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2011年7月19日 (火) 11:57時点における版

EXテレビ
ジャンル バラエティ番組
出演者 三宅裕司
島田紳助
上岡龍太郎 ほか
オープニング 三枝成章
製作
プロデューサー 神戸文彦(日本テレビ)
白岩久弥(読売テレビ)
制作 日本テレビ(月・水・金)
読売テレビ(火・木)
放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1990年4月2日 - 1994年4月1日
放送時間毎週月曜 - 金曜 23:55 - 24:55
放送分60分
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EXテレビ』(エックステレビ)は、1990年4月2日から1994年4月1日まで日本テレビ系列局で放送された深夜のワイドショー番組である。放送時間は毎週月曜 - 金曜 23:55 - 24:55 (JST) 。

概要

お色気番組のイメージが強かった前身番組『11PM』のカラーを払拭した内容で放送を開始。前番組と同様にキー局の日本テレビと準キー局の読売テレビの交互制作で、月曜・水曜・金曜は日本テレビが制作を担当し、火曜・木曜は読売テレビが制作を担当。読売テレビ発のものは『EX Osaka』と題していた。日本テレビ発のものは三宅裕司が、読売テレビ発のものは上岡龍太郎島田紳助(紳助は火曜のみ)が司会を務めた。また、年に数回ほど『名古屋発EXテレビ』(EXナゴヤ)と題した回が放送されることがあった。この回では、日本テレビとネット局の中京テレビが共同で番組の制作を行い、三宅裕司ら東京勢の出演者が中京テレビ本社のスタジオに訪れて番組の収録を行っていた。

原則、番組はその日の制作局の自社スタジオから生放送で放送されていた。ただし、木曜は通常VTR収録で、生で放送され続けてきた火曜も末期にはVTR収録へと移行した。月曜の放送はステレオ音声で放送され、番組表上では番組がステレオ音声であることを意味する「[S]」のマークが付けられていたが、これが「[S] EXテレビ」と読めるという番組視聴者からの指摘を受けて途中から番組表上でのステレオ表示をやめた。その後、番組はクリアビジョンで放送されるようになった。

この番組は各曜日ごとにテーマが設けられていたが、その中で火曜に放送された実験的テレビ番組企画(番組内では「テレビ論」と称していた)は一際異彩を放っていた。第1回目の放送で上岡は「昨日、東京で三宅裕司がやってた無様な番組にはしません」と発言し、対する三宅も『スーパークイズスペシャル』でEXテレビチームとして出演した際に、番宣で「大阪の上岡さんのようなわがまま(な企画)はありませんので」とコメントしたことがあるなど、番組は東京勢の出演者と大阪勢の出演者の対立を煽ることも視聴率のアップに利用していた。

