「オートヴィル朝」の版間の差分
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2011年10月18日 (火) 13:42時点における版
オートヴィル朝(オートヴィルちょう)は、イタリアの中世シチリア王国の王朝(1130年 - 1194年)。一般にはノルマン朝という呼称で知られている。
オートヴィル家(Maison de Hauteville, イタリア語ではアルタヴィッラ家Casa d'Altavilla)はフランスのノルマンディー公国出身のノルマン系騎士の家系であったが、ロベール・ギスカール(ロベルト・イル・グイスカルド)が南イタリア及びシチリア島を征服して、1059年に正式にローマ教皇によってプッリャ・カラブリア公爵に封じられた。1072年、ロベルトは弟のルッジェーロ1世にシチリアを分与して伯爵とした。ロベルトの息子ボエモン1世は第1回十字軍に参加し、アンティオキア公国を建てた。
ルッジェーロ1世の息子であるルッジェーロ2世が1130年、ローマ教皇から王号を得たことにより、シチリア王国が成立する。東方の文化を受け入れ地中海の交易で栄えたが、その後は王朝内の内紛が絶えず、1194年神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世によって征服され、ルッジェーロ2世の娘コスタンツァとハインリヒの息子フリードリヒ2世(フェデリーコ)へと王位が伝えられた。
歴代シチリア王
- ルッジェーロ2世(1130年 - 1154年)
- グリエルモ1世(1154年 - 1166年)
- グリエルモ2世(1166年 - 1189年)
- タンクレーディ(1189年 - 1194年)
- ルッジェーロ3世(共同統治、1193年 - 1194年)
- グリエルモ3世(1194年)
- コスタンツァ(神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世と共同統治、1194年 - 1198年)
系図
タンクレード | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
グリエルモ1世 プッリャ伯 | ドロゴーネ プッリャ伯 | ウンフレード プッリャ伯 | ロベルト・イル・グイスカルド プッリャ・カラブリア公 | ルッジェーロ1世 シチリア伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ボエモン1世 アンティオキア公 | ルッジェーロ・ボルサ プッリャ・カラブリア公 | ロベルト・スカリオ | グイード アマルフィ公 | シモーネ シチリア伯 | ルッジェーロ2世 シチリア王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ボエモン2世 アンティオキア公 | グリエルモ2世 プッリャ・カラブリア公 | ルッジェーロ プッリャ公 | タンクレーディ バーリ公 ターラント公 | グリエルモ1世 シチリア王 | コスタンツァ シチリア女王 | ハインリヒ6世 神聖ローマ皇帝 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
コンスタンス アンティオキア女公 | レーモン・ド・ポワティエ | タンクレーディ シチリア王 | グリエルモ2世 シチリア王 | フリードリヒ2世 シチリア王 神聖ローマ皇帝 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ルッジェーロ3世 シチリア王 | グリエルモ3世 シチリア王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||