「プロジェクト‐ノート:映画」の版間の差分

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::: 今回の、このローラー作戦のような物は「どう進めていくべきか」という点を考えた上での私の提案に過ぎません。ワイルドキャットさんはウィキペディアに反するとおっしゃりますが、合意形成されればそれはウィキペディアのルールと相反するような物ではないと考えてます(ってか、それこそ「プロジェクト:映画作品一覧」を立ち上げてもいいくらいだ)。それは、他方、合意形成されない可能性も含めている。私としては先の削除依頼で、存続を表明した人には、5年分くらいのノルマを課したいとも思ってるが、合意形成に至らない場合でもそれで仕方が無いとも思ってる。何せ大変なことになるからね。
::: 今回の、このローラー作戦のような物は「どう進めていくべきか」という点を考えた上での私の提案に過ぎません。ワイルドキャットさんはウィキペディアに反するとおっしゃりますが、合意形成されればそれはウィキペディアのルールと相反するような物ではないと考えてます(ってか、それこそ「プロジェクト:映画作品一覧」を立ち上げてもいいくらいだ)。それは、他方、合意形成されない可能性も含めている。私としては先の削除依頼で、存続を表明した人には、5年分くらいのノルマを課したいとも思ってるが、合意形成に至らない場合でもそれで仕方が無いとも思ってる。何せ大変なことになるからね。
::: さて、その場合にどうするか。それは私は一覧記事の作成はウィキペディアには無理と判断して削除依頼に出す。実際、小説一覧は実現不可能と見て削除依頼に出し、通した。それこそ、あなたが言うように、ウィキペディア的に個人が好き勝手やるのが是というなら、それはウィキペディアでは一覧記事を作るのに向いてないという話であるということです。--[[利用者:EULE|EULE]] 2011年3月2日 (水) 17:07 (UTC)
::: さて、その場合にどうするか。それは私は一覧記事の作成はウィキペディアには無理と判断して削除依頼に出す。実際、小説一覧は実現不可能と見て削除依頼に出し、通した。それこそ、あなたが言うように、ウィキペディア的に個人が好き勝手やるのが是というなら、それはウィキペディアでは一覧記事を作るのに向いてないという話であるということです。--[[利用者:EULE|EULE]] 2011年3月2日 (水) 17:07 (UTC)
::::中途半端な記事になるくらいなら作らない方がいい、というEULEさんのお考えは[[Wikipedia:編集方針]]の「1 完璧でなくてもよいのです。編集を楽しんでください。」と相容れません。ノルマなんていう形で義務化されちゃあ、本来楽しい編集作業も楽しくなくなってしまいます。--[[利用者:ワイルドキャット|ワイルドキャット]] 2011年3月7日 (月) 10:36 (UTC)


== 事前提案なしに改名された記事の扱いについて ==
== 事前提案なしに改名された記事の扱いについて ==

2011年3月7日 (月) 10:36時点における版

映画作品の記事名についてのガイドラインについての議論は、Wikipedia:ウィキプロジェクト 映画/映画作品記事名にて行なっています。

映画作品の記事のフォーマットについての議論は、Wikipedia:ウィキプロジェクト 映画/映画作品スタイルガイドノートにて行なっています。

映画に関する総合的な意見交換の場や記事のガイドライン・フォーマットの確立が必要と感じ立ち上げました。今のところは映画作品のガイドライン・フォーマットの議論を中心にと考えていますが、議論の進行次第では、下位プロジェクトとして作品や人物などを分割しようと思っています。--タケナカ 2006年5月9日 (火) 00:51 (UTC)[返信]

  • 2008年8月11日 (月) 17:28 (UTC) までの議論(チェックは 2010年5月2日 (日) 06:36 (UTC) ) - 現在進行中の議論、製作年度が異なる同名の映画作品の記事名、テンプレート素案、作品名は「」なのか『』なのか、正式化しては、悪役俳優のカテゴリ、質問:短い記事、議論参加のお願い - Category:俳優別の映画作品、映画の制作国について、題名のつけ方、映画と原作の記事について、撮影そのものが中止になった映画について、議論参加のお願い - ノート:007 ダイ・アナザー・デイ、議論参加のお願い - ノート:ボンドガール、「映画製作者」の語、Wikipedia:ウィキプロジェクト フィクションからのお知らせ、映画の記事はいつ立てるべきか?、題材ごとの作品一覧について、DVDや映画パンフレットは検証可能性を満たす情報源か(コメント依頼)
  • 2009年12月20日 (日) 14:36 (UTC) までの議論(チェックは 2010年8月27日 (金) 06:02 (UTC)) - 2008年の日本公開映画のローカルルールについて、ユーザーボックス作成しました、映画作品のスタイルガイド、映画関係者スタブの作成提案、同名の映画作品 その2、8ミリ映画分割のお知らせ、アカデミー賞・ゴールデングローブ賞などでの受賞作の表記について、「××年の日本公開映画」についての提案、議論参加のお願い - ノート:英国王 給仕人に乾杯!、記事名の決定基準について、歴史映画等のカテゴリ分けについて、お知らせ、日本「未公開」について、議論参加のお願い - ノート:地獄の黙示録、議論参加のお願い - ノート:20世紀少年、議論参加のお願い - ノート:鈴木晰成、議論参加のお願い - ノート:東京映画・ノート:東宝映画、カルト映画コメント依頼、複数の邦題がある作品の記事名

実際の撮影が開始されていない場合は記事化しない

英語版では、映画関連の記事は「信頼できる情報源によって撮影 (principal photography) がすでに開始されていることが確認されていない場合は、単独の記事にすべきではない」 (en:WP:NFF) と定義されています。これを日本語版にも適用できるように、ガイドラインを改訂したいと思います。ご意見をお待ちします。--Purposefree 2010年3月9日 (火) 10:56 (UTC)[返信]

プリプロの段階や、製作発表などがあっただけでは記事を作成しないということですよね。そこまで急いで記事にすることもないと思いますし特に反対はしませんが、もしこの方針に反して撮影前作品の記事ができた場合は削除対象になるということでしょうか。また、実際に撮影がされた作品でもお蔵入りになることはあり得ると思いますが、そういった作品の記事が作られた場合の扱いについてはいかがでしょうか。--Yasu 2010年3月10日 (水) 15:46 (UTC)[返信]
コメント先にen:Wikipedia:WikiProject Films/Future filmsがあって、そこからen:WP:NFFにつながっているから、ただ禁止だけ導入してもしょうがない。en:Wikipedia:WikiProject Films/Future filmsの翻訳から始めるべきじゃないかな。--Afaz 2010年3月10日 (水) 16:09 (UTC)[返信]
コメント Wikipedia:特筆性の問題ですね。英語版では映画に特化した特筆性のガイドライン(en:WP:NFF)があるようですが、本編撮影が行われたか否かに境界を引くのは賛成です。有名な未完成作品ドン・キホーテ (未完成映画)等、Category:未完成の映画en:Category:Unfinished films)に分類されるものが対象になると思います。現状では本篇撮影が行われず、企画倒れになった作品(押井版ルパン三世モスラVSバガン)もすでに立項されておりますが、企画が知れ渡っている作品もあり、これらはその線引きにより削除してしまうのではなく、ケースバイケースで対処する幅も持たせたほうがよいと思います。Yasuさんが最後に付け加えられた映画、具体的に記事として存在するのは日本版ではふうけもんだけですが、Category:未公開の映画en:Category:Unreleased films)に分類されるものを指すと思います。特に後者は、撮影も終了して完成していますから試写が行われていたり、劇場公開されていなくともビデオグラム発売や企画上映等がなされる可能性もあります。例えば英語版のen:One A.M. (1972 film)は「Category:Unreleased films」に分類されていますが、日本語版ワン・アメリカン・ムービーは実際に日本国内以外では上映もされており、わたしも観ており、ビデオグラムも発売されておりますし、同作の監督のフィルモグラフィにはいかなるフィルモグラフィにも掲載されている作品ですので、わたしが立項しましたが、とくに「Category:未公開の映画」には分類しませんでした。--Kmrt 2010年3月10日 (水) 16:31 (UTC)[返信]
コメント たしかに、現状を見ると特筆性の問題であるように感じます。ただ、英語版での決定事項を日本語版に機械的に導入しても違和感が残ると思います。「ケースバイケース」であるのは事実ですが、これだけでは個々のノートで紛糾することもあるでしょう。どこまで幅を持たせるかを決めておくべきですね。--ヴェンデルマン 2010年3月15日 (月) 10:14 (UTC)[返信]

チェック 暫く放置していましたが、立項に必要な特筆性に対する基準の一つとして撮影の有無を問うことついては取り立てて異論もないようですので、ひとまず今後の「原則」として導入し、既存の記事の削除・統合等については個別に議論を行うという容にしたいと思います。特筆性に関してはまだ見直す余地も大きいと思いますので、徐々に改善していけることを望みます。--Purposefree 2010年4月24日 (土) 15:21 (UTC)[返信]

Template:前作次作

Template:前作次作の廃止をWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 音楽#Template:前作次作の是非で提案しております。なお、このテンプレートは音楽関連プロジェクトの、Wikipedia:ウィキプロジェクト アルバムの議論によってテンプレート化されたものであり、音楽関連(アルバム)での使用に対し一定の合意が得られただけに過ぎず、映画に対しての使用はこちらの合意事項にはなっていないことを指摘しておきたいと思います。--野菜天麩羅 2010年5月5日 (水) 11:58 (UTC)[返信]

報告 Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 音楽#Template:前作次作の是非より廃止されたテンプレートへ移行されました。--野菜天麩羅 2010年5月26日 (水) 08:47 (UTC)[返信]

タイタンの戦いの改名について

タイタンの戦いから改名提案もされないまま、リメイク版であるタイタンの戦い (2010年の映画)との区別のためとしてタイタンの戦い (1981年の映画)に改名されたので改名提案を出し、元に戻す提案をしているのですが、「Wikipedia:ウィキプロジェクト 映画#他項目と同じタイトルの作品の場合」を理由に、当プロジェクトの方針に沿った記事名として反対意見を出している方がいます。この方の記事名の付け方に対する方針の解釈は妥当なのでしょうか。改名提案の賛否と併せてノート:タイタンの戦い (1981年の映画)にご意見を寄せていただきたく、よろしくお願いします。--ヨッサン 2010年6月22日 (火) 07:35 (UTC)[返信]

上記の議論は映画作品の記事名の付け方に関わるものであり、結論が出れば上記記事のみならず他の記事にも影響が及ぶ可能性があるため、こちらに移動して議論を続けることになりましたので報告します。

まず論点を整理します。

  1. 『タイタンの戦い』が(改名提案を経ずに)同名のリメイク作品『タイタンの戦い (2010年の映画)』との区別のためとして『タイタンの戦い (1981年の映画)』へ改名された
  2. ヨッサンさんによる再改名(元の記事名に戻す)提案。理由は「1981年版はオリジナル、2010年版はリメイクであり、オリジナルのほうを敢えて括弧つきの記事名とする必要はない」

これに対して以下のような意見が挙がっています。

  • 賛成意見:「『椿三十郎』『オーメン』などと同じ扱いでよい」「オリジナルが第一義」「リメイクに対するオリジナルは曖昧さ回避にしないほうがよい」
  • 反対意見:「PJのガイドラインに従った記事名である」「リメイクであってもオリジナルより特筆性のある場合があり、本件もオリジナルのほうを優先するほどの要因はない」
  • コメント:「過去の議論ではリメイクも平等に括弧つき記事名にするという内容だったが、オリジナル優先の意見が多ければPJガイドラインを修正したい」

詳細は上記記事ノートを参照していただきたいですが、論点は大きく「現在のPJガイドラインは『同名作品のオリジナル・リメイクの記事を平等に扱う(ともに括弧つきの記事名にする)べき』という趣旨であるのかどうか」「ガイドラインは別として、同名作品のオリジナル・リメイクはそれぞれどのような記事名にすべきか」の2点であると思われます。これまでの議論に参加していない方からも多くのご意見をいただきたいと思いますので、よろしくお願いします。--Yasu 2010年6月25日 (金) 16:30 (UTC)[返信]

今現在のPJのガイドラインは、一応の原則を書いているだけで「絶対の規則」じゃないよね。Wikipedia:曖昧さ回避が「代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避」を認めている以上、知名度・影響度等に著しい違いがある場合は例外は認めないといけないだろう。ウィキペディアの「曖昧さ回避」は読者の利便性も考えないと駄目で、全体の統一性とか平等性とかは最優先事項ではないことはご存知だと思う。「『椿三十郎』『オーメン』などと同じ扱いでよい」というのは、前提としてオリジナルが比較的知名度・影響度が高いという条件がある。なので「オリジナルは一律に優先しなければならない」ではなく、「オリジナルとリメイクのあいだで知名度・影響度の著しい差がある場合は、高い方を優先してもよい」ぐらいがいいのではないだろうか。--Afaz 2010年6月27日 (日) 16:42 (UTC)[返信]
論点の整理ありがとうございます。何が何でも「オリジナルが第1義」とは必ずしも思いませんし、リメイクがオリジナルよりも知名度や影響度を大きく上回っているというのであればリメイクが括弧なしの第1義となったり、オリジナルも括弧つきというのもやむをえないこともあるかもしれません。映画ではありませんが、伊達家中興の祖伊達政宗 (大膳大夫)にあやかって命名され、仙台藩主となった伊達政宗みたいにオリジナルよりもリメイクの知名度の方が現在では高いというようなケースでもない限りはオリジナルは括弧なしでかまわないのではないかと。--ヨッサン 2010年6月28日 (月) 19:47 (UTC)[返信]
問題のガイドラインは「同一の邦題を持つ作品で製作年度が異なる場合(リメイク作品など)」としか書かれておらず、リメイクに対するオリジナルの扱いについては指定されていません。従って、個人的な解釈を述べさせていただきますと、文面だけをとらえるならオリジナル・リメイク、または単にタイトルが同じだけの場合など関係なく、同名作品には「_(xxxx年の映画)」をつけることになるかと。ただ、『タイタンの戦い』の記事ノートでも指摘があった通り、『卒業』は例としてはあまりよくないですね。
オリジナルとリメイクをどう扱うかについては、上記記事ノートで述べた通り、リメイクのほうが特筆性がある場合もあるため、オリジナルだからといって無条件で優先すべきではないと思います。その点ではAfazさん・ヨッサンさんと意見は一致していると思いますが、ただ、特筆性が高いほうが括弧なしの記事名でよいかというと若干疑問があります。一方に「_(xxxx年の映画)」がついていてもう一方にはないというのは混乱のもとになる気がしますし、またどちらの作品のほうが特筆性の点で上であるか、客観的な指標をもとに判断することは難しいでしょう。そもそも「代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避」は、「卒業」のように絶対的多数の人が「代表的」と考えるトピックがある場合に適用するものだと思います。映画にあまり詳しくない人は、『タイタンの戦い』と聞いて、1981年製作の映画が代表的とは必ずしも考えないでしょうし、『椿三十郎』『オーメン』も同様かもしれません。やはり映画作品については、オリジナル・リメイクとも「_(xxxx年の映画)」をつけるのが無難なやり方のような気がします。--Yasu 2010年7月1日 (木) 15:56 (UTC)[返信]

「代表的なトピックを中心…」は絶対的多数の人が「代表的」と考えるトピックだけに適用されるわけでなく、もっと柔軟に運用されているよ。客観的な指標はあげようと思えばそれなりに出てくるので、判断できないという意見にはちょっと同意できないな。 この件に対する問題をまとめるとこうなると思う。

  1. リメイクが作られるぐらいなので、例外はあるにせよ、そのオリジナルは比較的大きな知名度・影響度を有している。
  2. 内部リンクは通常オリジナルに対してリンクされているので、改名時には多くの内部リンク変更作業が必要(知名度が高いためリンクも多い)。
  3. リメイクが興行的に失敗していて百科事典的にはあまり言及されない場合、どっちのリンクをたどればいいのか、かえって読者が混乱する。

リメイクが作られると自動的に改名するのではなく、リメイクがオリジナルと同等の知名度・影響度を有していると判断できてから改名した方が良いのではないかと思う。--Afaz 2010年7月3日 (土) 03:55 (UTC)[返信]

