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本列車専用として全車が、1988年に当列車専用として幡生車両所(現在の[[下関総合車両所]])で改造製作された[[国鉄12系客車|12系客車]]([[下関総合車両所#新山口支所|下関総合車両所新山口支所]]所属)5両編成1本が用いられている。「'''レトロ客車'''」と称し、1両ずつ内装を各時代の客車を模したデザインとなっている。また、重連運転時には旧形[[展望車|展望客車]]である[[国鉄スハ32系客車#展望車(改造車)|マイテ49 2]]([[宮原総合運転所]]所属)が津和野寄りに増結される。
本列車専用として全車が、1988年に当列車専用として幡生車両所(現在の[[下関総合車両所]])で改造製作された[[国鉄12系客車|12系客車]]([[下関総合車両所#新山口支所|下関総合車両所新山口支所]]所属)5両編成1本が用いられている。「'''レトロ客車'''」と称し、1両ずつ内装を各時代の客車を模したデザインとなっている。また、重連運転時には旧形[[展望車|展望客車]]である[[国鉄スハ32系客車#展望車(改造車)|マイテ49 2]]([[宮原総合運転所]]所属)が津和野に増結される。


全車[[座席指定席]]で、夏期およびC56 160との重連運転時に増結されるマイテ49 2はフリースペースとされていて、本列車の指定席券を持っていれば誰でも乗車可能となっている。客車のエンジンの状態によっては、[[電源車|予備電源車]](スハフ12 36)が連結される。
全車[[座席指定席]]で、夏期およびC56 160との重連運転時に増結されるマイテ49 2はフリースペースとされていて、本列車の指定席券を持っていれば誰でも乗車可能となっている。客車のエンジンの状態によっては、[[電源車|予備電源車]](スハフ12 36)が連結される。
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; 展望車風客車(オハフ13 701)
; 展望車風客車(オハフ13 701)
: 旧番号オハフ13 59。1923年製の[[国鉄28400系客車#一等展望車|マイテ27000形]]を参考として改造された。新山口寄りを開放式の展望デッキに改めている。床はカーペット敷きとし、窓には横引きカーテンを取り付け、天井は明かり取り窓のついた二段天井とし、明かり取り窓の内部に照明装置を入れている(他の二段天井車両も同じ)。
: 旧番号オハフ13 59。1923年製の[[国鉄28400系客車#一等展望車|マイテ27000形]]を参考として改造された。新山口を開放式の展望デッキに改めている。床はカーペット敷きとし、窓には横引きカーテンを取り付け、天井は明かり取り窓のついた二段天井とし、明かり取り窓の内部に照明装置を入れている(他の二段天井車両も同じ)。
: 当初は赤茶色の塗装で、屋根上の冷房装置を一体型のカバーで覆い、明治時代から昭和初期の客車の二重屋根に似せた外観としていた。
: 当初は赤茶色の塗装で、屋根上の冷房装置を一体型のカバーで覆い、明治時代から昭和初期の客車の二重屋根に似せた外観としていた。
: 定員56名(展望室定員8名)。
: 定員56名(展望室定員8名)。
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: 旧番号オハ12 229。1924年製の[[国鉄22000系客車#二等車|ナロ20850形]]を参考とした。天井は明かり取り窓のついた二段天井とし、座席は黄緑色としている。
: 旧番号オハ12 229。1924年製の[[国鉄22000系客車#二等車|ナロ20850形]]を参考とした。天井は明かり取り窓のついた二段天井とし、座席は黄緑色としている。
: 当初は明治風客車にほぼ似たぶどう色2号の木目調塗装で、展望車風客車、明治風客車と同様、屋根上の冷房装置を一体型のカバーで覆っていた。
: 当初は明治風客車にほぼ似たぶどう色2号の木目調塗装で、展望車風客車、明治風客車と同様、屋根上の冷房装置を一体型のカバーで覆っていた。
: 改造により津和野寄りを密閉式の展望デッキに改めており、リニューアルにより荷物置き場を設置している。
: 改造により津和野を密閉式の展望デッキに改めており、リニューアルにより荷物置き場を設置している。
: 定員72名。
: 定員72名。


上記の車両は[[蒸気機関車牽引列車]](SL列車)のほかにも臨時列車にも使用されることがある。過去に旧形客車を使用して運転されたことが何度かある。最初は[[山陰本線]]で現役だった車両を使用して運転したもので、後にはJR西日本が所有する保存車両での運転であった。
上記の車両は[[蒸気機関車牽引列車]](SL列車)のほかにも臨時列車にも使用されることがある。過去に旧形客車を使用して運転されたことが何度かある。最初は[[山陰本線]]で現役だった車両を使用して運転したもので、後にはJR西日本が所有する保存車両での運転であった。