この番組の放送終了後は、ワイドショーとスポーツニュースを複合させた深夜バラエティ枠『どんまい!!スポーツ&ワイド』が放送されるようになった。

なお、番組タイトルのEXとは「ヤング・エグゼクティブ」を意味したものである。

出演者

肩書はいずれも当時。

月曜
火曜
水曜
木曜
  • 上岡龍太郎
金曜

内容

月曜
三宅と共に進行役として南美希子が登場。「チェッカーマン」と称して村田昭治慶應義塾大学教授)がレギュラー出演。最新トレンドを掘り下げる。役回りとしては流行に疎い三宅を南が引っ張るというもの。ナレーションを現在売れっ子ナレーター武田広と日本テレビアナウンサー鷹西美佳が務めた。途中よりランキングで紹介する「今週のヒットパレード」コーナー(トレンドランキング)が登場。最初の頃は番組前半の1コーナーだったが、後に1時間丸々行うメインコーナーに昇格した。トレンドランキングの企画は『輝け!噂のテンベストSHOW』(読売テレビ制作)に、ランキングのフォーマットは『出没!アド街ック天国』(テレビ東京制作)に引き継がれた。この両番組及びEX月曜日はいずれもハウフルス制作である。また、番組の途中には天気予報のコーナーがあったが、なぜかこのコーナーは新作AVの紹介も兼ねていた。
火曜
上岡と紳助の司会進行。基本的に『テレビ論』がテーマであった。途中、『NEWS・EXTV』のコーナーがあり、上岡がニュースキャスターを務めていた。様々な実験企画が放送され好評を博して人気を集めた(実験企画については後述)。ここで生まれた企画は現在放送されている自局の番組や特番で残っているものも多く[1]、また企画自体が他局に売りに出されたケースもある。
水曜
三宅が時事問題を斬るコンセプトでスタート。舛添要一がレギュラー出演。当初は森口博子をパートナーに迎え、内容も硬派で視聴者との電話による討論(ディベート)などが行われていた。その後不評につき内容を変更。パートナーを大島智子にバトンタッチして風俗や社会現象を紹介したり豪華ゲストを迎えてのトークなどの砕けた内容となったが、舛添は引き続き出演していた。
木曜
上岡が『テレビ論』をテーマに、毎回異なる企画を放送した。立川談志山城新伍らを迎えてのトリプル司会構成での放送(月2回)[2]、さらに大島渚野坂昭如小田実らを加えて7人でトークを行う日(月2回)もあった。
尊敬する2代目桂枝雀をゲストに招いて『緊張の緩和』をはじめとする落語・笑いの理論をインタビューした[3]。仲のいい芸人を楽屋に呼ぶ形で『楽屋トーク』を中継[4]。この企画のときは、楽屋の監視カメラで撮影されたため、モノクロ画像で放送されていた。ただし、画面の隅には色付きの「EX Osaka」のロゴが挿入されていた。複数のパネラーを迎えて『笑い』『吉本新喜劇』『その時代の出来事』などを厳しく議論することもあり、特に上岡が嫌悪する『占い』『オカルト』などについてはスタジオ・ブラウン管が騒然とすることも少なくなかった。その他、上岡1人を残し、無人のスタジオで上岡が延々と時間一杯までトークで繋ぐ回や、CMを番組の前後に集中して放送し、まるまる立川談志の落語をノンストップで行った回など、異色の企画が多かった。
金曜
三宅と森脇健児西村知美が進行役として出演。内容はバラエティー[5]。中継リポーターとしてルー大柴が出演[6]。番組内で時折見せる海パンダンスは金曜日の代名詞となった。番組後期には西村に代わって、当時日本テレビのアナウンサーだった鷹西美佳が加わった(のちに藪本雅子に交代)。常連ゲストに作家の志茂田景樹がいた。合間には日産の生CMコーナーがあった。名物企画には当時のテレビCMに出演している無名タレントにスポットを当てたクイズ大会などがあった。

なお、下記の番組・番組内の企画名はすべてEXテレビの企画で放送されたものが元となっている。

火曜の実験企画[7]