まず「代表的なトピックを中心」云々については、私がこれまで見聞きしてきた範囲では平等な曖昧さ回避が使われることのほうがずっと多かったので上のように申し上げましたが、それほど厳格に決められているわけではないのであれば了解しました。
次に「客観的な指標」という点ですが、ちょっと誤解を招く書き方だったかもしれません。意図としては、オリジナルとリメイクを比べてどちらが知名度・特筆性が高いかを判断する客観的な基準というものはないのでは、というつもりでした。たとえば興収や観客動員数などで比較はできるかもしれませんが、年代が違えば物価なども違うので正確には判定できないでしょう。もし客観的な基準があるのであればご指摘いただきたいです。
また、Afazさんのご意見に対しては、それぞれ以下のように回答できるかと思います。
  1. オリジナルに一定の知名度があるとはいえ、必ずしもその知名度がリメイクより高いということにはならない。
  2. 改名するとしてもリンク張り変え作業はBotに任せることができる場合もある。
  3. 曖昧さ回避ページのほか、記事冒頭に{{Otheruses}}を貼って誘導すればよい。
もし、オリジナルとリメイクのどちらが特筆性で上かをいちいち議論して決めるとすると、それだけ時間も手間もかかりますので、むしろ「同名作品は等しく括弧つき記事名にする」とするほうが簡単で分かりやすく、混乱も招かないと思います。--Yasu 2010年7月4日 (日) 14:56 (UTC)[返信]
上の書き込みから3週間ほど経ちましたが、他にご意見はないでしょうか。もう1週間ほどのうちに反対がなければ、同名作品の記事名決定に際してはオリジナル・リメイクにかかわらず平等に扱うことを明記するようガイドラインを変更したいと思います。--Yasu 2010年7月28日 (水) 15:44 (UTC)[返信]
「時間も手間もかかりますので」ということですが、そもそも時間や手間をかけてはいけないのでしょうか? 今回の発端にしたって、議論の手間を惜しんだのがきっかけになっているわけですし。--モンゴルの白い虎 2010年7月31日 (土) 06:11 (UTC)[返信]
『タイタンの戦い』での提案を経ない改名は、現行のガイドラインが曖昧な文面になっていることも一因であろうと思います。ですので個々の項目で議論する手間をなるべく省くために全体のガイドラインを整備しておこうということです。拙速に決めることがよいというわけではありませんが、議論が長期化してなかなか記事名が決まらないという状況もまた望ましくないでしょう。例外はあるにせよ、基本的に従うべき大原則を決めておくことは判断を助けることにもなると思います。--Yasu 2010年7月31日 (土) 14:58 (UTC)[返信]
リメイク作品、それも同名のものはそれほど多いわけでもないので、基本は個別作品ごとの対応になると思う。リメイクが作られると自動で改名も影響が多すぎるし、はっきりいってオリジナルにカッコがついてなくて問題があるかというと全然問題がない。リメイクが超有名でないかぎり。--Afaz 2010年8月2日 (月) 07:11 (UTC)[返信]

「同名作品の記事名決定に際してはオリジナル・リメイクにかかわらず平等に扱う」というのは、両者が同等の特筆性を有している場合においては、それでいいと思うけど、特筆性に偏りがある場合は一致できてないよ。この点に関してはリンク変更による混乱が発生するというこっちの主張と、いちいち特筆性を考慮していると議論が終わらないというYasuさんの主張とは平行線をたどっているから。二人がそれぞれ意見を述べているだけで、最後にレスしたもの勝ちってゲームじゃないし、これ。第三者の意見がつかない限りこの問題は決着はつかないと思う。それに議論元からずっと読んでもYasuさんの主張に賛成を表明している人ってだれもいないよ?--Afaz 2010年8月2日 (月) 13:22 (UTC)[返信]

まず、上でも述べたように「リメイクが超有名」かどうかの線引きをする客観的な基準というものはありません。存在しない基準をもとに、オリジナルが括弧なし記事名で問題ないかどうかを判断することは不可能です。また、「(同名の)リメイク作品はそれほど多いわけでもない」ならば、必ずしも「リメイクが作られると自動で改名も影響(リンク変更による混乱)が多すぎる」とは言えないでしょう。そもそも、内容的に関連のない同名作品の場合は、製作年の新旧にかかわらず、また特筆性についても考慮することなしに、すべて等しく括弧つき記事名になるわけですよね。それならば影響云々という点では同じことではありませんか。リメイクに対するオリジナルだけ特別扱いするのはおかしいですよ。
「最後にレスしたもの勝ちってゲームじゃない」というご指摘については、3週間という短くない期間のうちに反論がなかったため終了の提案をしたまでである、とお答えしておきます。今回の説明でもまだ納得できない方がいらっしゃるならば、コメント依頼に出すことも検討します。ただ、ノート:タイタンの戦い (1981年の映画)や過去の議論#同名の映画作品 その2でも私と同趣旨の意見を述べておいでの方がいらっしゃることから、私の主張が全く受け入れられないような内容であるとは考えていません。--Yasu 2010年8月2日 (月) 14:58 (UTC)[返信]
そりゃ、基準は作ってないからないさ。が、客観的指標は検索エンジンヒット数、内部リンク言及数比、興行収入等いろいろある。そういうのまで否定されてはWikipedia:曖昧さ回避の「代表的トピック~」のセクションはなんなのってことになるから。
  1. オリジナル・リメイク関係なく平等に(XXXX年の映画)で曖昧さ回避を行う(自動で改名OK)。
  2. オリジナル・リメイク関係なく平等に(XXXX年の映画)で曖昧さ回避を行う(自動で改名OK)。ただし、その後ノートで合意があれば特筆性の高いほうを代表トピックとする例外を認める(分野のカッコをつけなくてよい)。
  3. オリジナル・リメイク関係なく平等に(XXXX年の映画)で曖昧さ回避を行う。ただし、オリジナルを改名するのはノートでリメイクも同等の特筆性を有していると判断された場合。
現在解決案はこんな感じかと思うけど、2番を選択できるなら自分はそれでいいんじゃないかと思う。が、1番がよいというならコメント依頼してください。これは正しい正しくないとかを超えて作業量の負担と読者の利便性の天秤だから、第三者の意見がないとダメかと。--Afaz 2010年8月3日 (火) 06:16 (UTC)[返信]
検索結果の多寡は検索方法や検索エンジンの違いで変わるものですし、内部リンクもやろうと思えば手作業で増やしたり減らしたりができるのですから「客観的」な指標にはならないでしょう。興収についてはすでに述べた通りです。そもそも、これまた上述の通り、Wikipedia:曖昧さ回避の「代表的トピック」とは『卒業 (1967年の映画)』『卒業 (ゲーム)』「卒業 (尾崎豊)」などに対する卒業のような項目のことをいうのではないでしょうか。リメイクに対するオリジナル作品にもこれをそのまま当てはめることができるかどうかは疑問に感じます。
しかしながら、Afazさんが解決案として提示くださった中では、私としては2番で問題ないと思います。原則としてはあくまで平等に括弧つきとするが、「この作品に限っては括弧なしが適切である」という方がいれば個別の議論によって例外を認める余地は残す、ということです。Afazさんご自身も2番で構わないとのことですので、もう1週間ほど待ってみて反対意見がなければ、それをもとにガイドラインの文面案を考えてみたいと思いますが、いかがでしょうか。2番でもダメだという方がいらっしゃるならコメント依頼を提出しますが。--Yasu 2010年8月3日 (火) 15:30 (UTC)[返信]
(コメント)私は全体論でAfazさんに賛同なのですが、基本的に第2案を支持します。ただ記事名が一意の場合、ノートでの合意を経て代表トピックまたは記事名としても良いと思います。したがって、
2. オリジナル・リメイク関係なく平等に(XXXX年の映画)で曖昧さ回避を行う(自動で改名OK)。ただし、その後ノートで合意があれば(記事名が一意の場合など)特筆性の高いほうを代表トピックまたはカッコなし記事名とする例外を認める(分野のカッコをつけなくてよい)。
のような文言を推します。ここでいう一意の捉え方は難しいですが、「映画タイトル」「及びその原作」が範疇でしょうか…。--けいとん 2010年8月7日 (土) 05:27 (UTC)[返信]
映画以外のものまでガイドラインの対象にすると混乱を招かないでしょうか。たとえばある小説が映画化され、両方の独立記事があるとして、もし映画作品のほうが特筆性があり、原作記事のほうを改名するべきという意見でまとまっても、小説はこのPJの範疇外ですから簡単に手を付けられないでしょう。それに、原作を映画化というだけでなく、映画が公開後にノベライズ・コミカライズされるといったケースも考えられますし。あくまで「同名の映画作品」間での扱いにとどめておくべきでは。
ところで念のため確認ですが、「ノートなどでの合意によっていずれか1つを代表的トピック(括弧なし記事名)にしてもよい」というのは、互いに内容に関連がある作品(リメイク作品やそのオリジナルなど)限定で、タイトルが同じだけの場合は該当しない、ということでいいのですよね?--Yasu 2010年8月7日 (土) 15:48 (UTC)[返信]
Yasuさんの指摘の通り、PJの範疇外に及ぶと混乱が予想されますね。よって一意の捉え方については、「映画タイトル」に留めます。
また、Yasuさんが念のため確認されている件については、「Wikipedia:ウィキプロジェクト 映画#他項目と同じタイトルの作品の場合」を基にして議論が始まっているので、映画作品全体で考えていましたが、私の勘違いかもしれません。Yasuさんの仰る、「互いに内容に関連がある作品(リメイク作品やそのオリジナルなど)限定で、タイトルが同じだけの場合は該当しない」でも構いません。--けいとん 2010年8月8日 (日) 04:34 (UTC)[返信]

(インデント戻します)上で書いた1週間が過ぎましたが、Afazさん案の2.に反対という方はおられないようなので、これを基準としたく思います。さっそくガイドラインの修正案を作ってみました。

  • 同一の邦題を持つ作品が複数存在するときは、それぞれ「_(xxxx年の映画)」(xxxxはその作品の製作年)をつけてください。例:『ミニミニ大作戦 (1969年の映画)』『ミニミニ大作戦 (2003年の映画)
    • 既に記事が作られている作品と同一邦題の作品記事が作成された際、先に作られているほうの記事名に「_(xxxx年の映画)」がついていなければ、事前議論(改名提案)なしに「_(xxxx年の映画)」つきの記事名に改名できます。移動の際「本ガイドラインを理由とした改名」であることを明記してください。
    • ただし、「同一の原作をもとに映画化された作品」「リメイク作品とそのオリジナル」など内容に関連のある作品相互の場合、ノートなどで合意がされれば、いずれか一作品を代表的トピックとして「_(xxxx年の映画)」のつかない記事名としてもかまいません。
      ※注:これはあくまで例外的なケースです。明確な理由がない限り、基本的には「_(xxxx年の映画)」で区別してください。

現行のガイドライン「他項目と同じタイトルの作品の場合」の2行目を上の文章と差し替えるという形にしたいと思います。最後の注がちょっとしつこいかもしれませんが、「どうしてもという場合は例外を認めてもよいが、原則としてはオリジナルもリメイクも等しく括弧付き」ということを徹底させたいのでこのような文面にしてみました。ご意見をよろしくお願いします。

なお、以下の2点についても言及しておいたほうがいいかもしれません。

  1. 邦題に加えて製作年も重複する場合(例:『ジキル博士とハイド氏 (1920年のヘイドン監督の映画)』『ジキル博士とハイド氏 (1920年のドイツ映画)』)の扱い。ちなみに英語版ガイドラインではこのような場合「include additional information such as the country of origin like Film Title (2007 US film) or a descriptive adjective such as Film Title (2007 animated film).」とされており、製作年を入れること以外は括弧内の語句についてさほど詳細な基準はないようです。
  2. 「製作年」の定義。英語版では「劇場公開年」を指すとしており、映画祭上映はこれに当たらないとのことです。

これらについてもご意見があればお寄せください。--Yasu 2010年8月12日 (木) 14:58 (UTC)[返信]

製作年も重複する場合についても、とりあえず英語版にならってあまり細かい規定はしない方向で文案を考えてみました。
  • 邦題に加えて製作年も重複する場合は、製作年に加えて、その作品の製作国か、または他と区別のできる語句を括弧内に含めてください。例:『ジキル博士とハイド氏 (1920年のドイツ映画)』『ジキル博士とハイド氏 (1920年のヘイドン監督の映画)』
特に反対意見がなければ、1週間後くらいをめどに、先に挙げた文章とともにガイドラインに反映する予定です。なお製作年については、記事冒頭の定義文など、記事名以外の箇所にも関わってくることから、ここでは言及しないほうがよいと思いました。--Yasu 2010年8月17日 (火) 14:58 (UTC)[返信]
対処 1週間のうちに反対意見が出なかったことから、上記の文案をもとにガイドラインを改訂しました。議論に参加してくださった皆様ありがとうございました。--Yasu 2010年8月24日 (火) 15:52 (UTC)[返信]

吹替声優

定期的に除去を行って来ましたが、海外俳優の記事において出演作の欄や関連項目の欄に日本語吹き替えを担当してきた声優を羅列する例が後を絶ちません。中には「吹替声優」等と節まで設けて長々と羅列する例[1][2]も多く見受けられます。こういったものは演じた俳優自身と何ら関係もなく、本来なら演じた声優自身の当該記事か、譲っても作品記事への記載に留めるのが本来あるべき姿のはずです。これを容認してしまえばJPOVな記述となりますし、それを避けるように執筆しようとすればそれこそ極端な話「フランス語版吹替担当声優」「ドイツ語版~」「広東語版~」と無為な肥大化を招くだけです。よってプロジェクトに新たに「個々の俳優記事において、その俳優が出演した映画/TV等の作品で吹替を担当した声優の記載は行わない。」とするガイドラインを設けることを提案します。--タールマン 2010年7月8日 (木) 11:02 (UTC)[返信]

