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{{反対}} 差別的かどうかは抜きにして、100%豊臣側視点に立つ用語であり、少しも中立的でないことは明白でしょう。詳細な理由は後で書きますが、とりあえず反対の意思表示をしておきます。--[[利用者:Chokorin|Chokorin]] 2010年11月1日 (月) 01:12 (UTC)
{{反対}} 差別的かどうかは抜きにして、100%豊臣側視点に立つ用語であり、少しも中立的でないことは明白でしょう。詳細な理由は後で書きますが、とりあえず反対の意思表示をしておきます。--[[利用者:Chokorin|Chokorin]] 2010年11月1日 (月) 01:12 (UTC)

{{コメント}} - 態度表明まで行かないのですが、ちょっと永原慶二監修『岩波 日本史辞典』(1999年10月)で調べてみました。「小田原攻め」は「関東平定」の項で、「紀州平定」、「九州平定」(秀吉が島津を破り、九州を政権の支配下に置いた)、「四国平定」と「平定」に揃えています。つまり、上にあげた戦いは、'''秀吉の全国平定事業'''の一環として行われたという観点・見方・考えのようです。--[[利用者:Sashimu|Sashimu]] 2010年11月2日 (火) 01:08 (UTC)

2010年11月2日 (火) 01:08時点における版

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/過去ログ1に保存してあります。内容: 2008年7月18日 (金) 14:54から2009年4月1日 (水) 20:11まで、「九州征伐」から「九州の役」への移動に関する議論。

名称について

  • 鹿児島市

http://www.pref.kagoshima.jp/pr/gaiyou/rekishi/tyuusei/kyusyu.html 九州遠征、九州平定

  • 福岡市

http://www.city.fukuoka.lg.jp/shishi/intro07.html 九州平定

  • 大分県

http://www.pref.oita.jp/10400/o_book/furusato/pdf/f04rekishi.pdf 豊臣秀吉、九州を平定

  • 熊本県

http://www.pref.kumamoto.jp/soshiki/3/history.html 九州平定

このように、各都道府県は「九州平定」という名称を使っています。わざわざ公に使われていない「九州の役」をページ名にしつづけるのもおかしいと思います。「九州平定」に改名してはどうでしょうか?--小判キング 2010年6月7日 (月) 05:07 (UTC)

小判キングさんの引用したネット上のページは鹿児島市以外は秀吉の事績を説明した文章内の表現であり、事象をまとめた呼称でないように思えます。そしてその提案記事名が「豊臣秀吉の九州平定」とならないのは何故でしょうか?また、鹿児島市の場合はページの題は「秀吉の九州遠征」ですよね?
鹿児島市[1]●頁題「秀吉の九州遠征」、文中「豊臣秀吉は,…九州平定へと乗り出し…九州攻めが行われました。」
福岡市[2]●文中「豊臣秀吉の九州平定にはじまる…」
大分県[3]●年表「1597 豊臣秀吉、九州を平定。」
熊本県[4]●文中「豊臣秀吉の九州平定まで続きました。」、文中「九州を平定した秀吉は、…」
本項目の主題は戦史であり、先行する戦史研究では参謀本部の『日本戦史』で「九州の役」の単著があり、これも公のものであり、公刊戦史とも言えます。また『大日本戦史』でも桑田忠親が章題「九州の役」として使用されております。その他論文でも「九州の役」は見かける名称であり、項目にあった項題であると考えます。--Yasumi 2010年6月11日 (金) 19:10 (UTC)
本州の統一勢力(大名)が九州全土を平定した戦はこれ以外に無いので、秀吉の○○と付ける意味はあまりないと思います。yasumiさんは『日本戦史』を重視されているようですが、それのみを重視する理由がわかりません。各自治体でも「九州の役」というのは使用されてないですし。--小判キング 2010年6月13日 (日) 07:48 (UTC)
本項目の定義が何であるのか?その出典は何であるのか?改名提案をするのであれば、そのあたりから合意を取っていくことが必要に思えます。また、改名提案に必要なタグの貼付等の手続きが未了であることを指摘しておきますので、必要に応じて処置下さい。文責の分からない自治体サイトに対して、私は著作で記事と同じ主題の「九州の役」が使用されている事例を提示したわけですが、改名の比較を行うのであれば査読論文等の提示も今後必要になってくるでしょうね。--Yasumi 2010年6月13日 (日) 08:07 (UTC)
改名に賛成します。わたしも九州の役は聞いたことがありません。Yasumi氏の主張は四国攻めでも問題視されており、およそ一般的な通説とはいえません。--薔薇騎士団 2010年6月13日 (日) 03:16 (UTC)
聞いたことがないから賛成、反対というのはあまり適当な理由ではないと思います。削除依頼などでも自分が聞いたことがないから削除という意見がありますが。実際の使用例に基づいて意見を述べるべきだと思います。またある利用者が他の記事で問題視されていると具体的ポインターを示さずに批判を行うことは印象操作であり不適切だと思います。--Tiyoringo 2010年6月13日 (日) 03:44 (UTC)
私は改名に賛成です。Yasumiさんが反論の根拠とされている資料は年代的に古すぎており、現在の通説を表すものではないと感じます。--秋田城之介 2010年6月17日 (木) 03:22 (UTC)
もし本気で改名議論を展開するのであれば、改名提案タグの貼付等の手続き、そして改名の論拠論理をきちんと展開していただくことをお願いします。
繰り返しになりますが、私が『日本戦史』を重視するのは「項目の主題とWikipedia:信頼できる情報源に於ける取り纏め名称 が一致しているため」です。上記のホームページのみを出典とする論拠からでは、出典の信頼性に問題があることとと、それが記事の取り纏め名称でないことから優越性を認められません。
また、日本語解釈的な話をするのであれば、ざっと思い当たる事例では景行天皇ヤマトタケル足利尊氏今川了俊などが九州平定をしています。小判キングさんが定義した「本州の統一勢力(大名)が九州全土を平定した戦はこれ以外に無い」という前提は成立していないように思えます。
項目の取り纏め名称について、例え話が良いのか分かりませんが、「太平洋戦争」の項目名が「大東亜戦争」や「第二次世界大戦のアジア太平洋戦線」、あるいは「アジア・太平洋戦争」などで妥当性が議論されるのは理解できる範囲ですが、その戦争を「日本占領」や「日本の降伏」や「連合国軍占領下の日本」の名称で言い換えるのは違うように思えるのです。
なお、薔薇騎士団さんの反対理由「九州の役は聞いたことがありません」は完全に主観であり、対話の上で議論の俎上上げるのは不適当でしょう。ちなみに当然ですが、私は九州の役という表現を聞いたことがあります。
また、秋田城之介さんの意見「資料は年代的に古すぎており、現在の通説を表すものではない」については、何と何を比較して「古い/新しい」とか「通説」の評価で九州平定が妥当と結論付けたのか論理論拠が述べられて居らず理解できません。「古くない論拠」や「通説が九州平定」「”豊臣秀吉の”等が冠ぜられない理由」などの明快な論理展開をお願いします。
提案者の小判キングさんは記事を「九州全土を平定した戦」と表現していることから、本記事が戦争史であると認識されているように推測しますが、改名議論をするであれば「対象記事の本題が何であるのか?」あたりから合意を取っていかないと議論が散逸しかねません。--Yasumi 2010年6月17日 (木) 08:26 (UTC)
県や市の公的な歴史見解に問題があるとは思わないです。また、『日本戦史』を出展にするのは構いませんが、その出典の中の名称が通説とは限らないし、それに固執するほうが問題有りだと思います。--小判キング 2010年6月18日 (金) 08:20 (UTC)
改名根拠としては、小判キングさんが挙げられたものでも十分かとは思いますが、現在の歴史事典類における動向も把握すべきと感じました。調査したところ「九州の役」という呼称はほとんど無く、これを記事名にするのは不適当だと感じます。調査内訳は以下参考。Yasumiさんの推す「九州の役」が比較的適切である根拠は何ら無い状態ですので、説明をお願いします。--秋田城之介 2010年6月20日 (日) 16:41 (UTC)
戦国史事典       秋田書店   1980 九州の陣
日本全史        講談社    1991 九州平定
クロニック戦国全史   講談社    1995 九州制服
角川新版日本史事典   角川書店   1997 九州攻め
岩波日本史事典     岩波書店   1999 九州平定
日本歴史大事典     小学館    2000 九州平定
日本史事典       旺文社    2000 九州征討
日本史小事典      山川出版   2001 九州攻め
日本史事典       平凡社    2001 九州攻め
詳解日本史用語事典   三省堂    2003 九州平定
最新日本史教授資料   明成社    2003 九州平定
朝日百科日本の歴史   朝日新聞社  2005 島津攻め
豊臣秀吉事典      新人物往来社 2007 九州平定
日本中世史事典     朝倉書店   2008 九州出兵
九州平定 6件、九州攻め 3件、九州征討、九州制服、九州出兵、島津攻め、九州の陣 各1件
ご苦労様です。辞典などでも九州の役は皆無だということは比較的合意されつつあると感じました。--小判キング 2010年6月23日 (水) 08:51 (UTC)

(こめんと)議論が目に入ったのでネットでお手軽検索(図書館に出向く元気はない)。その結果が以下。

Yahoo!百科事典[5](日本大百科全書、北島万次) 九州征服
Yahoo!辞書[6] (大辞泉/大辞林) 九州征伐/九州征伐
ネットで百科@Home[7](世界大百科事典、森山恒雄) 九州征伐

俺の調査(というか適当な検索。ヤフーで悪いか)では九州征伐が優勢だが当てにはならん。小判キングや秋田城之介の調査も考慮すると定説はないといってよさそう。定説がないならなんでもいいだろ。全然出てこない九州の役はダメっぽい。

このノートに集まりつつあるメンツを眺めてみれば明らかだがこのまま議論をしても早期に合意できる可能性は、、ない(四国なんたら改名騒動のぐだぐだっぷりを見よ!異論は認めない)。 まずは各自が主張を好き勝手にぶちまけて(主張に対する反論は無意味だからしない方がいい)そのあとは有力案を絞り込み早々に投票へ持ち込むべきだ。これが一番手っ取り早い、はずだ。投票は議論の代用にならないとか投票で決めるのは最後の手段とか方針を持ち出して正論を言ってると決着がつくまで半年以上掛かるぜ!あ、ちなみに俺の主張はない。なんでもいいよこんな記事の名前。リダイレクトで誘導すればいいんだし。--219.97.187.252 2010年6月21日 (月) 18:20 (UTC)

利用者には敬称を付けたほうがいいと思いますよ。--小判キング 2010年6月23日 (水) 08:51 (UTC)

時間が取れないため、まとめたコメントは後刻いたしますが、改名手続きとして改名提案が未提出のようです。密室談議としないためにも考慮すべきガイドラインであるWikipedia:ページの改名に沿った手続きをお願いします。その他にも議論においてはWikipedia:論争の解決Wikipedia:合意形成のガイドラインがありますので、改名議論を主宰されるのであれば一読と実施をお願いします。--Yasumi 2010年6月23日 (水) 21:12 (UTC)

「日本戦史に固執している」との私に対する批判は心外です。比重や視点は違うと思いますが、選択肢の一つに「九州平定」も置いた上で「九州の役」が良いと思っています。一方、「九州の役」を「聞いたこともない」と比較もせずに切り捨てるのは如何なものでしょうか?
1.脚注表示こそありませんが、本記事は内容構成とも根幹部は『日本戦史 九州役』よりできているといっても良いでしょう。事典類の項目出典も『日本戦史』から要約されています。記事=「九州の役」なことから単著のある「九州の役」が優位にあると思います。他に本記事と同テーマの単著はあるのでしょうか?
2.意味で言えば「九州の役」は記事の定義と同じ戦争名称です。一方、「九州平定」は「豊臣秀吉(主語)が九州(目的語)を平定した(動詞)」という事績表現のセンテンスを名詞化・省略化したものです。このため、平定そのものを表現する場合と戦争名称の代名詞として使われている場合があり、小判キングさんの引用した自治体サイトでの表現も文章上のセンテンスであり、戦争として捉えていないようです。対象が違うのに同一視しては比較になりません。更に「九州平定」は代名詞であるが故に、本記事本来の戦争名称として表現する場合には「(豊臣秀吉の)九州平定戦」や「(豊臣秀吉の)九州平定の戦い」と呼び換えの呼び換えが必要になってきます。また、敵対した島津氏や秋月氏側から戦争名称として使用するのに表現が制限されるというデメリットもあります。これは戦争名称の「太平洋戦争」を結果である「日本占領」を代名詞にして表現するかのような状態です。
3.サイト記事を地方自治体の歴史認識と解釈することには疑問があります。例えば同様の論理ならこのサイト[8]を根拠に国土交通省は景行天皇の九州平定を「九州平定」と認定しているから単なる「九州平定」では曖昧さ回避の必要がある、そんな反論が成立するのでしょうか?それに記事を纏めた表題でなく、文章上の一表現である点を項目名の根拠とすることも問題ですが、Wikipedia:信頼できる情報源において査読や著名責任などで問題があるでしょう。
4.上記にて指摘した、景行天皇・ヤマトタケル・足利尊氏・今川了俊なども九州平定をしていることに対して何もコメントが付いていませんが、小判キングさんが定義した「本州の統一勢力(大名)が九州全土を平定した戦はこれ以外に無い」という前提は成立していないように思えますし「九州平定を狙う島津義久」や「九州平定の寸前まで行った島津氏」などの逆側からの表現とも衝突します。
5.私は強力に「九州平定」を推すわけではありませんが、現状、充分なロードを掛けられる状況にないので「九州平定」でのみ検索でヒットする地方自治体の『地方史』の見出しを調べてみました。実見していませんが、紙媒体としてインターネットサイトの文中表現よりはまとめとしては上位に位置づけられるものと存じます。九州平定のみを使用した中では「豊臣秀吉の九州平定」を代表として主語を省略しない形の方が「九州平定」の中では主流のようです。今まで展開された「九州平定」が優位であるとの理屈で言えば、単なる「九州平定」よりは主語を冠する「豊臣秀吉の九州平定」の方が優勢のように思えますが、如何?
  • (以下、節題以下の見出しは全て節題として分類)
  • 『筑後市史』1995.03-1998.03[9] 節題「征西府の九州平定(●懐良親王の九州平定の用例!)」「豊臣秀吉の九州征討」
  • 『福岡県史 通史編 福岡藩(一)』1998.03[10] 節題「島津・豊臣戦争」「豊臣秀吉の国割」「九州国割」「九州平定」
  • 『山江村誌』1998.09[11] 節題「豊臣秀吉の九州征伐」「九州平定後の情勢」
  • 『津屋崎町史』1999.03[12] 節題「豊臣政権の成立と九州平定」「秀吉の九州出兵」「秀吉の九州平定」「九州の国割り」
  • 『筑野市史』1999.03[13] 節題「秀吉の九州平定と国割り」
  • 『宗像市史』1999.03[14] 章題「豊臣秀吉の九州平定」、節題「秀吉の九州出兵」「秀吉の九州出兵」「秀吉の九州平定と国分け」
  • 『金田町誌』1999.05[15] 節題「豊臣秀吉の九州平定」「秀吉の九州征伐」
  • 『香春町史 上巻』2001.03[16] 節題「豊臣秀吉の九州平定」「豊臣秀吉の九州出兵」
  • 『川崎町史 上巻』2001.03[17] 章題「豊臣秀吉の九州平定」
  • 『大和町史 通史編 上巻』2001.03[18] 節題「豊臣秀吉の九州平定」
  • 『筑穂町誌 上巻』2003.03[19] 節題「豊臣秀吉による九州平定」
  • 『小郡市史 第2巻(通史編)』2003.06[20] 節題「島津氏の北上と九州平定」
  • 『太宰府市史 通史編2』2004.12[21] 節題「豊臣秀吉の九州侵攻」「豊臣秀吉の九州平定」「秀吉の九州国割」
  • 『若宮町誌 上巻』2005.03[22] 節題「秀吉九州平定」
  • 『広川町史 上巻』2005.03[23] 章題「豊臣秀吉による九州平定」
  • 『泉村誌』2005.07[24] 節題「豊臣秀吉の九州平定」
  • 『大野城市史 上巻(自然・原始・古代・中世・近世)』2005.07[25] 節題「豊臣秀吉の九州平定」「豊臣秀吉の九州平定」「九州の国割」
  • 『鳥栖市誌 第3巻』2008.03[26] 節題「豊臣秀吉の九州入り」「豊臣政権の九州平定」
    • 8「豊臣秀吉の九州平定」、2「豊臣秀吉による九州平定」、2「豊臣政権の九州平定」
    • 3「秀吉の九州平定」  、1「秀吉九州平定」
    • 3「九州平定」(前後付属語を含む)、
--Yasumi 2010年6月24日 (木) 12:17 (UTC)
言義だけで言えば、「九州平定」は本州勢力が九州勢力を併呑した際に使われ、「九州の役(九州役)」は九州における戦役を意味します。その上で「どちらが歴史用語として浸透しているか?」という問題であると感じます。
「豊臣秀吉の九州平定」とすれば厳密な意味でも間違いが無いのは事実ですが、Yasumiさんが例示している他の「九州平定」に関しては、景行天皇・ヤマトタケルの例については当時「九州」という言葉はそもそも存在しておりませんので不適。足利尊氏と島津義久に至っては実際に九州平定を完遂したわけではありませんし、今川了俊は九州探題の職務として南朝勢力を掃討したもので、「了俊の勢力」が九州平定を行ったものではないと考えられます。--秋田城之介 2010年6月27日 (日) 12:08 (UTC)
「平定」を本州勢力に依る物に限定するのは独自研究でしょうか?辞書定義では在地勢力(例えば島津など)の行為でも「平定」は使用されます。そして「豊臣秀吉の九州平定」の使用例は提示しましたし、戦争の意味合いで「平定」を「平定戦」や「平定の戦い」で使わねばならないという矛盾も指摘済です。
さて、『九州の役』は読んでいただけましたでしょうか?流行語大賞を決めているわけではないので、もっと記事と出典をよく読んで検討した上での議論をお願いしたいです。--Yasumi 2010年6月27日 (日) 12:33 (UTC)
事典類で多く使用されている事実に対して「流行語大賞を決めているわけではない」というコメントはあまりにもお粗末と言うか・・・・あなたがおっしゃっていることは、「『九州の役』を出典にして書いたから、この事象をWikipedia上では『九州の役』と呼ぶべきだ」というようにしか聞こえないのですが。--秋田城之介 2010年7月4日 (日) 13:41 (UTC)
何がお粗末なのか理解しがたいのですが、この記事の出典がこの記事の名称であるというのは正にその通りです。四国攻めへの改名議論でも投票で最も支持を受けた論理による記事名でした。記事を書かないからなのかは分かりませんが、結局秋田城之介さんは記事を見ずに改名議論を進めているんですか?--Yasumi 2010年7月6日 (火) 10:11 (UTC)

Wikipedia:改名提案へ改名提案の告知をしておきました。--薔薇騎士団 2010年6月24日 (木) 12:29 (UTC)

  • コメント今の改名候補は「九州平定」だけなのでしょうか?「豊臣秀吉の九州平定」とか「秀吉の九州遠征」の方が名称としては無難(一連の戦闘を示す名称ではないですが意味は通じる)な気がします。Fuji 3 2010年6月29日 (火) 04:11 (UTC)
九州平定以外にも、九州平定戦、九州征伐、九州征討、九州遠征、九州出兵などが挙げられます。これらは少なくとも現行の「九州の役」よりはまだ広く使われており、充分に検討の余地があると思いますが、最初の提案内容は出典や使用状況を以って提案させていただきました。--小判キング 2010年6月30日 (水) 07:52 (UTC)

