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葦原色許男神はこの隙に逃げようと思い、スサノオの髪を部屋の柱に結びつけ、大きな石で部屋の入口を塞いだ。スサノオの大刀と弓矢、スセリビメの琴を持ち、スセリビメを背負って逃げ出そうとした時、琴が木に触れて鳴り響いた。その音でスサノオは驚き目を覚ましたが、髪が部屋の柱に結びつけられていたのに気付かなかったので柱を引き倒してしまった。スサノオが柱から髪を解いている間に、大刀と弓矢と琴を持ちスセリビメを背負った葦原色許男神は遠くへ逃げることができた<ref>戸部民夫 『日本神話』 88頁。</ref>。
葦原色許男神はこの隙に逃げようと思い、スサノオの髪を部屋の柱に結びつけ、大きな石で部屋の入口を塞いだ。スサノオの大刀と弓矢、スセリビメの琴を持ち、スセリビメを背負って逃げ出そうとした時、琴が木に触れて鳴り響いた。その音でスサノオは驚き目を覚ましたが、髪が部屋の柱に結びつけられていたのに気付かなかったので柱を引き倒してしまった。スサノオが柱から髪を解いている間に、大刀と弓矢と琴を持ちスセリビメを背負った葦原色許男神は遠くへ逃げることができた<ref>戸部民夫 『日本神話』 88頁。</ref>。


スサノオは、[[葦原中津国]](地上)とつながっている黄泉比良坂(よもつひらさか)まで追いかけたが、そこで追いかけるのを止め遠くに逃げる葦原色許男神に言った。「お前が持っている大刀と弓矢で従わない八十神を追い払え。そしてお前が大国主となり、また宇都志国玉神になって、スセリビメを妻として立派な宮殿を建てて住め。この野郎め」。葦原色許男神は出雲国へ戻って大国主となりスサノオから授かった太刀と弓矢を持って、八十神を山坂の裾に追い伏せ、また河の瀬に追い払い、全て退けた。そしてスセリビメを正妻にして、宇迦の山のふもとの岩の根にしっかりと宮柱を立て、高天原に届く様な立派な千木(ちぎ)のある新宮を建てて住み、国づくりを始めた<ref>戸部民夫 『日本神話』 90-92頁。</ref>。
スサノオは、[[葦原中津国]](地上)とつながっている黄泉比良坂(よもつひらさか)まで追いかけたが、そこで追いかけるのを止め遠くに逃げる葦原色許男神に言った。「お前が持っている大刀と弓矢で従わない八十神を追い払え。そしてお前が大国主、また宇都志国玉神(ウツシクニタマ)になって、スセリビメを妻として立派な宮殿を建てて住め。この野郎め」。葦原色許男神は出雲国へ戻って大国主となりスサノオから授かった太刀と弓矢を持って、八十神を山坂の裾に追い伏せ、また河の瀬に追い払い、全て退けた。そしてスセリビメを正妻にして、宇迦の山のふもとの岩の根にしっかりと宮柱を立て、高天原に届く様な立派な千木(ちぎ)のある新宮を建てて住み、国づくりを始めた<ref>戸部民夫 『日本神話』 90-92頁。</ref>。


ヤガミヒメは本妻のスセリビメを恐れ、[[木俣神|オオナムヂとの間に生んだ子]]を木の俣に刺し挟んで実家に帰ってしまった<ref>戸部民夫 『日本神話』 92頁。</ref>。
ヤガミヒメは本妻のスセリビメを恐れ、[[木俣神|オオナムヂとの間に生んだ子]]を木の俣に刺し挟んで実家に帰ってしまった<ref>戸部民夫 『日本神話』 92頁。</ref>。

2011年10月18日 (火) 03:17時点における版

大国主の神話(おおくにぬしのしんわ)。

この記事では、因幡の白兎の説話の後の、大国主(オオナムヂ)についての日本神話を記す。

あらすじ

八十神の迫害

オオナムヂのたくさんの兄神たちである八十神(ヤソガミ)は因幡国のヤガミヒメに求婚するが、ヤガミヒメはオオナムヂと結婚するといった。そこで、八十神はオオナムヂを恨み、オオナムヂを殺すことにした。オオナムヂを伯岐国の手前の山麓につれて来て、「赤い猪がこの山にいる。我々が一斉に追い下ろすから、お前は待ち受けてそれを捕えよ」と命令した。オオナムヂが山麓で待ち構えていた所に、八十神たちは猪に似た大石を火で焼いて転がし落とした。オオナムヂはそれを捕えようとして、石に焼かれて死んでしまった[1]

