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[[1988年]]10月、[[全日本プロレス]]の『ジャイアント・シリーズ』において両者のタッグが実現(当時、'''[[ダグ・ファーナス]]'''は初来日、'''[[ダニー・クロファット]]'''は全日本初参戦)。翌[[1989年]]より本格的な[[タッグチーム]]として始動し、[[カナダ|カナディアン]](クロファット)と[[アメリカ合衆国|アメリカン]](ファーナス)のデュオであることから、[[リック・マーテル]]と[[トム・ジンク]]のカンナム・コネクションにあやかり、'''カンナム・エクスプレス'''のチーム名が冠せられた。 |
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1989年6月5日、[[冬木弘道|サムソン冬木]]と[[川田利明]]の[[フットルース (プロレス)|フットルース]]を破り[[アジアタッグ王座]]を獲得。以降、[[1990年]]3月2日にフットルース、[[1991年]]4月20日に[[ブリティッシュ・ブルドッグス]]([[ダイナマイト・キッド]]&[[デイビーボーイ・スミス]])、同年7月26日に[[ジョー・ディートン]]&[[ビリー・ブラック]]、[[1993年]]9月9日に[[パトリオット (プロレスラー)|パトリオット]]&[[ジョージ・ハインズ|ジ・イーグル]]を破り、同王座には通算5回に渡って戴冠した<ref name="asia-t">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/japan/alljapan/asia-t.html|title=All Asia Tag Team Title Title History|accessdate=2011-06-20|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。その間、[[1992年]]には[[メキシコ]]の[[ユニバーサル・レスリング・アソシエーション|UWA]]にカンナム・コネクションのチーム名で参戦、ロス・カウボーイズ([[シルバー・キング]]&[[エル・テハノ]])やロス・ビジャノス([[ビジャノ4号]]&[[ビジャノ5号]])とUWA世界タッグ王座を争った<ref name="uwa-t">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/mexico/uwa/uwa-t.html|title=UWA World Tag Team Title Title History|accessdate=2011-06-20|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。 |
1989年6月5日、[[冬木弘道|サムソン冬木]]と[[川田利明]]の[[フットルース (プロレス)|フットルース]]を破り[[アジアタッグ王座]]を獲得。以降、[[1990年]]3月2日にフットルース、[[1991年]]4月20日に[[ブリティッシュ・ブルドッグス]]([[ダイナマイト・キッド]]&[[デイビーボーイ・スミス]])、同年7月26日に[[ジョー・ディートン]]&[[ビリー・ブラック]]、[[1993年]]9月9日に[[パトリオット (プロレスラー)|パトリオット]]&[[ジョージ・ハインズ|ジ・イーグル]]を破り、同王座には通算5回に渡って戴冠した<ref name="asia-t">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/japan/alljapan/asia-t.html|title=All Asia Tag Team Title Title History|accessdate=2011-06-20|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。その間、[[1992年]]には[[メキシコ]]の[[ユニバーサル・レスリング・アソシエーション|UWA]]にカンナム・コネクションのチーム名で参戦、ロス・カウボーイズ([[シルバー・キング]]&[[エル・テハノ]])やロス・ビジャノス([[ビジャノ4号]]&[[ビジャノ5号]])とUWA世界タッグ王座を争った<ref name="uwa-t">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/mexico/uwa/uwa-t.html|title=UWA World Tag Team Title Title History|accessdate=2011-06-20|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。 |
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[[1996年]]下期より[[ECW]]に登場し、[[テリー・ブルンク|サブゥー]]&[[ロブ・ヴァン・ダム]]と抗争。当時ECWと提携していた[[WWE|WWF]]にも進出し(クロファットはフィル・ラフォンの[[リングネーム]]で参戦)、11月17日に開催された『[[サバイバー・シリーズ#第10回大会(1996年)WWF Survivor Series 1996|サバイバー・シリーズ1996]]』には[[マーク・カンタベリー|ヘンリー]]&[[デニス・ナイト|フィニアス]]のザ・ゴッドウィンズと組んで出場 |
