道路は、徳島本町交差点を中心として東西南北方向に走っているのが特徴で、吉野川、鮎喰川、勝浦川など多くの河川や眉山といった自然の障壁に阻まれて、徳島市を通過する自動車のほとんどが中心部に集中するようになっている。交通量の増加に伴う道路整備は、自然の障壁の多さや用地買収の難航のため遅れており、朝夕の通勤時間帯には市街地やその周辺、吉野川にかかる橋付近で激しい渋滞が発生している。

高速道路

四国横断自動車道(鳴門 - 阿南)開通後は当市東沖洲付近に徳島東インターチェンジを設置予定。

一般国道

国道11号
当市かちどき橋一丁目のかちどき橋交差点から北へと延びる道路である。国道55号と共に当市を南北に貫く幹線道路として位置付けられている。市内は全線6車線で整備も行き届いているが、交通量の多さから川内町、吉野川大橋、徳島本町、県庁前などでは頻繁に渋滞が発生する。吉野川大橋付近の1日の平均交通量は80,000台を超え、徳島県内はおろか四国で1位である[25][26]。朝のラッシュ時には徳島本町交差点を先頭に、吉野川大橋を越えて川内町付近まで3km近く渋滞する事もある。なお、沿線は吉野川大橋以南と以北で風景が一変する(以南は市街地、以北の川内町は住宅地や田畑)。
国道28号
当市から板野郡松茂町までは、国道11号と重複区間となっている。
国道55号
当市かちどき橋一丁目のかちどき橋交差点から南へと延びる道路である。国道11号と共に当市を南北に貫く幹線道路として位置付けられている。市内はかちどき橋交差点から大野橋交差点までが6車線、大野橋交差点以南が4車線で、こちらも国道11号同様、頻繁に渋滞が発生する。主な渋滞発生場所は勝浦川橋、大野橋、南昭和町、県庁前など。沿線には国道55号を中心に大学や商業施設等の立地している沖浜地区があり、沖浜以南では農耕地の広がる地域を走る。
国道192号
当市徳島本町二丁目の徳島本町交差点から西へと延びる道路である。当市の中心部を通って、市内を東西に貫く幹線道路として位置付けられている。市内は徳島本町交差点から上鮎喰橋までが4車線〜6車線、上鮎喰橋以西が2車線で、国府町蔵本町、佐古、八百屋町、徳島本町などで頻繁に渋滞が発生する。特に、朝の蔵本公園前から中心部への渋滞は激しい。こうした渋滞を緩和する為に、現在国府町から上八万町、八万町を通って国道55号に抜けるバイパス(徳島南環状道路)が建設中である。
国道195号
当市から阿南市までは、国道55号と重複区間となっている。
国道318号
当市から吉野川市までは、国道192号と重複区間となっている。
国道438号
当市中心部から八万町、上八万町を通って名東郡佐那河内村へと続く道路である。八万町までは電線も地中化されている。市内の道は元町交差点から南二軒屋交差点までが4車線〜6車線、南二軒屋交差点以遠が2車線〜1、5車線で、大木、園瀬橋、南二軒屋、大工町などでしばしば渋滞が発生する。
国道439号
当市から三好市東祖谷菅生までは、国道438号と重複区間となっている。

主要県道

市内を走る主要県道

一般県道

市内を通る一般県道

船舶

航空

最寄りの空港は徳島空港松茂町)。

乗り入れている航空会社

マスメディア

市内に所在

新聞
テレビ局
ケーブルテレビ局
ラジオ局
  • NHK徳島放送局(AM、FM)
  • 四国放送(AM、JRN・NRN系列)
  • エフエム徳島(JFN系列)

エリア外受信が可能な局

テレビ局

市内の大半の地域では、スピルオーバーによる近畿広域圏のテレビ放送を直接受信することが可能である。

さらに、近畿広域圏内の県域局や岡山県・香川県の放送が受信可能な地域がある一方、地上波デジタルテレビ放送は、海岸の一部地域で不安定な受信ができるにとどまる。

ラジオ局

徳島県域局以外である程度鮮明な音質での聴取が可能なのは以下の局であるが、ラジオ関西のほか深夜帯には東海ラジオニッポン放送九州朝日放送などもノイズ混じりながら、聴取可能である。