それを知ったオオナムヂの母親の刺国若比売(サシクニワカヒメ)は嘆き悲しんで高天原に上り、カミムスビに救いを求めた。カミムスビはキサガイヒメ({討/虫}貝比売)とウムギヒメ(蛤貝比売)を遣わした。二神の治療によりオオナムヂは生き返り、出て歩けるまでに回復した[2]

オオナムヂが生き返ったことを知った八十神は、またオオナムヂを殺すことにした。大木を切り倒して楔で割れ目を作り、そのなかにオオナムヂを入らせ、楔を引き抜いて打ち殺してしまった。母親が泣きながら探したところ、その大木をみつけることができ、すぐに木を裂いて取り出して生き返らせた。母親は、「あなたはここにいたら、八十神によって滅ぼされてしまうだろう」といい、木国のオオヤビコの所へ行かせた[3]

木国のオオヤビコの所へ行くと、八十神が追いかけて来て引き渡すように求めた。オオヤビコはオオナムヂを木の股を潜り抜けさせて逃がし、スサノオのいる根の堅州国に向かうようにいった[4]

根の国訪問

オオナムヂが根の国のスサノオの家までやって来ると、スサノオの娘のスセリビメ(須勢理毘売命)が出て来た。2柱は互いに見つめ合い一目惚れした。スセリビメが父のスサノオに「とても立派な神が来られました」と報告したので、スサノオはオオナムヂを呼び入れて会ったが「ただの醜男ではないか。葦原色許男神(アシハラシコヲ)と言った方が良い。蛇の室(むろや)にでも泊めてやれ」と、蛇がいる室に寝させた。スセリビメは「蛇の比礼(ひれ:女性が、結ばずに首の左右から前に垂らすスカーフの様なもの)」を葦原色許男神(つまり根の国での大国主の名)にさずけ、蛇が食いつこうとしたら比礼を三度振るよういった。その通りにすると蛇は自然と鎮まったので、葦原色許男神は無事に一晩寝て蛇の室を出ることができた。次の日の夜、スサノオは葦原色許男神をムカデと蜂がいる室で寝させた。スセリビメは「ムカデと蜂の比礼」をさずけたので、葦原色許男神は無事にムカデと蜂の室を出ることができた[5]

スサノオは鳴鏑(なりかぶら)を広い野原の中に射込み、その矢を拾ってくるよう葦原色許男神に命じた。葦原色許男神がその野原に入ると、スサノオは火を放ってその野原を焼き囲んだ。葦原色許男神が困っていると鼠が来て、「内はほらほら、外はすぶすぶ」(穴の内側は広い、穴の入り口はすぼまって狭い)といった。その意味を解して葦原色許男神がその場を踏んでみると、地面の中に穴が空いていて、そこ落ちて隠れることができ、その間に火が過ぎていった。その鼠はスサノオが射った鳴鏑を咥えて持って来た。スセリビメは葦原色許男神が死んだと思って泣きながら葬式の準備をしていた。スサノオはさすがにこれで死んだだろうと思って野原に出てみると、そこに矢を持った葦原色許男神が帰って来た[6]

スサノオは葦原色許男神を家に入れ、頭の虱を取るように言った。ところが、その頭にいたのはムカデであった。スセリビメは椋(むく)の実と赤土を葦原色許男神にさずけた。葦原色許男神が木の実を噛み砕き、赤土を口に含んで吐き出していると、スサノオはムカデを噛み砕いているのだと思い、かわいい奴だと思いながら寝入ってしまった[7]

葦原色許男神はこの隙に逃げようと思い、スサノオの髪を部屋の柱に結びつけ、大きな石で部屋の入口を塞いだ。スサノオの大刀と弓矢、スセリビメの琴を持ち、スセリビメを背負って逃げ出そうとした時、琴が木に触れて鳴り響いた。その音でスサノオは驚き目を覚ましたが、髪が部屋の柱に結びつけられていたのに気付かなかったので柱を引き倒してしまった。スサノオが柱から髪を解いている間に、大刀と弓矢と琴を持ちスセリビメを背負った葦原色許男神は遠くへ逃げることができた[8]