ただしサモ・ハン・キンポーにおける水島裕ジャッキー・チェンにおける石丸博也等の本人との直接の関係があるような場合は、それぞれの記事に出典付きで加筆される事はむしろ推奨されてもいいと考えています。上記の例外としてこういったものは除外できる文面にしたほうが良さそうです--タールマン 2010年7月8日 (木) 11:02 (UTC)[返信]
反対 自分は興味がないという主観以上の理由に乏しい感があります。「何ら関係もなく」というのはどういう意味か理解に苦しみます。「本来あるべき姿のはず」である理由もはっきりしません。ブルース・ウィリスに声優の記載がなければ、ブルース・ウィリスを演じた声優を知りたい人は、どのようにすればいいのでしょうか。
「フランス語版声優等が書かれる」という現実に起こっていないケースを理由にするのは、いささか無理のある論理に見えます。
JPOVを援用はできないでしょう。議題は「日本語」吹き替えであり「日本」吹き替えではなく、JPOV(「日本」中心にならないように)とは無関係なはずです。JPOVが問題となるのは「日本国外の日本語版があるのに書かれていない」ようなケースでしょう。--Gohda 2010年7月18日 (日) 23:57 (UTC)[返信]
この場合、日本語吹き替えを担当した声優達は「俳優が各々の作品で演じた役」の吹替を担当しているのであって、それぞれの作品とは繋がりがありますが本人とは上で挙げた水島などの例を除き通常全く関係がありません。上でも申し上げたように作品記事や各々の声優記事に載せるのが適切な形です。利便性だけを見れば纏めたいという意見も分からないではないですが、それはファンサイトなりを作って他所でやるべきことでしょう。「議題は「日本語」吹き替えであり「日本」吹き替えではなく、JPOV(「日本」中心にならないように)とは無関係なはずです」とのことですが、実際には日本語吹き替えしか掲載されてない現状を鑑みれば「日本語吹き替え」という括りであるだけで、これはJPOVになっていると私は考えます。そもそも俳優記事にこういった記述が行われているのは日本語版だけです。上記のブルース・ウィリスやブラット・ピットにおける記載例を他言語版に翻訳移設したら即刻削除されるでしょう。--タールマン 2010年7月19日 (月) 01:51 (UTC)[返信]
反対 ウィキブレイク中なので素通りしようと思いましたが一言。私も、なぜ「何ら関係もなく」や「本来あるべき姿のはず」なのかがわかりませんでした(要出典。でなければ、それは一つの考え方であって、そうでない考えの人もいるということ)。「上記のブルース・ウィリスやブラット・ピットにおける記載例を他言語版に翻訳移設したら即刻削除されるでしょう」というのも推測なのでは? そういうガイドラインが他言語版にあるのですか? でなければ、やってみないとわかりませんよね? 「『フランス語版吹替担当声優』『ドイツ語版~』『広東語版~』」と書くのが、なぜ「無為な肥大化」なのですか? わかるなら書いてもいいと思いますよ。ただ、これだけ声優がもてはやされているのは日本だけなので、他の国(言語)の人は自国(自国の言語版)の吹き替え俳優(声優)に関心が薄いだろうと思います。他の国の方が、日本より字幕を嫌い吹き替えを好むのにね。声優の英語版を見てください。en:Voice acting in Japanですよ! となれば、ハリウッド映画の俳優の声優が知りたい人は、日本語版の声優を知りたい人(主に日本人)が多く、その場合ウィキペディア日本語版のユーザーが大半だと思われますので、他言語版の声優も書いてあるのに越したことはないが、わからなければ日本語版の声優だけを書いておいて加筆を待つのもやむを得ないのではないでしょうか。
以上も私の考え方に過ぎませんが、複数の異論が出た以上は、しっかり合意形成を行ってからガイドラインを策定した方がいいでしょう。それまで、タールマン さんは、合意なく「定期的に除去を行」われるのはおやめになられた方がいいと思います。参加者が少ないようでしたら、コメント依頼に出されるのもいいかもしれません。また場所ですが、タールマンさんは海外俳優を主に問題とされているようなので、Wikipedia:ウィキプロジェクト 芸能人の方がふさわしいでしょう。ところで、タールマンさんは「サモ・ハン・キンポーにおける水島裕」などの例は推奨されるそうですが、アラン・ドロンにおける野沢那智や、ジョン・ウェインにおける小林昭二など(古い……古すぎる)もその範疇ですよね? どちらも現状では書かれていませんが。こういうのはどんどん書き足した方がいいのか、そのあたりもはっきり決めた方がいいでしょう。
いろいろ失礼申し上げましたが、初めに書きましたとおり私はウィキブレイク中ですので、申し訳ありませんが継続的な議論参加はできませんので、後はよろしくお願いいたします。--Rollin 2010年7月19日 (月) 04:50 (UTC)誤記訂正--Rollin 2010年8月28日 (土) 16:36 (UTC)[返信]
前回のコメントより一ヶ月以上経過していますが、その後コメントも別途コメント依頼が出された様子もないので、外国俳優の記事に声優を記載しないことについての合意は不形成に終わったということで、一旦クローズでよろしいでしょうか。なお、タールマンさんが上で例にあげていたブルース・ウィリスですが、タールマンさんの除去が行われた[3]後、また新たに作られた[4]のですが、これなら前の方がよかったような気がします。また、さっきも他でこんな編集[5]がありましたが、これってどうでしょう。記載するならするで、書き方をガイドライン化した方がいいような気もしますが、前にも書いたように、ここよりWikipedia:ウィキプロジェクト 芸能人の方が適切だと思いますし、ウィキブレイクから一時的に復帰しているだけの身なので、私が提案するのはやめておきます。--Rollin 2010年8月28日 (土) 16:36 (UTC)[返信]
私としてはこういった記述はWP:VP#歴史記事に「作品一覧」「俳優一覧」「ゲーム一覧」などは必須なのか。等と同様、直接関係ない事で記事の無為な肥大化を招く原因だと考えています。直接関係ない俳優記事にまで担当声優を記す必然は本当にあるのでしょうか?何も私は「声優が吹き替えを担当した事実をウィキペディア上から排除せよ」と申しているのではありません。上でも述べましたが個々の映画記事や声優記事の仕事履歴に留めるというのはそんなに間違った考えでしょうか?またこの問題に結論が出るまで私の方から除去は行ないません。--タールマン 2010年8月28日 (土) 17:45 (UTC)[返信]
Rollin氏のご意見を参考に先程Wikipedia:ウィキプロジェクト 芸能人の方にも議論参加の案内を出しておきました--タールマン 2010年8月28日 (土) 17:57 (UTC)[返信]
議論が続くようなので(タールマンさん、お疲れ様です)、コメント。まず、歴史記事に俳優の一覧を書くのと、俳優の記事に担当声優を書くのとでは、ニュアンスが違うと思います。前者はそれこそ直接関係ありませんが、後者は俳優という共通のジャンルで、出演作品が他言語で上映・放映される機会は当然あるわけで、関係は大いにあると考えます。次に、WP:VP#歴史記事に「作品一覧」「俳優一覧」「ゲーム一覧」などは必須なのか。の議論では、一般的な結論は出ていないようですが、個々のものについては分割で話が進んでおり、不要だとして単純に除去することになったケースはないようです(違ってたらごめんなさい)。私は、担当声優の欄が著しく肥大化を招いたら、当然それは分割してかまわないと思いますが、除去、もしくは初めから作成を禁止するのはいかがなものかと思います。ここでは主に海外俳優のことが問題にあがっているわけですが、日本人俳優の記事に、海外での担当声優の欄があっても、私はいっこうに構わないと考えています。しかし、現実問題として、(ここからは勝手な推測ですが)担当声優の欄を作る人は日本の声優のみに関心があるだけで、海外の声優には興味もなければ調べる気もない人が多く、結果的に現状のようになっているのではないでしょうか。担当声優の欄を作るなら、単なる羅列ではなく有用な記述を心がける。その結果その欄が著しく肥大化するなら分割する、ということでいいのではないかと思います。--Rollin 2010年8月29日 (日) 00:28 (UTC)[返信]
今のところ新たなコメントは寄せられていませんが、上記議論中のWP:VP#歴史記事に「作品一覧」「俳優一覧」「ゲーム一覧」などは必須なのか。は、Wikipedia:井戸端/subj/歴史記事に「作品一覧」「俳優一覧」「ゲーム一覧」などは必須なのか。にサブページ化され、議論はその後Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 歴史#歴史記事における創作部分の扱いについてに移行していますので、参照する方はご注意下さい。--以上の署名のないコメントは、Rollin会話投稿記録)さんが 2010年9月4日 (土) 15:40 (UTC) に投稿したものです(Rollinによる付記)。 署名忘れてました、すみません。--Rollin 2010年9月15日 (水) 12:12 (UTC)[返信]
賛成 いらないと思います。それは作品別(キャラ別)もしくは声優の項に書くべきであって、あまりにもお粗末な関連項目だと思います。ジャック・バウアーという記事に小山力也にリンクする必要はあっても(おそらく小山とは交流の無い)キーファー・サザーランドに小山力也をリンクさせる必要は無い。--TYSGCFAN会話/投稿記録 2010年9月23日 (木) 03:42 (UTC)[返信]
では、ブルース・ウィリス#吹き替えのようなケースはどうですか。たとえば樋浦勉は別にジョン・マクレーンというキャラクターの吹き替えをしているのではなく、ブルース・ウィリスの吹き替え(樋浦勉#洋画吹き替えブルース・ウィリス参照)をしているのであって、相互に対応関係(1対1ではありませんが)があるとは言えませんか。--Rollin 2010年9月23日 (木) 04:52 (UTC)[返信]
そこはケース・バイ・ケースです。基本的には載せずに、(樋浦・ウィリスのように)かなり多い場合のみリンクさせるぐらいでいいと思います。しかし先ほども言ったように全部の吹き替え声優を載せるべきではないと思います。--TYSGCFAN会話/投稿記録 2010年9月30日 (木) 14:01 (UTC)[返信]
賛成 いらないと思います。TYSGCFAN氏の意見に賛同です。--d6rkaiz 2010年10月4日 (月) 20:49 (UTC)

ウィキプロジェクト用名前空間「プロジェクト」新設のお知らせ

先日行われた、ウィキプロジェクト用名前空間新設に関する投票の結果に基づき、ウィキプロジェクト用名前空間「プロジェクト」が新設されます。その際、以下の点にご注意ください。

  • ウィキプロジェクトのページ(サブページも含む)は、Botを用いて全て新名前空間へ移動されます。
  • 元ページはリダイレクトとしてすべて残されます。
  • プロジェクト名前空間のタブ表記は「プロジェクト」となります。
  • Wikipedia名前空間のタブは、「プロジェクトページ」から「ウィキペディア」に変更されます。

なお、具体的な日程などについては、『編集者向けsitenotice』などで告知される予定です。--W.CC 2010年7月28日 (水) 13:58 (UTC)[返信]

「製作年」の定義と表記

曖昧さ回避の括弧やカテゴリ、記事の導入部などで「xxxx年の映画」と使われる「製作年 [度]」とは「初一般公開年」を指す、とは周知のことと思います。記憶を頼りに議論上の合意を捜してみると、4年前のCategory‐ノート:映画史にありました。このとき、

  • 「xxxx年の映画」という場合には製作年を用い、
  • 製作年とは「製作国において発表された年度を製作年」(いぬさん)、「オリジナルの公開年」(いごっそうさん) を指す

との合意が得られたようです。後者については概ね上記のようなものが不文律になっていると思いますが、その明文化は、上記#タイタンの戦いの改名についてのように、何度か検討されたものの、たびたび見送られてきたように思います。しかし、「製作」という呼称や「初」「公開」といった言葉の曖昧さのため、しばしば誤解や混乱が生じています[6]。したがって、今まで不自然なまでに行われてこなかったそれらの定義ならびに明文化は急務といわざるを得ません。

まずよくある誤解として、「製作年」という表記が来たすものがあります。「製作」というと、映画の完成やコピーライト表記を基準にするものととられてしまいがちです。というか、一般に製作年といえばこちらを意味するでしょう。しかしウィキペディアに限らず、「xxxx年の映画」といえば多く「初一般公開年」を指します。したがって、現ガイドラインの「製作年」という表記は全面的に廃止し、「初一般公開年」などとすべきだと思います。

次に―実際、執筆時に最も直面しやすいのが、映画祭を含めるかどうかです。英語版では、それを含めるのは映画祭でのみ一般上映が行われた場合としています (en:Wikipedia:Naming conventions (films)#Between films of the same name)。ところがIMDbでは、映画祭を年度の基準の対象にしているのです[7]。どちらがより一般的あるいは多数派であるかは判断しかねますが、IMDbでもなかなか網羅されない映画祭のこと、より明快なのは英語版の方だと思います。

ほかに考えられる問題は、製作国における公開のみを基準とするか; ならびに劇場向けに製作された作品の先行したビデオグラムの発売を含めるか。

  • 国外で先に劇場公開され、のちに本国で劇場公開された場合
  • 国外で先に劇場公開され、のちに本国でビデオグラムが発売された場合
  • 国外で先にビデオグラムが発売され、のちに本国で劇場公開された場合
  • 本国で先にビデオグラムが発売され、のちに国外で劇場公開された場合

いずれの場合も、IMDbやウィキペディアを含むさまざまな映画情報源を基準とすれば、作品の年度すなわち「初一般公開年」(あるいは「製作年」) は、前者となると私は思います。


長々と書いてきましたが、簡単に皆さんからご意見を頂戴したい点を示すと以下のようになるかと思います。

  • 「製作年 [度]」という表記の存廃について
  • それら年度の基準に含める対象について
    • 映画祭における上映は?
    • 製作国外における公開は?
    • ビデオグラムの発売は?

また合意が得られた場合、それらをどのようにガイドラインに反映していくかについても、ご意見が伺えればと思っています。--Purposefree 2010年8月22日 (日) 13:30 (UTC)[返信]

コメント英語版はWP:NCFで「映画祭は含めない」と書いてるけど、それについて2010年7月頃までノートの#Disambiguation by release yearのセクションで議論されていて、それがまだ反映されてないっぽい。"the date is either the first festival release date or the first general release date"(映画祭での初公開年または一般の初公開年)がノートで提案されていて、つまりUS外だろうがUS内だろうが映画祭だろうが、「その映画が初めてスクリーンに登場した年」で曖昧さ回避をするよう変更される方向になりそうかもしれない。議論の発生源はen:The Fall (2006 film)(邦題『落下の王国』)で、これはアメリカでは2008年に公開された映画だけど2006年のトロントの映画祭で公開されていた映画で、「The Fall (2008 film)」になったり「The Fall (2006 film)」になったりしているけど、最近の改名議論では前述の方向になりそうです。--Afaz 2010年8月26日 (木) 12:19 (UTC)[返信]
映画祭に出た時点で通常は完成していますから、ほとんどのケースで問題はないと思いますが、月日が離れていると意見が分かれると思いますね。--ヴェンデルマン 2010年9月10日 (金) 04:57 (UTC)[返信]
コメント 意見表明が遅くなりました。「製作年」自体はごく一般的な言葉ですし、これを使わないよう本PJで申し合わせたとしても、それを知らない編集者が記事内で記述してしまうことは十分考えられるので、「廃止」にはあまり意味がないのでは。むしろ、「(日本語版)ウィキペディアの映画記事でいう『製作年』とは『公開年』を指す」などと明記しておくほうがよいと思います。
その「公開年」を一般公開の時点とするか映画祭を含めるかについてですが、映画祭では未完成版やパイロット版など、後に一般公開されるものとは違った内容のバージョンが上映されることがあるため、個人的には「映画祭上映」をもって公開年とすることには積極的に賛成できないというのが正直なところです。一例を挙げますと、侯孝賢の『珈琲時光』は2003年に東京で開かれた小津安二郎生誕100年記念シンポジウムで初公開されましたが、この時上映されたのはいわゆる0号プリントで、一般公開の際には若干違うバージョンになっていたと聞いています。
ただ、英語版で議論が進んでいるのであれば、最終的な結論を見て、著しい不都合がなければそれに従ってもいいかもしれません。曖昧さ回避の年表記が入った記事名の場合など、英語版と日本語版で年表記が違うことになるのもおかしな話ですし。--Yasu 2010年9月11日 (土) 14:56 (UTC)[返信]

皆さん貴重なご意見ありがとうございます。まずはAfazさんが非常に参考になる情報を下さったにもかかわらず、お礼をするのが遅れてしまったことをお詫びしなければなりません。そしてそのen:WT:NCF#Disambiguation by release yearですが、これは見落としていました。ざっと読んでみると、やはり映画祭を含めるべきとする意見が優勢のようで、そもそも現在の条文が決められた去年en:Wikipedia talk:Naming conventions (films)/Archive 1#Disambiguation by release yearでも賛成ばかりではなかったようですね。現に『落下の王国』は2006年、『ハート・ロッカー』は2008年にカテゴライズされています。この様子だと、やはりこれらやIMDbに合わせ、映画祭を含めるとすべきかもしれません。

とくにサンダンスなど年初に行われる映画祭で上映される作品などでは、コピーライト表記などに用いられる映画の完成年度は映画祭の前年、買い付けから公開まで時間がかかって米一般公開は映画祭の翌年で、日本公開はそのまた翌年なんてことがよくあり、しばしば混乱を目にします。たとえば『サンキュー・スモーキング』はトロントに、『クロッシング』は一般公開に則っていました。現行のen:WP:NCFからいえば前者はガイドラインに違反しているわけですが、というより、ガイドラインに対する合意あるいは認識が十分でないということの現れなのかもしれません。

映画祭での上映時から内容が変更されて公開されたものというと、最近では『パラノーマル・アクティビティ』がありました。初上映は2007年ですが、2009年に一般公開されたバージョンではさまざまな変更が加えられていました。こちらはウィキペディア/IMDbでは2007年となっていますが、他のサイトでは2009年としているところが多いようです。また、『ニューヨーク、アイラブユー』は2008年のトロント上映時には残っていたスカージョのディレクトリカル・デビュー作品ほか1編がカットされて翌年公開されましたが、ウィキペディアやIMDbを含む各サイトでは2009年の映画とされています。

この2つ、似たケースではあるものの違うのは、映画祭で初上映されたものが「完成版 (ファイナル・カット)」とされていたか、という点ではないでしょうか。前者は初上映された時点ではまだ買い手が付いておらず、後から買い付けたドリームワークス/パラマウントが公開に際し手を加えました。これに対し、後者を公開したヴィヴェンディ・エンターテインメントおよびパーム・ピクチャーズが国内配給権を獲得したのは2008年4月で、トロントでは「work-in-progress」との注釈付きで上映されました。このように、映画祭を含めるとした場合には、後に内容が変更されたとしても、初上映が完成版とされていたかで区切りを設けることができるかと思います。まあこのようなケースもそう多くはないでしょうから、あまりガイドラインで拘束するよりも、個別に判断すべきかもしれません。

それから「製作年」についてですが、ここで考えているはあくまでPJ:FILMのガイドラインおよびスタイルガイドにおいて「曖昧さ回避の括弧やカテゴリ、記事の導入部に用いられる年」をどう表記するかであって、 決して「製作年」という言葉の使用を抑制するものではありません (笑)。ガイドラインは執筆者向けのものですから、もし執筆者が「公開年」のことを指して「製作年」と記事に書いたら、それは読者に間違った情報を与えるだけのことになります。「製作年」のことを指して「製作年」と書いたら、それは何の問題もありません。