抱かれてみたいのはどっち!?
毎回ゲスト1人が、5つのジャンルに各5人の有名人と「抱かれてみたいのはどっち?」という質問で対戦。東京大阪各10人・計20人にアンケート調査を行う。それぞれのジャンルの各5人に1 - 5倍のオッズがつけられ、ゲストの獲得票×オッズが得点となる。毎回、上岡チームと紳助チームに分かれて対戦する。もともとは上岡と紳助の2人のうち「○○してそうなのはどっち?」という形式の質問(例:上岡と紳助「涙もろそうなのはどっち?」や「字がうまそうのはどっち?」など)を、ひとつの質問につき20人に街頭インタビューを行い、どっちが多かったかを予想する企画が放送されたのが原型で、上岡vs紳助の対決ではバリエーションが少ないと出演者自身が提案をした事により、質問内容により対戦相手を変えて調査を行った(上岡vs板東、紳助vsさんまなど)。この時に紳助vs柳葉で「抱かれてみたいのはどっち?」という調査を行った。スタッフはシャレのつもりでアンケートを行い、放送本番前から紳助に対して「最後でキレると思いますよ」と予告していた。結果は19vs1で紳助の惨敗であったが、紳助はスタッフに対して「いきなり強敵と対戦させるな。どうせなら広いジャンルの人物と対戦させてくれ」と言い出して「抱かれてみたいのはどっち?」の単独の企画が始まった。最初の2回は紳助、上岡がそれぞれ自らの得票数を競う方式で放送されたが、参考データとして公開した「西川のりおvs○○」の数値でのりおの獲得票があまりにも少なかったため、ゲストを招いて対決するコーナーへと発展した。ちなみにのりおの回で19対1と惨敗したせんだみつおがゲスト出演した回は、サッダーム・フセインとの対決で7対13、桂歌丸との対決でも6対14と敗北を喫し、番組内でせんだ自らが「歌丸事件」と称するなど自虐的態度を取っていた。この企画は後に、数人のタレントがクイズ形式で予想する『抱かれてみたいのはグランプリ』へと形を変えていった(後述)。なお、この企画は同じ読売テレビ制作で紳助が司会の『芸恋リアル』へと引き継がれていった。
抱かれてみたいグランプリ
6人の有名人の中から「抱かれてみたい(男性有名人の場合。女性有名人の場合は「抱きたい」)のは誰?」というアンケート調査を行い、先に20人の支持を得られた有名人が1着となる。5人の解答者は、持ち点50点からスタートし、1着になる有名人に得点を賭け、的中すれば掛け点×オッズ分の点数がもらえる。最終的に得点が最も多かった解答者のみが賞金を獲得することができる。司会は上岡または紳助が担当し、オッズも自らつけることになっている。「ドラマ主演レース」では、放映中のドラマ毎に主演共演の男優・女優がセットになっていて、関東で男優のアンケート調査を発表した後に関西で女優のアンケート調査を発表する珍しい方式が取られていた。この企画は後に『ダウンタウンDX』(こちらも読売テレビ制作)の『ビッグスターイメージレース』のコーナーへと受け継がれていった。
クイズ1人しか言いませんでした
当時TBSで放送されていた人気クイズ番組『クイズ100人に聞きました』にヒントを得たパロディ企画。有名人の「名字、(名字でないほうの)名前、漢字部首などで連想される有名人は?」という質問を100人(東京50人、大阪50人、問題によっては東京、大阪どちらか100人)にアンケートを取り、1人しか答えなかった有名人を当てるというクイズ。歴史上の人物漫画を含む創作物の登場人物も可とされた(例:「なかむら」と言えば?・・・中村主水)。
当初は100人に聞いても1人も答えなかった有名人を当てるクイズだったが(タイトルも「クイズ100人が言いませんでした」だった)[8]、あまりにも解答がマニアックになってしまったために変更された。
正解すると20点加算され、不正解の場合は人数分の減点となる。0人の場合は「ドボン」となり-10点(ある時期より最初からドボンを狙った解答もしくは空欄解答については40点減点する旨紳助より警告があった)。企画後期には「勝負帽」(解答時に1回だけ使用することができ、正解すれば2倍の40点加算になるが、不正解時のマイナスも2倍になる。なお、最後まで使用しなかったら50点の減点)が導入された。1点 = 1000円のレートで賞金額が決まる(という事になっていた)。企画初期の段階では正解時の加算が10点であったが、レートが厳しすぎて獲得賞金がマイナスで終了する解答者が相次ぎ、結果テレビ局が儲かるケースがほとんどであった。番組内でも本当に罰金額を没収するという発言をしており、ひどい時には10万円以上もの没収を食らうゲスト解答者もいた。このため「企画自体が賭博行為に当たるのではないか」と大阪府警から指摘を受けたというエピソードもある(これ以降、正解時の加算が20点とされた)。そのためか、番組内では1点あたりの金額を言わず、「(缶飲料の)ウーロン茶○本分」という単位をよく使っていた。なお、このコーナーでジミー大西は司会の紳助に「ジミーちゃんパンチ!」とよく頭を殴られたり、裸にされたりするなどひどい目にあっていた[9]。この企画は『スーパークイズスペシャル』でも、紳助の司会で出題された。
