「治部省」の版間の差分

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'''治部省(じぶしょう)'''は[[律令制]]における[[日本の官制|八省]]のうちのひとつ。
'''治部省(じぶしょう)'''は[[律令制]]における[[日本の官制|八省]]のうちのひとつ。


 [[姓氏]]に関する[[訴訟]]や、[[結婚]]、[[戸籍]]関係の管理および訴訟、[[僧尼]]、[[仏事]]に対する監督、[[雅楽]]の監督、[[山陵]]の監督、および外国からの使節の接待などを職務としていた。
[[姓氏]]に関する[[訴訟]]や、[[結婚]]、[[戸籍]]関係の管理および訴訟、[[僧尼]]、[[仏事]]に対する監督、[[雅楽]]の監督、[[山陵]]の監督、および外国からの使節の接待などを職務としていた。


 しかし[[平安時代]]以降は[[姓氏]]に関する事項を扱うことはなくなり、[[894年]]に[[菅原道真]]の建白による[[遣唐使]]廃止以降、中国などとの正式な国交がなくなったことにより、外国からの使節の接待もしなくなり、更には、[[戸籍]]制度の解体とともに[[戸籍]]関係の職務も遂行不可能ことにより、もっぱら[[僧]][[尼]]、[[仏事]]、[[雅楽]]及び[[山陵]]の監督を職務とすることとなった。
しかし[[平安時代]]以降は[[姓氏]]に関する事項を扱うことはなくなり、[[894年]]に[[菅原道真]]の建白による[[遣唐使]]廃止以降、中国などとの正式な国交がなくなったことにより、外国からの使節の接待もしなくなり、更には、[[戸籍]]制度の解体とともに[[戸籍]]関係の職務も遂行不可能ことにより、もっぱら[[僧]][[尼]]、[[仏事]]、[[雅楽]]及び[[山陵]]の監督を職務とすることとなった。


 [[長官]]である[[治部省|治部卿]]は[[位階|正四位下]]相当であるが、[[公卿]]で兼任する例が多かった。その一例としては、[[藤原兼家]]が[[藤原兼通]]と[[関白]]の座を争った際に、負けた[[藤原兼家|兼家]]が[[大納言]]から[[治部卿]]に降格されたという事件が挙げられよう。
[[長官]]である[[治部省|治部卿]]は[[位階|正四位下]]相当であるが、[[公卿]]で兼任する例が多かった。その一例としては、[[藤原兼家]]が[[藤原兼通]]と[[関白]]の座を争った際に、負けた[[藤原兼家|兼家]]が[[大納言]]から[[治部卿]]に降格されたという事件が挙げられよう。


 [[治部省|大輔]]以下の定員は以下のとおり
[[治部省|大輔]]以下の定員は以下のとおり
*[[治部省|大輔]]・[[治部省|権大輔]]([[位階|正五位下]]相当)…各一人
*[[治部省|大輔]]・[[治部省|権大輔]]([[位階|正五位下]]相当)…各一人
*[[治部省|少輔]]・[[治部省|権少輔]]([[位階|従五位下]]相当)…各一人
*[[治部省|少輔]]・[[治部省|権少輔]]([[位階|従五位下]]相当)…各一人
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*[[治部省|少録]]([[位階|正八位上]]相当)…三人
*[[治部省|少録]]([[位階|正八位上]]相当)…三人


 '''治部省'''の被官は以下のとおり
'''治部省'''の被官は以下のとおり
*[[雅楽寮]](うたりょう)
*[[雅楽寮]](うたりょう)
*[[玄蕃寮]](げんばりょう)
*[[玄蕃寮]](げんばりょう)

2005年12月21日 (水) 06:36時点における版

治部省(じぶしょう)律令制における八省のうちのひとつ。

姓氏に関する訴訟や、結婚戸籍関係の管理および訴訟、僧尼仏事に対する監督、雅楽の監督、山陵の監督、および外国からの使節の接待などを職務としていた。

しかし平安時代以降は姓氏に関する事項を扱うことはなくなり、894年菅原道真の建白による遣唐使廃止以降、中国などとの正式な国交がなくなったことにより、外国からの使節の接待もしなくなり、更には、戸籍制度の解体とともに戸籍関係の職務も遂行不可能ことにより、もっぱら仏事雅楽及び山陵の監督を職務とすることとなった。

長官である治部卿正四位下相当であるが、公卿で兼任する例が多かった。その一例としては、藤原兼家藤原兼通関白の座を争った際に、負けた兼家大納言から治部卿に降格されたという事件が挙げられよう。

大輔以下の定員は以下のとおり

治部省の被官は以下のとおり

関連項目