ちょっと考えてみてほしいんですが、「ごく一般的な言葉」として「製作年」を使った場合、それは何を指すでしょうか。多くの人が考えるのは、「宣材の下に小さく製作国やアスペクト比と並んで書かれている数字」とか、「©の後に続く4桁のそれ」とかじゃないでしょうか。人によっては「撮影が行われた年」や「初号プリントが完成した年」かもしれません。少なくとも「初めて広く一般の観客に向けて上映が行われた年」とは想像しないはずです。そして、よりそれに近いのは「製作年」よりも「公開年」ですよね。--Purposefree 2010年9月11日 (土) 19:02 (UTC)[返信]

ああ、そういうことでしたか。「『製作年』という表記は全面的に廃止……すべき」と書かれていたので、この言葉を使わないようにしようという趣旨かと思っていました。「曖昧さ回避の括弧やカテゴリ、記事の導入部に用いられる年」を「作品の完成した年」ではなく「実際に公開された年」とする、ということが明記されるなら、こちらとしては何も問題ありません。
ここまでの流れからすると、基本的には映画祭での上映を公開年に含める、映画祭上映が完成版でなければ個別判断で一般劇場公開年に合わせる、といったあたりが落としどころになりそうですね。--Yasu 2010年9月12日 (日) 15:10 (UTC)[返信]
チェック 少々拙速かもしれませんが、概ね方向性が得られたと見えることから、ガイドラインへの反映を行いました。一部独断? による部分もあるかもしれませんが、その場合の加筆・修正・除去は歓迎いたします ;)--Purposefree 2010年9月18日 (土) 19:53 (UTC)[返信]

制作年の内部リンク

最近、制作年(公開年)のリンクを、その年へのリンクから、その年の映画に変更する者がおりますが(「○○は[[2000年]]制作の映画」→「○○は[[2000年の映画|2000年]]制作の映画」 )、PJとしてはその辺はどう取り決められているのか、うかがいたいです。--EULE 2010年10月1日 (金) 13:41 (UTC)[返信]

プロジェクトにおける判断は今のところ出ていないと思います。おそらくそのようなパイプ付きリンクは英語版で使われていたのが翻訳の際にそのまま移入され、さらに既存の日本語版の記事にも伝播していったのじゃないかと想像できます。ざっと en:Wikipedia talk:MOSFILM を調べてみると、今年3月に議論がありました (en:Wikipedia talk:Manual of Style (film)/Archive 6#Linking guidelines)。そこでは、パイプ付きリンクの生成の簡便化のためのテンプレートの削除に関する議論 (en:Wikipedia:Templates for discussion/Log/2010 March 2#Template:Filmyear) に象徴されるように、年号へのリンクは「関連項目」セクションに置くべきという意見が支配的のようでした。ただ en:Wikipedia:Piped link によると、[[2006 in sports|2006]] のようなリンクについては、ちょうど日本語版における全角括弧の使用の可否のように、意見が割れているそうです。
しかし、Wikipedia:記事どうしをつなぐWikipedia:内容に関連するリンクだけを作成を見ると、日本語版ではこのパイプ付きリンクは容認される向きが強いのではないかという気がします。英語版ではユーザビリティの観点からパイプ付きリンクは極力使用を避けるべきという考えがあるようですが、日本語版では却って「おせっかい」なくらいが喜ばれる、というか…。いずれにせよ、プロジェクトとしては合意を得てガイドラインに反映するぐらいのことはやっておいた方がのちのためにもいいですよね。各国の映画へのリンクも然り。なお全くの蛇足ですが、制作製作は区別して使われる言葉ですので。--Purposefree 2010年10月9日 (土) 16:33 (UTC)[返信]
どっちかというとPJ単位で決めるんじゃなくて、Wikipedia:記事どうしをつなぐあたりで話した方がいいような。もっとも、PJ:ALBUMでは、[[1991年の音楽|1991年]]とするのは禁止って書いてるね。自分も「2000年」にいくと思ってクリックしたら、「2000年の映画」にいったらビックリするだろうから、これはやめたほうがいいとは思う。関連項目あたりのセクションで「2000年の映画」にリンクしたらいいんじゃないかな。--Afaz 2010年10月9日 (土) 16:51 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。
(Purposefree氏へ)パイプ付きリンク自体の是非を述べているわけではなく、観点的にはAfaz氏が述べているところです。上記例で言うならば、「2000年」の記事に内部リンクするべきか、「2000年の映画」に内部リンクするべきか、どちらが適切かという話です。Wikipedia:内容に関連するリンクだけを作成の内容を踏まえるならば、私はこの場合なら「2000年」にリンクするべきだと考えています。
(Afaz氏へ)確かにそちらで話した方がいいかも知れませんね。今知ったのですがプロジェクト:内部リンクなんてものもあるようですし、もう少しここで様子を見て必要に応じて、そっちでも聞こうと思います。--EULE 2010年10月10日 (日) 06:19 (UTC)[返信]
プロジェクト:内部リンクでうかがったところ、分野によっては「[[△△年の○○|△△年]]」と記述する方が望ましいこともあるそうなのでガイドラインやヘルプなど全体として規定するのは難しいらしいです。なので規定するならあくまで各分野ごとに。
私はこのプロジェクト映画の参加者ではありませんが、プロジェクト:アルバムのように、プロジェクト映画でも規定した方が良いと思います。どうでしょうか?--EULE 2010年11月3日 (水) 07:56 (UTC)[返信]

一覧記事の是非について

お久しぶりです。削除依頼の対応をしていて気がついたのですが、Wikipedia:削除依頼/日本の映画作品一覧Wikipedia:削除依頼/映画作品一覧という案件がありました。これらの依頼については依頼時に挙げられた削除の方針と当該記事の現状には隔たりがあるということでそれぞれ削除せず終了になったのですが、古くからあるこれらの記事が現在ならばカテゴリで代用できるのではないか、というような意見にはそれなりの説得力もあるものではあります。審議の場で削除依頼よりも関係するプロジェクトの方で吟味したほうが良いのではないか、という意見が出ているため、これらの是非・目指すあり方についてこの場で何かしら集約出来れば良いように思います。以下のような検討項目がありうるでしょう。

  • そもそもこれらの一覧記事はあったほうがいいかないほうがいいか
  • どのような形式ならば一覧を維持する意義があるか、無いか

たとえば、カテゴリページで見える情報だけしか提示しないのであれば無駄だ、とか、あるいはカテゴリとの差別化のため赤リンクを積極的に載せるべきだ、とか、特筆すべきものにかぎったリストにするならばよい、などということです。こちらのノートでアクティブなかたで削除依頼で発現されている方もいらっしゃいますが、その方たちも含めとりあえずここで一度たたき台用に意見を出してみていただけないでしょうか。--Makotoy 2010年11月20日 (土) 10:09 (UTC)[返信]

参考(必ずしもこれらが良いというわけではありません。こちらは自由に追加していってください。)