クイズ1人しか抱かれてみたいと言いませんでした
EXテレビが放送終了になる直前に、視聴率10%を超える『抱かれてみたいグランプリ』と『クイズ100人に聞いたら1人しか言いませんでした』の2つの企画をドッキングさせて視聴率20%を目指すという企画の元に放送された。「あなたが抱かれてみたい○○さんは?」(○○は、 - 1人しか言いませんでした同様に苗字または名前が入る)という質問をして、誰かが20票に到達した時点で1票だけ獲得した人物を答えた場合に正解となるクイズであった。もし1票だけ獲得した人物がいなかった時には、1票を獲得する人物が現れるまでアンケートが続行された。得点は、『 - 1人しか言いませんでした』と同じ計算方法であった。
家宝鑑定ショー
一般視聴者からお宝が持ち込まれ、プロの鑑定士がお宝を鑑定する企画。「偽のお宝を自信満々に持ち込むような学のない金持ちを集め、その鼻を折って笑いを取る」というネガティブな発想から生まれた企画であった。EX Osakaの最終回に「司会・島田紳助」つきで企画オークションに出され、最高値をつけたテレビ東京が『開運!なんでも鑑定団』として放送し、日本全国にお宝ブームを巻き起こしたことで知られる。
クイズここまで出てるのにぃ
まず、6人の解答者は持ち金が与えられる。その後、司会の上岡が、問題によって答えられなかったときの罰金額を設定する。問題の内容によっては、ハンデキャップをつけることもある。答えが分かったら、上岡にしか聞こえないマイクを通じて答える。問題は、政治芸能ネタやちょっと前にはやった物など、「ここまで出てるのに思い出せない」というものが出題される。この場合の「ここ」とは喉もとのことであり、問題を理解しているにもかかわらず固有名詞が思い出せずに口に出して発言できない状態をいう。解答者が答えを言う時にマイクの音声が加工[10]されるのだが、その答えが正解の場合は赤い「!」マークが現れ、愛称を言った場合や極端に答えが聞き取りにくい場合は青い「!」マークが現れる。正解すれば賞金はキープだが、制限時間内に答えられなかった場合は上岡が設定した罰金分差し引かれる。また持ち金が0になっても不正解した場合「手形」が発行されて、終了後にその発行分の罰金を徴収される。問題が全て終わった時点の残金が賞金となる。番組終了後、期首特番としてゴールデンタイムに放送されるようになり、現在の『島田紳助がオールスターの皆様に芸能界の厳しさ教えますスペシャル!』へとつながった。なお、企画初期では賞金の設定はなく、出題者を持ち回りにして残りのメンバーが解答する方式であった。(制限時間以内に答えられなかった場合は出題者からハリセンで叩かれる)
顔顔DonDon
モニターに映し出される「」を持つ人物の共通点(「終電に乗り遅れた人」「ソープ嬢」など)を当てるクイズ。最初に顔が4人分表示されており、1人ずつ追加されていく。正解時の得点は最初の段階では10点となっており、1人追加されるごとに1点ずつ減っていく。問題によっては正解時にテーマにちなんだ商品がもらえることもある。
フンフンゲーム
出題者がある言葉を、口を開けずに「フンフン」だけで言って、何と言ったかを当てるクイズ。第1回目の時は上岡・紳助を含む出演者が円形のテーブルに着席して行う個人戦(正解者が次の問題の出題者になった)で、第2回目の時には、当時読売テレビのアナウンサーであった羽川英樹を司会として上岡チームと紳助チームの対戦形式で行った。あまりにくだらないと出演者が自己批判していたが、この企画も『島田紳助がオールスターの皆様に芸能界の厳しさ教えますスペシャル!』で行われたことがある。
クイズ全員が司会者
上岡・紳助にダウンタウンの2人を交えて、4人がそれぞれ中心を向いたセットに座って交代で問題を出し、出題者が正解を決められる。上岡の意図的な誘導により、次第に上岡をのぞく3人の私生活暴露や吉本の先輩への暴言大喜利大会になる。
クイズ全員が解答者 → クイズロシアンルーレット → クイズロシアンルーレット・メタリカ
