「レイ・ウィルキンス」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m r2.6.4) (ロボットによる 追加: fi:Ray Wilkins
編集の要約なし
27行目: 27行目:
[[1973年]]に[[チェルシーFC]]でデビュー。この時グレアム、スティーヴンもチェルシーに所属していたが、レイほどの活躍は出来なかった。チェルシーではタイトルにこそあまり恵まれなかったものの、[[1975年]]からは18歳の若さでキャプテンを任され、その翌年には[[サッカーイングランド代表|イングランド代表]]としても初招集を受けた。
[[1973年]]に[[チェルシーFC]]でデビュー。この時グレアム、スティーヴンもチェルシーに所属していたが、レイほどの活躍は出来なかった。チェルシーではタイトルにこそあまり恵まれなかったものの、[[1975年]]からは18歳の若さでキャプテンを任され、その翌年には[[サッカーイングランド代表|イングランド代表]]としても初招集を受けた。


その後、[[1979年]]に[[マンチェスター・ユナイテッドFC]]へと移籍し、[[1983年]]に[[FAカップ]]や[[コミュニティーシールド]]を獲得した。[[1984年]]に[[ACミラン]]へと移籍。しかし、ここでもタイトルには恵まれず、[[オランダトリオ]]と入れ替わるように[[リ・サンジェマンFC]]へと移籍した。その後に所属した[[グラスゴー・レンジャーズFC]]では、[[スコティッシュ・プレミアリーグ|リーグ]]優勝、[[スコティッシュリーグカップ]]連覇などを手にした。[[1989年]]に[[クイーンズ・パーク・レンジャーズ]]へと移籍し、5年間を同クラブで過ごした。
その後、[[1979年]]に[[マンチェスター・ユナイテッドFC]]へと移籍し、[[1983年]]に[[FAカップ]]や[[コミュニティーシールド]]を獲得した。[[1984年]]に[[ACミラン]]へと移籍。しかし、ここでもタイトルには恵まれず、[[オランダトリオ]]と入れ替わるように[[ンピックセイユ]]へと移籍した。その後に所属した[[グラスゴー・レンジャーズFC]]では、[[スコティッシュ・プレミアリーグ|リーグ]]優勝、[[スコティッシュリーグカップ]]連覇などを手にした。[[1989年]]に[[クイーンズ・パーク・レンジャーズ]]へと移籍し、5年間を同クラブで過ごした。


そして、[[1994年]]に選手兼コーチとしてのオファーを受け、[[クリスタル・パレスFC]]の一員となった。しかし、そのデビュー戦で左足に怪我を負ってしまう。その怪我が癒えた後、再びクイーンズ・パーク・レンジャーズへ今度は[[選手兼任監督]]として加わった。2年後に[[ウィコム・ワンダラーズFC]]へと移籍、その後もクラブを転々とし、翌年に[[レイトン・オリエントFC]]にて引退した。引退後は、1年間のみ[[フラムFC]]の監督をしていた他、1998-2000シーズンはチェルシーのアシスタントコーチをしていた。
そして、[[1994年]]に選手兼コーチとしてのオファーを受け、[[クリスタル・パレスFC]]の一員となった。しかし、そのデビュー戦で左足に怪我を負ってしまう。その怪我が癒えた後、再びクイーンズ・パーク・レンジャーズへ今度は[[選手兼任監督]]として加わった。2年後に[[ウィコム・ワンダラーズFC]]へと移籍、その後もクラブを転々とし、翌年に[[レイトン・オリエントFC]]にて引退した。引退後は、1年間のみ[[フラムFC]]の監督をしていた他、1998-2000シーズンはチェルシーのアシスタントコーチをしていた。
36行目: 36行目:
* 1979-1984 {{flagicon|ENG}} [[マンチェスター・ユナイテッドFC]]
* 1979-1984 {{flagicon|ENG}} [[マンチェスター・ユナイテッドFC]]
* 1984-1987 {{flagicon|ITA}} [[ACミラン]]
* 1984-1987 {{flagicon|ITA}} [[ACミラン]]
* 1987     {{flagicon|FRA}} [[リ・サンジェマンFC]]
* 1987     {{flagicon|FRA}} [[ンピックセイユ]]
* 1987-1989 {{flagicon|SCO}} [[グラスゴー・レンジャーズFC]]
* 1987-1989 {{flagicon|SCO}} [[グラスゴー・レンジャーズFC]]
* 1989-1994 {{flagicon|ENG}} [[クイーンズ・パーク・レンジャーズ]]
* 1989-1994 {{flagicon|ENG}} [[クイーンズ・パーク・レンジャーズ]]

2011年1月17日 (月) 09:39時点における版

レイ・ウィルキンス
ファイル:Ray Wilkins Middlesbrough v. Chelsea 1.png
名前
本名 レイモンド・コリン・ウィルキンス
ラテン文字 Raymond Colin Wilkins
基本情報
国籍 イングランドの旗 イングランド
生年月日 (1956-09-14) 1956年9月14日(67歳)
出身地 ロンドン
身長 173cm
選手情報
ポジション MF
代表歴
1976-1986 イングランドの旗 イングランド 84 (3)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

レイ・ウィルキンス MBERay Wilkins MBE1956年9月14日 - )は、イングランドロンドン出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはMF。父親のジョージ・ウィルキンス、兄弟であるグレアム、スティーヴンもサッカー選手である。

経歴

1973年チェルシーFCでデビュー。この時グレアム、スティーヴンもチェルシーに所属していたが、レイほどの活躍は出来なかった。チェルシーではタイトルにこそあまり恵まれなかったものの、1975年からは18歳の若さでキャプテンを任され、その翌年にはイングランド代表としても初招集を受けた。

その後、1979年マンチェスター・ユナイテッドFCへと移籍し、1983年FAカップコミュニティーシールドを獲得した。1984年ACミランへと移籍。しかし、ここでもタイトルには恵まれず、オランダトリオと入れ替わるようにオリンピック・マルセイユへと移籍した。その後に所属したグラスゴー・レンジャーズFCでは、リーグ優勝、スコティッシュリーグカップ連覇などを手にした。1989年クイーンズ・パーク・レンジャーズへと移籍し、5年間を同クラブで過ごした。

そして、1994年に選手兼コーチとしてのオファーを受け、クリスタル・パレスFCの一員となった。しかし、そのデビュー戦で左足に怪我を負ってしまう。その怪我が癒えた後、再びクイーンズ・パーク・レンジャーズへ今度は選手兼任監督として加わった。2年後にウィコム・ワンダラーズFCへと移籍、その後もクラブを転々とし、翌年にレイトン・オリエントFCにて引退した。引退後は、1年間のみフラムFCの監督をしていた他、1998-2000シーズンはチェルシーのアシスタントコーチをしていた。

イングランド代表としては84試合キャップ。UEFA欧州選手権19801982 FIFAワールドカップ1986 FIFAワールドカップにも招集された。

所属クラブ