コメント昔の議論では五十音順などの単純なリストはカテゴリを使って、一覧記事では他の順番が必要なときに使っていこうみたいな感じだったと思います。カテゴリって従来の百科事典では索引に相当します。年表みたいなのは一覧じゃないと実現できません。一覧が不要って意見には賛成できないですね。
一覧のメリット
  • 記事がかかれていないものも掲載できる。赤リンクは執筆を促す効果もある。
  • 順番を好きに設定可能。日付順やポイント順などカテゴリでは細かく扱えないまとめ方ができる。
カテゴリのメリット
  • カテゴリをつければ自動的にソート順にまとまる。
  • 上位分類、下位分類といった階層構造が分かりやすい。
単独では百科事典に書く必要性はないが、まとまれば特筆性がでてくるものに一覧記事は力を発揮します。代表的なのは「〇〇の登場人物の一覧」などですね。特筆すべきものにかぎった五十音順リストは逆にカテゴリでいいんじゃないかと思います。個人的には映画の一覧は英語版のような「一覧の一覧」でいいように思います。全部網羅するとおそろしい数になりますしね。--Afaz 2010年11月20日 (土) 10:54 (UTC)[返信]
一覧記事には2つの条件があると考えています。1つは、その一覧の目的、方向性あるいは、その一覧によって読者にどのようなメリットが与えられるか。例えば今、軍事の方で兵器が登場する一覧の是非が問われていますが、単に登場したというだけで無差別にそのような一覧を作ることは百科辞典の目的や利益に適うかという点で難しいでしょう。まあ、映画の一覧に関して言えば、大丈夫なことですが。2つ目は、掲載する範囲、条件を定めること。例えば映画と名の付くものを各々の価値観で載せたら収集が付かなくなる。B級作品やビデオ作品はどうすれば良いのか。国別の扱いというのもある。日本の劇場公開されたものに限ればJPOVだ。また、これは1つ目の条件をダメにしてしまう可能性もある。ジュラシックパークやアイアンマンが載っているのと同等に、恐竜カルノザウルスやメタルマンが載っているリストには、価値は見出せない。メリットがなくなってしまう。
以上を踏まえた上で、時事通信社の映画年鑑に記載がある物とか、まず掲載の条件・範囲を決める・絞る。その条件に漏れた物(まあB級映画ですね)に関して、特筆性があってウィキペディア上の記事がある物は、また別に一覧を作る。というような感じにしていくのが望ましいと考えます。--EULE 2010年11月21日 (日) 07:48 (UTC)[返信]
さて、少し時間も立ちました。今のところの流れでは、何らかの形で一覧を(カテゴリとは別に)維持すること、ただし著名度など何らかの基準をもうけること、という感じでしょうか。ほかに掲載基準を絞った映画の一覧記事が揃ってくれば英語版のように「一覧の一覧」とするのも良いですが、今の段階ではとりあえずひとつ(または日本の映画作品一覧と合わせて二つ)有意義な一覧記事の形式を確立させるのが必要であるように思います。範囲についてですが、時事通信社やキネ旬などメディアでの扱いのうちどれをこちらの基準とするかは改めてノート:映画作品一覧でやると良いと思います。とりあえず、日本の映画作品一覧を独立させておくか、映画作品一覧に吸収させ、そちらを「重要な映画の一覧」として製作国の区別なく仕切りなおしてみるか、を決めましょうか。つまり、既存の批評媒体での扱いを基準にして日本映画もそれ以外の映画も一緒のリストにすれば、半分くらいは日本映画が含まれることになると思いますが、それは日本映画を過大評価していることになってしまうか、それともそれでもいいか、ということです。--Makotoy 2010年11月28日 (日) 10:41 (UTC)[返信]
つい最近参加し始めて、映画の一覧記事を積極的に加筆している者です。削除の議論があったことを、節細分化提案のために訪れた片方の一覧のノートで、ついさっき知りました。私の意見を言います。なお私は、リストの充実に継続的に注力するつもりです。1.一覧はあった方がいいです。2.採録基準を厳しくすると、既にリストに入っている作品をふるいにかけなければならず、困難をきたします。「日本で劇場一般公開(ロードショー)された作品」または「ウィキペディアに記事のある作品」の、いずれかを満たせばよい、と思います。3.日本の一覧のあ行だけ表みたいになってますが、加筆する側からすると大変なので勘弁して欲しいです。元に戻したいです(戻す場合は、事前にノートページに書きますが)。4.これは一覧のノートページに書きましたが、行ごとだと探しにくいので、行の節の下に先頭文字の小さい節を足した方がいいと思います。5.日本映画は、現状どおり独立させた方がいいです。--ワイルドキャット 2011年1月19日 (水) 10:41 (UTC)[返信]
提案しておきっぱなしで、なかなかこちらに時間が割けずすみません。原則として、作業してくれる方がいればお任せしたいんですが、挙げられているような基準で採録していくと半自動的に作成できるカテゴリページとどう違うのか、ということが問題になると思います。もし、記事名しか載せられないのであればカテゴリでやったほうがいいでしょう。各項目についての情報を充実させてカテゴリとの差別化を図ろうとすればするほど、手間の関係で絞り込む必要が出てくるように思います。--Makotoy 2011年1月20日 (木) 11:26 (UTC)[返信]
ウィキペディアを始めてから日が浅いためカテゴリというのに、どの程度の機能があるかよく分からないのですが、制作年・制作国・作品名を一覧にすることには、おおいに利便性が認められると思います。最悪、カテゴリと差別化を図れなくてもいいと思います。基準を厳しくすると、既に採録された作品を選別する必要があるので、非現実的です。カテゴリで代用できる一覧ページは認められないなんていうルールはないのではありませんか?繰り返しますが、採録基準を厳しくすることには反対です。
逆に、私が提案したように記事未作成でも日本のロードショー作品の掲載を認めることで、記事未作成の作品が分かるようにして、記事作成を促す機能を持たせたらどうですか?カテゴリとの差別化も図れて一石二鳥でしょう。--ワイルドキャット 2011年1月21日 (金) 04:11 (UTC)[返信]
さっき私が言った「記事作成を促す」というのは、実は冒頭で「記事がかかれていないものも掲載できる。赤リンクは執筆を促す効果もある。 」という風に既に指摘されていましたね。現状では、記事作成済みのものしか掲載できませんので、この効果が得られません。よって変更すべき点は「記事未作成でも、日本での一般劇場公開が決まっている、または一般劇場公開された作品は掲載することにする」ことで、その効果を出すということです。--ワイルドキャット 2011年1月21日 (金) 04:55 (UTC)[返信]
もしご存じない場合のために、現状ではCategory:アメリカ合衆国の映画作品Category:日本の映画作品などに、国籍ごとに50音順で自動的にリストページが作成されています。(自動的に、というのは、各記事にカテゴリタグ[[Category:日本の映画作品]]などを付与するだけでリストに追加されるということです。)「赤リンクは執筆を促す効果もある」ということについてはそのとおりだと思うんですが、新規公開されていく映画の記事に関しては現状の立項ペースで十分なように思います。過去の名作の項目についてはまだないものもあるので、赤リンクを人目に着くところに置いていくのは意義があると思うんですが、その目的のためには尚更リストへの掲載基準を絞る必要があります。無差別にすべての映画を列挙していては本当に立項が望ましい項目が埋もれてしまうからです。
今の一覧をより良く出来るというアイデアをお持ちでしたら、とりあえずすこしやってみて実際どんな感じになるのか見てみるというのも良いと思います。具体的にこうする、というのを提案してやってみていただけませんか。よろしくおねがいいたします。--Makotoy 2011年1月22日 (土) 14:22 (UTC)[返信]
私は、基本的には一覧は今のままでいいと思います。よりよくできるアイディアは上に書いたとおり、「ウィキペディアに記事がなくても日本でロードショーされた作品は一覧に加えてよい」ことにして、赤リンクによって未作成映画の記事作成を促すということです。この変更にMakotoyさんは同意して頂けますか?ただ、このような変更をしても、既に大きな一覧ですから、急に大幅な変化が起きるとは思えません。
ウィキペディアは百科事典ですから、映画作品を制作年や制作国とともに一覧にした記事自体、百科事典の一ページとして固有の存在価値があると思います。いろいろな作品を網羅することに意味がありますので、掲載基準を現在より厳しくすることには賛成できません。赤リンクは、付随的な機能であって、記事の主たる役割ではありません。こんな記事、ほかの媒体には、私が知る範囲ではありません。貴重です。私はその貴重な記事を、加筆により充実させていきたいと思います。--ワイルドキャット 2011年1月24日 (月) 02:20 (UTC)[返信]
記事の作成を促すことは、一覧記事のメリットの一つとしては理解できますが、その機能はWikipedia:多数の言語版にあるが日本語版にない記事‎/作品およびPortal:映画/執筆依頼が果たすべきです。また「ウィキペディアに記事がなくても日本でロードショーされた作品は一覧に加えてよい」ですが、これも年度別日本公開映画があるばかりか、基準としてはJPOVに当たり、認められません。
まあ、際限なく載せて膨大になりすぎないための現実的な採録の基準として考えられるのは、ビデオスルーを含め「日本で劇場公開された作品」に「他言語版に記事がある」を加えることでしょうか。しかしいずれにしても、国・年代などを限定しない映画の一覧は、コミュニティがそれを作成・維持するのに見合うだけの有用性があるのか非常に疑問です。もちろん、en:Special:PrefixIndex/List of films:のようなものを作って頂いても決して無駄とは思いませんが、私にはそれを利用するシチュエーションが想像できないのです。--Purposefree 2011年1月24日 (月) 13:14 (UTC)[返信]
こういうことをどう書こうかちょっと迷ったのですが、2種類のことが混同されてきてしまっているように思います。つまり、一覧記事に関して今ある問題を解決するにはどうしたらいいかということと、なにか今までになかった利点をつけたすにはどうしたらいいか、ということとの2種類というです。冒頭の削除依頼の件にもあるように、(件の依頼理由が成立しているかどうかは別にして)現状の映画一覧記事に何らかの問題があると思っている人は少なからずいるようです。そのうち代表的なものをあげればカテゴリと重複していて読み手の混乱のもとである、または書き手の労力の無駄である、ということになるでしょう。それに対して、赤リンクで新規記事の作成を促すということは、現状の一覧記事の問題を解決することではなく、なにか付け足して新しい機能を持たせたい、というほうに属するものです。これら二つのことがちゃんと区別できている限りは、両方の観点をいっぺんに満足できるような案を探せるといいのですが、ごっちゃにしてしまうとそもそもの問題であったことが解消されなくなってしまいます。--Makotoy 2011年1月30日 (日) 11:13 (UTC)[返信]
カテゴリと重複していて読み手の混乱のもとである、または書き手の労力の無駄である」との意見があるようですが、私はそもそもそのようなことは全くないと思います。一覧記事は一覧記事として、作品名・制作国・制作年を一度に表示できるという意義があり、百科事典の貴重な一ページです。そちらか一方が譲るとすれば、譲るべきは補助的機能に過ぎないカテゴリの方でしょう。また、労力の無駄だなどと考える必要もありません。なぜなら、このページを編集して楽しい人だけが編集しているからです。私なんてそうですが、この一覧の編集に注いでいる労力を他に振り向けてくれといわれても、拒否しますよ。この一覧だからこそ楽しくて、ガンガン加筆しているんです。実際私は、他のページにはほとんど手を出していません。映画の一覧は、見て眺めるだけでも楽しいし、多くのことを知ることができます。無駄?冗談じゃない!
ですから、現状を変える積極的必要性はないんです。ただ、よりよくするとすれば掲載要件を緩めて、より幅広い映画を集めてより百科事典らしくすることかなあというだけです。--ワイルドキャット 2011年1月31日 (月) 08:09 (UTC)[返信]
多くのことって何ですか?--EULE 2011年2月1日 (火) 17:18 (UTC)[返信]
私へのお尋ねでしょうか?一覧性ゆえに、多くの作品の制作年、制作国、タイトルなどが手に取るように把握できるということです。これは、私のように「とにかく映画が好き」「とにかくいろいろな映画を知りたい」という人間にとっては、非常に有効です。「映画作品一覧」「日本の映画作品一覧」は、映画の世界への玄関口の役割を立派に果たしているのです。つまり、「フランス映画について知りたい」という目的意識がはっきりしている人にとっては「フランス映画」というカテゴリがあればいいわのかもしれませんが、「さあこれから映画について詳しくなってやるぞ。」と思っている私のような人間には、一覧記事の方がはるかに有効なのです。つまり、目的意識がはっきりしている人にとってはカテゴリが有効でしょうし、目的意識がはっきりしないが映画について詳しくなりたい人にとっては、一覧記事が極めて有効な玄関として機能するのです。まあ、仮にカテゴリと役割が重複したところで、一覧記事よりカテゴリが優先するいわれはそもそもありません。カテゴリよりも一覧記事の方が、よっぽど百科事典(の記事)らしいと思いますよ。カテゴリがあればそれでいいなんていう人は、非常に狭い具体的な目的を持った閲覧者しか想像できないんじゃないでしょうか。時間に追われた生活をしているとそうなってしまうんですかね?カテゴリ見ても私なんか、分かりにくくて興味も持てず、全然楽しくありません(実際、見てみましたよ)。でも映画作品の一覧は見ているだけとっても楽しい(何時間見ていてもいいと思うくらい)し、(そこからリンクをたどることもままあって)たくさんの映画について詳しくなれます。こんな楽しくてためになるページをなくしてしまおうなんていう人がいることの方が信じられません。作成・管理が手間?手間だなんて思わない私みたいな人が、今私がしているように楽しみで加筆していけばいいんです。--ワイルドキャット 2011年2月7日 (月) 06:01 (UTC)[返信]
ワイルドキャットさん、はじめまして。ワイルドキャットさんが映画がお好きで、映画の一覧記事が役立っているということはよく分かります。しかしながら、ウィキペディアはワイルドキャットさんおひとりだけのために存在するわけではありません。単に「見ていて楽しい」とか「自分のような人間にとって有用」という理由だけでは、他の方の共感は得られにくいのではないでしょうか。すでに出ている「まだ執筆されていない項目の作成を促す」のような、もっと具体的な利点を挙げていただくのがよいと思います。また、作成や管理については「手間だなんて思わない人」が担当すればよいとのことですが、そのような方がワイルドキャットさんの他にどれだけいらっしゃるかは分かりませんし、いらっしゃるとしても将来にわたってずっとウィキペディアに参加し続けてくださるとは限りません。そもそも、「管理が手間だなんて思わない人」が必ずしも「的確な管理ができる人」と一致するわけではないように思いますし、さらに言うならば「手間だなんて思わない人」しか管理できないようなページにあまり意味があるとは思えないのですが、これに関してはいかがお考えでしょうか。--Yasu 2011年2月7日 (月) 15:40 (UTC)[返信]
言いたいことはYasu氏に言われてしまったのでその捕捉というか何と言うか。私は最初に「映画年鑑に記載がある物とか、まず掲載の条件・範囲を決める・絞る。」と言っているが、これは共同作業的な側面を補佐するという意味合いも持っている。各々が自分の知っている映画をただ並べるだけでは、いずれ破綻する。どれが既に載っていて、どれが載っていないかなんてわからなくなるから。絶対に。日本公開映画に限っても4万とかあるだろう。こういうとワイルドキャットさんは、載ってないのに気付いたら載せればいいと言うかもしれない。しかし、そんな中途半端な一覧に価値は無いんです。載ってないならそれでいい。しかし、何が載っていて、何が載ってないのかわからないというのは、編集する側から見ても、閲覧する側から見ても、もはや有害でしかない。--EULE 2011年2月8日 (火) 06:08 (UTC)[返信]
私は単に主観的に楽しいから有用だと言っているのではありません。現在の一覧記事の利点は、「一覧性ゆえに、多くの作品の制作年、制作国、タイトルなどが手に取るように把握できる」と、明確に指摘しました。これは、私にとってだけでなく、他の人にとっても役に立つことを意味します(特に、漠然と映画に詳しくなりたい人)。管理管理とおっしゃいますが、一度公開された映画のタイトルや制作年は変わりませんから、実質加筆だけですよ。的確な管理なんていう難しいもんじゃありません。実際、初心者の私がどんどん加筆できているでしょう?
>>さらに言うならば「手間だなんて思わない人」しか管理できないようなページにあまり意味があるとは思えない
意味があるか(役に立つか)は、閲覧者視点で決まる問題であって、管理できるかどうかは別問題です。混同してはいけません。
>>何が載っていて、何が載ってないのかわからないというのは、編集する側から見ても、閲覧する側から見ても、もはや有害でしかない。
編集する側は未完成だからこそ加筆していくのであって、有害でも何でもありませんね。閲覧する側からすれば確かに完成していた方が便利だとは思いますが、現状でも十分に役に立つ一覧記事であることは既に指摘したとおりです。そもそも、これはウィキペディアの記事の多くが未完成であるという現実を、無視した批判だと思います。ウィキペディアはその性質上、「これで完成」っていうのはないと思います。みんなで頑張って完成に近づけていこうねっていうのがウィキペディアであり、各記事についても同様であって、一覧記事だけがその例外となるわけではありません。なすべきは加筆であり、そのために「加筆してくれる方募集」みたいなコーナーもあるわけじゃないですか。--ワイルドキャット 2011年2月14日 (月) 09:18 (UTC)[返信]
話が堂々巡りになるから、一切のオブラートに包まず、はっきり言います。ワイルドキャット氏は一覧記事を作るには映画の知識が無さすぎる。付け加えるならば、何かをまとめるという編集能力についても無いし、ウィキペディアについての知識もない(日本中心にならないようになど)。決して、これは人格攻撃とかではなく、あなたのために言ってます。即刻止めてください。初心者でもできるんじゃないんです。初心者だからやるべきではないんです。残念なことに、この件に限らず、ウィキペディアには、一覧記事や草取りを簡単な仕事と見なして手を出す人が多い。とんでもない。一覧記事や草取りこそ、最低限の知識や常識を要求される難しい仕事です。それを知っているからこそ、適切な物を取捨選択できて、最適な配置ができる。
「閲覧者視点で決まる問題」というのは、全てを否定しませんが、まず、その前提となっている閲覧者の視点というのが、ワイルドキャットさんの主観でしかありません。あなたの言う「漠然と映画に詳しくなりたい人」なるもの、つけくわえれば、その手段として映画一覧を見るものが、社会常識として多くいるなんて思えません。映画好きとしてもっといえば、映画一覧を見て(漠然だろうが何だろうが)映画について知ったつもりになる奴を、同好の士だなんて認めない。楽しみ方は人それぞれが自論ですが、それはさすがに映画を侮辱している。
次に明確に示したという「一覧性ゆえに、多くの作品の制作年、制作国、タイトルなどが手に取るように把握できる」ですが、全然明確ではないです。問題は「手に取るように把握できること」にどんな価値があるのかです。当然、索引的な価値や映画好きとして考えられる有用性というのはあります(それはワイルドキャットさんのいうものじゃないけどね)。しかし、何万というデータがあって、製作年も製作国も公開国も劇場公開かどうかも全部一緒になった一覧では「手に取るように」なんてできません。ましてそんな無分別な物はあっても使いようがないですし、現に、そんな馬鹿なまとめ方をしている映画資料なんてないです。まあ、紙媒体ではないので、ソートキーで制作年・制作国・タイトルを一発ソートできれば、まだ価値はあると思います。しかし、それでも何万というデータは多すぎるでしょう。
私は趣向に好き嫌いあって、映画玄人だなんて恥ずかしくも言えないが、そんな私から、映画初心者で、これから映画に詳しくなりたいとおっしゃるワイルドキャットさんに個人的にアドバイスするなら、映画年鑑や世界映画史研究会発行の書籍を是非読んでください(まあ、私は後者は読んだことないけど)。映画一覧で楽しめるなら、これら資料ならもっと楽しめて、もっと映画について詳しくなれますから。特に、私が基準例として挙げている映画年鑑は良いですよ。その年の映画のデータが余すところなく載ってます。お勧めです。それで何年後くらいですかね、映画に詳しくなったと胸を張れるようになったらまた来てください。その頃にはウィキペディアは消滅しちゃっているかもしれませんが、まあ、その時はその時で。--EULE 2011年2月14日 (月) 16:26 (UTC)[返信]
EULEさんにはもう少し穏当な発言をお願いしたいと思いますが、おっしゃることも確かに分からないではありません。これはウィキペディアの方針とは別の個人的な意見ですが、読者が「漠然と詳しくな」るよりも、体系的な知識が付くようになることのほうが百科事典として大事なのではないかな、という気がします。特に、ウィキという簡単に他項目にリンクできる仕組みを使っているウィキペディアならばなおさらのことです。もちろんワイルドキャットさんが「体系的に知るよりも漠然と詳しくなりたい」のであれば、それはご自分の自由ですが、漠然と詳しくなりたい人以外にも利用者はいるわけですから、そういった方々にも視点を向けていただければ、と思います。
本題に戻りましょう。「一度公開された映画のタイトルや制作年は変わりませんから、実質加筆だけです」とおっしゃいますが、残念ながら、映画作品のタイトルは劇場公開時のものやビデオグラム、あるいは再公開(リバイバル上映)の際のものなどでそれぞれ違っていることがあり、絶対的なものではありません。また、後から同名の作品が作られると、ウィキペディアでは曖昧さ回避のために記事名を変更しなくてはならない場合もあります。加えて、#「製作年」の定義と表記の議論にあるように、どの時点をもって「製作年」とするかは情報源により基準がまちまちで、これまたはっきり定まったものではありません。そこで本プロジェクトではタイトルや年度の扱いについて一定のルールを設けているわけです。ですから、「加筆していくだけだから初心者でも管理できる」ということはなく、これらのルールを理解せずに一覧記事を編集すると、ご自分では単純に映画のタイトルと製作年を並べているだけのつもりでも、無秩序で整理されていない、場合によっては誤りも含まれている一覧になってしまっている可能性も考えられるのです。そうなればもはや、読者にとっても役立つものであるとは言えないでしょう。ワイルドキャットさんのこれまでのお話だけでは、正直なところその点について懸念がぬぐい切れません。こういった問題を解決できるとお考えなのでしたら、さらに詳しいご説明をお願いしたいところです。--Yasu 2011年2月15日 (火) 15:48 (UTC)[返信]
EULUEさんのご発言に、「即刻止めてください」という部分がありましたが、次のうち何を止めろとおっしゃっているのか、お尋ねします。1.映画作品の一覧・日本の映画作品の一覧への加筆2.このプロジェクトでの議論3.1と2の両方。ご回答を拝読しましたら、それに対する対応を検討したいと思います。