前述の「クイズ全員が司会者」を発展させた企画。中心に小型カメラ付きのルーレットが設置された円卓型のテーブルに参加者4人が向き合って座る。まず問題が出題される。その内容は答えにくい質問(質問例「あなたとエッチしたことのある芸能人の名前を書いてください」など)であって、1問ごとにカメラつきルーレットを回してルーレットが止まった時点でカメラが向いている席に座っている者が解答者となる。残り3人は解答予想者として解答者がどのように答えるかを当てる。予想が的中するとウーロン茶100本獲得となる(なので解答者は絶対にウーロン茶100本を獲得出来なかった)。この企画の第1回目の放送の時は上岡・紳助・ダウンタウンの4人が解答者で司会者がいなかった(この時だけ『クイズ全員が解答者』というタイトルだった)が、2回目以降の放送より『クイズロシアンルーレット』として上岡が司会進行となり、解答者は紳助の他に西川のりおオール巨人桂小枝円広志大竹まことラサール石井らが出演していた。ただ桂小枝があまりにも正直に答えないという事が多かったので、桂小枝が正直に答えていないと判断した時には司会の上岡と3人の解答者から空気鉄砲を撃たれるペナルティがあった。後にクイズロシアンルーレット・メタリカとタイトルが変更されて、この時から円形のテーブルとカメラつきルーレットがなくなり、それぞれの解答者のアップが司会者の後ろの画面にランダムに映し出され、最後に画面が止まった人物が解答者になるというものになった。
春(秋)の新番組ダービー
春・秋の番組改編期に行われる企画。視聴者は、新番組の中で最も早く打ち切られる番組をハガキで予想し、的中者の中から抽選で1名に高額賞金がもらえるというものだった。最初の頃は、上岡と紳助が番組ごとに賞金を決定していたが、大島渚山藤章二西川のりおなどの著名人8人が加わり、打ち切りと予想した人数に応じて賞金が決定された[11]。この類の企画は後にやしきたかじんがメインの番組で行われている。
国会議員クイズ
自民党社会党公明党民社党共産党の五党の国会議員クイズで競う企画で、過去に2回行ったことがある。第1回目はクイズグランプリの形式で行われ、自民党から原健三郎などが出演。第2回目はペアによる大会でイントロなどのクイズ形式が加わった。なお、2回とも民社党から横山ノックが参加している。
公開弟子審査会
オール巨人と西川のりおの弟子を決めるオーディション。この企画で、当時素人だった元猿岩石有吉弘行が巨人の弟子入りを果たしたが、半年で破門される。有吉の出演した番組では、この映像が放送されることがある。
徹底遊戯!あくまで生アソビ
朝まで生テレビ!』のパロディ企画。セット・BGM・進行・テロップにいたるまで本家を忠実に再現し、大島渚、野坂昭如デーブ・スペクター、大学教授や作家などの文化人が参加し、古今東西ゲームしりとりなどで遊ぶ番組史上最もくだらない企画だった。題名は、「徹底遊戯!あくまで生アソビ第一弾・どうなるどうする出題ゲーム」。朝まで生テレビと同じく、電話FAXで視聴者から意見を募集していたが、「こんなくだらないことはやめろ」など批判の意見が殺到していた。
芸能才人図鑑
毎回、大物ゲストが上岡と紳助と3人でトークする企画。過去に、坂上二郎橋爪功原田芳雄などが登場した。
絵画チャリティーオークション
芸能人が描いた絵画を出品し、オークションするという企画。出品前に、画家の山本集がそれぞれの絵画を評価。その中で、ジミー大西の絵画を高く評価し、上岡も「キミは天才や」と絶賛。オークションでは30万円以上の値段が付けられ、ジミーが画家に転向するきっかけとなった。
EXラジオ
上岡と紳助の2人だけで、ラジオトークするという企画。カメラが1台で固定されたり、上岡と紳助の顔部分だけが映ったり、芸能人からのリクエストでBGMを流したりと、ラジオの雰囲気を強く出していた。途中で、芸能人の明日のスタジオ入り予定など奇妙なコーナーがあった。また、一度だけジミー大西がメインを務める「ラジオジミー」が放送されたことも。
低俗の限界