コメント資料を追加しましょう。

  • 『熊本県の歴史』(山川出版社)p150では「九州平定」…これは記事に相当する薩摩降伏の5月までを指し、文中では「秀吉は九州平定後の5月晦月に…」とある。用語「九州の役」は無し。文献の節名は「九州仕置」だが、これは梅北一揆まで含まれ概念が違う(もっと広い)と思われる。
  • 『街道の日本史51 火の国と不知火海』(吉川弘文館)p50では「九州平定」・・・これも基本的に薩摩降伏までを指し、文中では「秀吉は九州平定後の6月2日に肥後を佐々成政に…」とある。やはり「九州の役」は無し。

ここからは私的な感覚ですが、既出の資料からもこんなにも「九州平定」が頻出し「九州の役」がわずかな状況を鑑みれば、もうこれは「九州平定」か「豊臣秀吉の九州平定」かのいずれでしかないと思います。小生は前者(九州平定)を推します。秀吉の進出は、少なくとも肥後ではこれで戦国時代が終焉したという時代区分の基準になる(『熊本県の歴史』p150)点、そして征西府は旧来からの大宰府の行政・裁判権を武力も行使して抑え影響力を持ちはしたが、少なくとも南九州にとっては何ら変わらず「九州平定」は秀吉の事例のみと思う点を挙げます。

ひとつ気になるというか興味があるのは、島津側がどう書いているか、ということはあります。山川出版社の『鹿児島県の歴史』でどの用語を使っているか。と言っても仮に「九州の役」でも視点の差の過ぎず、「九州平定」ならばこれを確認するのみの作業だとは思いますが。--Babi Hijau 2010年6月30日 (水) 17:00 (UTC)


コメント:吉川弘文館国史大辞典』の確認ができました(本日から知識検索サイトジャパンナレッジにて、サービスが提供されるようになったため)。見出し記事は『九州征伐(文責:今井林太郎 神戸大名誉教授)』。なお、参考までに地の文における使用頻度は、「九州征伐」99例、「九州平定」30例(内、2例は今川貞世の事跡で1例は応永の乱の一過程)、「九州攻め」5例、「九州役」2例(内、1例は「日本戦史」の書物名)。なお、地の文において、「九州征伐」は戦争そのものを指しているのに対して、「九州平定」は「平定」と言う事実又は状況(用例、「九州平定後の天正十六年」等)を指している例が概ね2/3程度で用法に微妙な違いがあります(「太平洋戦争」と「終戦」の関係まで鮮明ではありませんが、概ね似た関係になるかと考えます)。さて、名称呼称は、それに関与する人たちの共通概念です。「○○は、××の観点から、△△と呼ぶべきである」との主張が、政治的に正しいとしても、「でも、この業界に、そういう風に呼ぶ人はあんまりいないよ」と言われれば、端から見ると滑稽なだけです。そういう観点から、編集に4000人の(本職)歴史学者が携わった日本最大級の歴史百科事典が出した結論に、(既に名称の選択においてプロの観点から議論済みであると言う意味において、とはいえ、用語のゆれがあるのを見ると徹底した調整はできなかったんでしょうね)一素人である私は抗する勇気がありません。まあ、「九州平定」とする小学館『日本歴史大事典』も2700人からの歴史学者が作ってるんで、それなりの採用根拠があるのでしょう。他の用語辞典においても、一家言を有する歴史学者が採用しているのですから、その知見から、採用の理由を述べることができ、それが少なくとも業界の中では的はずれにはならないことに自信があるのでしょう。 さて、翻って、私たちウィキペディアはどうでしょうか。もしかしたら、これらの歴史事典の執筆者に匹敵する歴史学者の方が参加されているかもしれません。そうであれば、堂々と論陣を張っていただければいいのですが、そうでないのであれば、長いものに巻かれるのは、決して恥ずかしい態度ではないと思います。ということで、改名するのであれば、「九州征伐」とすることが適当であると、私は考えております(理由:国史大辞典の見出しがそうであって、それが不適当であったとしても、その不適当さを解消し、かつ、その語を使用する人たちに広く受け入れられるべき代替語がない)。--Tomzo 2010年7月1日 (木) 10:31 (UTC)

コメント:/過去ログ1を読んで頂けるとわかるのですが、以前にも同じ議論がなされており、その際に「九州平定」に関しましても案として上がっております。それを踏まえた上で現在の「九州の役」に決まった筈なのですが、何故に再び議論となっているのかが私には甚だ疑問です。もう少し過去の議論、及び議論された執筆者の方々を尊重されては如何かと私は思うのですが。 Hesolla 2010年7月1日 (木) 16:09 (UTC)

前回の改名までの議論は一応読んでます。ただ議論者が尻すぼみだったこともあって、2009年3月にYasumiさんが「そろそろ決を取りたい」旨をコメントし、24日に蚯蚓さんが改名賛成を正式に表明しました。すると、Yasumiさんが26日にその節を「改名投票」と銘打って、31日にその両名のみの意見表明で投票終了、改名ということになっていました。私自身としては、九州の役を推すYasumiさんの論拠には納得いかない面があり、それが最善の結論ではないのではないか?と思い、提案させていただきました。今後、改名にあたっての意見表明(改名が必要かどうか、項目名候補選び)を実施した後に項目名を正式に決定できるようにしたいと思います。--小判キング 2010年7月3日 (土) 08:16 (UTC)
過去ログも踏まえて「九州の役」の優位性をまとめてみます。
1.主題がほぼ、記事=『日本戦史 九州役』であり、記事の基幹出典になり得ること。
2.記事の定義通りの直接的な戦争名称であること。他の候補が原義を別に持つ代名詞であり、「島津義弘は九州平定に参加した後に・・・」のような表現が通じないデメリットがある。
3.「九州平定」などは主語である「豊臣秀吉の」を省略しているため、他の事例で景行天皇・ヤマトタケル・足利尊氏・今川了俊など(源為朝もか?)と干渉すること。だいたい当の島津氏が九州平定直前でした。
4.史学的な出典優位性について前段の議論でも上がっていた出典のレベルについて再度下記にまとめると、記事の主題とマッチし、かつ記事に使用可能な学術的なWikipedia:信頼できる情報源である出典で「九州の役」が優勢であること。
CiNiiの論文検索で論文タイトルに使われているのは下記の3点。九州役は記事の出典に使用済み。
  • 田中仙堂「入門講座 安土・桃山の茶(39)九州平定」2006年
  • 毛利亮太郎「九州役の陣立書」1997年
  • 百雲道昭「島津征伐と本願寺光佐」1974年
  • (九州平定、九州攻め、九州征伐、島津平定をタイトルに冠する論文は0件)
国会図書館検索で単著名に使われている例は下記の通り。内、九州役は出典に使えそうと確認済み。
  • 参謀本部編『日本戦史 九州役』元真社1903年
  • (1965年に現代語訳の旧参謀本部編『小牧・九州・小田原の役』が復刻しており、追記部である桑田忠親「概説」の見出しに「九州の役」あり)
  • 松林伯知他『豊臣島津九州征伐』今古堂1891年
  • (九州平定、九州攻め、は0件)
同様に章題で検索に掛かるものは、
  • 香西成資原著「秀吉の四国九州征伐」『南海治乱記』1981年現代語訳版
  • 桑田忠親「九州の役」『大日本戦史 第4巻』1942年
以上、第1項に立ち返ることになりますが、私は記事名として「九州平定」や「九州征伐」も否定はしませんが、優位性で「九州の役」を推したいと思います。また、記事が充実していく中で定義・主題が「平定」や「征伐」に変更されたり、出典の比重が変わってくれば「平定」や「征伐」への改名に同意する可能性を留保します。また、視点を変えて現状で2者比較をした場合は「九州平定」よりは「豊臣秀吉の九州平定」に優位性を認めます。
なお参考までに、島津側視点と言えると思いますが、尚古集成館のHPでは「九州の役[27]」で紹介しているようです。--Yasumi 2010年7月2日 (金) 23:54 (UTC)
過去ログを読むと、実に議論が杜撰で改名が恣意的だったかが分かります。再考するのは必要でしょう。まず、九州征伐にろ、九州平定にしろ、九州の役にしろ、学会でも一般でももっとも通用している名称を百科事典の項目名として選ぶべきで、そこに編集者個人の「この名称は差別的である」とか「時代にそぐわない」といった、個人の心情や感想を持ち込むべきではありません。 Wikipediaは自己主張の場はないということです。--薔薇騎士団 2010年7月3日 (土) 02:09 (UTC)
個人の心情や感想を持ち込むべきではありません。」 >薔薇騎士団さんは改名議論の冒頭で「改名に賛成します。わたしも九州の役は聞いたことがありません。」と根拠の無いご主張をされていましたが、これを取り下げたものとして高く評価致します。記事と出典をよく読んで、主観に代わるべき論理と論拠の開陳をお願いします。私は管見の限りでは、記事名を主題として質量共に最も充実した出典が名称に使用している「九州の役」を推します。--Yasumi 2010年7月6日 (火) 10:11 (UTC)
私も同感です。特に議論後半部はかなり杜撰な議論であったと感じました。--秋田城之介 2010年7月4日 (日) 13:41 (UTC)
個人の感情という捉え方もあろうかと存じますが、Wikipediaに於ける記事の中立的な観点という点の解釈次第では「この名称は差別的である」という部分は必ずしも個人の心情や感想というものではないように思います。無論、対外戦争ならばいざ知らず、日本国内に於ける合戦に於いてそれを考慮すべきかは判事難い部分は御座いますが、対外戦争に関しましては中立性を考慮して記事が書かれていますので、それを看過しての表現は統一性の欠如を生むという意味に於いて問題であるようにも存じます。そういった意味に於きましては「九州征伐」は論外かと思いますが、私個人の見解と致しましては「九州平定」は構わないと思っております。島津、豊臣、共に九州平定を目して合戦を行っていたわけですので、ある意味に於いては「九州平定」という表題は正しいように思えます。但し、現在の記事内容に御座いますような、『結果:島津氏の降伏、九州平定成功』という書き方ではなく、『結果:島津氏の降伏、豊臣家による九州平定成功』というものとし、今後この点を違えないものとするならば・・・の話です。一番憂慮する問題は、平定の意図が豊臣側のみのものとするような記事の書かれ方をすることにあり、それをしてしまえば、「では島津の戦の意図は何であったのか?」という事になり、正しくこの合戦を伝えているとは思われず、正に中立を欠く表現となると考えます。今後そうならぬようローカルルールにて定めるのであれば、私個人は「九州平定」と改題することに何ら反対する意思は御座いません。--Hesolla 2010年7月3日 (土) 19:21 (UTC)
「征伐」を差別用語と頭から決めつけている人がいますが見当違いも甚だしい。元来「征」にも「伐」にも差別的意味はありません。おそらく「伐」が「罰(ばつ)」に音が通じるのでそう勘違いする人が増えてきているのでしょう。(「伐採」が差別用語という人がいるでしょうか?)学問は科学的であるべきで、粗雑な国語知識やでたらめな平等主義から改名すべきではありません。--薔薇騎士団 2010年7月3日 (土) 22:29 (UTC)
伐は罰とは関係ないでしょう。にんべん(人)とからなり首を切るの意味です(出典:漢字物語 共同通信社)。--Tiyoringo 2010年7月4日 (日) 04:24 (UTC)
なるほど、差別的ではないようですね。 それでも私が真に言いたいところの中立的ではないように感じます。wikiの記事である征伐が正しいかはわかりませんが、広辞苑には「服従しない者を討つこと」とありましたもので。 編集する上での中立的な観点という意味に於いては少々ふさわしくないと思っております。--Hesolla 2010年7月5日 (月) 10:57 (UTC)

改名の是非

明日から10日間ほどで集計し、それをもとに議論を進めたいと思います。--小判キング 2010年7月3日 (土) 08:16 (UTC)

  • コメント 投票が拙速な感じもいたしますがこれは参考投票なのでしょうか。それとも改名を投票によって決定づけるのであればきちんとした手続きに従って投票権者となれる条件なども定めた上で広く周知した上で実施する必要があります。そうした手続きをした上で仮に改名反対が多数であれば現状の記事名がコミュニティによる合意が形成された名称となりますし、改名が賛成だった場合でも得票数の過半数を得たものがない場合は上位数候補について改めて二次投票、三次投票が必要でしょう。第一の設問、賛成か反対かは投票項目とはせずに現在の九州の役も記事名候補として考えるべきでしょう。なお記事名候補が細分化されたままでの投票をした場合、この名称は好ましくないといったものがあった場合でも与党対多数のミニ野党のような状況での投票となるおそれもあります。また何度も投票を強いるのも負担となりますのである程度議論が進んだ上でなければ投票をする意味がないように思います。現時点では投票をしてもこの投票の位置づけが不明瞭です。--Tiyoringo 2010年7月4日 (日) 04:35 (UTC)
    • Tiyoringoさんの2010年7月4日 (日) 04:35 (UTC)の意見に概ね同意です。九州平定を推進する論理論拠に関して様々な意見が出ましたが、その上での整理が為されていません。どのような論理を優先すべきなのか(例えば聞いたことがないから反対などという論理は優先すべぎではないと思います)、どのような論拠が優先されるべきなのか、自治体サイトの文中記事から「九州平定」を優先とした改名提起者の小判キングさんの論理は、私の地方史の見出し例などを見た場合は「豊臣秀吉の九州平定」が優先されるべき論理を使っていたように思えますが、まとめられてません。Wikipedia:信頼できる情報源などから優先すべき出典とはなにてあるかは合意できる物と思いますので論理論拠の整理調整をお願いしたいです。--Yasumi 2010年7月6日 (火) 10:11 (UTC)
  • コメントまずは賛否ではなく、論点の整理という意味で「改名すべき理由」「改名すべきでない理由」「改名候補」を単純に列記から始めるべきではないでしょうか?現状はどんな意見・見解があるかをまとめることが先決で、それぞれに意見・賛否をつけていっても(↓のように)不毛だと思います。Fuji 3 2010年7月7日 (水) 00:37 (UTC)
    • コメントFuji 3さんの提案にも同意します。下節を設けましたので、改名議論の主催者は、第一段階として改名提案に至るガイドラインと手続きに沿った説明、そして第二段階として記事名として優先するべき論拠と論理を整理の上で提示下さい。--Yasumi 2010年7月10日 (土) 00:05 (UTC)

私としては参考投票として行っています。これで即座に決定するわけではありませんが、現実的な解決をするために、この投票を指標として今後に役立てたいと思っています。--小判キング 2010年7月11日 (日) 06:53 (UTC)

      • コメント 一人何票ということも事前に決めておりませんでしたのですでに投票された方の中に、Yasumiさんが何票も投票した後、しばらくこのページを見ていない方もおられるのではと思います。参考投票ということであれば13日ではなくもう少し期限を延ばしてはと思います。1週間の生活リズムを考えれば丸14日間に延長するのが適切なように思います。--Tiyoringo 2010年7月11日 (日) 06:58 (UTC)
参考投票ですので多少の延長として二週間というのであればかまわないですよ。--小判キング 2010年7月11日 (日) 07:24 (UTC)
改名すべきかどうか?署名してください。
  • 投票として集計することに 反対
無批判矛盾を抱えたまま論理論拠の摺り合わせをせずに候補名だけで改名を選択すること、および合意なき恣意的な選択肢が設定されていること、投票要件を満たしていないので調査投票として実施することに反対します。--Yasumi 2010年7月6日 (火) 10:11 (UTC)
  • 賛成
--秋田城之介 2010年7月4日 (日) 13:41 (UTC)
あくまで条件付きながらですが。--Hesolla 2010年7月5日 (月) 12:26 (UTC)
--薔薇騎士団 2010年7月5日 (月) 22:45 (UTC)
本記事の基幹的な出典として質量共に多用されている名称が他にある場合には賛成します。--Yasumi 2010年7月6日 (火) 10:11 (UTC)
提案者--小判キング 2010年7月11日 (日) 06:53 (UTC)
  • 反対
本記事の基幹的な出典として質量共に多用されていると考えるので改名に反対します。--Yasumi 2010年7月6日 (火) 10:11 (UTC)
改名後の項目名 候補を新しく追加してもかまいません。
コメント そもそも候補を追加してもいい投票というのはいかがなものかと思います。豊臣秀吉入りが選択肢に後から追加されたようですが。15もの選択肢を作っても議論参加している利用者が10人にも満たない現状で細分化しすぎでしょう。--Tiyoringo 2010年7月6日 (火) 13:05 (UTC)
  • 豊臣秀吉の九州平定
本記事の基幹的な出典として質量共に多用されている名称である場合には賛成します。--Yasumi 2010年7月6日 (火) 10:11 (UTC)
  • 九州平定
--秋田城之介 2010年7月4日 (日) 13:41 (UTC)
--Hesolla 2010年7月5日 (月) 12:26(UTC)
--薔薇騎士団 2010年7月5日 (月) 22:45 (UTC)
--小判キング 2010年7月11日 (日) 06:53 (UTC)
本記事の基幹的な出典として質量共に多用されている名称である場合には賛成します。--Yasumi 2010年7月6日 (火) 10:11 (UTC)
  • 豊臣秀吉の九州征伐
本記事の基幹的な出典として質量共に多用されている名称である場合には賛成します。--Yasumi 2010年7月6日 (火) 10:11 (UTC)
  • 九州征伐
本記事の基幹的な出典として質量共に多用されている名称である場合には賛成します。--Yasumi 2010年7月6日 (火) 10:11 (UTC)
  • 豊臣秀吉の島津征伐
本記事の基幹的な出典として質量共に多用されている名称である場合には賛成します。--Yasumi 2010年7月6日 (火) 10:11 (UTC)
  • 島津征伐
本記事の基幹的な出典として質量共に多用されている名称である場合には賛成します。--Yasumi 2010年7月6日 (火) 10:11 (UTC)
  • 豊臣秀吉の九州遠征
本記事の基幹的な出典として質量共に多用されている名称である場合には賛成します。--Yasumi 2010年7月6日 (火) 10:11 (UTC)
  • 九州遠征
本記事の基幹的な出典として質量共に多用されている名称である場合には賛成します。--Yasumi 2010年7月6日 (火) 10:11 (UTC)
  • 豊臣秀吉の九州出兵
本記事の基幹的な出典として質量共に多用されている名称である場合には賛成します。--Yasumi 2010年7月6日 (火) 10:11 (UTC)
  • 九州出兵
本記事の基幹的な出典として質量共に多用されている名称である場合には賛成します。--Yasumi 2010年7月6日 (火) 10:11 (UTC)
  • 豊臣秀吉の九州征討
本記事の基幹的な出典として質量共に多用されている名称である場合には賛成します。--Yasumi 2010年7月6日 (火) 10:11 (UTC)
  • 九州征討
本記事の基幹的な出典として質量共に多用されている名称である場合には賛成します。--Yasumi 2010年7月6日 (火) 10:11 (UTC)
  • 豊臣秀吉の九州攻め
本記事の基幹的な出典として質量共に多用されている名称である場合には賛成します。--Yasumi 2010年7月6日 (火) 10:11 (UTC)
  • 九州攻め
本記事の基幹的な出典として質量共に多用されている名称である場合には賛成します。--Yasumi 2010年7月6日 (火) 10:11 (UTC)
  • 九州の役
本記事の基幹的な出典として質量共に多用されていると考えるので賛成します。--Yasumi 2010年7月6日 (火) 10:11 (UTC)
記事名に「豊臣秀吉の」を付けるべきか?
  • 賛成
本記事の基幹的な出典として質量共に多用されている名称である場合には賛成します。--Yasumi 2010年7月6日 (火) 10:11 (UTC)
  • 反対
現段階では反対、しかし定義の厳密化を重視すれば付けることで合意できるかと。--秋田城之介 2010年7月4日 (日) 13:41 (UTC)
記事内容で表すれば、そこまでの必要はないと思われます。--Hesolla 2010年7月5日 (月) 12:26 (UTC)
定義は厳密なりますが、やや説明過剰(秀吉以外の九州平定が思い浮かばない。島津は違和感がある)の気がします。--薔薇騎士団 2010年7月5日 (月) 22:45 (UTC)
辞典などでのケースを考えるとこちらよりですね--小判キング 2010年7月11日 (日) 06:53 (UTC)
本記事の基幹的な出典として質量共に多用されている名称で「豊臣秀吉の」が使われていない場合にには反対します。--Yasumi 2010年7月6日 (火) 10:11 (UTC)