旧形客車使用時の編成内容は以下のとおり。小郡寄りが1号車。
旧形客車使用時の編成内容は以下のとおり。小郡が1号車。
: 1号車:マイテ49 2
: 1号車:マイテ49 2
: 2号車:オハフ33 48
: 2号車:オハフ33 48
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「レトロ客車」への改造後は、上下列車の両方で展望車風客車を最後尾に連結するため、蒸気機関車とともに津和野駅構内の転車台で方向転換が行われ、上り津和野発小郡(現在の新山口)行きでは明治風客車の次位に連結された。
「レトロ客車」への改造後は、上下列車の両方で展望車風客車を最後尾に連結するため、蒸気機関車とともに津和野駅構内の転車台で方向転換が行われ、上り津和野発小郡(現在の新山口)行きでは明治風客車の次位に連結された。


2003年3月、展望車風客車の津和野駅での方向転換を省略するため、大正風客車の津和野寄りを密閉式の展望デッキに改めた。この改造により、明治風客車と連結順序を入れ替えた。
2003年3月、展望車風客車の津和野駅での方向転換を省略するため、大正風客車の津和野を密閉式の展望デッキに改めた。この改造により、明治風客車と連結順序を入れ替えた。


2005年2月から3月にかけて、リニューアル工事が行われた。外装のバランスを整えるため、塗装をぶどう色2号の地に白帯に統一した。屋根上のモニター風のカバーも撤去し、昭和風客車と大正風客車に荷物置き場を設置した。また、昭和風客車の座席も更新した。
2005年2月から3月にかけて、リニューアル工事が行われた。外装のバランスを整えるため、塗装をぶどう色2号の地に白帯に統一した。屋根上のモニター風のカバーも撤去し、昭和風客車と大正風客車に荷物置き場を設置した。また、昭和風客車の座席も更新した。

2011年3月26日 (土) 10:31時点における版

やまぐち
SLやまぐち号(C571牽引)
SLやまぐち号(C571牽引)
運行者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
列車種別 快速列車
運行区間 新山口駅 - 津和野駅
経由線区 山口線
使用車両 12系客車下関総合車両所
C571梅小路運転区
運行開始 1979年8月1日
備考 2009年10月現在のデータ
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やまぐちとは、西日本旅客鉄道(JR西日本)が山口線新山口駅 - 津和野駅間で運行している臨時快速列車である。一般的に、SLやまぐち号と呼ばれている。

概要

SLやまぐち号は、1975年12月14日日本国有鉄道での蒸気機関車による定期旅客列車の運転が終了して3年半後の1979年8月1日に運転を開始した。JR西日本が動態保存する蒸気機関車の牽引により運転されており、恒久的な蒸気機関車の動態保存列車の緒である。

運行概況

蒸気機関車1両+客車5両(重連運転または客車が増結される場合もあり。詳細は後述)の編成で3月中旬から11月下旬までの週末(土曜・日曜・祝日)および夏休みゴールデンウイークなどの繁忙期に1日1往復が運転される。

このほか、正月三が日に津和野町の太皷谷稲成神社への参詣の便を図った「SL津和野稲成号」が運転される(この場合は通常編成のほか、近年はC56 160が京都総合運転所所属の12系客車2両程度を牽引することが多い)。2005年までは「SL津和野稲成初詣号」であったが、2006年からは「SL津和野稲成号」に名称変更されている。年によってはクリスマスに正月とほぼ同じ編成の列車が「SLクリスマス号」といった列車名で運転されることもある。

停車駅

新山口駅 - 湯田温泉駅 - 山口駅 - (仁保駅) - 篠目駅 - 長門峡駅 - (地福駅) - 鍋倉駅 - 徳佐駅 - 津和野駅

  • ( )は下り新山口発津和野行きのみ停車

使用車両・編成

客車

2008年現在の編成図
SLやまぐち号
← 新山口
津和野 →
1 2 3 4 5 6
オハフ13 701
展望車風客車
オハ12 701
風客車
オハ12 702
昭和風客車
スハフ12 702
明治風客車
オハ12 703
大正風客車
マイテ49 2
  • 全車禁煙
  • 6号車は夏期(C56 160との重連運転時)のみ増結
凡例
指=普通車座席指定席
リニューアル後のレトロ客車
オハフ13 701「展望車風客車」
(2009年11月22日 新山口駅)
オハ12 703「大正風客車」
(2009年11月22日 津和野駅)

