「日光県」の版間の差分

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2011年7月4日 (月) 14:43時点における版

日光県(にっこうけん)は、1869年明治2年)に下野国内の幕府領旗本領を管轄するために明治政府によって設置された。管轄地域は現在の栃木県に広く分布している。本項では前身の真岡知県事(もおかちけんじ)についても記す。

概要

戊辰戦争では宇都宮など関東内における戦役の舞台の1つとなり(宇都宮城の戦い)、1868年慶応4年)6月、鍋島道太郎佐賀藩士)が真岡知県事に任命され、8月には日光収公された。9月に入って鍋島知県事は旧日光奉行所に入り、1869年(明治2年)2月には日光県と改称し、日光に県庁を置いた。また、1870年(明治3年)には移封となった高徳藩、廃藩となった喜連川藩領地も編入した。

明治維新を迎えると政府は、中央集権をおし進めるため、1871年(明治4年)7月14日廃藩置県を断行、旧来の封建支配の一掃を図った。その後、全国的な府県の再編が行われ、同年11月14日、下野国北部に宇都宮県が、また下野国南部に上野国南東部を加えて栃木県が設置され、日光県は廃止された。なお、日光県知事であった鍋島は栃木県県令を引き続き務めている。

沿革

  • 1868年(慶応4年)
    • 5月17日 - 佐賀藩兵の乱入で、真岡代官所が置かれた芳賀郡真岡町(現在の真岡市台町)にあった真岡陣屋が全焼。代官・山内源七郎が獄門となる。
    • 6月4日 - 佐賀藩士の鍋島道太郎が真岡知県事に就任。県庁は宇都宮城に設置。真岡代官所が管轄していた幕府領のほぼ全域と、上野国内の旗本領のほぼ全域を管轄。
    • 8月 - 日光奉行所が管轄する日光領を収公。
    • 8月19日 - 県庁を都賀郡石橋宿(現在の下野市)に移転。
  • 1869年(明治2年)2月15日 - 県庁を都賀郡日光町(現在の日光市安川町10-24)の旧日光奉行所に移転し、日光県に改称。
  • 1870年(明治3年)
    • 3月19日 - 移封となった高徳藩の領地を編入。
    • 7月17日 - 廃藩となった喜連川藩の領地を編入。
  • 1871年(明治4年)
    • 11月14日 - 下野国南部の5県と上野国館林県が合併して栃木県が成立。下野国北部は宇都宮県に移管。同日日光県廃止。

管轄範囲

都賀郡、安蘇郡、足利郡は栃木県、那須郡、塩谷郡、芳賀郡、河内郡は宇都宮県に編入された。

歴代知事

真岡知県事

  • 1868年(慶応4年)6月4日 - 1869年(明治2年)2月15日 : 知事・鍋島貞幹(元佐賀藩士)

日光県

  • 1869年(明治2年)2月15日 - 1869年(明治2年)7月20日 : 知事 鍋島貞幹(前真岡知県事)
  • 1869年(明治2年)7月20日 - 1871年(明治4年)5月17日 : 権知事・鍋島貞幹(前日光県知事)
  • 1871年(明治4年)5月17日 - 1871年(明治4年)11月13日 : 知事・鍋島貞幹(前日光県権知事)

関連項目

先代
真岡代官所
下野国内の幕府領旗本領
日光奉行所日光
高徳藩
喜連川藩
行政区の変遷
1868年 - 1871年
(真岡知県事→日光県)
次代
栃木県(都賀・安蘇・足利郡)
宇都宮県(那須・塩谷・芳賀・河内郡)