[[1996年]]に全日本プロレスを離脱、同年下期より[[ECW]]に登場し、[[テリー・ブルンク|サブゥー]]&[[ロブ・ヴァン・ダム]]と抗争<ref>{{cite web|url=http://www.prowrestlinghistory.com/ecw/results/1996c.html#091496|title=ECW When Worlds Collide II|accessdate=2011-06-21|publisher=ProWrestling History}}</ref>。当時ECWと提携していた[[WWE|WWF]]にも進出し(クロファットは'''フィル・ラフォン'''の[[リングネーム]]で参戦)、11月17日に開催された『[[サバイバー・シリーズ#第10回大会(1996年)WWF Survivor Series 1996|サバイバー・シリーズ1996]]』には[[マーク・カンタベリー|ヘンリー]]&[[デニス・ナイト|フィニアス]]のザ・ゴッドウィンズと組んで出場。[[オーエン・ハート]]、[[デイビーボーイ・スミス|ブリティッシュ・ブルドッグ]]、ニュー・ロッカーズ([[マーティ・ジャネッティ]]&[[アル・スノー|リーフ・キャシディ]])のカルテットに勝利し、サバイバー・チームとなった<ref>{{cite web|url=http://www.pwwew.net/ppv/wwf/november/1996.htm|title=WWF Survivor Series 1996|accessdate=2011-06-20|publisher=pWw-Everything Wrestling}}</ref>。 |
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翌[[1997年]]は[[ヒール (プロレス)|ヒール]]のポジションに回り、[[ブレット・ハート]]がヒール・バージョンで復活させた[[ハート・ファウンデーション]]とも共闘<ref>{{cite web|url=http://www.thehistoryofwwe.com/97.htm|title=WWE Yearly Results 1997|accessdate=2011-06-20|publisher=The History of WWE}}</ref>。11月9日に[[カナダ]]の[[モントリオール]]で開催された『[[サバイバー・シリーズ#第11回大会(1997年)WWF Survivor Series 1997|サバイバー・シリーズ1997]]』では、ハート・ファウンデーションのブリティッシュ・ブルドッグ&[[ジム・ナイドハート]]と「チーム・カナダ」を結成して出場 |
翌[[1997年]]は[[ヒール (プロレス)|ヒール]]のポジションに回り、[[ブレット・ハート]]がヒール・バージョンで復活させた[[ハート・ファウンデーション]]とも共闘<ref>{{cite web|url=http://www.thehistoryofwwe.com/97.htm|title=WWE Yearly Results 1997|accessdate=2011-06-20|publisher=The History of WWE}}</ref>。11月9日に[[カナダ]]の[[モントリオール]]で開催された『[[サバイバー・シリーズ#第11回大会(1997年)WWF Survivor Series 1997|サバイバー・シリーズ1997]]』では、ハート・ファウンデーションのブリティッシュ・ブルドッグ&[[ジム・ナイドハート]]と「チーム・カナダ」を結成して出場。[[レオン・ホワイト|ベイダー]]、[[ヴァージル・ラネルズ3世|ゴールダスト]]、[[マーク・メロ]]、[[スティーブ・ブラックマン]]の「チームUSA」と対戦した<ref>{{cite web|url=http://www.pwwew.net/ppv/wwf/november/1997.htm|title=WWF Survivor Series 1997|accessdate=2011-06-20|publisher=pWw-Everything Wrestling}}</ref>。 |
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その後ECWに戻り、12月5日に[[フル・ブラッデッド・イタリアンズ]]の[[ジェームズ・マリタート|リトル・グイドー]]&[[トレイシー・スマザーズ]]からECW世界タッグ王座を奪取するが、翌12月6日、[[フィラデルフィア]]の[[ジ・アリーナ|ECWアリーナ]]で行われた[[トリプルスレットマッチ|3ウェイ・ダンス]]に敗れ、[[クリス・キャンディード]]&[[ランス・ストーム]]にタイトルを明け渡した<ref name="ecw-t">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/ecw/ecw-t.html|title=ECW World Tag Team Title History|accessdate=2011-06-20|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。 |