本列車専用として全車が、1988年に当列車専用として幡生車両所(現在の下関総合車両所)で改造製作された12系客車下関総合車両所新山口支所所属)5両編成1本が用いられている。「レトロ客車」と称し、1両ずつ内装を各時代の客車を模したデザインとなっている。また、重連運転時には旧形展望客車であるマイテ49 2宮原総合運転所所属)が津和野方に増結される。

全車座席指定席で、夏期およびC56 160との重連運転時に増結されるマイテ49 2はフリースペースとされていて、本列車の指定席券を持っていれば誰でも乗車可能となっている。客車のエンジンの状態によっては、予備電源車(スハフ12 36)が連結される。

各車両とも窓をユニット窓から一段上昇窓に改め、窓自体も小型化されているほか座席を1列減らして(11列・定員88名 → 10列・定員80名)座席間隔を拡大することにより生じた空間に固定式のテーブルが設置されている。また、座席の形状も1両ごとに異なっている。改造当初は1両ごとに塗装が異なっていたが、2005年のリニューアルでぶどう色2号に白帯の塗装に統一された。また昭和風客車以外の4両は屋根にカバーを取り付け、各時代の客車の屋根に似せた形状としたが、後述のリニューアルによりカバーはすべて取り外された。

展望車風客車(オハフ13 701)
旧番号オハフ13 59。1923年製のマイテ27000形を参考として改造された。新山口方を開放式の展望デッキに改めている。床はカーペット敷きとし、窓には横引きカーテンを取り付け、天井は明かり取り窓のついた二段天井とし、明かり取り窓の内部に照明装置を入れている(他の二段天井車両も同じ)。
当初は赤茶色の塗装で、屋根上の冷房装置を一体型のカバーで覆い、明治時代から昭和初期の客車の二重屋根に似せた外観としていた。
定員56名(展望室定員8名)。
欧風客車(オハ12 701)
旧番号オハ12 227。1880年代のオリエント急行を参考とした。床には幾何学模様のカーペットを敷き、展望車風客車と同様、窓には横引きカーテンを取り付け、天井は明かり取り窓のついた二段天井としている。座席上部にはステンドグラス風の仕切を取り付けている。
当初は「トワイライトエクスプレス」に若干似た緑の塗装で、屋根上には白色のカバーを取り付け、ヨーロッパの客車の深い丸屋根に似せた外観としていた。
定員80名。
昭和風客車(オハ12 702)
旧番号オハ12 230。昭和初期の鋼製客車を参考としたものである。
当初はぶどう色2号に白帯の塗装で、リベット風の模様を入れていた。車内の座席は緑色とし、天井にはグローブ付き蛍光灯を設置した。屋根は特に手を加えられなかった。
リニューアルにより座席の色が茶色に変更され、荷物置き場が設置された。また、外装のリベット風の模様もなくなった。
定員80名。
明治風客車(スハフ12 702)
旧番号スハフ12 68。日本の鉄道開業当初のイギリス製客車を参考とした。車内の座席は革張り、窓の日よけは鎧戸とし、ランプ風の照明を設置した。
当初はぶどう色2号の木目調塗装で、展望車風客車と同様、屋根上の冷房装置を一体型のカバーで覆っていた。
定員72名。
大正風客車(オハ12 703)
旧番号オハ12 229。1924年製のナロ20850形を参考とした。天井は明かり取り窓のついた二段天井とし、座席は黄緑色としている。
当初は明治風客車にほぼ似たぶどう色2号の木目調塗装で、展望車風客車、明治風客車と同様、屋根上の冷房装置を一体型のカバーで覆っていた。
改造により津和野方を密閉式の展望デッキに改めており、リニューアルにより荷物置き場を設置している。
定員72名。

上記の車両は蒸気機関車牽引列車(SL列車)のほかにも臨時列車にも使用されることがある。過去に旧形客車を使用して運転されたことが何度かある。最初は山陰本線で現役だった車両を使用して運転したもので、後にはJR西日本が所有する保存車両での運転であった。

旧形客車使用時の編成内容は以下のとおり。小郡方が1号車。

1号車:マイテ49 2
2号車:オハフ33 48
3号車:オハ46 13
4号車:オハフ33 289
変遷

運転開始当初の客車は、無改造の12系客車5両編成であったが、1987年の国鉄分割民営化に伴い、外装をぶどう色2号の地に白帯に改めた。その後、間もなく前述の「レトロ客車」への改造により、ぶどう色2号の12系客車の使用は短期間で終わったが、予備電源車のスハフ12 18は、この塗装のまま残った。なお、スハフ12 18は1995年3月に廃車解体され、現存していない。