終了 とりあえず二週間を過ぎましたので投票を終了させていただきます。--小判キング 2010年7月18日 (日) 06:22 (UTC)

改名の提案根拠

主観的なものから客観的な意見まで、改名議論に於いて様々な意見が出ましたが、論拠+論理→結論(改名候補)の流れについて、当初提議からの整理やブレの修正が必要だと思います。
つきましては、今後も改名議論を続けるのであれば、改名推進論者にて考慮すべきガイドラインのWikipedia:ページの改名Wikipedia:記事名の付け方を根拠とした改名提議の必要性、そして改名候補選出に至る論理論拠の整理した上で明示することをお願いします。--Yasumi 2010年7月10日 (土) 00:05 (UTC)
Yasumiさんとしては現状、考慮されていないと見ているのでしょうか?--小判キング 2010年7月11日 (日) 06:44 (UTC)
当初の改名提議をされた小判キングさんの論拠論理は「4個所の地方自治体の歴史解説サイトの文中表現より語句を拾った結果、九州平定が多いので改名すべき(意訳)」とのご説明でした。私は私の考える別論理論拠での反論すると共に、小判キングさんの持ち込まれた同様の論理で在ればWikipedia:信頼できる情報源として優勢にある出版されている地方史の章題・節題などの見出しを根拠として「豊臣秀吉の九州平定」を推さない理由は何か?について質問しましたが、回答はありませんでした。当初のご主張より宗旨替えをして別論理論拠により改名提案をするので在れば、その説明をガイドラインに沿って表明していただきたいと言うことです。論理論拠を転換したまま途中経過の論理論拠を開示せずに、人気投票のように改名候補の支持結果だけを先行して調査しても議論は混乱するばかりです。順を追った論理論拠のある提案説明、そしてそれがウィキペディアで認められているガイドラインに沿った優勢な改名提案であることの説明をお願いします。--Yasumi 2010年7月11日 (日) 08:38 (UTC)
早急な改名には反対します。「九州の役」がベストだとは思いませんが、少なくとも「間違いではない」ですし、「出典もある」、また、「現状では特に不便を感じない」からです。もっと、加筆が進んでからでもよいのではないでしょうか。ただし、出典が1903年というふうにやや古いという1点において、Yasumiさんのおっしゃる「優位性」に今ひとつ説得力を感じないこともまた確かです。しかし、そうであっても、出典欄に「九州役」としかない現状では、むしろ改名しない方が知的に誠実な態度ともいえます。もし加筆が進んで、たとえば、役後の大名配置なども加筆されるのであれば「九州平定」の方がずっとよくなります。さらに加筆が進んで、たとえば「九州国分」という記事が独立して立項されるのなら、「九州平定」は曖昧さ回避のページにして、「九州の役」「九州国分」両方にリンクを飛ばすやり方があります。であるなら、むしろ「九州の役」のままにしておいた方がよいということになります。そういうことを論じないで、記事名だけをいじるのは本末転倒です。私は、219.97.187.252-2010年6月21日 (月) 18:20 (UTC)の意見とは全く別の見方をしていて、「四国なんたら改名騒動のぐだぐだっぷり」というのは、こういう詰めるべきところをきちんと詰めないで安易かつ強行に投票におよんだからこそ、「ぐだぐだ」になったと考えます。全員今すぐ「豊臣秀吉の九州平定」で合意できるというのであれば、それでもいいですが、「この記事をどうするのか」という一番肝心なことを決めないで投票で記事名だけを決めるのには反対します。投票は議論の代用にならないと思いますし、投票で決めるのは最後の手段だと思います。あえて正論を述べさせていただくのは、私は、投票によらない合意形成の方が、結果的にはずっと早いと考えるからです。--Chokorin 2010年7月11日 (日) 07:25 (UTC)
早急な改名というと、以前の改名が早急でしたね。投票参加者も少なすぎで問題だらけです。巻き戻してもいいくらいです。それはそうと、今回の改名は手続きに従って告知も行われており形式上問題ありません。--薔薇騎士団 2010年7月11日 (日) 12:52 (UTC)
請求済ですが。たまたま、投稿時間が会ったのでお聞きします。改名に至るガイドライン解釈と改名候補の優越理由についてご解説をお願いします。--Yasumi 2010年7月11日 (日) 13:14 (UTC)
たまたま即応可能であろう投稿時間が重なった後に請求したのでご説明を求めましたが、ガイドラインに沿った論理論拠の提示に即応できないようであり、大変残念に思います。--Yasumi 2010年7月11日 (日) 13:22 (UTC)
じゃ、このページはこの名称のままで、新しく「九州国分」という記事を立てるというのは、どうですか。それで、「九州平定」は曖昧さ回避ページにする。そうすれば、「九州平定」という項目名をウィキペディアの中に何としても作成したい薔薇騎士団さんや小判キングさんは心の底から満足できるわけですし、「九州の役」の内容と記事名を生かせることでYasumiさんも顔がつぶれない。おまけに、「九州国分」という記事もできるので、一般利用者にとってはきわめて有益です。さらには、「秀吉以外の九州平定」は曖昧さ回避ページのなかで説明できます。誰も損しません。みなさんの御希望がすべてかなえられるとともに、懸案も解決できます。いま無理やり投票で改名したって、また何度も改名しなきゃならないんですよ。どういたしますか?--Chokorin 2010年7月11日 (日) 13:09 (UTC)
前回の改名は議論期間に特に異議が無く完了していましたが、今回の改名議論を厳正に行うとの趣旨でれあれば、認められているガイドラインに沿っていることの説明と改名候補の優勢を示す論拠論理を明示の上で、結論に至る公正なご説明をお願いします。ご主張が既にあるので、論拠論理の提示は準備済みと推察しますので、よろしくお願いします。--Yasumi 2010年7月11日 (日) 13:02 (UTC)
みなさんにお願いですが、たかが記事名で意地を張らず、相手も自分も満足できる方法を少し考えてください。私の案なんかはいかがでしょうか。--Chokorin 2010年7月11日 (日) 13:22 (UTC)
前回の改名投票の履歴を見ますと、コメント依頼はされていますがWikipedia:改名提案での告知がなされていなようですね。Wikipedia:ページの改名によれば、改名前にすべきこととして、「3.さらに、より多くの編集者に知ってもらうために、Wikipedia:改名提案への掲載を行ってください。」との一文がありますが、前回の投票はこの手続きを怠っており手続き上は改名は無効になりますね。どうもいい加減な改名を実施して、それに対して後で問題視されたのが気に入らなくて、駄々こねているような印象を受けます。--薔薇騎士団 2010年7月11日 (日) 15:44 (UTC)
御意見ありがとうございます。しかしまあ、仮にそうだとしても、いま駄々をこねれば、後でまったく同じことを人に言われますよ。1人だろうと数人だろうと駄々は駄々、横暴は横暴ですよ。一応、私の案というのも提示しておりますからね。むげに黙殺されても困ります。それに、「また何度も投票を強いるのも負担となりますのである程度議論が進んだ上でなければ投票をする意味がない」というTiyoringoさんの指摘もございます。「豊臣秀吉の九州平定」を推さない理由は何か?というYasumiさんの質問も、質問としては正当なものです。ところで、私の案はいかがですか? われながら一石四鳥の妙案だと思いましたが。私の案に乗っていただけませんか?--Chokorin 2010年7月11日 (日) 16:10 (UTC)
薔薇騎士団さんの2010年7月11日 (日) 15:44 (UTC)に関して、前回の経緯に対するご批判はご批判として受け取るとします。当面する今回の動議として改名タグの貼付は小判キングさんが行い、改名提案は薔薇騎士団さんが手続きを踏んでいます。改名議論を主宰されるつもりであれば、私の要求する「改名議論を始めるにあたってのガイドラインに沿った論理論拠の説明」について向き合っていただけないのでしょうか?決して無理な要求をしているつもりはないのですが、対話とルールに向き合っていただけないのであれば非常に残念なことですし、対手の不当を批判すれば自己の不当行為が正当化されるわけではありません、「聞いたこともない、との主観的な理由」や「通説でない、という論理論拠を示さない批判」あるいは「自己知識による日本語解釈」などで内容を説明しないまま各個に結論を導いているとすれば、これは大問題でしょう。--Yasumi 2010年7月11日 (日) 21:14 (UTC)
そもそも今回の改名提案は(他の事例でもたいていそうですが)、どの記事名がよりふさわしいかという提案であり、ある案を提案したからといってそれ以外が「間違っている」というわけではありません。「豊臣秀吉の九州平定」でも「豊臣秀吉の九州征伐」でも可だと思います。「豊臣秀吉の」がなくてもいいのではないか、というのは、自明の修飾句の場合省いたほうが煩雑にならないからです。元寇をわざわざ「クビライ・カアンの元寇」と書かないのと同じです。それ以外に元寇はないのですから。あと、Yasumi氏の言う「論理論拠」の意味が分かりません。「論拠」とは「論理的な根拠」の意味で、それを論理論拠というのは同語反復です。論理根拠の間違いでしょうか? それと揚げ足とり的なことを言い出されないためにあらかじめ言っておきますが、一つの改名提案をしたからと言って、それ以外が絶対に間違っているということではありません。それは「九州の役」を選んだ場合も同様なはずです。しかし、改名提案の議事妨害を狙って、「どうして九州平定が絶対正しいのか。それ以外ではダメなのか。論理的に証明してみせよ」などと要求し出す人が出るかもしれませんが、この種の議事妨害の議論先延ばしには付き合うつもりはありませんのであしからずご了承ください。--薔薇騎士団 2010年7月12日 (月) 23:41 (UTC)

(インデントもどす)薔薇騎士団さんもYasumiさんも「豊臣秀吉の九州平定」だったら妥協できるということで、少なくとも、お二人のなかでは合意が成立したようですね。他のみなさんはいかがでしょうか。もし、異議がないとすれば、Tomzoさんの調査では、秀吉以外については、今川貞世の事跡と応永の乱の一過程として「九州平定」の語が使われているということでしたので、次は、これらをどう扱うかということについて話し合いを進めてはいかがでしょうか。--Chokorin 2010年7月13日 (火) 02:15 (UTC)(微調整)--Chokorin 2010年7月13日 (火) 02:25 (UTC)

さて、いかがしましょうか。「九州平定」が秀吉の専売特許でないことは、Tomzoさんが指摘してくださった今川貞世応永の乱だけではなく、Yasumi さんの指摘された島津義久[28])、島津歳久[29])、足利尊氏[30])などの事績においても「九州平定」の語が使われていることは確かであり、薔薇騎士団さんが主張されるほどは必ずしも「自明」ではないようですし、"「九州平定」の語は「豊臣秀吉(主語)が九州(目的語)を平定した(動詞)」という事績表現のセンテンスを名詞化・省略化したものである"とのYasumiさんの御指摘にも理があるようです。これは、「四国征伐」から「四国攻め」への改名投票の際のARP77さん([31])や神坂12号 さん([32])の論法と同じであり、主張においては同一の立場に立っていると申し上げてよいと思います。また、「九州平定」のほかの例として思いつくものには源範頼[33][34])の例があり、構想段階のものも含めてよいのであれば、織田信長明智光秀に「惟任光秀」、丹羽長秀に「惟住長秀」と呼ばせたのも「九州平定」を念頭に置いたものといえます。ただし、これらはいずれも、「九州平定」だけについて言えることではなく「九州征伐」でもさほど違いはありません。現に、範頼の記事には「源範頼#九州征伐」という節があります。「征伐」ならば九州以外の勢力によるものであり、「平定」ならば九州の勢力も含むという点が異なるだけです。このように考えれば、「豊臣秀吉の九州平定」もしくは「九州平定 (豊臣秀吉)」という記事名で合意をとることは可能だと思います。ただ、その場合でも、合意とはまた別に、これら秀吉以外の「九州平定」をどう扱うかの問題がのこるわけです。いかがでしょうか。--Chokorin 2010年7月14日 (水) 12:02 (UTC)
単純に一番使用例が多く、もっとも一般的な名称でよろしいのではないですか? 他の改名論議でもつねに疑問を感じてましたが、一部の参加者はたとえ現状その名称が一般的に一番使用されていても「私はその名所はふさわしくないと思います」と個人の主張を押しつけてきます。これははなはだ疑問です。「豊臣秀吉の九州平定」がいいというのなら、具体的にこの名称が一番使用例が多い証拠をお願いします。いろいろ難癖つけて、一番使用例の多い記事名を回避させて、二番手、三番手、ひどい場合にはこのWikipediaでしか見られない使用例を記事名に選ぶのはやめていただきたいです。--薔薇騎士団 2010年7月15日 (木) 01:35 (UTC)
薔薇騎士団さんに質問いたします。2010年7月12日 (月) 23:41 (UTC)に、"「豊臣秀吉の九州平定」でも「豊臣秀吉の九州征伐」でも可だと思います"とおっしゃったのはどなたでしょうか。--Chokorin 2010年7月15日 (木) 02:06 (UTC)
それが「一番使用例が多く、一般的に知られた名称である」というのなら”可”という意味です。結局、記事名は「一つが正しくて、それ以外は間違い」ということではなくて、「それぞれに使用例があるが、その中で一番使われている名称」という基準で選ばれるべきだ、ということです。たとえば「九州征伐」が圧倒的に使用されるのに「これは差別語を含んでいるのでダメです。改名提案します」というような主張に対しては、「征伐という語は本当に差別語ですか? それは言葉狩りではないですか? そもそも学者や官公庁で幅広く現在も使われているのにそれらの事実を無視してWikipediaではダメだと言い得るのですか?」ということです。--薔薇騎士団 2010年7月15日 (木) 07:34 (UTC)
確認しますが、別にこの記事が「九州平定」ではなくて「豊臣秀吉の九州平定」でも可である、Yasumiさんがそこまで折れてくれるなら、あなたも妥協できるという意味と受けとってよいのでしょうか。--Chokorin 2010年7月15日 (木) 09:41 (UTC)
Yasumi氏が折れてくれるかどうかは問題ないのではないでしょうか。議論は学問的にすべきであって、政治的な取引ですべきではありません。学問的にも一般でも一番使用されている名称がふさわしいと思います。--薔薇騎士団 2010年7月15日 (木) 20:39 (UTC)
ありがとうございました。政治的な取引は主張していません。「豊臣秀吉の九州平定」という用例が単なる「九州平定」の用例よりも多いということについては異存がないということでいいわけですね。--Chokorin 2010年7月15日 (木) 21:52 (UTC)
通りがかりにすみません。学問的にもですが、一般的という意味合いからすると一利用者としてこの項をWikipediaを閲覧しようかというときに検索で「豊臣秀吉の~」から始める利用者はどれだけ存在するものでしょうか?リダイレクトで解決するとはいえ負荷もかかるわけですし、統一されてるわけでもないのに学問的に正しくしようとするあまり基本的な利便性を度外視するのはいかがなものか?という気がします。初めからリダイレクトありきな項目名って本末転倒じゃありませんか?重ねて言いますが学問的な統一性が薄いのに、です。出典文献は紙の本でもWikipediaはネットです。用例にしても章題や設題はともかく百科事典や辞書様式の索引項目名として多く使われているのでしょうか?「豊臣秀吉」とつけるのなら、せめて「九州~(何に決まるにせよ)」の後に「()」付きにした方が適当ではないかと思うのですが。或いは「()」内に西暦を入れて、他の時代や同名異項と区別すれば良いのではないでしょうか?--ジャムリン 2010年7月15日 (木) 22:50 (UTC)
ジャムリンさん、貴重な御意見ありがとうございます。個人的には私もそう思います。そう考えると、私が2010年7月11日 (日) 13:09 (UTC)に出した案なんかは、落とし所としてはなかなか良いセンいってるんじゃないかと思うんですが、どうでしょう。いまは、御覧いただいているように、とても残念なことですが、議論が拡散してしまっています。少し落ちついたら、ぜひまた御意見を伺いたいので、よろしくお願いいたします。--Chokorin 2010年7月16日 (金) 23:40 (UTC)
再度の照会になりますが、改名提案者側からはガイドラインに沿った改名提案は皆無なのでしょうか?用例の多さで言えば「九州平定」よりも「平定」が多いわけですが、用例が多いからと言って「平定」を推すわけには行きません。なぜなら記事内容と乖離しているからです。同じように「九州平定」にも問題があり、その用例は必ずしも本記事の内容を示して居らず、豊臣・島津戦争を示すには代名詞であるところに問題があります。
薔薇騎士団さんは論理論拠についてご理解いただけないようですが、「どの記事名がよりふさわしいかという提案」なのであれば、その優先記事名はガイドラインの何処の条項に依拠しているのか?どのような物差しを選んだ上での論理なのか?その論理を支える文献資料の動向(それとも主観を根拠とする思い込みか?)を示す論拠は何なのか?を聞いているのです。現状を変更しようとする提案者であれば、合意のために説明する義務があるでしょう。
例えばWikipedia:ページの改名では「ページの改名は次の場合に行います。・ページ名に誤字・脱字があるとき  ・ページ名が記事名の付け方のガイドラインに沿っていないとき  ・ページ名がページの内容を表すのに適切でないとき」となっており、これらからどのような適用を考えているのでしょうか? そして肝心なWikipedia:記事名の付け方では冒頭で「記事の題名は、まず何よりも「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」である必要があります。そしてその次に「その記事へのリンクを作成しやすいもの」であることも重要です。」とあり、「記事名は理想的には次のような基準を満たすのが望ましいです。(説明略にて) ・認知度が高い  ・見つけやすい  ・曖昧でない  ・簡潔  ・首尾一貫している」の冒頭説明と、その他の慣例として「歴史的事件 出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する。」などがあります。今回の改名提案はどのようなガイドライン上の改名必要性があり、その改名候補はガイドラインのどの要素からなにの物差しを使って優劣を判断したのか?元々のご主張には備わっているはずの前提ですので、ご説明を願います。
出典動向について、この「豊臣・島津戦争」を主題とする記事に関して、単なる「九州平定」が一般的な呼称であればそのようなタイトルの文献・論文が散見されるはずなのですが、私の管見の限りでは単著はありません。単著があるのは以下の3件です。
  1. 旧参謀本部編『小牧・九州・小田原の役』徳間書店、1965年(下記の現代語訳版)
  2. 参謀本部編『日本戦史 九州役』元真社、1903年
  3. 松林伯知他『豊臣島津九州征伐』今古堂1891年
また論文についても下記の3件がありますが、内容が戦役を示したものか?出典に使えるのか?を精査した上で論じるべきでしょう、
  1. 田中仙堂「入門講座 安土・桃山の茶(39)九州平定」2006年
  2. 毛利亮太郎「九州役の陣立書」1997年
  3. 百雲道昭「島津征伐と本願寺光佐」1974年
以上だけではないのですが、本記事を書くために集めた文献資料出典からは本記事をまとめた記事名として「九州平定」に傾倒するような動向は読み取れませんでした。専門的に一本の著作・一本の論文のテーマとして扱い、かつ記事の出典に使われているという点で私は「九州の役」を推します。逆に一般性を論じるのであれば、ありふれているはずの「九州平定」をタイトルとした書籍が一冊もなく、論文タイトルとしても別テーマの茶道のものしかないことからも一般性があるとは言えないと思います。また、文献中の見出しや文中に「九州平定」が使われている場合も、それが本記事の戦争名称を表す物ではなく、切り取り放題の戦国時代と豊臣政権下に将来された近世との節目や仕切板としての意味合いで使われている場合が多いようであり、用例と記事の関係が曖昧なものに思えます。
また書くまでもないことですが、私は何も陸軍参謀本部本のみを権威化したり固執しているわけではなく、上記のように記事の主体的出典となるような研究文献の傾向を重視しているつもりです、このため参謀本部本では「小牧の役」「関が原の役」などが採用されていますが、他の著作や論文の動向を論拠に本戦名称を戦役名称の代名詞と使っていたとしても小牧・長久手の戦い関が原の戦いを推すでしょう。「九州平定」のタイトルで戦役全般を史学的に題材としており、記事の出典として使えるような書籍論文が多数あるなら私は「九州平定」に賛成するでしょう。現状ではそうではないようです。
申し訳ありませんが、Chokorinさんに誤読されたようであり、「「豊臣秀吉の九州平定」だったら妥協できるということ」については、現在「典拠もあり、間違っていない」ので候補名とは思いますが、優先名であるとの結論を出すには検討が必要な状態です。然るにガイドラインを基に「九州の役」と比べて「九州平定」なり「豊臣秀吉の九州平定」なりが優先されるとの結論に至る論理論拠を求めているわけです。
「九州の役」は「聞いたこともない」「通説でない」との批判に対して、「主観的な判断で記事名を優先するのか?」「通説でないとはどういう意味か?対案が通説であるとの説明は無しか?」そそもそも、その批判はガイドライン的に優先される批判なのか?を問うているわけです。
追記しまして。主題と少し違いますが、参考までにこの議論以前より九州国分についてはある程度の出典は準備済みですが、疲弊もあり記事をつくる意欲が現在わきません。豊臣政権の九州政策や惣無事令論及びその批判として九州関連で準備した論文は下記があるので記事を書くのであれば、ご一見ください。
  1. 尾下成敏「九州停戦命令をめぐる政治過程--豊臣「惣無事令」の再検討」2010年
  2. 小竹文生「豊臣政権の九州国分に関する一考察--羽柴秀長の動向を中心に」2000年
  3. 藤田達生「豊臣政権と天皇制--九州国分から聚楽行幸へ」1995年
  4. 桑田和明「豊臣政権下における九州国分について」1983年
  5. 藤木久志「豊臣政権の九州国分令について」1980年
--Yasumi 2010年7月16日 (金) 19:51 (UTC)
誤読してしまったようで、申し訳ありませんでした。「九州国分」については、さきほど新規立項いたしました。参考文献をたくさん掲げてくださったことに深謝します。Yasumiさんにも加筆していただくと、うれしいです。--Chokorin 2010年7月17日 (土) 00:59 (UTC)

