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'''中書島'''(ちゅうしょじま)は[[京都市]][[伏見区]]の地名。地名は[[官職]]の[[唐名]]である『'''[[中書省|中書]]'''』に由来する。 |
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==歴史== |
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桃山時代まで伏見港一帯は湿地であった。[[豊臣秀吉]]によって開発され武家屋敷が立ち並ぶようになったが江戸時代前期に荒廃した。その後、伏見城下にあった[[遊廓]](ゆうかく)が移転され、繁栄するようになる。 |
桃山時代まで伏見港一帯は湿地であった。[[豊臣秀吉]]によって開発され武家屋敷が立ち並ぶようになったが江戸時代前期に荒廃した。その後、伏見城下にあった[[遊廓]](ゆうかく)が移転され、繁栄するようになる。 |
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酒の名所であるために遊びに来る人が多く、また、宇治川に近く、交通の便が良い中書島は遊廓であると同時に[[花街]]でもあり、[[祇園甲部|祇園]]をしのぐほどの名妓を輩出してきた。[[明治]]末期には[[京阪電気鉄道|京阪電車]]が開通し、ますます栄えるようになった。 |
酒の名所であるために遊びに来る人が多く、また、宇治川に近く、交通の便が良い中書島は遊廓であると同時に[[花街]]でもあり、[[祇園甲部|祇園]]をしのぐほどの名妓を輩出してきた。[[明治]]末期には[[京阪電気鉄道|京阪電車]]が開通し、ますます栄えるようになった。 |
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[[昭和]]初期には第16師団の将校、兵士にも利用されていたが、[[1958年]](昭和33年)[[3月15日]]、[[売春防止法]]によって遊廓としての役割を閉じ、花街のみとなった。当初、転業をめぐってお茶屋派と学生相手の下宿派に分かれ対立してきたが沈静化し、その後、徐々に衰退してくるようになり、[[1970年]]に花街としての長い歴史に終止符を打った。現在は普通の住宅地であり、わずかながら花街、遊廓時代の建物が残されている。 |
[[昭和]]初期には第16師団の将校、兵士にも利用されていたが、[[1958年]]([[昭和]]33年)[[3月15日]]、[[売春防止法]]によって遊廓としての役割を閉じ、花街のみとなった。当初、転業をめぐってお茶屋派と学生相手の下宿派に分かれ対立してきたが沈静化し、その後、徐々に衰退してくるようになり、[[1970年]](昭和45年)に花街としての長い歴史に終止符を打った。現在は普通の住宅地であり、わずかながら花街、遊廓時代の建物が残されている。 |
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現在の京阪[[中書島駅]]を中心とした地域であり、南北に[[竹田街道]]が通っている。四方を川(南は[[淀川|宇治川]]、三方は[[濠川]])に囲まれており、かつて島であった名残をとどめている。 |
現在の京阪[[中書島駅]]を中心とした地域であり、南北に[[竹田街道]]が通っている。四方を川(南は[[淀川|宇治川]]、三方は[[濠川]])に囲まれており、かつて島であった名残をとどめている。 |
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* 『京都遊廓見聞録』 田中泰彦編、京を語る会発行 1993年 |
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*[http://www.chushojima.com/ :: 中書島繁栄会 :: chushojima.com] |
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2011年8月21日 (日) 14:24時点における版
中書島(ちゅうしょじま)は京都市伏見区の地名。地名は官職の唐名である『中書』に由来する。
歴史
桃山時代まで伏見港一帯は湿地であった。豊臣秀吉によって開発され武家屋敷が立ち並ぶようになったが江戸時代前期に荒廃した。その後、伏見城下にあった遊廓(ゆうかく)が移転され、繁栄するようになる。
酒の名所であるために遊びに来る人が多く、また、宇治川に近く、交通の便が良い中書島は遊廓であると同時に花街でもあり、祇園をしのぐほどの名妓を輩出してきた。明治末期には京阪電車が開通し、ますます栄えるようになった。
昭和初期には第16師団の将校、兵士にも利用されていたが、1958年(昭和33年)3月15日、売春防止法によって遊廓としての役割を閉じ、花街のみとなった。当初、転業をめぐってお茶屋派と学生相手の下宿派に分かれ対立してきたが沈静化し、その後、徐々に衰退してくるようになり、1970年(昭和45年)に花街としての長い歴史に終止符を打った。現在は普通の住宅地であり、わずかながら花街、遊廓時代の建物が残されている。
地理
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現在の京阪中書島駅を中心とした地域であり、南北に竹田街道が通っている。四方を川(南は宇治川、三方は濠川)に囲まれており、かつて島であった名残をとどめている。
参考文献
- 『京の花街』 渡会恵介、大陸書房 1977年
- 『日本花街史』 明田鉄男、雄山閣 1990年
- 『京都遊廓見聞録』 田中泰彦編、京を語る会発行 1993年