前半はスタジオに数名のヌードモデルが立っていたり、横たわる中でトークを繰り広げ、後半は上岡と紳助の2人がソファーに腰掛けて真面目なトークを展開する企画であったが、問題は2人の頭を挟むように全裸の女性(AV女優)が座っている点であった。ちょうど2人の頭が女性の股間を隠すような位置に来るように設定されており、不用意に頭を動かすと女性の局部が露出してしまうことから、2人が頭を動かさないようにしながら様々な行動を取る様子が奇妙な笑いを生んだ。また、CM前には有名クイズ・ゲーム番組を下ネタにアレンジしたパロディ企画が放送された。ちなみに、この企画が初めて放送された回に、EXテレビ史上最高視聴率(平均12%、瞬間最高視聴率16%)を叩き出したが、初回の放送時に300本を超える苦情電話が殺到する事態となるなど、過激すぎる内容だったためか、合計2回の放送にとどまった。2回目の放送にはルポライターの竹中労がゲスト出演、硬派なトークを上岡と紳助と繰り広げたがこの時も3人の頭を挟むように全裸の女性が座っていた。また、この回がそれまでの生放送では対応できないとのことからVTR収録となり、後に木曜同様火曜もVTR収録に変更されるきっかけとなったという説もある。
EX裁判
出演者の悪行(?)を裁判形式で裁く形式で行われる。被告となったゲストの素行を証人ゲストが証言する、いわゆる暴露企画である。弁護士役に上岡、検事役に紳助が扮し、裁判長チャンバラトリオ南方英二野坂昭如が扮していた。番組の最後に判決が下されるが、もちろん遊びとしての判決である(例えば、女癖の悪さを暴露された被告に「去勢の刑」を言い渡すなど)。これの波及企画として、西川のりおが番組のセットを壊したときに上岡がセットの修理代を請求するという設定で本物の弁護士を招き擬似裁判を行った。結果はのりおの無罪。この判決に激怒した上岡がのりおが壊したセットの破片を持ってのりおに襲い掛かる所でその日の番組は終了していた。東京版の最終回では、これの延長線上的な企画が「遠山の金さん」のパロディで展開された。
不幸自慢
不幸話を持ったゲストを呼んでトーナメント方式で繰り広げる予定だった企画で、当初は1人ずつゴンドラに乗って不幸話を披露した後、勝敗の判定ではTBS系「家族そろって歌合戦」のようにゴンドラが上昇したのち、負けた方が下降するという形で企画を進める予定であったが、企画自体があまりにも盛り上がらなかったことと、負けて下降したゴンドラから芸人が転落するというハプニングが発生したため、1回戦途中で企画を打ち切りゲストを交えてのフリートークに変更された。このため、スタジオに用意されたトーナメント型の巨大ゴンドラはほとんど使用されないままに終わった。
いきなり生電話
著名人ゲストを一人招いて、そのゲストと親交がある100人の著名人をピックアップし、その中から無作為にいきなり電話をかける企画。山城新伍、中村勘九郎(現・中村勘三郎)らがこの企画にゲスト出演した。何の予告もなくいきなり深夜に電話をかけられた相手が、テレビをつけて初めてどのような事態であるかが解る様子が伝えられる、生放送ならではの企画であった。この企画で山城新伍がある芸能人に電話をしたところ、まず異性が電話に出てしまい、その後に本人から「こんな夜中に用のない電話はやめてください」と叱られてしまった。
新年会
新年1回目の放送企画。レギュラーゲストを招き、スタジオに組まれた宴会テーブルを囲んで鍋をつついたり酒を飲んだりしながら会話をするその様子が放送されていた。
人間すごろく
こちらも新年1回目として放送された企画。スタジオ一面に作られた巨大すごろくの上を出演者自らがコマとなり、大きいサイコロを振って、止まったマスの指示に従いながら進む。途中ジミー大西にクイズを出題して、不正解だとペナルティを受けるなどの理不尽な仕掛けもあった。結局番組の放送時間内にゴールにたどり着いた出演者は1人もおらず、企画倒れと悟った紳助がエンディングでカメラに向かって「ごめん、2度とせん!」と謝っていた。この企画の司会は大竹まことであり、総集編でVTRを見た上岡・紳助は「こういう失敗する企画は、我々はちゃんと避けてる」と語っていた。しかし、この企画も『100人聞いたら - 』に続いて『スーパークイズスペシャル』へと引き継がれた。同様に紳助の司会で、多少アレンジされた上で1996年秋から1997年秋までの3回実施された。
自民党国会議員記憶
ジミー大西が、事前に当時の自由民主党国会議員全員の名前を記憶し、当日生放送で発表するというもの(細川内閣誕生前なので、人数は381人と非常に多い)。1時間の番組全部が、ただ延々と名前が繰り返されるだけなのだが[12]越智通雄がなかなか思い出せずにつっかえるあたりで最高の盛り上がりを見せた。ジミーは全員の名前を思い出すことに成功した。ただ、同じ内容の企画をしばらくの期間を置いた後にもう一度ジミー大西に発表してもらうという放送を行ったが、結果は10人に満たなかった。この日の番組の最後の締めは「一夜漬けの記憶はいつまでも続かない」という言葉であった。
ジミー大西のニュースコーナー