今回の改名議論をこのまま進めるか(前回の改名投票の有効・無効を論じるか)

今回の提案は十分にWikipedia:ページの改名で定められている手続きを踏んでおり、ガイドライン上全く問題はありません。ところで、私は前回の改名はWikipedia:ページの改名で定められているWikipedia:改名提案での告知の手続きを踏んでおらず無効であるのではないかと指摘しましたが、まだ明確な回答が得られていません。Yasumi氏の「薔薇騎士団さんの2010年7月11日 (日) 15:44 (UTC)に関して、前回の経緯に対するご批判はご批判として受け取るとします」の一文は、前回の改名は手続き上無効であるということを認めたと言うことでしょうか。明確な回答お願いします。無効であるなら今回の改名はいったん「九州征伐」に巻き戻した上で「九州平定」に改名するかということになります。また「有効である」と主張される場合、何故手続き上瑕疵のあるのに有効であるのか、その「論理論拠」もお願いします。--薔薇騎士団 2010年7月16日 (金) 23:18 (UTC)
(追記)各都道府県のホームページで「九州の役」の使用例が一つもない、また、各種歴史事典・辞典類でも九州の役は一つもないとの小判キング氏の指摘はどうお考えですか? 自説に都合の悪い出典は無視して、「単著」に限定して「九州平定」の書がないなどと、恣意的なふるいにかけて「九州の役」のほうがより一般的な名称であるかのように主張するのは、露骨な印象操作です。これはWikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に抵触します。--薔薇騎士団 2010年7月17日 (土) 03:30 (UTC)
薔薇騎士団さんは、巻き戻しをしたいのでしょうか。それとも改名論議を進めたいのでしょうか。どちらですか。--Chokorin 2010年7月17日 (土) 03:32 (UTC)
改名を進める上で手続き上の指摘が出たので、出発点に立ち戻ってどこにまず問題点があって、今現在改名がスムーズに進まないのかの原因を明確にする必要があると思います。その際、当然一貫したルールの適用が求められます。あるルールが前回の改名で不適用になって、今回の改名では適用になって、適宜好きなように改名の推進・阻止を自在に解釈しようとする人がでるのを防止する必要があります。--薔薇騎士団 2010年7月17日 (土) 03:38 (UTC)
全然違う話題を同時に並行しておこなうのは議論の拡散になります。前回の投票が有効か無効かを論じたいのであれば、改名提案をはじめられた小判キングさんにまず了解をとって、改名提案タグを外すなど今回の改名議論をいったんは全部凍結する必要があります。そのうえで、前回の手続きに瑕疵があるのかないのか、あるとすれば、無効とされるほどの瑕疵なのか、そうでないのかについて合意形成をはかるべきです。それで、無効とされるほどの瑕疵であるならば巻き戻す、逆に、巻き戻すほどの瑕疵でないならば有効のコンセンサスが成立したものとみなさなければなりません。前回のものであっても、別にYasumiさん一人で決めたものではありませんから、Yasumiさんが前回の投票について有効とおっしゃろうが、無効とおっしゃろうが、それだけでは前回の合意をくつがえすことはできません。ここで、あらためてコンセンサスをとる必要があるのは自明のことです。そして、もし改名議論がそののち、再開されるのであれば、その際には前回の件を蒸し返さないという合意が前提となります。そうでないと、またも議論が同じところをグルグルまわることになりますからね。議論の拡散に腐心するのではなく、一つ一つ解決していくことを考えてください。--Chokorin 2010年7月17日 (土) 04:06 (UTC)
違う話題を平行云々とおっしゃいますが、改名手続きに関して、2010年6月23日 (水) 21:12 (UTC)のコメントにて「考慮すべきガイドラインであるWikipedia:ページの改名に沿った手続きをお願いします」と言い出したのは、Yasumi氏であって私ではありません。ですから、私は前回の改名がこのガイドラインに従っていませんね、と指摘したわけです。投げたブーメランがYasumi氏に戻って突き刺さろうが私の責任ではありません。本人がガイドラインに従わない改名は無効だと主張されているわけですから。勘違いなさらないようにお願いします。--薔薇騎士団 2010年7月17日 (土) 04:38 (UTC)
別に、薔薇騎士団さんの責任どうこうということではなく、前回の投票が有効か無効かを論じたいのであれば、改名提案をはじめられた小判キングさんにまず了解をとって、改名提案タグを外すなど今回の改名議論をいったんは全部凍結して、前回が有効か無効か、それをまず決着つけなくてはならないということです。それとも、決着をつける必要はないということでしょうか。--Chokorin 2010年7月17日 (土) 04:51 (UTC)
それは私に質問するのではなく、ガイドラインに従わない改名は無効であると主張しているYasumi氏に質問してくれませんか。私も尋ねていますが回答がありません。有効であるという場合、改めてその根拠を聞きたいと思います。--薔薇騎士団 2010年7月17日 (土) 05:02 (UTC)
上の質問はYasumiさんに向けたものではなくて、あなたに聞いたものなんですがね。決着をつける必要がないとあなたがお考えならば「ない」、あると思うのなら「ある」とおっしゃっていただければ、それでいいわけなんですが。なぜ答えないんですか?--Chokorin 2010年7月17日 (土) 05:14 (UTC)

前回改名が有効か無効か、Yasumi氏の意見を伺わないと、どの時点から議論を再出発すべきなのか。改名投票が終わったと思ったら、全然投票に参加しなかった人が後からやってきて、改名結果による改名移動はやめてくださいとか、愉快犯みたいなこと言い出す人もいるわけですから。出発点を確認しないと、膨大な手続きや議論をしたあげくに全部無効を宣言されてはかないません。ヤマト王権の二の舞は避けたいので。--薔薇騎士団 2010年7月17日 (土) 05:21 (UTC)

前回の改名が有効か無効か決着つけたいというふうなことを、そもそもYasumiさんはおっしゃっていませんからね。だから、あなたにうかがっているんです。どうしても前回の投票が有効か無効かに決着をつけたいのかと。質問しているんだから、ちゃんと答えなきゃダメでしょう。そんなんじゃ、議論に加わる資格がないと思いますよ。--Chokorin 2010年7月17日 (土) 05:27 (UTC)
おかしなことをおっしゃいますね。前回の投票が無効なら当然記事名は巻き戻しになり、改名は「九州征伐」からの改名提案となりますから、改名提案自体が改めて再合意を形成する必要があります。当たり前ではないでしょうか? 一方、有効であるなら改名は現行の「九州の役」からとなりますから、今回の改名提案はそのまま有効で議論は今回の投票結果を受けて、実際に記事名を改名するかどうかが争点になります。投票は参考投票であっても、当然重大な瑕疵や問題がない限りは投票結果が尊重されます。それとも、あなたは私に「たとえ前回の改名が手続き上無効であっとしても、ここは”政治取引”を行い妥協しなさい」とアドバイスしたいのでしょうか?--薔薇騎士団 2010年7月17日 (土) 05:34 (UTC)
どうもハッキリしないですね。要するに、「前回の投票が有効か無効かを先に決着つけたい」ということでいいのですか?--Chokorin 2010年7月17日 (土) 05:43 (UTC)
分からないのはこちらです。ルールの確認の話をしているのに、政治的な取引を持ちかけられているようで、話がまったく平行線です。あなたは客観的な議論をしたいのでしょうか。それとも政治取引をしたいのでしょうか?--薔薇騎士団 2010年7月17日 (土) 05:53 (UTC)
もう一度うかがいますが、「前回の投票が有効か無効かを先に決着つけたい」ということでいいんでしょうか? --Chokorin 2010年7月17日 (土) 05:58 (UTC)
先にではなく同時にです。ルール適用の確認ができれば、当然前回も今回も同一ルールが適用されるわけですから、同時に決まります。別の言い方をすれば、前回と今回とでダブルスタンダードの都合のいいルール適用をされて、議論を煙に巻かれないために確認しているわけです。--薔薇騎士団 2010年7月17日 (土) 06:03 (UTC)
どうもお話を聞くと薔薇騎士団さんのしたいことは個別事例でなく、九州の役に留まらない壮大なことを考えられているようです。従って、改名議論は一記事のノートではなくルール運用を司るガイドラインページやWikipedia:ウィキプロジェクト 歴史Wikipedia:ウィキプロジェクト 日本史Wikipedia:ウィキプロジェクト 日本の戦国時代などの歴史関係のプロジェクトに話を持ち込むべきではないのかと思いますが、いかがですか?--Yasumi 2010年7月18日 (日) 19:56 (UTC)
現在の議論の中ではもっとも支持できます。
  1. 流石に、本文の10倍の量(本文14,317バイト:ノート132,909バイト このコメントを含みません)という事態は異常です(本文が完璧ならまだしも、まだ、書き足されるべきことは多いと考えます)。
  2. (見込みは薄いですが)ここで、何らかの結論が出たところでwikipedia全体を見渡したときに妥当な結論かは疑問が残ります。秀吉の全国統一過程で戦闘行為を含むものは、大雑把に紀州攻略、四国攻略、九州攻略、小田原攻略がありますが、これらを、『国史大辞典』(WPに唯一記事のある歴史用語辞典であるのに、ここではちっとも敬意が払われてないのはなぜなんでしょうねえ?)は「紀州征伐」「四国征伐」「九州征伐」「小田原征伐」と「征伐」で統一しています。また、山川出版社『日本史小辞典』(おそらく、ベースとなった『日本史広辞典』も同じでしょう)は「紀州攻め」「四国攻め」「九州攻め」「小田原攻め」と「攻め」で統一しています。翻って、wikipediaはどうでしょう。「紀州征伐」「四国攻め」「九州の役」「小田原の役」ですね。この用語不統一の説明ができれば文句はありませんが、そうでなければ編集者の不見識といわれても文句はないでしょう(まあ、WMPは、所詮素人の作るものですから、レファレンスする人の都合など知ったこっちゃないと居直るのもまたひとつの態度ですが)。
ということで、場を移して、議論を整理することを提案します。手続き論は、その命名整理の過程において治癒されると考えます。--Tomzo 2010年7月21日 (水) 15:03 (UTC)
そうですか。お答えありがとうございます。ただ、前回と今回とでは方針文書の変更もあったらしいですから、同時に議論が可能かどうかわからないところもありますが。とにかく、薔薇騎士団御自身は「前回の投票が有効か無効かを問題にしたい」という御意見ですね。わかりました。--Chokorin 2010年7月17日 (土) 06:12 (UTC)

前回および今回の投票の有効性・無効性について

  1. 前回の投票の有効性・無効性を論じる価値があるか。
  2. 前回と今回の投票の有効性・無効性を並行して論じてよいか。
  3. 前回の投票には瑕疵があったか。なかったか。
  4. 前回の投票は無効とし、巻き戻すべきか。
  5. 現記事を改名すべきか。
  6. 今回の参考投票の結果は議決として有効か、無効か。

上記について、御意見をお寄せください。--Chokorin 2010年7月17日 (土) 07:00 (UTC)

コメント欄

6.について
今回は議決としては無効であると表明したうえでの参考投票ですから、手続き上どうであれ、議決としては無効と考えます。
3.について
瑕疵はあったかもしれないが、議決を無効とするほどのものではないと考えます。
4.について
したがって、前回は議決投票として有効であり、巻き戻す必要はないと考えます。
1.について
今回は、そもそもこのことを論じるために始まった議論ではありません。また、このことを論じることは無為に議論を拡散させるのみです。動機(原因)と影響(結果)の双方から考えて、このことを論じる価値はないものと考えます。
2.について
どうしても、3.や4.について議論したいという向きがあるとしたら、前回と今回のそれぞれの投票を並行して論じるのは適切ではありません。そもそも議決投票と参考投票とを同列に考えることはできません
また、いったん巻き戻してからの改名と現状での改名では、議論のあり方が最初から全部変わってくるのは当然ですから、今回の投票に関する議論はすべてストップしたうえで議論すべきです。
しかし、わたしは「1.について」で申したように、そもそも、そんな価値がないと考えるので、結論としては、ここでは「5.についての話に集中すべき」と考えます。

--Chokorin 2010年7月17日 (土) 21:37 (UTC)(体裁を変更)--Chokorin 2010年7月17日 (土) 21:51 (UTC)
コメント

1・2
前回の有効性・無効性を論じる価値はないです。「投票」という字面に囚われ過ぎているから、このような不毛な議論が発生しているだけです。合意に向けてのコメント依頼も提出されていましたし、最終的に反対意見がなく合意が形成されたという事実を直視すべきでしょう。
3
ログを読めばわかることですが、前回の「投票」は合意が形成できるかどうかの最終的な賛否確認程度のものであり、「(強制力の伴う)投票」と解釈するには値しないと考えます。
4
反対の意見がなく、合意が形成されているため、移動を差し戻す必要性は全くありません。
5
議論参加者各位のご判断にお任せします。
6
参考投票(調査投票)としてのみ有効。この結果のみをもとに記事を強行改名する根拠にはなり得ません。

以上です。--かげろん 2010年7月18日 (日) 01:08 (UTC) コメント

1,3,4
今回のテーマにあまり関係がない(今回改名されれば前回の結果は更新されることになるので)のでノーコメント
2
目的を考えれば、議論を拡散させる必要はない。必要ならば別途行うべき
5
現在の議論の結果による
6
参考投票としての実施自体反対で認めていない。単に議論のための意見が(若干)整理されただけであり、当然改名の根拠にはならない。

以上。Fuji 3 2010年7月18日 (日) 08:43 (UTC)


コメント

1.2.3.4.について
前回のは投票というより、「九州征伐」案と「九州の役」案で揺れていた蚯蚓さんや未発言者を意識して最終意見を確認したものであり、反対のない合意確認であったと認識しています。今回の改名提案者御自身からすれば、改名提案の議事進行により自然解消する物であり、特に個別に論じる意義はないんじゃないかなと思います。
5.
私は戦争記事に対して戦争名称であり、かつ記事に対して質量共に最大の依拠出典たる「九州の役」に現状維持するのが良いと思いますが、改名論者がいるのであれば、ガイドラインに則った改名候補の優位性を論じた議論をすべきと思います。
6.
主催者より参考投票であるとの宣言もあり、議決合意がないが故に改名を決定する投票ではないと思います。なお、私は議論の俎上に昇っていない改名候補を掘り起こす物かと思っていました。
--Yasumi 2010年7月18日 (日) 12:19 (UTC)

投票の締め切りと改名賛成確認

とりあえず期限が過ぎましたので、投票の締め切りと改名賛成の確認をしたいと思います。現在「九州平定」が賛成多数ですので、これに改名しようと思います。再度の改名提案や再投票は一定期間おいてから提案お願いします。他の改名提案でもそうですが、どこかで締め切らないと議論が一年近くに及ぶ改名論議の無間地獄に陥ります。また一部参加者にはそれを楽しんでいる人もいるようですので、ここでも同じ過ちを犯すのはこりごりです。--薔薇騎士団 2010年7月15日 (木) 01:48 (UTC)