その後ECWに戻り、12月5日に[[フル・ブラッデッド・イタリアンズ]]の[[ジェームズ・マリタート|リトル・グイドー]]&[[トレイシー・スマザーズ]]からECW世界タッグ王座を奪取するが、翌12月6日、[[フィラデルフィア]]の[[ジ・アリーナ|ECWアリーナ]]で行われた[[トリプルスレットマッチ|3ウェイ・ダンス]]に敗れ、[[クリス・キャンディード]]&[[ランス・ストーム]]にタイトルを明け渡した<ref name="ecw-t">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/ecw/ecw-t.html|title=ECW World Tag Team Title History|accessdate=2011-06-20|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。以後、クロファットはECWを離脱、ファーナスはシングル・プレイヤーとして[[1998年]]下期までECWでの活動を続けた<ref>{{cite web|url=http://www.cagematch.net/?id=2&nr=89&view=matches#matches|title=Matches von Doug Furnas 1997-1998|accessdate=2011-06-21|publisher=Cagematch}}</ref>。 |
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* [[ダグ・ファーナス]] |
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* [[ダニー・クロファット]] |
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2011年6月11日 (土) 10:13時点における版
ザ・カンナム・エクスプレス(The Can-Am Express)は、かつて全日本プロレスに参戦していたプロレスラー、ダグ・ファーナスとダニー・クロファットのタッグチーム。
概要
1988年10月、全日本プロレスの『ジャイアント・シリーズ』において両者のタッグが実現(当時、ダグ・ファーナスは初来日、ダニー・クロファットは全日本初参戦)。翌1989年より本格的なタッグチームとして始動し、カナディアン(クロファット)とアメリカン(ファーナス)のデュオであることから、リック・マーテルとトム・ジンクのカンナム・コネクションにあやかり、カンナム・エクスプレスのチーム名が冠せられた。
1989年6月5日、サムソン冬木と川田利明のフットルースを破りアジアタッグ王座を獲得。以降、1990年3月2日にフットルース、1991年4月20日にブリティッシュ・ブルドッグス(ダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミス)、同年7月26日にジョー・ディートン&ビリー・ブラック、1993年9月9日にパトリオット&ジ・イーグルを破り、同王座には通算5回に渡って戴冠した[1]。その間、1992年にはメキシコのUWAにカンナム・コネクションのチーム名で参戦、ロス・カウボーイズ(シルバー・キング&エル・テハノ)やロス・ビジャノス(ビジャノ4号&ビジャノ5号)とUWA世界タッグ王座を争った[2]。
1996年に全日本プロレスを離脱、同年下期よりECWに登場し、サブゥー&ロブ・ヴァン・ダムと抗争[3]。当時ECWと提携していたWWFにも進出し(クロファットはフィル・ラフォンのリングネームで参戦)、11月17日に開催された『サバイバー・シリーズ1996』にはヘンリー&フィニアスのザ・ゴッドウィンズと組んで出場。オーエン・ハート、ブリティッシュ・ブルドッグ、ニュー・ロッカーズ(マーティ・ジャネッティ&リーフ・キャシディ)のカルテットに勝利し、サバイバー・チームとなった[4]。
翌1997年はヒールのポジションに回り、ブレット・ハートがヒール・バージョンで復活させたハート・ファウンデーションとも共闘[5]。11月9日にカナダのモントリオールで開催された『サバイバー・シリーズ1997』では、ハート・ファウンデーションのブリティッシュ・ブルドッグ&ジム・ナイドハートと「チーム・カナダ」を結成して出場。ベイダー、ゴールダスト、マーク・メロ、スティーブ・ブラックマンの「チームUSA」と対戦した[6]。
その後ECWに戻り、12月5日にフル・ブラッデッド・イタリアンズのリトル・グイドー&トレイシー・スマザーズからECW世界タッグ王座を奪取するが、翌12月6日、フィラデルフィアのECWアリーナで行われた3ウェイ・ダンスに敗れ、クリス・キャンディード&ランス・ストームにタイトルを明け渡した[7]。以後、クロファットはECWを離脱、ファーナスはシングル・プレイヤーとして1998年下期までECWでの活動を続けた[8]。
獲得タイトル
- UWA世界タッグ王座:2回[2]
脚注
- ^ a b “All Asia Tag Team Title Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年6月20日閲覧。
- ^ a b “UWA World Tag Team Title Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年6月20日閲覧。
- ^ “ECW When Worlds Collide II”. ProWrestling History. 2011年6月21日閲覧。
- ^ “WWF Survivor Series 1996”. pWw-Everything Wrestling. 2011年6月20日閲覧。
- ^ “WWE Yearly Results 1997”. The History of WWE. 2011年6月20日閲覧。
- ^ “WWF Survivor Series 1997”. pWw-Everything Wrestling. 2011年6月20日閲覧。
- ^ a b “ECW World Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年6月20日閲覧。
- ^ “Matches von Doug Furnas 1997-1998”. Cagematch. 2011年6月21日閲覧。