文化・観光

徳島市の観光客入り込み客数は、229万5,000人[27]である。このうち阿波踊りの観光客数は139万人であり、年間観光客数の半分以上が、阿波踊りの4日間に集中することが分かる。なお、年間の県外観光客数は120万8000人である。1998年の明石海峡大橋の開通や、徳島を舞台にした映画『眉山』や『バルトの楽園』の上演によって増加傾向にある。また、2009年NHK連続テレビ小説ウェルかめ』の舞台となっていることから、さらなる誘客があるものと期待されている[要出典]

市内の主要な観光地としては、市のシンボルである眉山徳島城跡、阿波踊り会館徳島県文化の森総合公園とくしま動物園阿波十郎兵衛屋敷がある。また、市内には四国八十八箇所の札所のうち、13番大日寺から17番井戸寺までがある。いずれも市の郊外に位置している。

徳島県立21世紀館・博物館・近代美術館
徳島県立図書館
徳島県立文書館
徳島城
一宮城
旧徳島城表御殿庭園
ケンチョピア
新町川水際公園

公共施設

名所・旧跡

社寺

祭事・イベント

1月9日から1月11日までの3日間、通町事代主神社を中心に行われている。
ゴールデンウィーク中、藍場浜公園で開催。
2008年より毎年4月下旬の日曜日に開催。出場応募開始から1週間で定員を超えるほどの人気ぶりである。主に吉野川の土手の上を走る。
7月下旬に徳島市民吉野川運動広場にて行われ、花火大会等が行われる。
1976年以降、毎年8月12日から15日に実施されている[28]市民にとっても一大イベントであるほか、「夏の終わりを感じる行事」という人もいる[要出典]
当市内のほか徳島県内各地でも開催されているが、当市のものが最も規模が大きいとされる。
開催期間中、当市内の道路や公園には演舞場(藍場浜・南内町・紺屋町・市役所前は有料、元町・新町・両国は無料)が設置されるほか、企業の駐車場を利用した「踊り広場」なども各所に設置される。期間中はのべ130万人の見物客が訪れる[2]
2010年では阿波踊りの観光宣伝のために空の境界東方Projectのキャラクターを使用したポスターが作られた。
11月に藍場浜公園で開催。
1988年から始まったジャズの祭典。
しんまちボードウォークにて毎月最終日曜日に開催されている市場。2010年12月26日に初開催された。
  • 徳島わくわく日曜市
毎月最後の日曜日の午前中、紺屋町の歩道で開催。約40店舗が、徳島県産の野菜や果物および特産品を格安で販売している。

宿泊施設

ホテルサンルート徳島
東横イン徳島駅前
かんぽの宿徳島
センチュリープラザホテル

徳島市の旅館・ホテルは158施設[29]であり、四国の県庁所在地の中では最も少ない。これは、市内に観光スポットが少なく、周辺の鳴門市などに観光ホテルが多いこと、県外からの主な集客先である関西からの距離が近く日帰りが十分可能なことが理由として挙げられる。明石海峡大橋開通後は、関西からの日帰りはますます容易となったことから市の観光客数は増加したものの、宿泊客数は1割程度減少している[要出典]。しかし、毎年8月の徳島市阿波踊り期間中には、4日間で約130万人もの観光客が押し寄せるため、市内のホテル・旅館は軒並み満室となり、予約できなかった観光客が見物後香川県のホテルに流れたり、止む無く日帰りしてしまう事態が生じることから、阿波踊り観光客が、その他の県内観光地へ流れにくくなっていると指摘されている。なお、阿波踊り期間中に市内のホテルでは特別料金を設定するところが多く、普段より宿泊料金が割高になる[要出典]

近年は、ビジネスホテルタイプの宿泊施設が増加しており、大手格安チェーンの進出が相次いでいる。このため、宿泊施設間の競争が激化しており、昔ながらの旅館や老朽化したホテルの淘汰が進んでいる[要出典]。特にJR徳島駅前には大型ホテルが集中しており、宿泊客獲得のために価格競争ばかりでなくさまざまなサービスを行っている。

四国八十八箇所の札所のうち、大日寺・観音寺・井戸寺の近辺には巡礼者(遍路)を主な利用者層とする宿泊施設(遍路宿)が立地するほか、大日寺および同寺の奥の院である建治寺には宿坊がある[30]。また、カプセルホテル秋田町近くのサミットプラザのみ立地している。