私が今している加筆に、問題があるのですか?私はルールに則り、一覧の定義・基準に基づいてその一覧に入るべき個別要素をリストに加えているだけなんですが。ルールに違反した、不当な編集があるということでしたら、具体的にご指摘願います。--ワイルドキャット 2011年2月16日 (水) 05:26 (UTC)[返信]
両方です。特に2ですが、今後のことも考え1もお願いします。ただし、新規に映画作品の記事を作ること、あるいは既存の作品記事に加筆することには反対しませんし、むしろお願いします。
次に氏の行為は確かにただちにルールに違反するものではありません。ですから「止めろ」ではなく「止めて下さい」で、お願いしてます。映画一覧をどう構築するべきかという議論をしている中で、明らかにお粗末な自論を並べるのは、議論妨害でしかありません。例えるなら、高校や大学の授業に小学生が入り込んで、授業を遅延させているのと同じことです。無知であることは罪ではないので、それを理由にコメント依頼やブロック依頼はしません。しかし、無知であることを棚に上げたり、むしろそれを誇って編集をするならば、共同作業が難しい人としてそれらの措置が取られることはあります。
今回の問題については何も高度に専門的な知識が必要なわけではありません(だからワイルドキャットさんは初心者でもできると勘違いした)。逆に言えば、それは様々な経験を積めばごくごく当たり前のこととして学べる、理解できるようになるものということです。Yasu氏はそれを対話によって逐次1から教えようと苦心してますが、私はまずはそれを行なうために必要な最低限の経験値を得て欲しいと思ってます。そうなれば、私を含め、Yasu氏や上記Makotoy氏やPurposefree氏がどういう意図でそれを述べたかも十分に理解できるようになるでしょう。--EULE 2011年2月16日 (水) 06:04 (UTC)[返信]
ワイルドキャットさんへ、出張中であまり時間が取れないので一点だけ。ウィキペディアでは規則の文面に違反していなければ何をしてもいい、というふうにはなっていません Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは規則主義ではありません。この場で今までに出てきた現状への問題提起はすでにじゅうぶん具体的です。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかだけでももう一度読み直していただけないでしょうか。よろしくおねがいいたします。--Makotoy 2011年2月16日 (水) 06:15 (UTC)[返信]
Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかの全文を、今改めて読みました。「規則主義ではありません」の部分も読みましたが、ルールに基づいた編集活動を第三者が制止する根拠は見出せませんでした。これ以上、私のルールに基づいた編集活動自体を制止するご発言を続けられる場合、管理者様に対処をお願いするしかありません。私の編集活動でおかしい部分があれば、編集で直すべきでしょう。しかし実際、ほとんど直されていないわけです。私だって、自分のしている記事編集の大半が不適切となれば、その記事からの撤退を考えますけどね。
一覧記事のあり方についてのルール作成と、現在既にある記事を、現在のルールに基づいて加筆することは別です。ルール作りは皆さんで合意するしかありませんし、ひょっとしたら知識不足で私は不適格かもしれませんが、ルールに基づいた加筆までするなというのには、横暴な印象があり、応じられないなあと感じます。記事の編集はルールに基づく限り原則自由であり、ルールに違犯していたり間違っていた場合には編集で直されるのがウィキペディアなのではないでしょうか?私がこのプロジェクトで議論するには知識不足であるというのであれば、参照すべき文献を一点だけ挙げて下さい。それを速やかに入手し、読了するようにします。そしてそれで勉強しながらプロジェクトの議論に参加します。そういうことでしたら了解できます。知識ないし経験値なき者は知識や経験が十分になるまでプロジェクトの議論に参加するなというのは、ベテランの横暴だと思います。なぜなら、今私が編集しているような個々の記事も、プロジェクトの議論によっては非常に編集しにくいものになってしまう可能性があるからです。--ワイルドキャット 2011年2月17日 (木) 09:56 (UTC)[返信]
(インデントを戻します)現状の一覧記事に手を出さないで欲しい理由は、1.ワイルドキャットさんが一覧記事の編集に慣れていないってことと、2.それが徒労に終わる可能性があるからです。1については、1つ1つ追加するという効率の悪さが挙げられ、今や当該の履歴はワイルドキャットさんでほぼ一色になっていますね。ワイルドキャットさんが何の情報を基に追加するデータを探してくるのかは知りませんが、映画やウィキペディアの知識があればもっと効率よく編集できるようになります(具体的な方法は今は省略します)。2については、今まさに一覧記事をどう作っていくかという議論をしているわけです。この議論如何によって記事が大きく変化する可能性があります。だから、今は編集しない方が良いんです。例えばマクガイア氏がテスト的な機能を追加してますが、こういうのは歓迎です(あくまでテストなのでこの機能の範囲を広げる編集は大歓迎と言っているわけではないです)。ウィキペディアでの慣習上、何らかの議論が行われている中で(しかもそれを知っていて、さらに議論に参加までしようとするなら特に)、本文を編集するのは控えるべです。まあ、ウィキペディアの慣習というかごくごく常識的な、当たり前の礼儀ですけどね。
で。今までの自分の編集が全て無駄になる可能性があるけど、とりあえず現状のルールに則って編集がどうしてもしたいって言うなら止めません。「今後のことも考え1」と言ったのはそういう意味です。だから「あなた達に私を止める権利はない!」って言って編集をするのはご自由に。しかし、この議論の結果、例えば1から作ろうという話になった時(あるいはふるいにかけた結果、ほとんど原型が残らなくなる時)、「私の今までの仕事を踏みにじるようなことには反対だ、横暴だ」とは言わないでください。そんなことは知ったこっちゃないです。大事なことなのでもう1度言います。ワイルドキャットさんの現状の編集は、今回の議論の如何に何の影響も及ぼしません。
そして本題は、この議論自体にワイルドキャットさんは参加するべきではないってことです(自分の成果がふいにされるかもしれない議論に参加するなとは「ふざけんな」と思うかも知れませんが、そう言わざるを得ないです)。その理由は既に散々述べたので割愛したいと思います。「ベテランの横暴だ」「今私が編集しているような個々の記事も、プロジェクトの議論によっては非常に編集しにくいものになってしまう可能性がある」という意見を見るにつけ、非常に残念に思います。これでは何かの資料を読了しても無意味でしょう。「誰でも自由に編集できる」というのは、「個々のユーザーが野放図に編集できる」という意味ではないことをご理解ください。--EULE 2011年2月17日 (木) 13:59 (UTC)[返信]
>>この議論自体にワイルドキャットさんは参加するべきではないってことです
初心者だからといって一方的に議論から排除されるいわれはありませんね。議論だけしているならまだしも、実際に当該一覧記事の編集に携わっている私が、当該一覧記事に深く関係する議論から排除されてよいはずがありません。ましてや、知識が不十分であるということであれば、ご指定の資料を入手して読みますよとまで申し上げていますのに。
>>現状の一覧記事に手を出さないで欲しい理由は、1.ワイルドキャットさんが一覧記事の編集に慣れていないってことと、2.それが徒労に終わる可能性があるからです。
慣れていないからといって手を出さなかったら、永久に慣れていないままですよ!経験を重ねていく中で、慣れていくのではありませんか?私から、一覧記事に慣れる機会を永久に奪われるおつもりですか?徒労に終るの方は、議論の結果当該ページが廃止になる可能性のあることは、当方としても承知の上ですからご心配なく。もっとも、当該一覧記事の廃止には、私は反対ですけどね。
>>ウィキペディアでの慣習上、何らかの議論が行われている中で(しかもそれを知っていて、さらに議論に参加までしようとするなら特に)、本文を編集するのは控えるべです。
そんな慣習が本当にあるのでしょうか?編集合戦は原則禁止されているので、議論が起きている場合の編集合戦(差し戻し等)は禁止なのかもしれませんけど。例えば、削除依頼が出されて審議中に、削除依頼の理由をなくすべく加筆される方がいらっしゃるようですが、あれも不適切な編集なのでしょうか?現在有効な掲載基準あるわけですから、その掲載基準に基づいて編集することまで禁止されるいわれはないのではないでしょうか。
>>「私の今までの仕事を踏みにじるようなことには反対だ、横暴だ」とは言わないでください。そんなことは知ったこっちゃないです。
そのような個人的なことを申し上げるつもりはありません。ただ、映画全体の作品一覧を作るのに、既に存在し相当な大きさになっている「映画作品一覧」及び「日本の映画作品一覧」をなくしてしまうということになりますと、議論開始に至るまでこれまで編集してきた多くの諸先輩方の労苦を水泡に帰することになりますから、よほどの必要性がない限りは反対ですね。
>>「誰でも自由に編集できる」というのは、「個々のユーザーが野放図に編集できる」という意味ではないことをご理解ください。
当該発言には同意できますが、当方の現在行っている編集が「野放図」な編集だとは認識しておりません。現在有効なルールに則った、適正な編集であると考えております。もちろん、私は初心者で、全てのルールに精通しているわけではありません。「日本中心にならないように」のように、当方が認識していないと思われる方針文書等がございましたらご指摘下さい。
EULEさんのおっしゃることには納得できない点が多く、現状では少なくとも単純に従うことはできませんが、コミュニティの皆様方のご意向は尊重して行動するつもりですので念のため申し添えさせて頂きます。個人的には、下のEULEさんの提案は、なかなか野心的で面白いと思いますよ。--ワイルドキャット 2011年2月21日 (月) 09:58 (UTC)[返信]
一点だけ補足します。関連する議論中は原則として編集しないという慣習があるとしても、映画の一覧記事に関しては編集した方がよいと思います。なぜなら、リストに加えるべき映画は、議論中も続々と新たに世に送り出されていく訳で、リストへの掲載作業を中断してしまうと、やるべき加筆作業がどんどん積みあがってしまうからです。ましてや、EULEさん御提案のような大変革を断行するのであれば、議論に相当な時間をかけるべきでしょうし。
個人的な感情を根拠に議論するつもりはありません。閲覧者が見て楽しむことができ、多くの人が映画に興味を持つきっかけになるよき玄関口となる一覧記事にできたらよいなあと思っています。映画作品一覧・日本の映画作品一覧は、EULEさんのものでも、私のものでも、ベテランのものでも、初心者のものでもありません。たくさんのウィキペディア編集者・閲覧者みんなのものです。万機公論に決すべきで、初心者・知識不十分な者を議論から排除してしまおうという姿勢は、賛成致しかねます。--ワイルドキャット 2011年2月21日 (月) 10:51 (UTC)[返信]
そうですか。そこまでやる気があるのであれば、上記でも述べたように時事映画通信社の「映画年鑑」か「ぴあシネマクラブ」を読んで下さい(まあ、それに類するものなら何でも良いです)。何年版でも構いません。その上で、載っている映画作品を一覧記事に追加してください。また、1つ1つ加筆するのではなく、なるべくまとめて、投稿回数を減らす努力をしながらやってみてください。
そうすれば、現在の一覧記事が非常に不完全なことや、有用性を考えた時に欠けている部分がわかるかもしれないし、何より、その作業で得られた成果は私は否定いたしません。その作業中は、現状の作品一覧記事に関する提案は一切しません。まあ、既に述べているように作品一覧より先に分野の一覧をまとめるのが良いと思ってるので、そっちをやってます。--EULE 2011年2月21日 (月) 11:44 (UTC)[返信]
ご指摘の資料2点の名前を認識して控えました。入手できた、または入手できなかった時には、こちらで報告します。
もっとも、「載っている映画作品を一覧記事に追加してください」とありますが、全部ではなくて一部ということでよろしいですね?そもそも、記事を書くのは義務ではありえません。記事はみんなで執筆していくべきもので、一人で作るものではありません。また、私はEULEさんの部下ではありませんので、EULEさんに、やる作業を指示されるいわれはございません。
「投稿回数を減らす努力」は、マシンの性能(複数のウィンドウの同時処理能力)やネット接続の安定性などとも関係しますから、お約束は致しかねます。現在1つ1つ追加しているのは、「映画単独の記事になっていること」を私が手作業で各作品の記事で確認して、映画単独の記事になっている映画のみリストに追加しているからです。つまり、正確さを重視しているのです。正確さを犠牲にすればまとめての大量投稿も不可能ではないのかもしれませんが…。
あと、「作業中は、現状の作品一覧記事に関する提案は一切しません」というのも、望ましいとは思いません。議論は議論でしつつ、映画が続々発表されてくる現実に鑑み、現在ある一覧は、加筆したい人が現在のルールに基づいて加筆する、ということでよいと思います。--ワイルドキャット 2011年2月24日 (木) 02:49 (UTC)[返信]
大事なことを忘れていました。EULEさんは特定少数の文献を挙げて、これに載っているものを加筆してみろ!という趣旨のことをおっしゃったわけですが、これに載っている作品全てが、現在のリストアップ基準を満たすわけではありません。ですから、私が加筆するのは、現在のリストアップ基準を満たすものに限らせて頂きます。
最後に、勉強になる資料をご紹介頂き、ありがとうございました。--ワイルドキャット 2011年2月24日 (木) 03:41 (UTC)[返信]
何をおっしゃる。当然、全部ですよ。赤リンクとか気にせずやってください。現状の掲載基準から外れると言うなら、定義文から「ウィキペディアに記事がある」を除去すれば良い。ワイルドキャットさん自身も言ったように、赤リンクこそ一覧記事のメリットなのに、それを否定している条件なんて無駄だから外せば良い。それこそカテゴリで十分ですからね。変更するための正規の手順が踏みたいというならノートページで提案して1週間後に実行すればいい。おそらく通るし、反対者が現れたら、あなたがここで言ったことをそのまま言えば良い。何なら、私が援用しても良い。ここにおいて赤リンクのメリットなどに反対している人はいないので、どのみち、今回の議論の結果「ウィキペディアに記事がある」という条件は撤廃されるでしょうから、それを先にするだけの話です。気兼ねなくやってください。
確かに記事の作成は義務ではないし、こんなこと他人に、まして初心者と名乗る人に普通はやらせません。でも、ワイルドキャットさんが言っていることを実行するだけなんですから、別に問題は無いでしょ。--EULE 2011年2月24日 (木) 07:07 (UTC)[返信]
1つだけ。「ぴあシネマクラブ」は年鑑じゃなかったので、止めてください(これで全部は確かにきつい)。やっぱ「映画年鑑」でお願いします。要はある単年度の作品の追加という意味です。--EULE 2011年2月24日 (木) 07:54 (UTC)[返信]
今私の手元には、時事通信社の「映画年鑑」(2011年版)があります。なるほど勉強にはなりますね。もっとも、データが多くて文章らしい文章が少ないんですが。
「映画年鑑」1年分全体のリスト掲載を私一人でやって欲しいという要請は、お断りします。私は、ネットの中を中心に生きている人間ではありませんので。私が、いつ「私が全部加筆します」なんて言いましたか?言ってません。私のように、リスト加筆が好きな人間が加筆していけばいい、と言っただけです。
もっとも、「映画年鑑」を見るに、確かにこの時事通信社の「映画年鑑」を基準の柱にするのは合理的だと感じました。そこで私は作品リスト(映画作品一覧・日本の映画作品一覧)の掲載基準を「時事通信社の映画年鑑に掲載された作品またはウィキペディアに独立記事が立てられた作品」とすることを提案します。なんで年鑑だけでないかというと、年鑑に掲載されるには時間がかかるうえに、年鑑には掲載されていなくても特筆性があって独立記事が作成されている映画を作品リストに載せられないのは不合理だと思うからです(基準は独立記事作成のほうが厳しいべき)。皆さんの賛否をお聞かせ下さい。--ワイルドキャット 2011年2月28日 (月) 07:47 (UTC)[返信]
(インデント戻す)年鑑を挙げた理由の半分は理解してくれたようなので、もう半分を理解してもらいましょう。
共同作業というのは、各々個人が好き勝手やることじゃないんです。例えば、何らかの条件・範囲を定めて(あるいは定めないで)、それに該当するものが1000あったとしましょう。それを、個人が各々勝手にやったら、950前後までには順調な更新はまず止まるでしょう。990まで行けば、もうほとんど停止で、最後の1つはいつ埋まるか怪しい。そもそも、これは1000という答えがわかってるからまだマシで実際は、正確な総数(正解)はわからない。ということは、どんなに成長したとしても、それがその時点で、どの程度の品質かもわからないってことです。仮に1万作品埋めたとしても、正解が5万だったら、相当、質の悪い一覧なんですよ。言っている意味がわかりますかね?
ここで私が何故年鑑を勧めたか。それは、そうすれば「90年代は私がやりますから、80年代はお願いします」ということが可能になる。さらに「60年代はまだなら俺がやる」「忙しいから10年単位は無理ですが76年度だけやります」ということも可能になる。ちなみに1年分を1人が1年かけたっていいですよ。そうすれば、砂漠で、米粒を探すような馬鹿げたことになるリスクを最小にできる。これを共同作業って言うんですよ。
ワイルドキャットさんは、2009年の下半期と2010年の上半期の資料が手に入ったわけですが、これを全て埋めれば、後続の人は2009年の下半期と2010年の上半期を調べる必要が限りなく小さくなります。まさに先人の努力の結晶ですよ。ですが、ここでワイルドキャットさんが、自分の目に付いた物を適当に選んで埋めれば、結局、後に誰かが調べる、あるいは漏らしが無いか精査するため、2009年の下半期と2010年の上半期を調べることになります。ならば、0からやるのと同じことで、ワイルドキャットさんのやったことは良くも悪くも無意味ということです。というか、現状の記事の内容は、ワイルドキャットさんがいくら先人の努力を主張しようが、無意味な物だという意味でもあります。
最初の方で言ったように一覧記事ってのは難しいんですよ。特に規模が大きくなればなるほど、それをどうまとめるべきか、そして、どう勧めていくべきかという観点も必要になるし。初心者は簡単なものだって思うのが常だけれども。まあ、それは、指針や条件を決めることへのウエイトや意味合いであって、それさえ決めておけば、資料と条件の照らし合わせだけでできることだから、裏を返せば初心者でもできるってことなんだけど。だけれども、年鑑の1年分すら、音を上げるなら、やっぱり一覧記事を作るには向いてないと言わざるを得ないです。--EULE 2011年2月28日 (月) 14:38 (UTC)[返信]
EULEさんは、共同作業という言葉を独り歩きさせて、共同作用という言葉から演繹できないことまで当然の帰結のように主張されていますね。確かにウィキペディアは共同作業ですし、EULEさんのおっしゃるように分担を決めて作業させた(作業の義務を課す)方が記事はより早く完成に近づくでしょう。しかし、この考え方はウィキペディアの根本精神に反するものです
なるほど会社の仕事は管理職ないしは中間管理職が個々の従業員に具体的な分担を決めて、仕事させることが多いでしょう。賃金ををもらって行う仕事でなくとも、例えば町内会の清掃作業では、話し合って分担を決め、個々の家庭に作業の義務を課すかもしれません。この2つの共通点は何でしょうか?1つは仕事を(それもできる限り期日までに)成し遂げなければならにという必要性、もう1つは作業する人間が特定されているということです。
これに対して、ウィキペディアはどうでしょうか?
仕事を成し遂げなければならないか?違いますね。記事が作成されたからといって、必ずそれが立派に完成されなければいけないということでは全くありません。ずっとスタブのままの記事も多数ありますが、それで仕方ないというのがウィキペディアですよ。以前から少し感じていましたが、EULEさんには「一覧は、一度作成した以上完成させなければならない」という強迫観念に囚われているようです。この強迫観念はウィキペディアの根本精神に反します
さらに、ウィキペディアでは作業する人が不特定多数で、参加も離脱も自由です。これも、会社の仕事や町内会の清掃と大きく異なる点です。不特定多数の人が作業するのに、ごく少数の特定の人にだけ分担を決めて義務を課しても公平を欠きます。
結局ウィキペディアでは、「記事は(ルールの範囲内で)編集したい人が編集する。編集するもしないも各参加者の自由で、編集は義務として行うものではない。いつでも誰でも新たに参加でできるし、いつでもやめてよい。」のです。分担を決めて効率的に進めようというEULEさんのお考えは、このようなウィキペディアの根本精神に反します。考えを改めて下さるようお願いします。
私としても、「映画の一覧記事に加筆する場合は、なるだけ2011年版映画年鑑に掲載されている作品を優先して欲しい」というお願いであれば「では当座の間、そうしましょう」と快諾します。実際にも、私がリストに追加した作品のほとんどは、当該年鑑に掲載されている作品です。しかし「2011年版映画年鑑に載っている全ての作品をあなたの責任でリストに掲載して欲しい」という要求・お願いは、きっぱりとお断りします。音を上げる上げない、能力的に可能不可能の問題ではなく、お願いそのものがウィキペディアの根本精神と相容れないからです。--ワイルドキャット 2011年3月2日 (水) 02:44 (UTC)一部追補--ワイルドキャット 2011年3月2日 (水) 02:56 (UTC)[返信]
論点がわかってないですね。問題は、ワイルドキャットさんの言う方法では中途半端な物にしかならないってことです。各々個人が好き勝手にやったのならば。それを回避する手段として、他にも方法があるなら、それを提示すれば良いし、それが簡単な物ならそれで終わりだ。しかし、ワイルドキャットさんは、「編集するのが好きな人もいる」という理由で、中途半端にしかならないことを正当化しようとする。
今回の、このローラー作戦のような物は「どう進めていくべきか」という点を考えた上での私の提案に過ぎません。ワイルドキャットさんはウィキペディアに反するとおっしゃりますが、合意形成されればそれはウィキペディアのルールと相反するような物ではないと考えてます(ってか、それこそ「プロジェクト:映画作品一覧」を立ち上げてもいいくらいだ)。それは、他方、合意形成されない可能性も含めている。私としては先の削除依頼で、存続を表明した人には、5年分くらいのノルマを課したいとも思ってるが、合意形成に至らない場合でもそれで仕方が無いとも思ってる。何せ大変なことになるからね。
さて、その場合にどうするか。それは私は一覧記事の作成はウィキペディアには無理と判断して削除依頼に出す。実際、小説一覧は実現不可能と見て削除依頼に出し、通した。それこそ、あなたが言うように、ウィキペディア的に個人が好き勝手やるのが是というなら、それはウィキペディアでは一覧記事を作るのに向いてないという話であるということです。--EULE 2011年3月2日 (水) 17:07 (UTC)[返信]
中途半端な記事になるくらいなら作らない方がいい、というEULEさんのお考えはWikipedia:編集方針の「1 完璧でなくてもよいのです。編集を楽しんでください。」と相容れません。ノルマなんていう形で義務化されちゃあ、本来楽しい編集作業も楽しくなくなってしまいます。--ワイルドキャット 2011年3月7日 (月) 10:36 (UTC)[返信]