ジミー大西が(直前の『NNNきょうの出来事』とは全く異なるスタイルで)その日に起こったニュースを読み上げるという番組エンディングのコーナー。あまりにもたどたどしい原稿読みに、上岡と紳助はハラハラしながらジミーにツッコミをいれていた。ジミーの「明日は、東京・日本テレビからお送りします」の締め言葉でその日の番組は終了していた。
小相撲
普段は体験できない大相撲の世界を、番組視聴者に体験してもらおうという企画。相撲好きであるにもかかわらず諸事情で大相撲の世界に入れなかった者から単に興味がある者まであらゆる参加者が訪れたが、「小相撲」なので新弟子検査基準(身長・体重)を下回ることが条件だった。序盤はパロディの要素もあるので笑いも出たが、打ち止めの一番では技術の確かな者同士が力のこもった対戦を繰り広げた。
お暗いマンガ道場
当時、番組ネット局の中京テレビが制作・放送していた長寿番組『お笑いマンガ道場』のパロディ企画。本家同様、漫画イラストによる大喜利で、蛭子能収(この企画には全て登場)、ひさうちみちおなどの本職の漫画家も出演している。本家でも行われていたコラージュマンガ(イラストにお題に出された物をあわせたマンガを作る)やダジャレマンガ(ここでは上岡にウケたネタならダジャレに使った食材を使った料理が食べられる)も行われた。ウケは二の次で、深夜らしい、くだらない内容の問題が多かった。
指名手配容疑者に送る自首のすすめ
指名手配中の容疑者を丁寧かつ分かりやすく紹介し、事件解決の可能性を高める正義の硬派企画。
ローカル芸能人売り出し企画
上岡がかつてそうであったように、関西なら誰でも知っているが、関東ではまだ認知が浅いという芸能人をVTRで紹介する企画。浜村淳新野新キダ・タロー、やしきたかじん、桂小枝北野誠桂雀々タージンなどが紹介された。本人が直々にスタジオゲストとして登場することもあった。
テレビの限界
テレビ番組を構成するあらゆるものはどこまで必要か、つまり、何がなくなったら放送できなくなるのか調べてみようという企画。通常のスタジオを構成するすべて(サブ=副調整室は含まない)を書き出し、それを一つ一つ退場させる。いきなりカメラを外そうとするが、そうすると元も子もないので、このときとばかり、プロデューサーやフロアディレクターを外していった。時間いっぱい使い切り、最後はカメラを外して暗転したところでエンディング。それから数年後の1995年10月に『BLT』の第1回にて放送された「テレビスタッフ山崩し」でも、同様のルール・内容だった。
視聴率調査機のある2600世帯だけにおくる限定番組
EX Osaka火曜日第2回目の特集。視聴率の信憑性を調べる企画。視聴率調査機のある視聴者に「今から1分間NHK教育にチャンネルを合わせてください」と呼びかけた。当時のNHK教育は24時で放送を終了[13]しており、チャンネルを合わせても砂嵐(地区によりカラーバー<テストパターン映像>)のみであったが、この呼びかけに応じた視聴者はNHK教育にチャンネルを合わせた。その結果、この時間帯はビデオリサーチの視聴率調査で最高2%、ニールセン社で最高5.9%(これは当日のNHK教育テレビで放送された全ての番組よりも高い数字であった)もの視聴率を弾き出し、ビデオリサーチ社からクレームが来る事態にまで発展した。また、この企画は1990年に日本民間放送連盟賞番組部門テレビ娯楽最優秀賞を受賞した。また、EX Osaka最終回では『視聴率ゼロに挑戦』と題して、「視聴率調査機のある方は今日この番組を見ないでください」とも呼びかけた。
NHK教育テレビを教育する
EX Osaka火曜3回目の放送では、この2回目のテーマを反映した形でNHK教育テレビについての企画を準備していたが、上岡があまり乗り気ではなかった上に、その前のNEWS・EXTVのコーナーを強制的に終了しCMになった事に対して上岡が激怒してしまい、生放送であるにもかかわらず進行を無視してスタッフ(主にスタジオにいるフロアディレクター)に対して説教を始めた。急遽CM明けに途中で流す予定であったVTRを流したが、VTR終了までに上岡の怒りは治まらずに説教している模様がそのままO.A.されてしまった。この日の様子は翌日の近畿の夕刊紙である大阪新聞の1面トップ記事になり、2日後の木曜EX Osakaのオープニングでは、自分の事が1面トップ記事になった事を自ら嬉しそうに紹介していた。また、この時に「あれはスタッフを怒ったのではありません、叱ったのです」とも言っていた。結局この日上岡に教育されてしまったのは本来の企画であったNHK教育テレビではなく、企画を出したEX Osakaのスタッフ自身であった。