主な宿泊施設

※全国展開を図るスーパーホテルと、四国内に展開する「ホテル No1」は、四国の他の県庁所在地に立地しているが当市には立地していない。

食文化

銘菓
その他

スポーツチーム

出身有名人

脚注

  1. ^ 現在の市域には、かつて板野郡勝浦郡名西郡であった地域も含む
  2. ^ a b 文教大学国際学部紀要 第16巻1号(PDF)
  3. ^ 10%都市雇用圏の人口。四国他県の県庁所在地においては、高松都市圏が約84万人、松山都市圏が約64万人、高知都市圏が約55万人となっている。
  4. ^ 自主的な合併の推進に関する構想(答申) - 徳島県市町村合併推進審議会(2007年7月)
  5. ^ 心おどる水都・とくしま 第4次徳島市総合計画 - 徳島市
  6. ^ 第4次徳島市総合計画 P.2
  7. ^ http://www.topics.or.jp/special/122545429353.html 徳島新聞 まちの行く末 とくしま合併検証 第4部]
  8. ^ 徳島東部地域市町村長懇話会 - 徳島市
  9. ^ 徳島県 徳島 平年値(年・月ごとの値)(気象統計情報) - 気象庁
  10. ^ 四国では高知県高知市1889年4月1日に次ぎ2番目の市制施行。なお3番目は愛媛県松山市で同年12月15日。4番目は香川県高松市1890年2月15日
  11. ^ 1889年当時、世帯数14,607世帯、人口60,861人(男29,530人、女31,331人)。寄留簿人口による。
  12. ^ 1889年12月12日告示第1号により「来ル12月16日ヨリ徳島市大字徳島町物産蒐集場ニ於テ徳島市役所ヲ開ク」とされた。
  13. ^ 1998年12月23日から29日の署名簿縦覧を経て、第十堰住民投票の会が集めた有効署名数を、101,535筆(法定数の24.3倍、有権者の48.8%)に確定。
  14. ^ 賛成17名、反対22名(特別委員会での賛成4名、反対7名)。
  15. ^ 平成11年徳島市条例第30号。
  16. ^ 投票総数113,996票(当日有権者総数207,284人の54.995%、有効投票数112,116票 無効票1,863票(うち白紙1,135票))のうち、可動堰建設反対102,759票、賛成9,367票だった。なお、この投票は「吉野川可動堰建設計画の賛否を問う徳島市住民投票条例(平成11年徳島市条例第30号)」第3条の規定により、「住民投票は,投票資格者の2分の1以上の者の投票により成立するものとする」とされ、投票率が50%に満たないときは開票そのものを行わないという異例なものであり、戦後の地方自治法のもとで行われた住民投票では初めてのことであった。その開票基準の適否を巡っても全国の新聞・放送局その他各界で激しく議論がなされた。
  17. ^ このほか徳島県内では、吉野川市で死者1名。
  18. ^ なお、同じく徳島県発祥の企業である大塚グループの発祥は鳴門市である
  19. ^ 徳島大学 - 徳島県における小売業と購買行動の変化
  20. ^ 県庁所在地でありながら映画館のない徳島市に常設映画館が復活 アニメ制作会社ufotableが来春オープン - シネマトゥデイ、2011年5月12日。
  21. ^ 徳島県 統計でみる徳島 平成18年度版より
  22. ^ 東洋経済 都市データパック2008年度版より
  23. ^ 徳島経済研究所 徳島県の経済と産業2009年版
  24. ^ 徳島経済研究所 徳島県の経済と産業2009年版
  25. ^ 徳島市広域道整備課 - 徳島外環状道路(南環状道路)周辺対策事業
  26. ^ 次の資料では「7万4千台」とある。国土交通省四国地方整備局徳島河川国道事務所
  27. ^ 徳島市統計資料、平成19年度
  28. ^ 1975年以前は、むしろ現在の8月12日から15日には実施されない事が多く、8月初旬や8月下旬のほか、9月に実施されたこともあった。また、1934年や1935年は3日間の日程で実施された(出典:徳島市観光協会の1934年以降の告知ポスター)。なお、正式な期間と日程は「阿波おどり実行委員会」において毎年決定している。
  29. ^ 2006年度、旅館業法に基づく許可軒数[要出典]
  30. ^ 『四国遍路ひとり歩き同行二人』地図編(宮崎建樹 著、へんろみち保存協力会 編、2007年2月(第8版)、p.109)

関連項目

外部リンク

行政
観光

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