「レトロ客車」への改造後は、上下列車の両方で展望車風客車を最後尾に連結するため、蒸気機関車とともに津和野駅構内の転車台で方向転換が行われ、上り津和野発小郡(現在の新山口)行きでは明治風客車の次位に連結された。

2003年3月、展望車風客車の津和野駅での方向転換を省略するため、大正風客車の津和野方を密閉式の展望デッキに改めた。この改造により、明治風客車と連結順序を入れ替えた。

2005年2月から3月にかけて、リニューアル工事が行われた。外装のバランスを整えるため、塗装をぶどう色2号の地に白帯に統一した。屋根上のモニター風のカバーも撤去し、昭和風客車と大正風客車に荷物置き場を設置した。また、昭和風客車の座席も更新した。

牽引機関車

集煙装置を外したC571。
(2009年11月22日 新山口駅)
C571の代わりに使用されるC56 160。次位は補助機関車のDD51形。
(2003年1月)

1979年の運転開始から、客車の牽引には梅小路運転区所属のC571が使用される。また、主に8月にはC56 160重連で運転される。

C571が故障や検査などで使用できないときはC56 160が本務機となるが、C56 160単機では勾配の多い山口線での牽引は客車2両が限界であるため、下関総合車両所(本所)所属のDD51形ディーゼル機関車補助機関車に従えた重連により運転される。2005年秋にC571が故障した際にはC56 160の手配が付かず、DD51形の単機牽引で「DLやまぐち号」として運転された。また、C571が検査中だった2010年5月4日5日もC56 160の不調によりDD51形の単機牽引となった[1]

1980年から1984年までの間、予備機としてC581も使用され、C571との重連運転も実施された。C581は1984年にボイラーを傷めたため、梅小路蒸気機関車館へ戻され、お召し仕様で静態保存されている。C56 160は1987年に入線している。

蒸気機関車現役時代、山口線ではC57形は使用されておらず、C58形やD51形D60形などが使用されていた。山口線は勾配が続き、トンネルも多いため、煙突に集煙装置が取り付けられていたが、C571やC581も入線に当たって、現役時代は取り付けられていなかった集煙装置が取り付けられた。これにより、特にC571は大きく形態を崩すこととなったが、乗務員の労働環境改善や沿線の環境に配慮するため、致し方ないものとされた。C56 160との重連運転などの際には、しばしば集煙装置を外して運転される。なお、C56 160に集煙装置が取り付けられたことはない。

ヘッドマーク

20周年記念の際には特製ヘッドマークを掲出した。

基本ヘッドマークは木彫り彫刻式のもので、丸型の黄色地に、山口県周南市八代地区で越冬のために飛来する鳥で、同県県鳥にも選定されているナベヅルを象ったものである。また、「やまぐち」と下の方に横書きで書いてある。1979年の運転開始以来、記念運転時の特製ヘッドマーク使用例を除き、変更されていない。

このほか、次のヘッドマークが使用された。

  • 1997年の運転時には、牽引機C571の竣工60周年と、同年のNHK大河ドラマ『毛利元就』放映を記念し、丸型の赤枠黄色地の上に、ステンレスで作られた3本の矢を象ったヘッドマークが用意された。C571の除煙板にも同様のデザインのエンブレムが取り付けられた。
  • 1999年は運転開始20年を記念して、ヘッドマークを特製して掲出された。また、記念日となる8月1日には子供の1日車掌を交えた記念式典が行われた。
  • 2001年の『山口きらら博』開催期間中は、同博覧会のキャラクター「山口きららバンド」をデザインしたヘッドマークが掲出された。
  • 2003年10月のダイヤ改正で小郡駅が新山口駅に改称されるため、同年9月30日の運転では「ありがとう小郡駅 2003.9.30」と書かれたヘッドマークが掲出され、10月1日の運転では「新山口駅 平成15年10月1日」と書かれたヘッドマークが掲出された。
  • 2004年8月1日には蒸気機関車復活25周年を記念したヘッドマークを掲出して運転された。
  • 2007年3月21日には、牽引機C571の竣工70周年(1937年3月22日竣工)を記念するヘッドマークが掲出された。デザインは公募で選ばれた7歳の男の子のもの。次点に選ばれた70歳の男性のデザインのものが除煙板に掲出された。なお、同じく70周年記念として同年8月より車内で販売されている「SL弁当」の掛け紙が1万枚限定で変更されている(これもデザインは公募)。同年4月29日には山口県山口市出身の詩人中原中也の生誕100年(1907年4月29日生まれ)を記念し、中原中也をイメージしたヘッドマークを掲出して運転された。
  • 2008年8月1日 - 3日は「やまぐちDELUXE 2008」と書かれたヘッドマークを掲出して運転された。
  • 2009年8月1日には蒸気機関車復活30周年を記念したヘッドマークを掲出して運転された。