スサノオは、葦原中津国(地上)とつながっている黄泉比良坂(よもつひらさか)まで追いかけたが、そこで追いかけるのを止め遠くに逃げる葦原色許男神に言った。「お前が持っている大刀と弓矢で従わない八十神を追い払え。そしてお前が大国主、また宇都志国玉神(ウツシクニタマ)になって、スセリビメを妻として立派な宮殿を建てて住め。この野郎め」。葦原色許男神は出雲国へ戻って大国主となりスサノオから授かった太刀と弓矢を持って、八十神を山坂の裾に追い伏せ、また河の瀬に追い払い、全て退けた。そしてスセリビメを正妻にして、宇迦の山のふもとの岩の根にしっかりと宮柱を立て、高天原に届く様な立派な千木(ちぎ)のある新宮を建てて住み、国づくりを始めた[9]

ヤガミヒメは本妻のスセリビメを恐れ、オオナムヂとの間に生んだ子を木の俣に刺し挟んで実家に帰ってしまった[10]

大国主の妻問い

ヤチホコ(八千矛神、大国主の別名)は高志国のヌナカワヒメ(沼河比売)をめとろうとして出かけ、歌をよみかわした。そのことについて妻のスセリビメが大変嫉妬した。困惑したヤチホコは出雲国から大和国に逃れようとした際にスセリビメに歌をよむと、スセリビメは杯を捧げて留める歌を返した。二神は杯を交わし、今に至るまで鎮座している[11]

解説

これらの説話は『古事記』、『先代旧事本紀』第4巻 地祇本紀にあるが『日本書紀』にはない。

比較神話:八十神の迫害および根の国訪問の説話は課題婚型と呼ばれる神話の形式で、世界各地にみられる。オオナムヂが死んで母親の力によって蘇生するという話はフィンランドの叙事詩『カレワラ』と非常に酷似しているとの指摘がある。これらの話を成人通過儀礼を表すものとする説もある[12]鳥取県西伯郡南部町にある赤猪岩神社では、転がり落とされてオオナムヂを焼き潰したとされる大岩が祀ってある。

カミムスビが遣わしたキサガイヒメは赤貝、ウムギヒメはであり、赤貝の殻の粉を蛤汁で溶いて火傷に塗布したと考えられている[13]。これは後の石灰乳(Linimentum Calcis)に通じるものがあり、火傷に対し妥当な治療法であったと考えられている[14]

オオヤビコのいる「木国」(きのくに)については一般には紀伊国と解され、これを根拠に当時出雲と紀伊の間には交流があったとされている。しかし、根の国(黄泉)の入口である黄泉津比良坂は旧出雲国(島根県松江市東出雲町)にあり、一旦、紀伊国まで行くのはおかしいとして、これは単に木の多い所の意味であるとする説もある。

大国主の妻問いの説話には五首の歌謡が出て来るが、その内容から、本来は饗宴の席で歌われた歌曲であると考えられる。また、後の時代から使われ出した枕詞が多く入っていることから、成立は比較的新しいものである。

ヌナカワヒメという名前は越国頸城郡沼川(ぬのがわ)郷にちなむものである。新潟県糸魚川市にはヌナカワヒメを祀る奴奈川神社がある。

脚注

  1. ^ 戸部民夫 『日本神話』 76-77頁。
  2. ^ 戸部民夫 『日本神話』 77-79頁。
  3. ^ 戸部民夫 『日本神話』 79-80頁。
  4. ^ 戸部民夫 『日本神話』 81頁。
  5. ^ 戸部民夫 『日本神話』 82-84頁。
  6. ^ 戸部民夫 『日本神話』 84-87頁。
  7. ^ 戸部民夫 『日本神話』 87頁。
  8. ^ 戸部民夫 『日本神話』 88頁。
  9. ^ 戸部民夫 『日本神話』 90-92頁。
  10. ^ 戸部民夫 『日本神話』 92頁。
  11. ^ 戸部民夫 『日本神話』 93-99頁。
  12. ^ 戸部民夫 『日本神話』 79頁。
  13. ^ 富士川游「史談-日本医史:大穴牟遲神」『中外医事新報』1915年、835号、p46-47
  14. ^ 伊沢凡人ら「中国医学の生薬療法と混同されやすいわが国・固有の生薬療法-和法」『保健の科学』2001年、43巻、8号、p595-596

参考文献

  • 戸部民夫『日本神話…神々の壮麗なるドラマ』神谷礼子画(初版)、新紀元社〈Truth In Fantasy〉(原著2003年10月26日)。ISBN 9784775302033 

外部リンク