禍根があるのかもしれませんが、今回は参考というか調査のための投票ですので、指針にはなっても即決するとなると反発が大きいですのでもう少し議論しましょう。--小判キング 2010年7月18日 (日) 06:22 (UTC)
Yasumiさんは2010年7月2日 (金) 23:54 (UTC)において、「記事名として『九州平定』や『九州征伐』も否定しません」と述べたうえで「『九州平定』よりは『豊臣秀吉の九州平定』に優位性を認める」とおっしゃっています。それから、2010年6月24日 (木) 12:17 (UTC)には、「単なる『九州平定』よりは主語を冠する『豊臣秀吉の九州平定』の方が優勢」であることを多くの事例をもってお示しです。Fuji 3さんも、2010年6月29日 (火) 04:11 (UTC)で、「九州平定よりも、『豊臣秀吉の九州平定』とか『秀吉の九州遠征』の方が名称としては無難」とされています。秋田城之介さんは 2010年7月4日 (日) 13:41 (UTC)の御意見は、「現段階では(「豊臣秀吉の」をつけることに)反対、しかし定義の厳密化を重視すれば付けることで合意できるかと」というもので、合意に前向きな含みをお持ちです。薔薇騎士団 さん御自身も「『豊臣秀吉の九州平定』でも可」と明言なさっています。
出典から言えば、「単なる『九州平定』よりは主語を冠する『豊臣秀吉の九州平定』の方が優勢」ということであり、「『九州平定』が秀吉の専売特許でない」ことは、私のこの書き込み([35])で示した通りです。こうしてみた場合、現状の記事のままで記事名だけ変えるというのであれば、「豊臣秀吉の九州平定」もしくは「九州平定 (豊臣秀吉)」が合意を得やすく、また、根拠としても妥当のようです。わたしもこれを支持します。Hesollaさん、小判キングさん、Babi Hijauさん、Tomzoさんは「豊臣秀吉の九州平定」で合意できるか否か、できないとすれば、あるいは単なる「九州平定」または「九州征伐」の方に優位性を認めるとすれば、その理由をお示しください。
ここで、「(主語ぬきの)九州平定」に改名してしまうというのは、「九州国分」の立項や「秀吉以外の九州平定」の加筆の可能性をまったく考慮しないことであり、そのような改名はむしろ「言葉狩り」以外の何物でもないように思います。これは、この記事の充実発展を第一に考える執筆者のみなさんの意欲をおおいに低下させてしまう懸念さえあります。ここでは、詰めるべきことをもっと詰めたらいかがでしょうか。改名は、その後でも充分だと考えます--Chokorin 2010年7月15日 (木) 10:53 (UTC)
コメント投票は改名結果を決定するものではないという認識なので、それを根拠に改名を強行するのは勘弁して欲しいのですが、「豊臣秀吉の九州平定」にすることには賛成です。
理由は、
  • この記事は一連の戦闘行為及びそれに付随する事前の状況と事後の状況をまとめたものである
  • 記事の対象の性質上、特定の出典によらず様々な出典を元に記載される
  • 出典間で呼び名が異なることは当然考えられる
  • そもそも記事名は、内容を端的に説明し誤解を招きにくい名称であれば問題なく、その要件を満たすならば、名称自体の出典はさほど重要ではない。
と考えるからです。「九州の役」「九州平定」「九州征伐」などのブレは出典の解説で触れれば十分だし、この項目の理解について重要ならば「戦闘の名称について」といった節を設けて本文の中で名称に違いがあることを触れるべきだと思います。また、ある程度の出典があればリダイレクトとして作成しておけば十分と考えます。Fuji 3 2010年7月15日 (木) 11:13 (UTC)
前回の手続きに瑕疵のある投票が有効で、今回手続きに問題のない投票がだめなのか、まずその点を明らかにしてもらいたいですね。あと、「豊臣秀吉の九州平定」に賛成ならなぜそれに票を入れなかったのでしょう? 結果が出てから、勝手にひっくり返すのは議事妨害です。--薔薇騎士団 2010年7月15日 (木) 12:43 (UTC)
Wikipedia:投票に従った手順がとられていないこと、参考投票であることが明かされていたことから議論を眺めただけで今回投票していないユーザーもいることでしょう。現時点ではリンク元を確認すればわかるようにリダイレクトとなっている項目へリンクしている記事も多くあります。急がば回れで改名を実施することは今後また改名議論がなされることにもつながり現時点で改名の結論が出たとするべきものではないと思います。--Tiyoringo 2010年7月15日 (木) 13:02 (UTC)
コメント まず、現在のWikipedia:投票の指針は調査投票の指針を述べているに過ぎませんから、賛成多数だったといって改名を強行できる根拠にはなるわけがありません(さらに、提案者も「参考投票」だと明言していますよね)。まあ「賛成多数の選択肢に改名する」ことについて合意が形成できているなら話は別なのですが、上の議論をじっくり見てみましたが、そのような合意は形成できていませんね。薔薇騎士団さんがこのような状況で改名を強行するというのであれば、腕ずくで解決する行為を地で行くわけですから管理者伝言板に報告されるかコメント依頼が出される可能性が高いでしょうと忠告しておきます。「議事妨害」とか言う以前の問題だと考えます。--かげろん 2010年7月15日 (木) 13:23 (UTC)
それでは、前回の投票による改名も無効である、という認識でよろしいのでしょうか? なぜなら前回の投票もWikipedia:投票に従った手順がとられていない、また、投票による改名は腕ずくで解決するだそうですので。無効が確認されれば、記事名をいったん巻き戻したいと思います。なお、無効でないと主張される場合は、その論拠をお示しください。--薔薇騎士団 2010年7月15日 (木) 20:32 (UTC)
これは、論点のすり替えにあたるのではないでしょうか。現記事を改名するかどうかという話と、2009年4月の投票が有効か無効かという話とは全然別の話のはずです。今回は、現記事を改名するかどうかということで議論がはじまったわけですから、改名するかどうか、改名するとすればどう改名するかという流れのはずです。過去の投票が有効か無効かという話がメインであるならば、改名はおこなわないという前提で、2009年4月の投票が有効か無効かだけを論ずべきです。--Chokorin 2010年7月15日 (木) 22:06 (UTC)
現時点の話について意見したのに、現時点の話を回避してなぜ前回の「投票」を持ち出してくるのやら……。このような蒸し返しをする方がよほど議事妨害でしょうし、「百害あって一利なし」だと思うんですがねえ……。前回の改名議論は最後に合意に向けてのコメント依頼も提出されていますし、その後、賛成意見はあれども反対意見は全くありませんでした。これより、合意が形成されていることは容易に確認が可能です。薔薇騎士団さんは「投票」という語に違和感があるから上のような発言をされたのだと思いますが、「投票」という字面に囚われすぎなんじゃないでしょうか? 合意が形成されているという事実は事実として受け止めることは必要だと思いますよ。あと補足しておきますが、WP:POINTが正式にガイドライン化したのは2009年4月27日のことです。前回の改名議論より約1か月後のことですから、その点はお忘れなきよう。--かげろん 2010年7月16日 (金) 12:21 (UTC)
私が言いたいのは、ある種の人たちは自分の議論を有利に導くために、「この改名投票は有効です」「この投票は調査投票だから拘束力はありません」と、都合のいいように使い分けるのはいかがなものか?ということです。この種のダブルスタンダードはどういう基準に基づいているのでしょうか? 以前Chokorin氏はヤマト王権の見出しの合意形成の投票のすぐ後に現れて、「自分はその投票に参加していないから拘束されない。そんな投票は無効である」と主張して、合意文の破棄と再投票を主張して結局自説を押し通しましたが、今回は「別の話」として前回の投票無効を持ち出すのはおかしい、と主張されています。要するに自分の主張を押し通すためには、平気で180度別の意見を言っているわけです。これで政治的取引に応じなさいというのは、むちゃくちゃではないでしょうか。--薔薇騎士団 2010年7月16日 (金) 14:52 (UTC)
過去の議論を理由に誰々はダブルスタンダードだから・・・というコメントは議論から特定利用者を締め出そうとしているような印象を受けるもので適切な議論とは言えないように思います。--Tiyoringo 2010年7月16日 (金) 15:31 (UTC)
(薔薇騎士団さんへ)いや、私は「この改名投票は有効です」というようなことは一言も言っていないんで。「前回の投票が有効か無効か」という議論と「今回、改名するかどうか」という議論とはまったく別の話題だと申し上げています。それはそうでしょう? 「前回の投票が無効で、巻き戻したい」という話題にしたいならば、改名提案をはじめた小判キングさんをはじめ今まで改名議論に参加されてきた全員に了解をとって、改名はおこなわない旨話し合い、それを前提にして、2009年4月の投票が有効か無効かだけを論ずるよう働きかけるべきでしょう。そうなさりたいなら、どうぞということです。--Chokorin 2010年7月16日 (金) 17:31 (UTC)
この投票を持ち出した小判キングさんは2010年7月11日 (日) 06:53 (UTC)に「私としては参考投票として行っています。これで即座に決定するわけではありませんが、現実的な解決をするために、この投票を指標として今後に役立てたいと思っています。」と述べて居る通り、本投票の結果で改名をする物ではありません。加えて、私以外にも今の時点で議決投票をすべきでないという意見が出ています。本投票を根拠に改名することには反対です。
振り返れば、薔薇騎士団さんはノート:四国攻め/Log1で合意済みかつ投票期間中の改名投票について、日本語版でWikipedia:投票が廃止されたことを理由に「投票結果に拘束力を持たせること自体、Wikipediaの方針違反になります[36]」と方針を誤解釈して当初は投票無効論を展開[37]しました。継いでWikipedia:井戸端/subj/投票の拘束力でも、合意があれば投票結果を合意事項として使用することが可能であり、逆に合意がなければ議決投票のように投票結果を使用できないことが確認されています。そして他ならぬ薔薇騎士団さんご自身がWikipedia:投票は議論の代用とはならないなども引用しているわけです。しかるに、今回の多数票にてを改名するという合意の取れていない小判キングさんの始めた調査投票を根拠に、薔薇騎士団さんの独断で改名を実施するとの提案には唖然としております。薔薇騎士団さんの2010年7月16日 (金) 14:52 (UTC) の発言「ある種の人たちは自分の議論を有利に導くために、「この改名投票は有効です」「この投票は調査投票だから拘束力はありません」と、都合のいいように使い分けるのはいかがなものか?ということです。この種のダブルスタンダードはどういう基準に基づいているのでしょうか?[38]」は御自身に適用可能ですが、どういうことでしょうか?
また、前回の改名は一時「九州征伐」と「九州の役」に揺れていた意見が議論によって最終的に「九州の役」に一致した合意を確認したものであり、異論の排除などはしておりません。かつ、今回の改名提案が実務的に推進されれば、議論による摺り合わせで解消される疑念だと思われます。従って、ガイドラインを引用し、適用した論理を示し、論拠を明らかにした、改名提案の内容説明をお願いします。--Yasumi 2010年7月16日 (金) 19:34 (UTC)

コメント 今回の投票は有効な「参考投票」であり、議決のための投票では無いのでは?もし議決投票であったのであれば選択肢が多すぎるので不適格ですが、提案者からの説明ではもともと即改名の方針では無いわけで、無用な争いは避けた方が良いでしょう。前回の投票の是非に関して論じることは妨げませんが、議論の散逸化は避けてください。--秋田城之介 2010年7月17日 (土) 10:50 (UTC)

参考投票後の議論について

投票の結果、1.について「改名すべき」、2.について「九州平定」、3.について「豊臣秀吉の- は付けるべきでない」が多数意見となりました。これらを軸にすることとなりそうですが、「基幹的な出典として質量共に多用されているかどうか」ということを焦点にして議論する必要がありそうです。また、3.については条件付での賛成が多く、歩み寄りもできそうですが、みなさんの意見はどうでしょうか?--小判キング 2010年7月18日 (日) 06:22 (UTC)

薔薇騎士団さんに勘違いされてしまったようですが、ガイドラインに基づく議論とは、手続き論に限定された物ではありません。ガイドラインのどの条項をどのように解釈して改名候補の優越性を主張しているのかを説明する義務が提案者にはある、と言うことです。「一般的だから」「用例が多い」なんて結論だけ言われても、どのような範囲の調査に基づく、どのような物差しを使った評価なのか、「九州平定」の用例の中には「豊臣秀吉の」で無いものもあれば「戦争名称とは別の概念」であるものもあるため、独り善がりの決めつけでは調査方法や評価軸が適正なのかを議論することができません。ですから、小判キングさんも改名を提案するのであればガイドラインに沿った説明をお願いします。--Yasumi 2010年7月18日 (日) 12:22 (UTC)
薔薇騎士団さんは「明確な回答」を私に請求されているようですが、前回の改名が有効であるのか無効であるのかは個人では決定づけられる物ではないと思います。最終的に蚯蚓さんによる改名を、当時の私は特段問題であるとは思っていませんでしたし、それ以来この記事は「九州の役」であったのは客観的な事実です。現状に対して、優越する名称があるのであれば改名提案を進めればよいだけと思います。というか、なぜ無効論が改名論の後出しとなるのか、たいへん不思議に思えます。
「各都道府県のホームページで「九州の役」の使用例が一つもない、また、各種歴史事典・辞典類でも九州の役は一つもないとの小判キング氏の指摘はどうお考えですか?」 >こちらにも回答します。用例が戦役呼称を対象としていないのであれば、それは記事に対する用例でなく、改名提案に不適当です。むしろ、戦争名称以外の用例が多用されているのであれば、それは記事の概念とは別の呼称用例であり、ガイドラインWikipedia:記事名の付け方の「曖昧でない」「首尾一貫している」に対して「九州平定」が適当でないと言うことを表しています。追記すれば、割と最近の論文用例を尾下成敏「九州停戦命令をめぐる政治過程--豊臣「惣無事令」の再検討」2010年から見れば、「九州平定」は全く見られず、用例としては「対島津戦」「島津攻め」などが使われており、特に記事名を表す上で「九州平定」の優越性は見られません。
なお、当方から薔薇騎士団さんへの照会がスルーされていて遺憾ですが、2010年7月16日 (金) 19:34 (UTC)の照会の通りに投票に対して薔薇騎士団さんがダブルスタンダードで無効論を展開したり有効論を展開する理由をご回答下さい。場合によっては、これは重大な議事妨害と言えるかも知れません。--Yasumi 2010年7月18日 (日) 12:27 (UTC)
コメント 横槍っぽくなりますが、そもそもYasumiさんは「平定」という語義に対して戦役的な意味合いが無いとおっしゃるのでしょうか?「平定」とはそもそも、「敵や賊を討ち平らげること」であり、このうち「平らげること」は政治的事実の意味合いがありますが、「敵や賊を討ち」の部分は明確な戦役的意味合いを含んでおり、ガイドラインに反していないと考えます。--秋田城之介 2010年7月18日 (日) 12:44 (UTC)
「平定」という語義に対して戦役的な意味合いが無いとおっしゃるのでしょうか? >いえ、皆無ではなく戦役名称としての使い方あると思っています。しかし、それは代名詞的使い方であり、原義の「一方が他方を討ち果たしたという結果」を示す言葉に比重があります。出典に於ける取り扱いでも、戦争名称としては「九州平定戦」「対島津戦」などの扱いがあり、戦争名称の代名詞として避けられている事例があることは既に説明しました。
用例動向を見ても、「九州平定」用例の大半は中世と近世を隔てる体制変化の節目の意味で使われており、戦争名称の意味で使われていることは少ないように思います。小判キングさんが改名提案の冒頭で持ち込まれた自治体サイトの文中の使い方もそうですよね?「九州の役の結果、豊臣秀吉は九州を平定した / 豊臣秀吉は九州を平定する過程で九州の役を戦った」のですから、たとえば「太平洋戦争(戦争名称)」のことを「対日戦勝(戦争結果)」とアメリカ視点かつ代名詞で呼ぶのは違和感がありますよね?戦争の説明をしているのに「対日戦勝は真珠湾攻撃で始まった」なんて説明文は間違っていなくとも変でしょう。戦役名称を使うべきところには、戦役名称を使用するという当たり前の話をしているつもりです。
それと、改名を持ち込むにあたって問題にしているガイドラインはどれなんです?比較も基準もなく「問題ない、問題ない」と結論だけ言われましても困ります。--Yasumi 2010年7月18日 (日) 20:01 (UTC)
Wikipedia:ページの改名には、改名する理由の一つとして、「ページ名が記事名の付け方のガイドラインに沿っていないとき」を挙げています。そこで、Wikipedia:記事名の付け方を見ますと、記事名の理想の基準として、「認知度が高い - 信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を現すのに最も著名であると考えられるもの。」を挙げています。「信頼できる情報源」については、詳しくはWikipedia:信頼できる情報源を参照してください。今回の議論でいえば、小判キング氏が挙げた各種歴史事典・辞典14冊からの調査は十分「信頼できる情報源」です。また、各都道府県のサイトにおける情報もWikipedia:信頼できる情報源#オンラインや自己公表された情報源の利用も「政府の公表物は信頼できることも多くあります」に準拠しますので、鵜呑みには注意が必要ですが「反体制勢力、宗教集団、過激派」のようなサイト情報ではないという点で、一つの参考になります。
これに対して、前回の投票の際にYasumi氏が「九州の役」の出典に挙げられたものは、「日本戦史 小牧・九州・小田原の役」参謀本部の一冊だけで、本人も「一貫性がないですけどね」と、信頼性に問題があることを認めています。あとは、CiNiiの検索から「九州役」が一冊あると書いていますが、CiNii検索には「九州平定」も一冊あることは触れていませんね。あと、国会図書館検索には、「九州征伐」2件、「九州ノ役」2件、「九州役」1件があると報告していますが、「私は依然として九州の役を支持しています。」と述べているだけで、なにゆえ「九州征伐」がだめなのか全く触れていません。要するにYasumi氏の調査は、網羅的ではなく、自分の都合のいい検索結果を利用して(九州征伐が検索結果に出てきても無視している)、前回の改名が決まったわけで、議論内容でも、手続き上でも大いに問題があったわけです。こうしたことから、私は明らかに小判キング氏の調査のほうが網羅的で信頼できると思います。あと、Yasumi氏は2009年2月1日 (日) 12:11 (UTC)の投稿にて、「私は記事内容から「秀吉の○○」よりは戦役名称としては「九州の役」「九州陣」を推します」と発言されています。--薔薇騎士団 2010年7月18日 (日) 23:33 (UTC)