事前提案なしに改名された記事の扱いについて

先日、映画作品記事を含む数十ほどの項目が同じユーザの方によりまとめて改名されました。しかしながら、これらの改名はいずれも事前の提案を経ておらず、また中には「改名する必要はなかった」または「改名すべきでなかった」と思われるものも含まれているため、改名を行なった方の会話ページで改名の理由を問い合わせたのですが、今のところお返事がいただけておりません。

そこで、改名された記事のうち、映画作品および関連の記事それぞれについて、改名が妥当であったかどうかご意見を伺いたいと思います。以下は対象記事の一覧です。

  1. ホートン ふしぎな世界のダレダーレホートン/ふしぎな世界のダレダーレ
  2. バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲バットマン & ロビン Mr.フリーズの逆襲
  3. バットマン:ブレイブ&ボールドバットマン: ブレイブ & ボールド
  4. ナルニア国物語/第3章:アスラン王と魔法の島ナルニア国物語/第3章: アスラン王と魔法の島
  5. ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛ナルニア国物語/第2章: カスピアン王子の角笛
  6. ナルニア国物語/第1章:ライオンと魔女ナルニア国物語/第1章: ライオンと魔女
  7. X-MEN:ファイナル ディシジョンX-MEN: ファイナル ディシジョン
  8. トロン:レガシートロン: レガシー
  9. バッドボーイズ2バッドバッドボーイズ 2バッド
  10. バットマン・フォーエヴァーバットマン フォーエヴァー
  11. バットマン・リターンズバットマン リターンズ
  12. バットマン:ダークナイト・ストライクス・アゲインバットマン: ダークナイト・ストライクス・アゲイン
  13. バットマン:ダークナイト・リターンズバットマン: ダークナイト・リターンズ
  14. バットマン・イヤーワンバットマン: イヤーワン
  15. マトリックス・レボリューションズマトリックス レボリューションズ
  16. マトリックス・リローデッドマトリックス リローデッド
  17. ハイスクール・ミュージカル ザ・ムービーハイスクール・ミュージカル/ザ・ムービー
  18. ゴッドファーザーPARTIIIゴッドファーザー PART III
  19. ゴッドファーザーPARTIIゴッドファーザー PART II
  20. ウィッチマウンテン 地図から消された山ウィッチマウンテン/地図から消された山
  21. アイズ・ワイド・シャットアイズ ワイド シャット
  22. WALL・E/ウォーリーウォーリー (映画)
  23. 6デイズ・7ナイツ6デイズ/7ナイツ
  24. 藍宇藍宇 〜情熱の嵐〜
  25. 作戦 THE SCAM作戦 The Scam
  26. ワイルドスピードX3 TOKYO DRIFTワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT
  27. ワイルドスピードX2ワイルド・スピードX2
  28. ワイルドスピードワイルド・スピード
  29. スコット・ピルグリムVS.邪悪な元カレ軍団スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団
  30. ファンタスティック・Mr.FOXファンタスティック Mr.FOX

量がたいへん多く、一つ一つ検証していくのは手間であるとは思いますが、ご協力のほどよろしくお願いします。--Yasu 2011年2月13日 (日) 17:10 (UTC)[返信]

(手続き的なことなのでこちらに割り込ませていただきます)この場で結論が改名するべきページがあるという結論が出た場合、移動が可能なものについては漸次移動していただいていいと思います。管理者権限が必要な項目についてはこちらで対処できます。もちろん依頼を出していただいてもOKです。--Makotoy 2011年2月16日 (水) 06:22 (UTC)[返信]

まず私の所見を述べておきます。
チェック 改名は適切/改名に反対しない:10, 11, 15, 16, 17, 18, 19, 20, 21, 23, 24, 26, 27, 28, 30
×改名は不適切/改名の必要なし:1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9, 12, 13, 14, 22, 25, 29
判断は主に各作品公開当時の公式サイトまたはそのウェブアーカイブ、あるいはビデオグラム発売元のサイト上における邦題表記をもとにしています。主なポイントとしては、まず『ナルニア国物語』シリーズや『X-MEN』・『トロン:レガシー』、『バットマン&ロビン』・『バットマン:ブレイブ&ボールド』など「:」「&」を含むタイトルの場合に、改名によってこれらの記号の直後または前後にスペースが挿入されているのですが、各サイト上の表記を見てもスペースは含まれていない[8][9][10][11][12]ため、スペース入り表記は不正確であると思われます。二点目、『WALL・E/ウォーリー』は、もともと劇場公開時のタイトル[13]が記事名になっていたものをビデオグラムの題に改名する形になっていますが、これは映画作品記事名のガイドラインに照らして不適切です。そして三点目、『ホートン』や『バッドボーイズ2バッド』『作戦 THE SCAM』は改名前のタイトル表記が公式サイト上で用いられており[14][15][16]、またそもそも公式サイトがいまだ存在しない『スコット・ピルグリム』は正式な邦題表記が定まっていないと思われるため、いずれもあえて改名の必要はなく、むしろリンク元記事の修正などの手間を考えるとそのまま差し戻すほうがよいかもしれません。一方、正確な表記に修正されていると思われるもの、劇場公開時の邦題からビデオグラム題に改名された可能性があるが劇場公開題が確認できないものについては、特に反対するものではありません。--Yasu 2011年2月13日 (日) 17:10 (UTC)[返信]
お返事が遅くなり大変申し訳ありません。移動を行った者です。
どれも所謂uncontroversialなもの (元々の記事名に問題のあるもの) として提案なしの移動を行いましたが、中には合意や説明が必要なものもあり、ご迷惑をおかけしました。とくにウォーリー (映画)ですが、同映画は公開前までは『WALL・E/ウォーリー』表記が使われていましたが、公開間近になって様々な媒体から「WALL・E/」の部分が消えました。幸い、インターネット・アーカイブに公開中のページが残っていました[17]
記号の前後のスペースについては、Wikipedia:記事名の付け方に則って半角を使用する以上、引用符・括弧やアンパサンドの前後、疑問符・感嘆符やコロン・セミコロンの後にはスペースを入れなければなりません。これは記号の成り立ちを考えれば自明のことで、たとえばコロン・セミコロンの後にスペースを入れないというのは、カンマ・ピリオドの後にスペースを入れないようなものです。全角記号はあくまで本来日本語にないこれらの記号を日本語タイポグラフィの1文字に当てはめたものですから、機械的に半角に置き換えてしまっては意味を成しません。
ホートン/ふしぎな世界のダレダーレおよび作戦 The Scamは公式サイトではなく配給会社の表記に則ったものです[18][19]。前者はフォックスがディズニーと並んで副題との区切りに一貫してスラッシュを用いていることも、正式な邦題が何であるかの判断の手助けになるかと思います。後者は映画サイトのニュースページを見ると、ページタイトルでは『作戦-THE SCAM-』としているにもかかわらず、ニュース記事内では一貫して『作戦 The Scam』と表記されています。思うにこれは映画の公式サイトが基本的に外注であるためでしょう。そのためページタイトル等が正式な邦題と異なっていることがあり、過去にも混乱を来たした例がありました (ノート:ナルニア国物語/第1章: ライオンと魔女)。スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団は、公式サイトがなくてもプレスリリースは公式に出されるわけですから、邦題に移動するなら少なくともそれに従うべきでしょう。
最後にバッドボーイズ 2バッドについてはビデオグラムの題に従いましたが、劇場公開時のソニーのページを見ても『バッドボーイズ2バッド』となっているため、これについては差し戻していただいてもかまいません[20]。--Purposefree 2011年2月19日 (土) 03:52 (UTC)[返信]
Purposefreeさん、お返事ありがとうございました。これを受けて、改めて意見を述べさせていただきたいと思います。
まず「半角記号の前後にスペースを入れなくてはならない」というのは、本文中では確かにそのようにすべきであるとWikipedia:表記ガイドで決められていますが、記事名については特に規定がないはずです。Wikipedia:記事名の付け方でも、半角スペースを入れるべきケースとして言及されているのは曖昧さ回避の括弧を付する場合しかありません。少なくとも固有名詞である作品名の場合、ルールにない以上は正式表記を逸脱するべきではないと思いますがいかがでしょうか。
その他の件については、結局「どの資料の表記をもって正式な邦題とみなすか」という点に尽きると思いますが、公式サイトの表記と配給会社の表記が違っているとしても、現状ではどちらを優先すべきであるという決まりはないわけですよね。公式サイトは外注であるというご指摘がありましたが、配給会社のサイトも外注でないという保証はないわけで、「どちらも正式である」とするよりほかないのではないかと。これをきっかけに何らかの基準を決めようという動きになれば話は別ですが、そうでなければ「公式サイトや配給会社サイトなど、オフィシャルな資料が採用している表記であればどれを記事名にしてもよい」ということにするのが一番無難なやり方ではないでしょうか。そういった記事名であれば別の理由がないかぎり改名不要という申し合わせをしておけば今回のようなことも避けられるはずですし、採用しなかった表記はリダイレクトとして作成すれば大きな問題はないと思います。--Yasu 2011年2月19日 (土) 16:44 (UTC)[返信]
申し訳ありませんが、Yasuさんのご説明では記号の前後にスペースを入れないのがなぜ「正式表記を逸脱する」ことになるのかよく分かりませんでした。ルール上のことでいえばWikipedia:記事名の付け方#全角と半角の使い分けに「表記ガイドにある指針に従います」とありますし、固有名詞であれば記号の意味を失ってもスペースを付加するべきでないとする理由も判然としません。繰り返しになりますが、全角の「」「」に相当するのが「: 」「 & 」です。スペースを入れないでよいとされるのは、単語が記号を含むよう意図されている場合、すなわち時刻や省略形ぐらいでしょう。
それから何をもって正式とみなすのかという話ですが、記事名を一つに決めなければならない以上「どれでもよい」ということにはできないはずです。したがって正式な名称が曖昧な場合でも、よりそれに相応しいと思われるものがあれば、移動を妨げる必要はないと思います。
もちろん、そのような場合に合意は欠かせません。今回の移動はすべて適切と信じて行ったものですが、それでも後から1件だけそうでないものがあったことに気付きました。したがって今後移動はなるべく慎重に行いたいと思います。--Purposefree 2011年2月20日 (日) 05:55 (UTC)[返信]
作品名の中にコロンやアンパサンドなどの記号が使われている場合は、単なる約物というより正式名称の一部と見なし、表記ガイドの例外として扱うべきではないでしょうか。Wikipedia:記事名の付け方#使い方に注意すべき記号でも、コロンを「名称の一部として含む記事」としてマジック:ザ・ギャザリングの例が挙げられています。もしこの場合も表記ガイドに従うべきなのであれば、スペース入りの「マジック: ザ・ギャザリング」という記事名にしなくてはなりません。Purposefreeさんご自身も「単語が記号を含むよう意図されている場合」ならスペース不要としておいでですし、広い意味ではそれに該当すると考えることもできます。
後段の「何をもって正式名称とするか」については、こちらも繰り返しになりますが、たとえば「公式サイトの表記と配給会社の表記のどちらを優先するか」など、何をもって「より相応しい」かを客観的に判断する基準は今のところ存在しないわけです。また、その基準を明確に定めることもおそらくは困難でしょう。従って、ある作品について複数のタイトル表記があり、そのいずれもが公式なものと認められるならば「そのうちのどれを記事名にしてもよい」とするのがもっとも現状に即していると思いますし、採用しない他の公的表記はリダイレクトとして作成することにし、「公的表記のいずれかに従った記事名なら、別の理由がない限り他の公的表記への改名は不要」という申し合わせをすれば、今回のような混乱もある程度避けられると考えました。もちろん、本PJの総意として「そんな曖昧なやり方は問題だから、ちゃんとした基準を作ろう」ということになれば、それはそれで反対はしませんので、他の方からも広くご意見をいただきたいと思います。--Yasu 2011年2月20日 (日) 14:58 (UTC)[返信]

