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[[1954年]]に[[柴田道子]]らと[[同人誌]]「こだま」を創刊して以来、創作活動に専念。代表作の一つである『十三歳の夏』は[[少年ドラマシリーズ]]でテレビドラマ化された。清冽な文章で少女の心情を描いた作品である。 |
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長編文学『ピラミッド帽子よ、さようなら』を未完のまま、1980年8月13日に51歳で逝去。遺作となった「ピラミッド帽子よ、さようなら」は |
長編文学『ピラミッド帽子よ、さようなら』を未完のまま、1980年8月13日に51歳で逝去。遺作となった「ピラミッド帽子よ、さようなら」は版元の社長・編集者であり作家の[[小宮山量平]]によってエンディングが補完され出版された。 |
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没後、[[理論社]]より『乙骨淑子の本』(全8巻)が刊行された。 |
没後、[[理論社]]より『乙骨淑子の本』(全8巻)が刊行された。 |
2011年5月3日 (火) 18:14時点における版
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乙骨 淑子(おつこつ よしこ、1929年(昭和4年)7月7日 - 1980年(昭和55年)8月13日)は、日本の児童文学作家。
生涯
東京都出身。私立桜蔭高女(現・桜蔭中学校・高等学校)卒業。 1954年に柴田道子らと同人誌「こだま」を創刊して以来、創作活動に専念。代表作の一つである『十三歳の夏』は少年ドラマシリーズでテレビドラマ化された。清冽な文章で少女の心情を描いた作品である。
長編文学『ピラミッド帽子よ、さようなら』を未完のまま、1980年8月13日に51歳で逝去。遺作となった「ピラミッド帽子よ、さようなら」は版元の社長・編集者であり作家の小宮山量平によってエンディングが補完され出版された。
没後、理論社より『乙骨淑子の本』(全8巻)が刊行された。
主な作品
- ぴいちゃあしゃん
- 八月の太陽を
- こちらポポーロ島応答せよ
- 青いひかりの国
- 合言葉は手ぶくろの片っぽ
- 十三歳の夏(あかね書房)
- ピラミッド帽子よ、さようなら(理論社)
- すなの中に消えたタンネさん(小学校の国語教科書に掲載されていた)
- 『乙骨淑子の本』(理論社、1985 - 86年)