テールマーク

1987年に12系客車の外装がぶどう色2号の地に白帯に変更されてから、テールマークが掲げられるようになっている。国宝である瑠璃光寺(山口市)の五重塔を象っており、斜め右下がりで、「やまぐち」と文字が書いてあるものを使用する。

沿革

  • 1979年昭和54年)8月1日:C571による牽引で運転開始。客車はオリジナルの12系を使用した。
  • 1980年(昭和55年):C581が牽引機に加わる。
  • 1984年(昭和59年)1月:C581引退。以後予備機なしでC571のみでの牽引となる。
  • 1987年(昭和62年)4月1日国鉄分割民営化により、運行主体がJR西日本に移行。
    • 6月7日:旧形展望客車「マイテ49 2」を連結開始。6月の毎日曜日に旧形客車3両+マイテ49 2で運転。(28日を除く)
    • 6月28日:C56 160との重連開始。旧形客車3両+ぶどう色2号12系客車3両+マイテ49 2で運転。
  • 1988年(昭和63年):12系客車1編成の内装、外装を改造。「レトロ客車」として7月24日から運転開始。
  • 1991年(平成3年)4月1日:津和野駅 - 益田駅延長運転し、「SLドラマチックやまぐち号」として運転。C571とC56 160の重連でマイテ49 2連結。上りの益田駅 - 津和野駅間はC56 160が最前部のバック重連で運転。
  • 1999年(平成11年):運転開始20周年を記念してヘッドマークが特別なものに。
    • 8月1日:記念式典が行われるとともにC56 160, マイテ49 2を連結した特別編成で運転。
  • 2000年(平成12年)12月31日:20世紀から21世紀へ「SLやまぐち21世紀号」運転。
  • 2003年(平成15年)3月:「レトロ客車」改造。大正風客車に展望デッキを設置し、連結順序変更。21日から運転開始。
  • 2004年(平成16年)8月1日:復活運転25周年を記念し、篠目駅にて下りC571牽引5両(レトロ客車)と、上りC56 160牽引2両(12系客車)の交換が行われた。
  • 2005年(平成17年)2 - 3月:「レトロ客車」リニューアル。外装を統一し、荷物置き場を新設。3月19日から運転開始。
  • 2007年(平成19年)8月1日:C571製造70周年企画イベントとして、上り津和野発新山口行きに限りC56 160と初のプッシュプル運転を実施。同様のプッシュプル運転が同月15, 19日にも実現。
  • 2008年(平成20年)8月1 - 3日:山口デスティネーションキャンペーンの企画イベントとして、客車を「サロンカーなにわ」に変更し、C56 160との重連運転を実施した「SLやまぐちDX号」を運転。
    • 8月17日:上り列車に限りC56 160とのプッシュプル運転を実施。
  • 2009年(平成21年)7月27日:津和野駅構内にて「津和野SLプレミアムナイト」を実施。SLライトアップなどが催された。
    • 8月1日:客車をオリジナル仕様の12系客車5両編成(京都総合運転所所属)に変更して、「SLやまぐち30周年号」として運転。上り列車はプッシュプル運転を実施。
    • 9月20, 21日:「SLやまぐちゆうゆう号」として客車をイベント車両「ゆうゆうサロン岡山」6両(グリーン車)を牽引して運転。
  • 2010年(平成22年)10月9 - 11, 16, 17日:客車を「サロンカーなにわ」および「あすか」に変更して運転された。前者は「SLやまぐち なにわ号」、後者は「SLやまぐち あすか号」として運転され、下り列車はC571とC56 160の重連運転、上り列車はプッシュプル運転が行われた[2][3][4]

参考文献

  • 交友社『鉄道ファン
    • 1987年9月号 No.317 p.117
    • 1988年10月号 No.330 p.55 - 57 「広島支社のジョイフルトレイン フェスタ&レトロ客車」
    • 1997年10月号 No.438 p.8 - 17 結城重也・伊藤久巳「“SLやまぐち”を走らせて」
    • 2003年10月号 No.510 p.140 - 143 斉宮則仁「JR西日本 例年とはひと味違う“SLやまぐち号”」
    • 2004年11月号 No.523 p.110 - 117 斉宮則仁「煙を護(まも)る - “SLやまぐち号”・激闘の25年 -」
    • 2005年9月号 No.533 p.158 - 163 斉宮則仁「編成刷新! “SLやまぐち号”」

脚注

外部リンク

関連項目