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'''狩野 安信'''(かのう やすのぶ、[[慶長]]18年[[12月1日 (旧暦)|12月1日]]([[1614年]][[1月10日]]) - [[貞享]]2年[[9月4日 (旧暦)|9月4日]]([[1685年]][[10月1日]]))は[[江戸時代]]の[[狩野派]]の[[絵師]]である。[[幼名]]は四郎二郎・源四郎、号は永真・牧心斎。[[狩野孝信]]の三男で、[[狩野探幽]]、[[狩野尚信]]の弟。中橋狩野家の祖。[[英一蝶]]は弟子に当たる。 |
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2011年5月1日 (日) 12:51時点における版
狩野 安信(かのう やすのぶ、慶長18年12月1日(1614年1月10日) - 貞享2年9月4日(1685年10月1日))は江戸時代の狩野派の絵師である。幼名は四郎二郎・源四郎、号は永真・牧心斎。狩野孝信の三男で、狩野探幽、狩野尚信の弟。中橋狩野家の祖。英一蝶は弟子に当たる。
略歴
元和9年(1623年)危篤に陥った宗家当主の狩野貞信には子供がいなかったため、一門の重鎮に当たる狩野長信と狩野吉信の話し合いの結果、当時10歳であった安信を貞信の養子として惣領家を嗣ぐことが決められた。伝存する作品を兄たちと比べると画才に恵まれていたとは言えず、探幽から様々な嫌がらせを受けたようである。探幽の息子の狩野探信に学んだ木村探元の画論書「三暁庵雑志」では「中橋家が宗家を継いだのは、安信が食いはぶれないようにするための探幽の配慮」といった史実と異なる悪意が込められた話や、「ある時、三兄弟が老中から絵を描くよう言われた際、探幽に「兄たち妙手が描くのを見ておれ」と申しつけられ恥をかかされた」といったエピソードが記されている。そうした探幽のいじめを受ける中で、安信は、武者絵を描くためにわざわざ山鹿素行を訪れ、有職故実の教えを受けるなどの画技の研鑽に努め、寛文2年(1662年)には法眼に叙された。また、探幽の養子であり、探幽に実子が生まれてからは疎んじられた狩野益信や甥の狩野常信に娘を嫁がせ、探幽に対抗しつつ狩野家の結束を固める策をとっている。
絵画における安信の考え、ひいては狩野派を代表する画論としてしばしば引用されるのが、晩年の延宝8年(1680年)に弟子の狩野昌運に筆記させた「画道要訣」である。この中で安信は、優れた絵画には、天才が才能にまかせて描く「質画」と古典の学習を重ねた末に得る「学画」の二種類があり、どんなに素晴らしい絵でも一代限りの成果で終わってしまう「質画」よりも、古典を通じて後の絵師たちに伝達可能な「学画」の方が勝るとしている。ただし、安信は質画の良さまで否定したわけではなく、さらに「心性の眼を筆の先に徹する」「心画」とも言うべき姿勢をもっとも重視している。そうした言葉通り、粉本に依拠した丁寧でまじめな作品を残している。
弟子の英一蝶には、従来あまり影響を与えなかったとされていたが、近年、安信の画帖と一蝶の絵に幾つかの共通する図様が指摘されている。
代表作
- 秋草に鹿図屏風、仙台市博物館 六曲一隻 紙本金地着色
- 柳に野鳥図屏風、大倉集古館 六曲一双 紙本墨画
- 松竹に群鶴図屏風、出光美術館 六曲一双 紙本金地着彩
- 猿曳き・酔舞図屏風、静岡県立美術館 六曲一双 紙本墨画淡彩
- 富士三保松原図、茨城県立歴史館
- 蘭亭曲水図屏風、栃木県立博物館 六曲一双
- 源平合戦絵巻、晴明会館 六曲一双 承応3年(1654年)頃
- 竹林七賢・李白観爆図屏風、三時知恩寺 六曲一双
- 瀟湘八景図巻、聖衆来迎寺 一巻 絹本墨画
- 太田備牧駒籠別荘八景十境詩画巻、文京ふるさと歴史館 二巻 寛文5年(1665年)詩巻は林鵞峰筆
- 村松山内膳禅寺募縁記、島根県立古代出雲歴史博物館 二巻 紙本着色 寛文6年(1666年)
- 酒井忠勝肖像画、個人蔵(小浜市図書館寄託) 絹本着色 小浜市指定文化財
関連項目
参考資料
- 細野正信著編 『日本の美術262 江戸の狩野派』 至文堂、1988
- 松木寛 『御用絵師狩野家の血と力』 講談社<講談社選書メチエ>、1994 ISBN 978-4-0625-8030-4
- 監修 山下裕二 執筆 安村敏信 山本英男 山下善也 『別冊太陽 狩野派決定版』 平凡社、2004 ISBN 978-4-5829-2131-1
- 安村敏信『もっと知りたい狩野派 探幽と江戸狩野派』東京美術、2006年 ISBN 978-4-8087-0815-3