小判キングさんと薔薇騎士団さんに2点質問します。

  1. 現在、「九州平定」は本記事「九州の役」へのリダイレクトになっているわけで、別段「九州平定」の用語が否定されているわけではないですよね。どうして、それではいけないのですか。
  2. もし、お二人がリダイレクトを解除して「九州平定」の記事を執筆するとすれば、現状「九州の役」の内容とは大きな違いが出てきますか。それとも、「九州の役」の内容ほぼそのままですか。--Chokorin 2010年7月18日 (日) 23:51 (UTC)
すぐ上でも述べていますし、何度も書いていますが記事名はもっとも一般的に認知された名称を選ぶべきですが、現行の「九州の役」が一番認知されているとする十分な出典が挙げられていません。逆に言えば、「九州の役」が一番使用例が多いということが十分な出典数でもって立証されればそれでいいと思います。--薔薇騎士団 2010年7月19日 (月) 00:10 (UTC)
答えになっていないようです。「九州平定」を推しながら、御自分が「九州平定」の記事を執筆することは一つも頭にないということですか? --Chokorin 2010年7月19日 (月) 00:16 (UTC)
本記事の見出しには、
>九州の役(きゅうしゅうのえき)は、天正14年(1586年)7月から同15年(1587年)4月にかけて行われた、羽柴秀吉(1586年9月9日、豊臣賜姓)と島津氏との戦いの総称である[1]。秀吉の「九州攻め」、「九州平定」、「九州征伐」などの名称で呼ばれることが多い。
とあり、九州の役=九州攻め=九州平定=九州征伐と定義づけています。それゆえ、記事名を変更しても、記事内容に大きな変更が生じるわけではないでしょう。もちろん、記事中の九州の役→九州平定の用語の置き換えは、私がやってもかまいません。他の方がするならそれでも結構です。あと、Chokorin氏はたびたび質問されますが、まず過去の発言を読めば分かるようなことは質問しないでください。他人の時間を何だと考えているのでしょうか? --薔薇騎士団 2010年7月19日 (月) 02:11 (UTC)
要するに、「九州平定」の記事を執筆する気はまったくないってことですか? --Chokorin 2010年7月19日 (月) 04:32 (UTC)
加筆が必要と思ったときにはしますが、それは義務や強制ではありませんし、あなたに予め約束したりすることでもありません。ほかのすべての記事の執筆でも同様のスタンスです。加筆の意思があってもリアル事情でできないこともありますし、予定がなくても時間が取れたときはするかもしれません。Wikipedia:編集方針#多様な参加姿勢が受け入れられますを理解していないような質問は以後無視します。--薔薇騎士団 2010年7月19日 (月) 04:48 (UTC)
「もし、加筆するとしたら」という話をしているのであり、別にあなたに執筆の約束を強制しているわけではないんですがね。それでまあ、あなたのおっしゃるところを真に受けるとしたら「加筆の意思がある」ということですが、ただ、加筆する場合であっても、今のところは具体的には「九州の役→九州平定の用語の置き換え」くらいしか変更点は見あたらないということでいいのでしょうか。もう一つ。記事「九州の役」冒頭文を根拠になさっているようだけど、定義文中の〈…秀吉の「九州攻め」、「九州平定」、「九州征伐」…〉や、Otherusesによる曖昧さ回避の説明文「豊臣秀吉による九州平定」には、「秀吉の」という言葉が入っているわけですが、それをあなたは上の等式(九州の役=九州攻め=…〉では、省いておられますね。それは故意に省いたのですか。それとも、単に見落としただけですか。どちらですか。--Chokorin 2010年7月19日 (月) 05:25 (UTC)(字句訂正)--Chokorin 2010年7月19日 (月) 05:47 (UTC)
「故意」なのか「不注意」なのか、答えは2つに1つだと思うのですが、どうしてお答えになられないでしょう? 過去の発言を読んでもわからないから質問しているわけですが。--Chokorin 2010年7月20日 (火) 21:06 (UTC)
2010年7月18日 (日) 23:51 (UTC)の2つの質問は小判キングさんに向けても発したものだったのですが、お答えいただけるでしょうか。--Chokorin 2010年7月20日 (火) 21:06 (UTC)
私の方からも薔薇騎士団さんがスルーしてしまった問い合わせについて、フォローしていただきたいです。特にダブルスタンダートの件については、議論を混乱させる元であり、どのような態度に基づいてルールを使い分けてしまったのか表明していただきたく思います。
また、当方への問い合わせについては、「九州の役」の用例が一番多いのは国会図書館の所蔵する本では唯一であり、九州平定の用例は一件もなく0です。また論文名称で取り上げられている用例についても「CiNii検索には「九州平定」も一冊あることは触れていませんね」と薔薇騎士団さんは私のコメントを正しく読解されませんでしたが、その一件についても茶道の論文であって、豊臣島津戦争を専門的に扱ったものと確認されたのでしょうか?非常に疑問に思います。
なお、用例と言って「九州平定」よりもただの「平定」の方が用例が多いわけですが、それが推されないのは記事の主題との乖離を考慮しているわけで、同じく「九州平定」の用意が多くてもそれが「豊臣秀吉の」でない場合もあり、また一方で「九州平定」が記事の主題である「豊臣島津戦争の意味(平定の過程)」でなく、「豊臣秀吉が九州を平定した事績の意味(戦争の結果)」で使われている例が小判キングさんの引用されたサイト全件に当て嵌まるように殆どのようです。更に本文の主題を構成する出典でも「九州の役」に重点が置かれているのが現状です。--Yasumi 2010年7月21日 (水) 13:20 (UTC)
意味が不明ですね。「九州平定」より「平定」のほうが用例が多いとは、単に「熟語」の構成要素の一つである「平定」が他の熟語でも使用されるので、検索結果が多くなるという意味ですか? それなら「九州の役」の「の」や「役」も同じく多いのでは? こうした議論につきあうまともな研究者はいるのでしょうか。ダブルスタンダードについても過去の発言で何度も説明しています。少しは過去ログを読む努力をされてはいかがでしょうか? それと、あなたは私の質問に答えていませんね。手続きに瑕疵のある改名提案は有効なのですか? --薔薇騎士団 2010年7月21日 (水) 14:06 (UTC)
1.記事主題の戦役を意味しない「九州平定」の用例を出されても、それはガイドラインにもある「曖昧である」ことの証左にしかならないと言うことです。つまり意味を評価しない論理なのであれば「平定」が多数優勢であり、「豊臣秀吉の」を省いて用例数を稼ぐ論理と同質ですよね?ナンセンスです。
2.それに議決投票のダブルスタンダードについては、どこで「何度も説明しています」なのでしょうか?差分なりタイムスタンプを示して具体的に自己矛盾を解説下さい。それともこれは由々しきことに回答拒否の一形態なのでしょうか?
3.なお手続き論については、ご自身もご提案の改名議論により解消する筋合いのものであり、他の方からも意見が出ていますが建設的見地から現時点で結論を出す必要を認めません。
4.Chokorinさんからの照会についても、正面から向き合った回答をよろしくお願いします。--Yasumi 2010年7月21日 (水) 14:44 (UTC)(再著名)

平定が戦役を意味しないというのはあなたの独自研究でしょう?

  • 大辞泉

へい‐てい【平定】 [名](スル)敵や賊を討ち平らげること。「反乱を―する」「天下を―する」

  • 大辞林

へいてい0 【平定】 (名) スル 敵や賊をたいらげること。反乱などをしずめて秩序を回復すること。 (Yahoo Japan辞書より)

辞書で敵を討つこととありますが? どうもYasumi氏の日本語解釈は独自研究的で理解に苦しみます。

あと、ダブルスタンダードについては、2010年7月15日 (木) 20:32 (UTC) 、2010年7月16日 (金) 14:52 (UTC)、2010年7月18日 (日) 23:33 (UTC) で関連する話題を述べていますが?

>なお手続き論については、ご自身もご提案の改名議論により解消する筋合いのものであり、他の方からも意見が出ていますが建設的見地から現時点で結論を出す必要を認めません。

これはおかしな言い分ですね。改名提案をするというのは、前回の改名が手続き上も有効であったと認めることを前提になりますが、手続き上瑕疵がある場合その改名は無効であるというのはYasumi氏の主張ではないのですか? もし手続き上瑕疵があっても有効であるなら、誰かがWikipediaで定められた手続きを無視して任意の記事を任意に改名してもいったいだれが抗議できるのでしょうか? 四国攻めの改名投票における不正疑惑を主張するArawodas氏のCU依頼に賛成して、多くの反対意見を無視して勝手にCU依頼を提出し、2度も管理人から却下されるというWikipedia史上前代未聞の失態を演じたのは他ならぬYasumi氏ではありませんか? 自分の改名提案に反対するものは、不正疑惑を騒ぎ立てて徹底的に相手を追い詰めるくせに、自分の瑕疵となると無視せよと言うのでしょうか。これではまるで「Yasumiの改名は良い改名。それ以外の人の改名は悪い改名。異論は認めない」のようなもので、呆れてしまいます。改名の手続きにおける首尾一貫性についてお答えください。--薔薇騎士団 2010年7月22日 (木) 00:27 (UTC)

何だかYasumi氏糾弾大会みたいになってしまっていますが、議論は「九州の役」の改名をどうするのかということだったはずですよね。「#前回および今回の投票の有効性・無効性について」をお読みになっていただければおわかりになると思いますが、もはや薔薇騎士団さんの行動はコミュニティに受け入れられないレベルに達していると思います。関係のない話題はなさらないように。それから、2010年7月19日 (月) の質問、7月20日 (火) 21:06 (UTC)の再質問にもお答えになっておられませんね。どうしてですか。「故意に省いた」というのであれば、もはや立派な議論妨害が成立すると思います。「見落とした」というのであれば、「秀吉以外の平定」や「平定戦以外の平定事業」はどうするのかということを、お示しいただかなくてはいけませんね。これは本来、改名提案側がすべきことのはずであり、だから、わざわざ2010年7月18日 (日) 23:51 (UTC)の時点で、「リダイレクトを解除して『九州平定』の記事を執筆するとすれば、現状『九州の役』の内容とは大きな違いが出てきますか。それとも、『九州の役』の内容ほぼそのままですか」というふうに伺っているわけです。薔薇騎士団さんは、単に他者を糾弾したいというだけならば、別の場を設けてそこでやってくださいませんか。提案者は、提案するならするで、こういう妨害はきちんと排除して、最後まで責任をもって議論を進めてください。お願いします。--Chokorin 2010年7月22日 (木) 14:17 (UTC)
ほとんど揚げ足取りレベルの話ですね。九州平定=九州の役でないなら、改名提案ではなく単に別記事立てればいいわけですよね? それではいまなぜ改名提案をしているのでしょうか? 秀吉以外の平定(たとえば島津氏の?)は記事が立項された時点で考えればいいのではないでしょうか? その上で「本項では、豊臣秀吉の九州平定を扱っています。島津氏の九州平定は九州平定(島津氏)を参照してください。」とでも書けばいいのではないでしょうか? それはそうと、他の方から指摘がありましたが、現在「九州の役」「四国攻め」「小田原の役」「紀州征伐」と記事名の統一がなされていないのも問題です。「~の役」「~攻め」「~征伐」のいずれかに統一するのが学問的といえるでしょう。ところがYasumi氏は記事ごとに改名提案がバラバラです。また「秀吉の~」とつける場合も、各記事で基準を統一しておくべきです。--薔薇騎士団 2010年7月22日 (木) 15:34 (UTC)
九州平定が秀吉に限らないのは、事実でしょう。出典もある。たとえば、講談社版日本の歴史15『織豊政権と江戸幕府』(池上裕子)p.154-155を読んでみてください。「平定」ということばは島津氏に対して使っています。それなのになぜ改名提案をしているのかは、知りませんよ。そういう用法を無視しないと提案できないということなんじゃないんでしょうか。たとえば、わたしが「九州平定」の記事を書くとしたら、「九州の役」とは全然違ったものになるのですが、「単に別記事立てればいい」ということならば、わたしがリダイレクト解除して別記事立てることには反対されないということでしょうか。--Chokorin 2010年7月22日 (木) 16:13 (UTC)
ええ、反対はしませんよ。ただ現在存在する記事との記事名の整合性は考慮してくださいね。--薔薇騎士団 2010年7月22日 (木) 16:24 (UTC)
1.薔薇騎士団さんが「yasumiは平定には戦役の意味がないと主張している」と言うような理解をしているのであれば、憂慮すべき読解状態にあるということになります。以前のログを良くお読み直し願いたい。また、日本語解釈の方向で議論することは色々問題ですが、薔薇騎士団さんの展開した「平定」の定義によると「敵や賊を討ち平らげる以前の状態」や「反乱などをしずめて秩序を回復する以前の状態」である戦争中は「平定」の対象外ですので戦争記事には用語不適応という論理提示になりますよね?奇しくも私が例示済みの太平洋戦争九州の役(戦争名称)と日本の降伏九州平定(戦争結果)の関係の違いを浮かび上げていただいているわけです。九州平定には戦争名称の意味あるのは辞典定義などの出典に由来するわけですが、原義である「豊臣秀吉が九州を平定した事」の省略形や類似形で表現されることが多く、多いと言われる提示用例の殆どは戦争を対象としていません。これは頻度の高い「平定」が必ずしも「九州平定」を示さないのと同様であり、本記事と定義と異なる用例が多くてもそれは論拠には成り得ません。冒頭で紹介されている鹿児島市・福岡市・大分県・熊本県のサイト記事は、よく読めば分かる通りに「豊臣秀吉が九州を平定したという結果を表現した」ものであり、「豊臣・島津戦争(九州の役)という過程を表現した」ものではないですよね?
2.私の言うダブルスタンダートとは、薔薇騎士団さんがノート:四国攻め/Log1で改名合意投票に対して議決投票無効論を展開されてガイドライン解釈まで教示されていたのに、ここでは全く逆の動向調査投票(議決合意なし)に対して議決であるとの前提に立った解釈をしていることについての態度確認です。これは、いたずらに議論を混乱させているだけであり、今後もこのようなことを続けられるようであれば問題ですので、どういうつもりなのか態度を明らかにしてください。
3.前回改名無効論について、薔薇騎士団さんの理解と主張は奇妙に見えますが、この記事に限らないルール運用の問題ですので井戸端や各ガイドラインのノートにでも聞いてみたら如何ですか?私以外の方も同意見のようですが、現状の記事名は「九州の役」であり、問題があるとしても改名提案が進めば解決することです。どうやら薔薇騎士団さんは「九州征伐」でも「九州平定」でもいいから「九州の役」だけは許せないという態度を取っているように思えますが、違いいますか?
4.「自分の改名提案に反対するものは、不正疑惑を騒ぎ立てて徹底的に相手を追い詰めるくせに、自分の瑕疵となると無視せよと言うのでしょうか。」 >前提が間違っているので質問が不成立です。変な印象操作は辞めていただきたいですし、何度も提案しているように私の行動自体を問題視するのであれば利用者に関するコメント依頼を出したら如何なのでしょうか?
5.「改名の手続きにおける首尾一貫性についてお答えください。」 ガイドラインに沿ったコミュニティによる解決が望ましいでしょう。はい回答しましたよ。
6.「記事名の統一がなされていないのも問題です。「~の役」「~攻め」「~征伐」のいずれかに統一するのが学問的といえるでしょう。ところがYasumi氏は記事ごとに改名提案がバラバラです。」 >私には薔薇騎士団さんの理論が理解できないのですが、改名論理の統一性と改名結果の統一性が区別できていないようです。Tomzoさんも仰っているように、薔薇騎士団さんがこの記事単体に限らない改名議論(あるいはガイドラインに採用されるような議論と改名適用)を求めるのであれば、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 歴史Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 日本史Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 日本の戦国時代Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 軍事史あたりへ場所を移して議論されるべきでしょうね。薔薇騎士団さんの有言が実行されるか否かは提案者次第でしょう。どうするのでしょうか?
7.さて、Chokorinさんの再質問の件でも指摘を受けていたり、Tiyoringoさんからのもコメントがあますし、記事を発展させる素振りが見えないことなども含めて、薔薇騎士団さんの行動には改善すべき点が色々あるように見えることには同意します。--Yasumi 2010年7月24日 (土) 21:11 (UTC)
Yasumi氏の「平定」の意味が分かりませんね。要するに、「平定」とは「戦争後の処理」のことであり、戦争そのものや戦争の期間は含まない、と主張したいのでしょうか? Chokorin氏が四国国分九州国分で書いてあるような戦後処理が「平定」の意味だと? しかし、Chokrin氏は九州国分の記事で、「九州平定(九州の役)ののちの天正15年(1587年)6月、豊臣政権によっておこなわれた九州地方の大名の領土配分のことである。」と書いてあり、むしろ国分以前の戦争状態として平定を使っているようですが。ついでに平定=(戦)役ともしているようですが。私の日本語理解がおかしいというのなら、Chokorin氏のこの理解もおかしいということなりますか? Chkorin氏に一度尋ねてみてください。
あと、私が四国攻めで当初投票の無効を尋ねたのは、「* コメントWikipedia:投票は廃止された方針なので、この投票は無効ではないでしょうか。この件については、ヤマト王権のノートで1月24日付けで指摘されており、Chokorin氏もご存じのはずです。ヤマト王権の投票の際は参加者が気づいていなかったということで不問の形になりましたが、本投票は少なくとも一人は知っていたわけで、その点を十分意思確認せずに投票を実施するのはルール的に問題があると思います。--薔薇騎士団 2010年2月14日 (日) 07:41 (UTC)」と書いてあるように、Wikipedia:投票があの時点ではいったん廃止され、Wikipedia上での投票自体不可能になったというような主張をヤマト王権のノートで主張された方がいて、私もすっかりその話を信じたからです。しかし、その後Wikipedia:投票は復活しています。前後の文脈を無視して発言の趣旨をゆがめないでください。--薔薇騎士団 2010年7月25日 (日) 02:35 (UTC)
「Yasumi氏の「平定」の意味が分かりませんね。」 >何を仰っているのですか?私が直前で論じたのは薔薇騎士団さんが辞書より持ち込んだ平定の意味についてですよ。奇妙な解釈をする前に良くお読み直し下さい。 戦役を意味しない平定の定義もあることを辞書から持ち込まれたのは薔薇騎士団さんであり、仰る通りの「戦役を意味しない九州平定あること」および前述の「他の九州平定あること」の二重の意味でWikipedia:記事名の付け方ガイドラインの「曖昧でない」に抵触して劣性であることが証明されました。
「調査投票と議決投票が排他的概念であるという間違った薔薇騎士団さんの解釈」はWikipedia:井戸端/subj/投票の拘束力#投票の拘束力ノート:四国攻め/Log1で各員から何度も指摘されており、「合意形成に投票を使うことは可能であり、投票による議決性の有無は合意によること」がガイドライン運用に詳しいであろう管理者を含む有識者より再三再四にわたる指摘を受けているわけですが、そのような経緯があるにも関わらず、どうして今回の薔薇騎士団さんは合意なき投票(しかも主催者から参考投票との宣言付き)を議決投票と解釈して議事を進めたのか?対話を拒否されずに、御自身の取った態度に明確な回答をお願いします。
私は下節で集約を提案しましたが、その他にも議論を閉じる提案や個別案件とせずに改名の統一性を解決すべき問題点としてプロジェクトへ上程する提案もありますので、話を散乱させる前に態度を明らかにして下さい。--Yasumi 2010年7月25日 (日) 23:04 (UTC)
Yasumi氏は、2010年7月21日 (水) 14:44 (UTC)(再著名)のコメントで、「戦役を意味しない「九州平定」の用例を出されても」と言っていますよね? それに対して私は、7月22日 (木) 00:27 (UTC)のコメントで、「辞書で敵を討つこととありますが?」と指摘して、平定に戦争の意味があることを辞書を引いて確認しました。これに対して、今度は「戦役を意味しない平定の定義もあることを辞書から持ち込まれたのは薔薇騎士団さん」と主張されていますが、では21日の「戦役を意味しない「九州平定」の用例を出されても」の発言はなんだったのでしょうか? あと、「戦役を意味しない九州平定もあること」とは意味不明です。本記事で改名提案されているのは豊臣秀吉の九州平定のことであり、それには当然戦役も含まれていましたし、仮に島津氏の九州平定の意味であったとしても、やはり戦役はありました。いったいYasumi氏のいう戦役を含まない九州平定とは歴史的にどの事象をさしているですか? また、「平定」という語が曖昧で記事名にふさわしくないというような論理も理解しがたいです。事実あなたのいう「参考投票」では「九州平定」が賛成多数でした。また、Chokorin氏も新たに記事を執筆するみたいですが。Yasumi氏の主張に賛同される方はいるのでしょうか?他のかたの意見を聞きたいですね。--薔薇騎士団 2010年7月25日 (日) 23:59 (UTC)
コメント「九州平定」の記事はリダイレクトを解除してChokorinが書くということで、薔薇騎士団さんとChokorinの間で合意が成立していますので、お二人とも、無用な争いをおやめください。この改名提案も閉じてよいと思います。薔薇騎士団さんお伺いの「平定」の語の意味も、そのなかで説明します。ノートだけ充実しても意味がないですから、本文を充実させるようにしましょう。--Chokorin 2010年7月25日 (日) 03:37 (UTC)