金曜日のエピソード

金太の大冒険放送時
1993年、つボイノリオのコミックソング『金太の大冒険』が発表から18年にしてこの番組でテレビ初オンエアされた。この回では、司会の2人がみうらじゅんに対し質問をする場面から始まった。この中で放送禁止に関することを質問されたみうらが「関西ではおめっこって言うのは駄目なんですけどね」と言ってしまいスタジオ内が一時騒然とする一幕があった。また、この歌のポイントとなる「金太」という言葉に続く言葉を中村綾がためらいながら「まもって」と言い当てるシーンや、つボイが歌い始めたのに自動伴奏が止まらなくなるという一幕もあった。

最終回

よみうりテレビ
4年間EX Osakaに携わった出演者総動員による宴会の様子を延々と放送。とはいうものの一筋縄では行かず、途中出席者が口論に走ったり暴言を吐き散らしたりと殺伐としたものであり、ラストは宴会を終えた出席者が、一人ひとりカメラに向かってコメントをしながら退席する中、最後に上岡が「次の番組が惨めに終わりますように」と暴言を吐いて終わるというものであった。実際に、『どんまい!!スポーツ&ワイド』はわずか半年で「夜のワイドショー」からバラエティ番組へとリニューアルし、それに伴い木曜日の後番組『炸裂!生テレフォン』(やしきたかじん司会)が半年で終了した。しかし、火曜日の『紳助のサルでもわかるニュース』は好評のためリニューアル後も継続し、3年半続いた。
日本テレビ
三宅が「遠山の金さん」ならぬ「三宅の銀さん」に扮して、月曜・水曜・金曜の女性レギュラーに対して裁きを下した。この日のレギュラーのルーは瓦版売り、同心役を古田新太蛭子能収見栄晴らが演じたが、古田以外は芝居ができずにグダグダの状況が続き、内容の方も月曜・水曜が御構い無しだったのに対し金曜は「ルーが嫌い。」という三宅の一言で有罪扱いとなった。

スタッフ

日本テレビ放送網

讀賣テレビ放送

ネット局

★印は、『プロ野球ニュース』から移行した局。
☆印は、番組途中打ち切りにより『プロ野球ニュース』へ放送を移行した局。  

脚注

  1. ^ かつて、この曜日の放送をディレクターとして担当していたスタッフがプロデューサー・ディレクターとして関わっている番組において同じ企画が放送されるケースが多い。
  2. ^ ただし、初回はEX Osaka最初の放送である火曜であった。
  3. ^ この回は、後に上岡のスケジュールの都合で収録本数が足りなくなってしまった際に、同じ放送時間枠で再放送されたことがある。なお、再放送時の新聞のテレビ欄には、視聴者を引き付けるために実際には放送されないエッチな内容の企画をわざと掲載するという工作を行い、翌週の放送で上岡がそれを釈明しバラしていた。
  4. ^ 「芸人が見せてはいけない部分」として批判もあった。
  5. ^ ほぼ村野武範司会時代の金曜イレブンと類似していた。
  6. ^ 後に森脇に代わってスタジオ出演となる。
  7. ^ 派生企画など、ごく一部に木曜日で放送されたものがある(木曜日の放送には紳助は出演せず)。
  8. ^ しかも「山口さんちのツトム君」など、後に可とされた創作物の登場人物は無効とされて結果発表が出る前に減点の対象となった。なお、上岡に無効判定された「山口さんちのツトム君」は10人の回答があり、結局は10点のみの減点となっている。また、皮肉にもこの企画は本家『クイズ100人に聞きました』の最終回(1992年9月28日)の直前(1992年9月22日)にスタートしている。
  9. ^ にされた理由は、放送途中で持ち点がなくなってしまい、衣装を形に得点を借りてゲームを続行したためであった。
  10. ^ 番組初期〜中期の「生放送時」には、上岡の耳元へ「ひそひそ話」の要領で話し、正解か不正解かを判定していた。しかし、番組後期の「収録時」には、編集により、マイクの音声が加工(効果音を入れるなど)されるようになった。
  11. ^ ちなみに、当時の人気番組となる『きよし・徹のあなたが主役』や『マジカル頭脳パワー!!』や『愛ラブSMAP』などは早く打ち切られる上位に予想していた。正解率は高くなかった。
  12. ^ 不正を防ぐため、CMは番組の序盤にまとめて放送された。
  13. ^ 厳密にはこの番組が開始してすぐの23:57.30秒にエンディングが放送され、考える人銅像→日章旗国旗)掲揚・君が代斉唱→各局IDを放送して23:59で放送終了であった。当時は総合テレビも同じ時間で終了している(総合は考える人に代えて、終了アナウンスを放送し、以後は教育に同じ)。

関連項目

日本テレビ系列 平日23:55枠
前番組 番組名 次番組
EXテレビ