2つの話題が並行している状態ですので、以下の2つの段落は個別につなげていってください。

「単なる約物というより正式名称の一部と見なし」みなすもなにも約物はもともと正式名称の一部です。「スペース入りの『マジック: ザ・ギャザリング』という記事名にしなくてはなりません」その通りです。現在の記事名は誤りです。「広い意味ではそれに該当する」しません。Magic: The Gatheringですから。Magic:The Gatheringなら話は別ですが。スペースが不要なのは3:10とかM:i:IIIとかM&Aのような場合です。固有名詞だろうが何だろうが、ほとんどの場合「正式表記を逸脱」しているのはスペースなしの場合です。このことがガイドラインに明記されていないのは、それがあまりにも自明すぎるからでしょう。正直私にはそれを疑問に思う人がいるのが不思議です。想像するに、名前空間の後に使われるコロン (英語版も同じ仕様) に倣って通常の記事名に使われるコロンまでスペースを除いてしまったり、「半角を使う」ことを単に「日本語では全角が使われている部分を機械的に半角に置換する」ことと勘違いしたりしてしまった人がいて先例が生まれ、さらにそれに従うことが繰り返された結果、現在の不適切な記事名が散見される状況が生まれてしまったのでしょう。--Purposefree 2011年2月25日 (金) 14:43 (UTC)[返信]
「約物はもともと正式名称の一部」という点について意見が一致していることは喜ばしいのですが、Purposefreeさんがおっしゃりたいのは「全角コロンを半角にして使うなら、単純に半角に変換するだけでなくその後ろにスペースを補うべきであり、それは固有名詞の場合でも同じである」ということですよね。確かに本文中においてならその通りだと思うのですが、作品名など固有名詞の場合にもその原則を適用すべきとは感じられないのです。ですから、今一歩踏み込んで申し上げると「正式名称において全角コロンの後にスペースがない表記になっているなら、記事名でもコロンを半角に変換するのみに止めるべきで、もともと存在しないスペースを入れるのは不適切」というのが私の考えです。スペースなしは誤りであって、それが「あまりにも自明なのでガイドラインに明記されていない」とのことですが、自明であるならスペースなし表記の記事名で作成される項目がこれだけ多いことの説明がつかないでしょう。もしかすると確かに「機械的に半角に置換」した結果なのかもしれませんが、この状況を見れば、少なくともコロンの後にスペースを入れた記事名が一般的とはいえないと思います。また「マジック:ザ・ギャザリング」の記事名がもし誤りであるなら、そもそもガイドラインに例示されてはいないでしょう(ちなみに、邦題は原題とまったく無関係に付けられることもある以上、原題にスペースが入っていようがいまいが、邦題の表記とは直接的には関係のないことだと思います)。従って私としては最初に記したように解釈すべきと考えていますが、それでもやはり同意していただけないのであれば、表記ガイドなり記事名の付け方なりのノートで確認してみるつもりです。--Yasu 2011年2月26日 (土) 14:58 (UTC)[返信]
はい、そちらで確認してください。そうしなければ埒が明きません…。--Purposefree 2011年2月26日 (土) 16:59 (UTC)[返信]
Wikipedia‐ノート:記事名の付け方#表記ガイドのルールは記事名にも適用されるかにて意見を伺っていますので、お知らせします。--Yasu 2011年3月4日 (金) 16:04 (UTC)[返信]
「客観的に判断する基準は今のところ存在しない」からウィキペディアは意思決定の方法に合意形成を採用しているのです。記事名にあてはめる言葉が複数考えられるのならば、どれがそれにもっとも相応しいかをノートで決めればいい。それがウィキペディアのやり方です。そしてそれはWikipedia:ページの改名ですべてカバーされていますから、新たな基準の作成や「申し合わせ」は必要ありません。だから反省しているんです。--Purposefree 2011年2月25日 (金) 14:43 (UTC)--Purposefree 2011年2月25日 (金) 20:39 (UTC)[返信]
繰り返しになりますが、「記事名にあてはめる言葉」が複数あって、そのどれもが公式な表記と認められるならば、「どれが(記事名に)もっとも相応しいか」を決めることはできないわけです。たとえば、現行の記事名が公式サイトの表記に従ったものであるとして、「配給会社サイトでは別の表記になっているので改名を提案します」といっても、それだけでは改名の理由にはならないでしょう。そんな内容の提案をしても無意味だから、他の理由がない限り改名は控えよう、というのが「申し合わせ」の意図です。まあ、確かにあえて明記するほどのことでもないかもしれませんが、映画作品名の場合、固有名詞であるにもかかわらず複数の表記が存在するために今回のような混乱が生じていると思いますので、注意喚起の意味で「公式表記は1つだけとは限らない」「あなたが正しいと考える記事名と現行の記事名が違っていても、現行記事名が(公式表記のひとつに基づいているなら)必ずしも不適切というわけではない」ことを記しておくことは、無用の議論を避けるのに有効かなと考えました。もちろん、他の理由があって改名すべきという場合まで規制しようというわけではありませんので、為念。--Yasu 2011年2月26日 (土) 14:58 (UTC)[返信]
「より」相応しい記事名がある「かもしれない」のを検証することは「無意味」「無用」ではありません。個々の記事名は個々のノートで決めればいいことです。そもそも「どれでもいい」というのはウィキペディアの考え方を根本的に軽視しています。第一そんなことをガイドラインに記したところで抑止効果があるとは思えません。無論多数の方々がそれでよいというのなら反対はしませんが。--Purposefree 2011年2月26日 (土) 16:59 (UTC)[返信]
「どれでもいい」場合には内容の変更を伴わない表記変更を行わないことにする、というのは無用な履歴の蓄積や編集合戦を避ける無難な方法です。そのような方法論を具体的に文書化したものとして、プロジェクト:数学/函数と関数があります。--Makotoy 2011年2月27日 (日) 20:08 (UTC)[返信]

映画分野の一覧記事をまとめる

映画分野の一覧記事についてちょっと具体的な提案をします。

現状において映画の一覧と呼べる物が多いのでそれをまとめた方が良い(まとめる記事を作った方がいい)と思います。実際英語版はそうですし、そもそも前の映画作品一覧の削除依頼関連で出されていたen:Lists of filmsとはそういう主旨の一覧記事です。 記事題としては「映画の一覧」等を想定しています。その上で広範囲に渡ること、映画分野として重要なものであるため、これらをプロジェクトの直轄とすることを提案します。直轄というとご大層ですが、要は、その一覧のルールや前提を変更したりする場合の議論はプロジェクトで行なうということです(まあ、私はプロジェクトに名前入れてないんだけどね)。他の一覧との兼ね合いも重要になってくるでしょうから(分野をまたぐ物は当然別です)。

次に記事構成についてですが以下のようなものを提案します(あくまで現存する物を基にとりあえず並べただけのようなものです)。

純粋な作品一覧(「映画記録の一覧」より上)以外は、現状に存在している一覧を抽出し、それを区分けして並べてあります。これには、一覧記事として成立しているものを選び出し、カルト映画のようなその中に一覧がある物は挙げてません。ただし、歴史映画のように事実上一覧記事のようなものは載せてあります。またカテゴリ呼び出しのような物も挙げてません。何分、多岐に渡って今まで乱雑に作られていたので見落としもあるかもしれませんので、もし見落としがあれば指摘をお願いします。

最後に今後の手順についてですが、以下のように提案します。

  1. 具体的な掲載基準の設定(用いる資料や条件など)、記事構成の設定を議論し確定する。
  2. 上記に基づいて記事の新規作成や統廃合(純粋な作品一覧は現状で小さな記事でも新規に作っておく)。
  3. 条件に基づいて加筆、整理、そして定期的な管理

ここでいう構成の議論や、それに伴う統廃合というのは、例えば「最高興行収入映画の一覧」と「歴代映画興行成績」です。2者の統合とは言わないまでも、タイトル修正も含めたフォーマットの統一が必要だと考えますし、構成も「映画興行成績の一覧」を立ち上げ

というような親子関係記事にすると大分わかりやすくなると考えます。他には「映画用語」は「映画用語の一覧」と改名することなどを検討していきたいと考えています。

まあ、かなり広範囲でそこそこ大変なことになると思いますが、とりあえずは、あちこち雑草のように好き勝手生えている一覧記事をまとめるべきかなとも考えています。純粋な作品一覧群の記述基準等は後に回しても、どうせふるいにかける労力は変わらないので。--EULE 2011年2月16日 (水) 16:08 (UTC)[返信]

(質問)「純粋な作品一覧(「映画記録の一覧」より上)以外は、現状に存在している一覧を抽出し、それを区分けして並べてあります」とありますが、現在ある映画作品一覧及び日本の映画作品一覧は、どうされるというご趣旨の提案でしょうか?なくしてしまって映画作品の一覧日本映画の一覧を1から作るという趣旨ですか?--ワイルドキャット 2011年2月17日 (木) 10:03 (UTC)[返信]
場合によっては1から作るかもしれませんし、改名だけになるかもしれません。それは議論の結果次第です(つけくわえると、名称については上のまとめでは「映画作品の一覧」としたけど、別に「映画作品一覧」でもどっちでも良いです。むしろ、そういうことも含めてこれから決めようってのが主旨なので)。
そのような面もあることながら、今回の提案は今までの経緯などを踏まえているので、ワイルドキャットさんはまずその辺を理解してからにして欲しいなと思います。また、特に今回、あなたが質問している点は、1つ挙げるなら例えばWikipedia:日本中心にならないようにとの兼ね合いなどが重要になってくるのですが、あなたはこれに対する知識や理解が全く無い。その辺りが上記で散々言っていることです。--EULE 2011年2月17日 (木) 14:31 (UTC)[返信]
ご指摘の方針文書、拝読し理解致しましたました。今後ご指摘の方針文書を考慮して発言するように致します。--ワイルドキャット 2011年2月21日 (月) 09:32 (UTC)[返信]
今後どれくらい腰をすえて関われるか分からず散発的にコメントするのみに留まってしまいそうで申し訳ないのですが、提案されていることの方向性としてはとても良いことだと思います。新しい記事をつくるのもいいのですが、まずは重要な部分からPortal:映画のほうで出していくのがいいと思います。--Makotoy 2011年2月19日 (土) 19:55 (UTC)[返信]
それは良いですね。作品一覧を除いては、人物関連やその他の一覧あたりがポータルにあると良いと思いますが、どうでしょうか?
あともう少ししたら、いくつかの記事の改名の思案を出したいと思います。--EULE 2011年2月23日 (水) 15:14 (UTC)[返信]
基本的な方向性は、私も賛成ですよ。ただ、国の区別なき作品一覧は、見る人にとってかなり使いにくいと思いますので、今までどおり日本のものと外国のものに分けた一覧の方がいいです。先日ご指摘頂いた方針文書も、日本固有ではない○○について「日本の○○」という記事名を許容しているようですし。--ワイルドキャット 2011年2月24日 (木) 03:53 (UTC)[返信]
そうですね。確かに日本の○○を作ることは問題ないです。だから、上記の私のまとめにも「日本映画の一覧」ってありますね。それで、アメリカ映画の一覧を作ったら、映画作品の一覧から該当する物を全て外した方が良いでしょうか?フランス映画やドイツ映画ではどうでしょうか?「日本のものと外国のものに分けた一覧の方がいい」というのがJPOV(日本視点)です。それこそが、方針文書で言っていることですよ。--EULE 2011年2月24日 (木) 07:10 (UTC)[返信]
当該方針文書は拝読しましたが、「日本の映画作品一覧」「日本以外の映画作品一覧」という形であれば、当該方針文書に違反しません。当該方針文書に、「外国、海外、国外 → 日本国外、諸国、世界、日本以外」という是正例が出てきます。これは、日本とそれ以外の国に分けた分類を認めることが前提になっています。
「日本の映画作品一覧」は現在のままでよく、「映画作品一覧」を「日本以外の映画作品一覧」と改名すればよい(掲載基準については、上のほうの節で述べたとおりに改める)というわけです。そうすればたくさんの諸先輩方の努力を無駄にすることなく、有効に活用できます。--ワイルドキャット 2011年2月28日 (月) 07:56 (UTC)[返信]
それは表現において問題がある場合の話です(「読者の帰属・国籍など、日本語理解者であるということ以外の前提をなるべく置かない」の該当部分)。ここで問題にされているのは「観点や記述の日本への不適切な偏重」「必然性がない限り、意図的に日本の事情のみ偏重して記述しない。」です。で、こんなことで先に勧めないのは非常に迷惑です。いい加減にして欲しい。どうしても納得がいかないならWikipedia‐ノート:日本中心にならないようにあたりで聞いてください。--EULE 2011年2月28日 (月) 13:47 (UTC)[返信]
Wikipedia‐ノート:日本中心にならないように違反かの話は、井戸端で話題追加しておきました。第三者の方の意見を参考にしましょう。「こんなこと」とかおっしゃいますが、日本の映画と外国映画を一つの一覧記事にするのか、別々の一覧記事に分けるのかは、編集者にとっても閲覧者にとっても、使い勝手等を大きく左右する、小さくない問題だと思いますよ。まあ、「日本の」「日本以外の」という記事名がルール違反なのであれば、現在と同様「映画作品一覧」と「日本の映画作品一覧」という記事名にしつつ、「映画作品一覧」の冒頭で日本映画については「日本の映画作品一覧」に誘導すればいい話です。記事名を変えることを積極的に主張するつもりはありません。--ワイルドキャット 2011年3月2日 (水) 02:22 (UTC)[返信]
井戸端での様子を見ましたが、意見が割れているようですね。違反であるとする意見も、違反でないとする見解も寄せられています。榊原宗男さんが提案された、「日本語で製作された映画の一覧」「日本語以外の言語で製作された映画の一覧」という名称のつけ方はいいと思いますが、名称にそこまでこだわるつもりはありません。私が強調したいのは、制作国や制作言語別でない、映画作品全体の一覧記事を作ることには、明確に反対であるということ、及び(記事名はともかく)実質的には日本映画の一覧とと外国映画の一覧という形にすべきだということです。使いにくいですよ。現状のように「映画作品一覧」を立てつつ日本の映画については「日本の映画作品一覧」に誘導するか、「日本語で製作された映画の一覧」「日本語以外の言語で製作された映画の一覧」にすべきです。それ以外は、EULEさんの、一覧記事まとめ提案に反対するつもりはありません。なお、作品一覧記事の掲載基準は、「時事通信社の映画年鑑に作品として掲載されたものまたはウィキペディアに記事があるもの」とすべきだと考えます。--ワイルドキャット 2011年3月6日 (日) 07:08 (UTC)[返信]
えーと、あれ見て何が割れてるのでしょうか。明確にワイルドキャットさん側の立場にあるのはStrategist氏の意見だけで、彼はあなたと同じくJPOVについて理解してないです(日が浅いのも共通ですね)。ちなみにですが、私の他に彼に反論したLaw soma氏は管理者です。別に管理者だから偉いとか特別ってわけでも無いのですが、前にワイルドキャットさんは「管理者に言う」といっていたので、まさに彼はそうだと伝えておきます(偉いとか特別というのは抜きにしても、経験豊かという観点で意見を交えるのは参考になると思います)。とにもかくにも、ここで「割れてるようですね」とか言う前に、井戸端に寄せられた発言を受けて、投稿者として何か返してください。あっちを決着させなければ、こっちで色々言ったって、意味が無いです。--EULE 2011年3月6日 (日) 07:50 (UTC)[返信]
(追伸)言語別に関してですが、実は既に選択肢の1つとして考慮には入れてあるんです。現に素案ではアメリカ映画・イギリス映画ではなく、英語圏の映画としているでしょう?ワイルドキャットさんが口を挟まなければこの辺りにも、元々言及する予定でした。念のためいっておくと、私としては議論の結果次第で別にどっちでも良いと思ってる部分です。あくまで叩き台として曖昧な形で提示しただけなので。
その上で、井戸端で榊原宗男氏の意見に何も言及してないのは、言及する価値も無い意見だからです。ジョークの可能性も否めませんが、アカデミー賞を参考にしたというあたり、映画分野についてはあまり知識が無いのでしょう。で、国別は面倒だとか言っておきながら、言語別(日本語/非日本語)に分けることには乗り気なワイルドキャットさんにはいい加減にしてくれと思ってます。『スキヤキウエスタン』とか『ラストサムライ』あるいは『バベル』とか知ってて、言語別に分けるというなら、構わないのだけど、知らないでしょ(あるいは考慮に入ってないでしょ)。絶対に。--EULE 2011年3月6日 (日) 08:13 (UTC)[返信]

(インテンド戻す)違反だとする意見もありましたし、そうでないとする意見もありました。また、違反とすべき基準を示された方の中でも、かなり基準が異なりました(分量を基準にされる方もいらっしゃるようで、それによれば「日本の映画作品一覧」は許されるでしょう)。また、言語別にすればいいという、別角度からのご提案もありました。したがって意見が割れたという認識は変わりません。自分と異なる見解だからといって、その人は方針文書の理解が足りないんだなどと決め付けるのはよくないと思います。締めのコメントは書いてきました。そこで書いたとおり、私としては現状のように「映画作品一覧」の冒頭で日本映画について「日本の映画作品一覧」に誘導するか、製作言語によって「日本語」か「非日本語」かで分けることを支持することと致しました。言語で分けるとラストサムライ(映画館で見ましたよ)のような限界事例が出るとは思いますが、限界事例に対応した細かな基準を定めるか(例1:グレーゾーンの場合は日本語の方に入れる、例2:クレジットの言語による)、個別に議論して決めればよいのです。最初から限界事例・例外事例を想定して、基準自体をおかしいと考えるのは馬鹿げています。国別に分ける場合だって、共同制作の作品はどうするんだとかいった問題はあるんです。ミドリムシが中間的だからといって、動物性プランクトンと植物性プランクトンに分ける分類がおかしいということにはなりません。物事に例外はつき物です。国別に分けない一覧を作って、その下に国ごとの一覧を作る構想には反対です。それ以外は、EULEさんの構想に賛成ですよ。EULEさんこそ、自分が提案したとおりにならないからといって、イライラなさらないように願います。壮大な計画が、すぐに実現するはずがありません。私は壮大な計画を考えるよりも、今ある現状をスピーディーに改善することに力を尽くしたいです。--ワイルドキャット 2011年3月7日 (月) 09:55 (UTC)一部追加・修正--ワイルドキャット 2011年3月7日 (月) 10:17 (UTC)[返信]

現状改善のための一覧記事改革提案

既に申し上げたことが多いのですが、一覧記事をまとめるといった、すぐには実行に移せない壮大な計画ではなく、現状をすぐに少しずつ改善していくために、「映画作品一覧」「日本の映画作品一覧」につき、次の改革を提案致します。私が実際に一覧記事を編集してきて感じたことと、このページで議論した結果の両方が盛り込まれています。相当の期間反対意見が出ないようであれば、当方が変更を実施致します。

  • 掲載基準を「時事通信社の『映画年鑑』に掲載された作品、またはウィキペディア日本語版に独立記事のある作品」とする。
  • 「日本の映画作品一覧」のあ行で試行されている表形式は廃止する。
  • あ行・か行・さ行…のように行ごとの分類を、さらにあ・い・う・え・お・か…に細分化する(一分類の作品数が増えて見にくくなっています)。--ワイルドキャット 2011年3月7日 (月) 10:04 (UTC)[返信]