コメント 「九州平定」に戦役的意味合いが有る事はみなさん理解されていると思います。「平定に戦役的意味合いが無い」というのは「単なる個人見解」にしかなりえません。九州平定は意味合いが広く、九州役と九州国分をも包含しうると考えます。これらを別々に立項することが妥当かどうかは慎重に考えるべきです。--秋田城之介 2010年7月25日 (日) 06:56 (UTC)

2010年7月25日 (日) 23:59 (UTC)の薔薇騎士団さんへコメント。
1. 「九州平定」に戦役名以外の意味合いが有る事は皆様も理解されたと思います。当初、小判キングさんから提示された自治体サイトの4例(鹿児島市[39]、福岡市[40]、大分県[41]、熊本県[42])が「豊臣秀吉が九州を平定した」という事績(戦争の結果)を名詞化省略形の意味で表現した「九州平定」であり、対象記事の定義である代名詞的戦役名(平定の過程)の意味で使われた「九州平定」でないことも理解できはずです。戦争名で使われていない「九州平定」用例を議論に持ち込んで「各都道府県は「九州平定」という名称を使っています」・「県や市の公的な歴史見解に問題があるとは思わないです」・「改名根拠としては、小判キングさんが挙げられたものでも十分かとは思います」という改名提案は論理的でなく受け入れがたいもです。改名提案者は本件を論拠とするのか否かの整理をお願いします。
2.1項に関連して仮に本記事の定義を変更し、豊臣島津戦争を示す戦役でなく、用例の多い「豊臣秀吉が九州を平定した」という事績(戦争の結果)であるとの論理展開をするのであれば、「豊臣秀吉の九州平定」の方が優越すると思うのですが、改名提案者より明確な回答を得られていません。これは改名提案者の本記事を対象とする定義にブレがあるからだと思いますので整理下さい。
3.「あと、「戦役を意味しない九州平定もあること」とは意味不明です。」 >項目名が曖昧であると言うことはWikipedia‐ノート:記事名の付け方ガイドラインに於いて減点材料となるっています。
4.「事実あなたのいう「参考投票」では「九州平定」が賛成多数でした。」 >「参考投票」とは2010年7月4日 (日) 04:35 (UTC)のTiyoringoさんの照会に対して、投票主宰者の小判キングさんが2010年7月11日 (日) 06:53 (UTC)に明言された事に依拠するわけですが、薔薇騎士団さんはあくまでも合意がないに議決投票であったとして取り扱うつもりですか?以前と異なるダブルスタンダードな主張で、ガイドラインに沿わない議論態度を取り続けることは議論を混乱させる問題行為であると考えます。薔薇騎士団さんは私の態度に対しての指摘も多用しているようなので、一度お互いにWikipedia:コメント依頼#利用者の行為についてのコメント依頼を提出して第三者からの指摘を受ける事にしては如何でしょうか?ご同意願えますか?--Yasumi 2010年7月28日 (水) 22:06 (UTC)


改名提案の論点整理

改名候補比較表(案)
番号 ガイドラインにおける評価要素 A.九州の役 B.九州平定 C.豊臣秀吉の九州平定
11 日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの
  • (肯定的意見)
  • (批判的意見)
  • (肯定的意見)
  • (批判的意見)
  • (肯定的意見)
  • (批判的意見)
12 その記事へのリンクを作成しやすいもの
  • (肯定的意見)
  • (批判的意見)
  • (肯定的意見)
  • (批判的意見)
  • (肯定的意見)
  • (批判的意見)
21 認知度が高い
  • (肯定的意見)
  • (批判的意見)
  • (肯定的意見)
  • (批判的意見)
  • (肯定的意見)
  • (批判的意見)
22 見つけやすい
  • (肯定的意見)
  • (批判的意見)
  • (肯定的意見)
  • (批判的意見)
  • (肯定的意見)
  • (批判的意見)
23 曖昧でない
  • (肯定的意見)
  • (批判的意見)
  • (肯定的意見)
  • (批判的意見)
  • (肯定的意見)
  • (批判的意見)
24 簡潔
  • (肯定的意見)
  • (批判的意見)
  • (肯定的意見)
  • (批判的意見)
  • (肯定的意見)
  • (批判的意見)
25 首尾一貫している
  • (肯定的意見)
  • (批判的意見)
  • (肯定的意見)
  • (批判的意見)
  • (肯定的意見)
  • (批判的意見)
31 信頼できる情報源における慣例
  • (肯定的意見)
  • (批判的意見)
  • (肯定的意見)
  • (批判的意見)
  • (肯定的意見)
  • (批判的意見)
41 出来る限り一般的に知られており通用しやすい(歴史的事件の慣例)
  • (肯定的意見)
  • (批判的意見)
  • (肯定的意見)
  • (批判的意見)
  • (肯定的意見)
  • (批判的意見)
51 その他
  • (肯定的意見)
  • (批判的意見)
  • (肯定的意見)
  • (批判的意見)
  • (肯定的意見)
  • (批判的意見)

打診用フォーマット案ですので、まだ書き込まないでください。こんな感じで整理してみては如何でしょうか?一部重複があるので整理する必要があれば修正案の提示をお願いします。--Yasumi 2010年7月21日 (水) 13:34 (UTC)

またあとあと問題になりそうな立項をChokorin氏はされましたね。せめて「九州平定」への改名提案の終了確認をしてからすべきだったのではないでしょうか。まあ九州平定を複数の時代の諸々の戦役を取り扱う記事とするなら、最低限残り2記事は「豊臣秀吉の九州平定(or征伐orの役)」「豊臣秀吉の九州国分」としないといけないと思いますね。私はChokorin氏の立項には反対しませんが、記事名の統一と整合性は最初からお願いしていますので、その点配慮よろしくお願いします。--薔薇騎士団 2010年7月26日 (月) 11:46 (UTC)

「豊臣秀吉の九州の役」に改名か「九州の役」の項に秀吉によるもの以外の戦役に関して触れる、そのどちらかは必要である気がします。今のところは後者の方式を取るべ--薔薇騎士団 2010年8月9日 (月) 13:26 (UTC)きかなと感じますが。--秋田城之介 2010年7月31日 (土) 13:58 (UTC)

当初とは大きく状況が変化しており、議論の進展からも改名提案は再整理が必要な状態であると考えます。特に当初提案者の小判キングさんと賛同者の内でも薔薇騎士団さん・秋田城之介さんについては、今後も改名議論を主宰するおつもりであればどのような纏めを行うのか?改名議論をどうするのか?について方向性を示していただきたいと思います。--Yasumi 2010年8月4日 (水) 11:57 (UTC)

「九州平定」と呼ばれる事象の多くは豊臣秀吉のものですから、「主に豊臣秀吉によるもの」という補足は誤りではないと思いますが、Yasumi氏が差し戻されたのでこれを復帰しました。また、「九州における戦役の総称である」というのは「~の役」という言義を考えれば当然であり、「豊臣秀吉の~」という主語が無い以上必要だと考えます。--秋田城之介 2010年8月7日 (土) 09:48 (UTC)一部修正--秋田城之介 2010年8月8日 (日) 09:09 (UTC)

また削除があったので繰り返しますが、歴史学上「九州平定」と呼ばれる事象は、多くの場合において豊臣秀吉によるものを差しますから、該当する編集に関して削除はやめて頂きたいです。--秋田城之介 2010年8月8日 (日) 09:09 (UTC)

(冒頭の曖昧さ回避について)「日本史上で「九州平定」と称される諸事象全般(特に豊臣秀吉によるもの)については「九州平定」をご覧ください。」の太文字個所が秋田城之介さんの追記編集した冒頭の曖昧さ回避の説明文ですが、「諸事象全般」を扱う記事への案内誘導に相応しくない加筆になっています。また、九州平定の頻度説明が必要であれば、それはリンク先ですべき事です。
(九州の役の適用範囲について)「九州の役(きゅうしゅうのえき)とは、九州における戦役の総称である。」とのご主張ですが、そのような広範適用した事例を存じません。ご主張を継続なされるのであれば、秀吉以前以後の戦国時代の九州地方の各戦役や西南戦争島原の乱磐井の乱などの九州で起きた戦役をを総て九州の役と呼ぶ出典をお示し下さい。--Yasumi 2010年8月9日 (月) 12:05 (UTC)
「九州平定と称される諸事象全般」という定義と「特に豊臣秀吉によるもの」 という定義は矛盾しませんし、誘導として相応しくないとは思いません。平定と役の区分は、事象(戦役を含める場合もある)と戦役自体の区分であるはずですから、「主に豊臣秀吉によるもの」ということは変わりないはずです。
また、九州の役の適用範囲について、日本語として「九州の役」の意味するところは九州で起きた戦役の全般ですから、これは広範適用されても仕方ないと思います。そもそも、九州役原文には、「豊臣ノ九州役ハ・・・」とあり、わざわざ書き出しから「豊臣ノ」と付けています。これは「豊臣ノ」を付けなければ、説明が成り立たないということを示しています。--秋田城之介 2010年8月10日 (火) 09:33 (UTC)
まずChokorin氏が立項した九州平定が(秀吉に限定せず歴史上の九州での戦役を網羅したものとして立項したことについて)かぎりなく独自研究に近いグレーゾーンという気がします。こうした立項をする場合は、歴史学者の間でChokorin氏の用語法が広く使用されている出典を明示する必要がありますが、できていません。また、本記事の九州平定への改名論議をしているさなかに、独断で別記事として九州平定を立項したのも問題です。以前、Chokorin氏はヤマト王権の見出し文を議論しているさなかに、勝手に大和朝廷を別記事として執筆して差し戻された「前科」がありますが、今回も同様のケースですね。こちらでの議論の結論を見届けないで、勝手に九州平定を立項してしまえば、事実上今回の改名論議を妨害することができますから。--薔薇騎士団 2010年8月9日 (月) 13:26 (UTC)
記事を書いて不毛な議論に終止符を打ち、意味相互の整合性さえ完全に確保してさしあげたのに、記事を書く気はまったくない、合意も絶対したくないというような人から、文句を言われたのでは割に合いませんね。過去の書き込みを読めばわかりますが、「九州平定」の記事を立項することをわたしは再三再四提案していますが、そのとき誰からも反対はされていません。しかも、薔薇騎士団さんには特別に、わざわざ個人的に「いいですね」と確認をとったわけですが、このように、御本人から明確なかたちでの御同意をいただいています。「勝手に立項」ではありません。それからまた、自分の知らないことについては、すべて「独自研究」のレッテルを貼って葬り去ろうという態度はいかがなものかと思います。出典については、このノートを読めば大方のことはわかるはずですし、池上氏の著作など、ページの付けられるものは本文中にも示しています。熟読してください。むしろ、「戦役=平定」という薔薇騎士団さんや秋田城之介さんの理解こそが独自研究(というより無知)なのではないでしょうか。「九州平定は、秀吉の戦役のみに限定される語である」「池上氏が島津氏の軍事行動について『九州平定』の語を用いていることは間違っている」という出典を示すべきなのは、むしろ薔薇騎士団さん、秋田城之介さんの側ではないかと思います。記事「九州平定」の削除依頼を出すべきだということであれば、反対しません。--Chokorin 2010年8月9日 (月) 21:47 (UTC)
そのリンク先のコメントで、私は「現在存在する記事名との整合性は考慮してください」と云っていますよね? ここで「九州平定」への改名を論議しているさなかに、勝手に「九州平定」を立項してしまえば、その後トラブルになるというのは想像できなかったのでしょうか? 改名で同意が得られても、すでにその記事名が存在するなら改めて今度はChokorin氏が立項した「九州平定」を別記事名に改名提案しないと、本記事を改名できなくなるわけですから。ここでの議論を知らずに、たまたま立項したというような場合ならまだ情状酌量の余地はありますが、Chokorin氏の場合はここでの議論に参加しててトラブルになりうる可能性を十分認識できていたと思いますので、タチが悪いですね。もちろん、歴史上の九州での戦役一覧のような記事があってもいいと思いますが、その場合は既存の記事名やここでの改名論議に配慮すべきでしょう。だから、わたしは念を押したのですが、理解してもらえなかったようですね。--薔薇騎士団 2010年8月9日 (月) 22:57 (UTC)
整合性は、otherusesによっても、「九州平定」の記事の本文・脚注によっても完全に確保されているのであり、それは薔薇騎士団さんが掲げた国語辞典の記述も含め、ここで議論参加者が指摘したすべての論点を網羅しています。いったん同意しておいて、後で「タチが悪い」とか「前科がある」とか、もっぱら口汚く罵って個人攻撃に専心なさるのは、いただけないですね。そんなことなら、最初から同意せずに、相手の反論も受けとめたうえでの解決策を提示なさればよかったんじゃないですか? 失礼ながら、相手の反論を受けとめたうえでの解決策をこれまで提示なさったことがありますか? --Chokorin 2010年8月9日 (月) 23:09 (UTC)
解決策というと、私は7月15日の時点で投票結果を受けて「九州平定」への改名を提案していますが? それを知っていて、別記事で九州平定を立項してしまえば、話し合いの解決以前に私の提案が不可能になることくらい、想像できますよね? --薔薇騎士団 2010年8月10日 (火) 01:35 (UTC)
当然、知っております。しかし、コミュニティはこぞって「投票結果は無効である」という判断を下しており、「有効であるという判断」は薔薇騎士団さんはじめ誰ひとりとして示されませんでした。その後の議論でも、九州を平定するという行為が秀吉が島津を攻めた戦争に限定されるという根拠は、反対者はむろん、それに賛成するという立場からもまったく示されず、改名には整合性も理由もないことが明らかになりました。しかし、薔薇騎士団さんは「九州平定」という名前の記事をどうしてもつくりたかったわけですよね。だから、整合性を獲得するために、つくって差し上げたのです。感謝していただくのならまだしも、「情状酌量の余地なし」などと断罪される覚えはございませんね。--Chokorin 2010年8月10日 (火) 01:54 (UTC)
「九州平定」は、私だけの案ではなく投票結果で賛成多数でしたが? あと、リンク先は今回の投票結果は即決ではなく、参考投票ということで、その投票結果を受けて記事名を考えていこうということでしたよね? それのどこをどう読めば投票結果が無効と判断できるのでしょうか? 手続きを踏んで実施した投票結果が全く顧みられずに、それどころかその投票結果を全く不可能にしてしまうような、別記事の立項をコミュニティでの事前確認と同意なしで行って感謝しろというのは、理解しがたいことです。--薔薇騎士団 2010年8月10日 (火) 02:06 (UTC)
「感謝しろ」などとは言っていないのですよね。「あなたがわたしを犯罪者呼ばわりする理由は、立場上も、理論上もまったくない」と言っているのですが。少しは、日本語をお勉強されたらいかがでしょうか。国語辞典を熟読されている割には、勉強が身に付いておられないようですね。それに、同意は、薔薇騎士団さん御本人からいただいているので、「理解しがたい」も何もないと思いますが。ともあれ、改名議論のタグなんかのために加筆が進まないというのは、百科事典作成を唯一の目標とするウィキペディアの基本的な精神に反しており、本末転倒もはなはだしいわけですから、薔薇騎士団さんのように「いつまでも納得しない人」を相手にした不毛な議論を終息し、なおかつ、読者に対し「九州の役」「九州平定」の用法を詳細に説明するには、あのような方法が最善ではないかとわたしは考えました。もし、「九州平定」が独自研究とやらで削除に相当するという御意見なら、「削除依頼」をお出しになったらよろしいのではないでしょうか? そこで、「削除」のコンセンサスを得たなら、晴れて「九州平定」に改名できるでしょう。「存続」というコンセンサスを得たなら、範頼や今川貞世などについて九州平定と呼んでも間違いではないという知識を増やしたことになりますから、薔薇騎士団さんも、ひとつ物知りになるわけです。どちらに転んでも薔薇騎士団さんの損にはなりませんから、削除依頼を出されるのがよろしいでしょう。--Chokorin 2010年8月10日 (火) 02:35 (UTC)
参考投票の結果は、Chokorin氏は尊重はされないのですか?--薔薇騎士団 2010年8月10日 (火) 02:38 (UTC)

(インデントもどす)7月4日のTiyoringoさんの御意見に賛同します。投票の位置づけが不明瞭であり、投票する意味もまったくないので、投票の実施そのものに賛成できませんでした。「投票の結果」と言っても、実施そのものに反対したTiyoringoさん御自身も投票されていませんし、わたしも同じ理由で投票しませんでした。結果は無効だという合意がすでに得られているわけですから、それを尊重しなくてはならないというのは「蒸し返し」に相当するでしょう。その結果にどうしても有効性を持たせたかったら、早い段階で軌道修正すべきだったのではないでしょうか。--Chokorin 2010年8月10日 (火) 03:06 (UTC)

