「毛氏豊見城殿内」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
4行目: 4行目:
読谷山山田按司の子毛国鼎・[[護佐丸|中城護佐丸盛春]]は[[座喜味城]]や[[中城城]]を築き、[[中城按司]]を称したが、勝連按司阿摩和利によって滅ばされた。三男[[中城盛親]]は[[尚円王]]の時に、豊見城間切総地頭職となり、また代々[[連綿]]と[[豊見城]]を領し、一族は大いに繁栄した。名乗頭は盛という。
読谷山山田按司の子毛国鼎・[[護佐丸|中城護佐丸盛春]]は[[座喜味城]]や[[中城城]]を築き、[[中城按司]]を称したが、勝連按司阿摩和利によって滅ばされた。三男[[中城盛親]]は[[尚円王]]の時に、豊見城間切総地頭職となり、また代々[[連綿]]と[[豊見城]]を領し、一族は大いに繁栄した。名乗頭は盛という。


{{デフォルトソート:とよみすく}}
{{デフォルトソート:もうしとよみすくとぅんち}}
[[Category:琉球王国]]
[[Category:琉球王国]]
[[Category:日本の氏族]]
[[Category:日本の氏族]]

2011年3月19日 (土) 05:19時点における版

毛氏豊見城殿内(もうしとよみぐすくとぅんち)は琉球王国の氏族の一つ。

歴史

読谷山山田按司の子毛国鼎・中城護佐丸盛春座喜味城中城城を築き、中城按司を称したが、勝連按司阿摩和利によって滅ばされた。三男中城盛親尚円王の時に、豊見城間切総地頭職となり、また代々連綿豊見城を領し、一族は大いに繁栄した。名乗頭は盛という。