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2010年12月9日 (木) 14:46時点における版
レイモンド・ローウィ(Raymond Loewy、1893年11月5日 - 1986年7月14日)は、フランス、パリ出身のデザイナー、フランス軍大尉。主にアメリカ合衆国で活動し、インダストリアルデザインの草分けとして知られる。「口紅から機関車まで」と言われるように様々な分野で活躍した。フランス語読みではレーモン・レヴィ。
人物
1893年、パリで生まれる。始めは電気工学を学んだ。第一次世界大戦後の1919年にニューヨークへ渡り、メイシー百貨店などの店舗装飾やハーパース・バザー誌でファッション・イラストレーション、グラフィックなどの仕事を始めた。 1920年代半ばにデザインを請け負う事務所を開設する。
1929年、ジグムント・ゲシュテットナー社の複写機のデザインを手がけ、これが評判になり大きく売り上げを伸ばした。それまでの複写機はむき出しの機械であったが、カバーを取り付け機能的な外観デザインにまとめたことで、工業製品におけるインダストリアル・デザインの重要性が注目を集めた。
1934年、ペンシルバニア鉄道の電気機関車GG1を風洞実験の結果、かろやかな流線型にリ・デザインする。この流線型デザインは力学的な形態の倫理により発見、設計され、以後、自動車など速度を要求される対象に採用される時代が始まった。速度、進歩、現代性などの表現として、様々なデザインにも引用される様になった。このような形状(ストリームライン・モダン)は時代の流行となり、当時のアール・デコスタイル装飾に用いられるなど主要なモチーフにもなった。デザインが流行として消費され、陳腐化させられる時代の到来でもあった。1938年、アメリカ市民権を取得し140社もの企業のデザイン・コンサルタントをつとめた。
主な作品
- ボールドウィン DR-6形ディーゼル機関車(1948年の作品。シャークノーズと呼ばれる車体形状をデザイン)
- タバコ「ラッキーストライク」(1940年の作品)
- タバコ「ピース」(1951年の作品)
- ル・クルーゼ「コケル」(1958年の作品)
- 食品小売りチェーン「スパー」(1968年の作品。以前のデザインから改定[1])
- ユナイテッド航空
- アメリカ空軍VC-137C(エアフォース・ワン)
- トランス・ワールド航空の「ツイングローブ」マーク
- エールフランスのコンコルド機内インテリア(1976年 - 1994年)
MAYA段階
レイモンド・ローウィが1940年頃に発見した、消費者の中に潜む「新しいものの誘惑と未知のものに対する怖れ」との臨界点。Most Advanced Yet Acceptable(先進的ではあるがまだ受け入れられない)、略して「MAYA段階」と名付けた。
書籍
- 「口紅から機関車まで」(1951年・レイモンド・ローウィ)
脚注
外部リンク
- ローウィ財団(日本語版あり)