まず私は投票結果の無効を認めたことはございません。あるというのなら、該当コメントの指摘をお願いします。それで、またはぐらかされていますが参考投票の結果は、尊重されるのですか?--薔薇騎士団 2010年8月10日 (火) 03:40 (UTC)
有効性を認めるという人のなかだけで有効性があったということなんじゃないでしょうか。だから、その後で無効であることを確認する必要が生じたのであり、その結果、秋田城之介さんふくめ、コミュニティ全体で投票結果が無効であることの共通理解がはかられたということです。それ以前は参考投票を有効だとして、強引に改名しようと企図していた薔薇騎士団さんも、反論不能となったということでしょう。だから、反論しなかったのですね? したがって、参考投票の結果は尊重すべき何の理由もないということになると思います。--Chokorin 2010年8月10日 (火) 04:08 (UTC)
だから、あなたの引用している発言は、強制力のある議決投票ではなく参考投票であって、それをもとに以後の議論をしていきましょう、と云っているだけでしょう? ちなみに私の発言も誤解されていますが、私も参考投票なのは最初から理解していますよ。その上で「九州平定」が多数だったので、その結果を「参考」にして、議論を進めていきましょう、という矢先に、Chokorin氏が勝手にここでの合意を得ないで九州平定を立項したわけですよ。私が「反論不能」になったとか妄想もいいところです。--薔薇騎士団 2010年8月10日 (火) 06:27 (UTC)
参考投票に束縛性はありませんが、ある程度尊重されなければならないものであったと考えます。Chokorin氏の立項は、「参考投票の結果は尊重すべき何の理由もない」という言葉通り、コミュニティでの議論を避けた行為だと思います。--秋田城之介 2010年8月10日 (火) 09:33 (UTC)
薔薇騎士団さんのこの書き込みを読めば、「私も参考投票なのは最初から理解していますよ」という上記コメントは全くの虚偽であったと言わざるを得ないのではないでしょうか。秋田城之介さんは「参考投票に束縛性はない」とおっしゃいますが、残念ながら、薔薇騎士団さんは束縛性があるものとして扱おうとしたために、様々な問題が生じ、参考投票は無効であること、尊重すべきものでないことが確かめられたわけですね。しかも、薔薇騎士団さんはわたしがリダイレクト解除して立項することに賛意を表明されたわけです。そればかりではなく、記事の「整合性」を考慮するよう希望されたのでした。「整合性」第一で考えるならば、別記事で立項するしかないわけですよね。「平定」目的でない「戦争」もありますし、「戦争」の結果、必ずしもある地域が「平定」されるものでもありません。また、「平定」のために必ず「戦争」が必要というわけでもありません。「戦争」≠「平定」であるのは明らかなわけで、こんなことは小学生にも理解できることだと思うのですが、いかがでしょうか。--Chokorin 2010年8月10日 (火) 10:52 (UTC)
議決投票なら、わざわざ意思確認せず単純にページ移動すれば済む話です。それを確認しているのですから参考投票と認識しているのは当たり前でしょう。こんな議論はあなたと何回もヤマト王権四国攻めで過去に議論してますし、よもやお忘れと云わせませんよ。あと、私がいつChokorin氏を犯罪者扱いしたのでしょうか? Chokorin氏が大和朝廷をコミュニティの同意なしに加筆して、保護処分になりその後全文削除になった過去はお忘れですか? それと同じこと(コミュニティでの意思確認なしに独走)をしたことを指摘したまでです。言葉尻を拡大解釈して人を誹謗中傷するのはやめてください。--薔薇騎士団 2010年8月10日 (火) 15:30 (UTC)
「前科」だとか「情状酌量」だとかというのは、犯罪者に対して使う言葉なんじゃないでしょうか。それからまあ、とんでもない思い違いをなさっているようですが、「ヤマト王権」が保護になったのは、わたしが加筆したからではなくて、あなたが私の加筆をリバートしたからなのであって、言いがかりもはなはだしいと言わざるをえません。あなたは「参考投票と認識しているのは当たり前」とおっしゃいますが、7月15日12:43 (UTC)の薔薇騎士団さんの書き込み、および、そのあとの薔薇騎士団さんの行動をみれば、到底「参考投票と認識しているのは当たり前」などと呼べるものでなかったことは誰の目にも明らかであって、延々とYasumiさんの個人攻撃に狂奔しながら、投票が拘束力をもつものだという前提で改名議論を強引に進めようとしていたわけです。「豊臣秀吉の九州平定でもよい」と言ってみたり、「『豊臣秀吉の九州平定』に賛成ならなぜそれに票を入れなかったのでしょう」と言ってみたり、「別記事立てることに反対しません」と言ってみたり、「やっぱり反対です。別記事立てたら、改名できない」と言ってみたり、これは、全部あなたの言動ですよ。せめて御自分の行動には責任をもってくださいね。恥ずかしいと思いませんか。--Chokorin 2010年8月10日 (火) 18:47 (UTC)
わたしは大和朝廷の話をしているのであって、ヤマト王権の話はしていませんが。ご自分のしたことを忘れたのならノート:大和朝廷を読み直して下さいね。--薔薇騎士団 2010年8月11日 (水) 00:27 (UTC)
正直言うと忘れていました。しかし、それは「ヤマト王権」があなたのリバートによって保護されてしまったのでやむなくおこなったものです。「全文削除」どころか、わたしの書いた大和朝廷はほとんどそっくりそのまま私の加筆当時のままになっているでしょう。単に、場所が「ヤマト王権」のなかにあるというだけのことですね。その点に関しては、今や実効力があるのか疑わしい投票結果にしたがっています。ただし、今回の「九州平定」に関していうと「リダイレクトを解除して別記事を立てることに反対しません」と明言されたのは薔薇騎士団さん御本人であり、薔薇騎士団さん御本人の了解にもとづいての立項です。それを、あとになって「やっぱり反対です。別記事立てたら、改名できない」「改名できないことに気づかないのか」「議論妨害だ」だなどと言われても困るわけです。「改名できない」というふうに予測できたのなら、「リダイレクトを解除して別記事を立てることに反対です」と明言されればよかったのです。「議論妨害」とか、「コミュニティの合意を無視した」とかいうことで責められるべきは薔薇騎士団さんなのであって、小判キングさんや秋田城之介さんに謝罪すべきなのは私ではなく、薔薇騎士団さんではないかと思います。
別記事が立てられた現段階においては、要するに論点は2点です。ひとつは、「整合性」なるものの解釈が薔薇騎士団さんと私では違ったということです。それは、#「戦争」=「平定」なのか。それとも、「戦争」≠「平定」なのかの節で論じればよいでしょう。もうひとつは、「独自研究かどうか」ということです。これについては、わたしはわたしなりに出典を付ける目途が立ちましたので、「独自研究」と言われないよう、加筆に鋭意努力します。「九州の役」を「九州平定」にどうしても改名したい人たちは、「独自研究」であることを立証したうえで「削除依頼」をお出しになればよいと思います。そのことは既に述べた通り、わたしとしては何の異存もございません。--Chokorin 2010年8月11日 (水) 03:47 (UTC)
私がヤマト王権をリバートしたのは、ノートで数ヶ月も費やして投票まで実施して決めた見出し文を、全くノートを読まないChokorin氏が勝手に書き換えて、それを戻したら全然経緯を知らない第三者がまたそれをリバートして……と編集合戦になったからです。ご自分がいかに傍若無人ぶりをしてこられたか全く忘れているようでね。--薔薇騎士団 2010年8月11日 (水) 04:56 (UTC)
(記事冒頭の曖昧さ回避文の差し戻しについて)
  • 日本史上で「九州平定」と称される諸事象全般については「九州平定」をご覧ください。
↓秋田城之介さんの「(特に豊臣秀吉によるもの)」の追記
  • 日本史上で「九州平定」と称される諸事象全般(特に豊臣秀吉によるもの)については「九州平定」をご覧ください。
上記のように、秋田城之介さんが四次に渡って編集を行い、それぞれ差し戻されています。これは編集合戦とみなされる可能性もあるため、編集内容を事前に協議の上、合意を以って編集することをお願いします。
私としては、そもそも日本語として「諸事象全般」の説明に括弧書きで「特に豊臣秀吉によるもの」を差し込むことに違和感があります。--Yasumi 2010年8月12日 (木) 22:33 (UTC)
多くの歴史事典では九州平定は豊臣秀吉によるものを指すと考えます。しかし、Wikipediaではこれに乖離した現状なので、「諸事象全般を指すが特に豊臣秀吉によるもの」という説明は間違いではないと思います。--秋田城之介 2010年8月17日 (火) 10:31 (UTC)
九州平定の記事は「九州地方における敵対勢力を討って服属させること、あるいは、それにより平和な状態をつくりだすこと。」の諸事象全般を扱った記事であり、「特に豊臣秀吉によるもの」の記事に比重を置いて扱われているわけではなく、one of them となっています。従って秋田城之介さんの加筆はリンク先の対象記事を正しく捉えて居らず、日本語的におかしな表現となっていました。--Yasumi 2010年8月17日 (火) 12:59 (UTC)

「戦争」=「平定」なのか。それとも、「戦争」≠「平定」なのか

自分の行動に責任をもたないような人とやり合っても無駄が多いので、このセクションでは、〈「戦争」=「平定」〉なのか、それとも〈「戦争」≠「平定」〉なのかについて、少しばかり共通理解をはかりたいと思います。ある漫画家によれば、「『戦争』の反対は『平和』ではない」そうで、じゃあ、何なのかというと「平定」(!)なのだそうです。まあ、この見解に全面的に拠る必要はないものの、その観点からすれば、〈「戦争」=「平定」〉という図式ほどナンセンスなものはないということになります。少なくとも、同義語として両語を考える見方がある反面、それとはまったく逆に、対義語としてとらえる見方さえ(一部分にせよ)あるということですね。わたし個人はどう考えるか。前の書き込みに補足するなら、

  • 「平定」目的でない「戦争」もある … 「自衛」「領土の固守」あるいは単に「領土拡大」「侵略」のための戦争もある。
  • 「戦争」の結果、必ずしもある地域が「平定」されるものでもない … 応仁の乱のように戦乱の拡大の端緒となる戦争もあるし、朝鮮戦争のように分断の固定につながる戦争もあった。
  • 「平定」のために必ず「戦争」が必要というわけでもない … 威圧行為・威嚇行為のみで平定されることもあれば、第三者の権威によって平定されることもある。縁戚関係を結ぶことによって結果的に平定されることもあれば、単なる政治的妥協の産物としての平定もある。戦争による軍事的制圧は、「平定」という目的に対してひとつのオプションにすぎない(唯一の手段ではない)。

……以上のように考えています。言い換えれば、歴史上の事件・事象としての「平定」とは「群雄割拠状態が解消されること」、「敵対勢力が消滅すること」という捉え方です。だから、〈「戦争」=「平定」〉という理解は生じようがないのですが、〈「戦争」=「平定」〉あるいは〈「九州の役」=「九州平定」〉を主張なさる人は、この件について、どのようにお考えなのでしょうか。--Chokorin 2010年8月10日 (火) 19:42 (UTC)(大幅に加筆修正)--Chokorin 2010年8月10日 (火) 19:54 (UTC)

コメント 大辞泉では「敵や賊を討ち平らげること」等とありますから、明確に戦闘行為を含んでおります。また、小学館の「日本歴史大事典1」の九州平定の項目では戦役として定義されております。逆に、「九州平定」が戦役的意味を成さないという記述が、こういった事典や書籍にあるのでしょうか?--秋田城之介 2010年8月17日 (火) 10:31 (UTC)
コメント 大辞泉では「敵や賊を討ち平らげること」等とありますから、明確に勝決結果を表しており、結果に至る過程の戦闘(討ち平らげるまで)や負けた側(討ち平らげられること)に対しての使用は疑問を含んでおります。更にこの定義では、明確に戦争・戦役の意味が説明されていないことが表されています。 また、小学館の「日本歴史大事典1」の九州平定の項目では戦役として定義されておりますが、例えば小判キングさんの提示した九州平定の例の鹿児島市[43]、福岡市[44]、大分県[45]、熊本県[46]の内、どれが戦役名称として使用されている例でしょうか?総て戦争・戦役を表して居らず、平定という結果を表しています。私の読んだ関連書籍・論文ではタイトルに「九州平定」とあっても、戦争を表現する為にわざわざ「九州平定戦」や「豊臣・島津戦争」と言い換える表現はありましたが、戦争名称として「九州平定」は使われていないように見受けられました。--Yasumi 2010年8月17日 (火) 12:59 (UTC)
小判キング氏が提案にあたって提示されたものだけでは、たしかに「九州平定」の戦役的意味合いは薄く感じますが、事象としての定義付けがされた=戦役的意味合いが無い というわけではありませんし、先に出した例のように事典では九州平定に戦役としての定義を与えていることもあります。しかし、現状wikipediaでは戦役=九州の役、事象=九州平定 とハッキリ分けている状況ですが、このような認識は歴史学界で主流どころか、そのような明確な区切りをしている著述はないように思われます。--秋田城之介 2010年8月22日 (日) 10:29 (UTC)
(質問)「このような認識は歴史学界で主流どころか、そのような明確な区切りをしている著述はない」ということですが、すべての研究書・概説書を読まなければ、そのような結論は得られないものと思います。これは、すべての研究書や概説書、論文を渉猟されての御発言なのでしょうか。--Chokorin 2010年8月22日 (日) 23:45 (UTC)
すべての研究書・概説書を読まなければ、そのような結論は得られないものとは思っていません。そもそも、戦役=九州の役、事象=九州平定 とハッキリ分けている著述があるのでしょうか?Wikipedia上でそのような区切りをするということは、その区切りや定義方法に関して出典が求められるのは当然です。--秋田城之介 2010年8月29日 (日) 07:26 (UTC)
コメントだいたいYasumiさんの御指摘のとおりだと思いますが、補足すると、「九州平定」は、狭義には「島津義久が秀吉に対して降伏したこと」、「四国平定」は「長宗我部元親が秀吉に降伏・臣従したこと」を指し、広義には、秋田城之介さんがおっしゃられたように、そこまでにいたる「戦闘行為を含んでいる」(ただし、戦闘行為そのものではない)ということだと考えます。したがって、「四国攻め」や「九州の役」は実際の戦闘の集合体ということで軍事的な話題に属し、「四国平定」「九州平定」は敵対勢力の服属という政治的な話題に属するということだと思います。これを、「中国攻め」と「中国平定」の事例で考えると、中国攻めは、織田政権によるもので、秀吉が中国方面司令官の立場になって毛利に対する軍事作戦を展開していたわけですが、戦闘そのものは、信長が本能寺の変で倒れたために備中高松城の戦いにおける清水宗治の切腹で中断されています。この時点では、中国地方は平定されていません。実際に「平定」と呼べるような状態になったのは、秀吉政権成立後のことであり、秀吉が山崎の戦いで勝ち、賤ヶ岳の戦いで勝ったことで軍事的優位が明らかになり、さらに、秀吉が毛利に対して領土などの面で譲歩したことで、ようやく毛利が秀吉に対し服属の意志表示をしたわけですから、その間、タイムラグがあります。タイムラグはあるものの、じゃあ、その間、秀吉と毛利の間で戦争状態にあったかというと、「なかった」のです。ここであったのは、毛利による模様眺めであり、両者による外交交渉であり、双方の政治的妥協だったのです。そうしてみると、「戦争」と「平定」は常にイコールで結べるものではない、ということは明らかだと思います。--Chokorin 2010年8月18日 (水) 22:54 (UTC)(加筆修正)--Chokorin 2010年8月19日 (木) 01:28 (UTC)
(追記)「戦争」=「平定」と考える限りは、「九州の役」を「九州平定」に改名することに理論上の問題はないわけです。どちらかを削除して一方にまとめることが可能であり、改名推進の立場に立つ人は削除依頼を提出すべきでしょう。しかし、「戦争」≠「平定」であるならば、そもそも「九州の役」の移動先候補として「九州平定」はありえないことになります。議論参加者が限られてきてしまっていますが、実は、この議論こそが今回の改名議論の肝になるところだと思いますので、活発な議論をぜひお願いいたします。--Chokorin 2010年8月19日 (木) 01:28 (UTC)
中国攻め」を「中国平定」に言い換えることには無理があるという私の指摘に対し、何ら有力な反論がない以上、また、今まで「九州平定」を推してこられた秋田城之介さん御本人が、「小判キング氏が提案にあたって提示されたものだけでは、たしかに「九州平定」の戦役的意味合いは薄く感じます」とお認めである以上、「九州平定」は戦役をあらわすのには不適切であり、「九州の役」を「九州平定」に改名することは無理だという結論に至ったとみてよいのではないでしょうか。--Chokorin 2010年8月23日 (月) 12:34 (UTC)
コメント本記事は「戦争記事」です。戦争記事では時勢的には「戦争中の経緯を中心に、前段で開戦経緯、後段で戦後処理」を述べ、視点としても「交戦双方および第三極の行為を描写する」のが記事の根幹だと考えます。現状記事もそのようになっています。
(国語辞書的定義で平定=戦争なのか?)本議題は独自解釈余地がある為、基本的に議論として取り上げるのには不適と考えますが、前から問い合わせている点なので再度照会します。大辞泉などの定義「敵や賊を討ち平らげること」から考えれば、戦争描写の内で「一方の戦闘行為の結果」までを表しているだけで、「視点的に被平定側、第三局の行為や結果は平定に含まれるのか?」また「時勢的に平定未遂の状況(戦前、戦中)も平定に含まれるのか?」という疑問が湧きます。
(歴史辞典的定義)歴史事典類の内で「九州平定」を「戦争」と定義しているという用例に於いてはイコールであり、本記事にも書いてある通りに本戦争を九州平定と説明するのは間違いでないと思います。ただしそれが一般的と言えるのかについては、かねてからの疑問であり、実際に九州平定の見出しを使っている出典もその意味は「豊臣秀吉が九州を平定した(豊臣体制への編入、動員と検地による近世化の契機)」という戦争でなく事績(戦争結果)を意味している場合が殆どであり、その証拠に同文中でも戦争を意味する表現に対して「九州平定戦」や「豊臣と島津の戦争」という言い換えが用例となっているからです。
上記から切り分けて考えますに、当初の小判キングさんが挙げた自治体サイトの用例は「戦争の意味で使われて居らず」、「平定したという意味で使用されている」様に思います。おそらく私が挙げた地方史の見出しについても殆どは平定という結果の意味で使われていることが推測されます。記事と定義が異なる用例を集計して、多数であるとは言えません。例えば徳富蘇峰『日本近世国民史』では「秀吉の九州征伐」「九州平定」「九州役」が区別されて使用されています。
なお、「九州の役」が聞いたことがないという意見がありますが、グーグルの書籍検索[47]だけではありませんが、記事の出典となりうる用例についても実際に見て判断していただく必要があるのではないかと思います。--Yasumi 2010年8月24日 (火) 21:34 (UTC)
『日本近世国民史』では「秀吉の九州征伐」「九州平定」「九州役」が区別されて使用されているとのことですが、それはどのような定義がされているのでしょうか?--秋田城之介 2010年8月29日 (日) 07:26 (UTC)
辞典ではないので厳密に用語の定義と言うことではないですが、内容として徳富猪一郎『日本近世国民史 第五巻 豊臣時代乙編』1963年では第十二章の「四十三 秀吉の九州征伐」では九州を版図に加えるべく出動する秀吉の態度、「第十九章 九州平定」では島津の降伏、「九州役の総勘定」ではこの戦争の総括を行っています。これを見る限りは、国語定義的な区分けで各々使用(豊臣視点の態度、平定完了の事実、双方からの戦争の決算)されているようです。--Yasumi 2010年8月29日 (日) 08:38 (UTC)

改名議論の整理依頼

ノートも長くなってきていますが、議論推進には以下のような整理が必要かと思います。改名提案者には論理論拠の取捨整理をお願いします。
1.改名提案とは別に前回の改名が無効であり「九州征伐」へ巻き戻す議論を行うのか?それとも提案者は取り下げるのか?(私も含めて反対大多数の状況のようですが・・・)
2.現在の関連記事名が不統一であることを問題として「~の役」「~攻め」「~征伐」「~平定」のいずれかに統一する議論を上位のプロジェクト(Wikipedia:ウィキプロジェクト 歴史Wikipedia:ウィキプロジェクト 日本史Wikipedia:ウィキプロジェクト 日本の戦国時代Wikipedia:ウィキプロジェクト 軍事史など)やガイドラインのWikipedia‐ノート:記事名の付け方などへ議論の場を移して一括解決するのか?それとも提案者は取り下げるのか?(私は統一化には疑問を持っていますが・・・)
3.単独の改名提案として議論を進めるのであれば、改名の問題点や論拠として提示したものの整理(今まで改名の論理論拠とされたもののうち、批判を受けて、提示を続けるのか?取り下げるのか?)。ガイドラインより抜粋した上表のノート:九州の役#改名提案の論点整理節に賛否が付かないようですが、他の方法があるのであれば提案をお願いしたいです。
--Yasumi 2010年7月28日 (水) 22:07 (UTC)
2週間以上が経過しましたが議論に於いて得られた情報や現状を踏まえての改名提案の再整理がなく、展望が見えない状況です。2010年7月21日 (水) 13:34 (UTC)に当方からもガイドラインの各条件による改名候補比較表(案)の提示をしてみましたが、賛否が付いておりません。改名提案者は今回の提案を断念したと解釈して良いのでしょうか?--Yasumi 2010年8月13日 (金) 20:44 (UTC)
まず投票結果を尊重するという選択肢がどうして出てこないのか不思議ですね。上記提案は問題外です。--薔薇騎士団 2010年8月13日 (金) 22:22 (UTC)

学術的に「九州の役」が正しいと思います。少なくとも、そういった出典から書かれているのが現状のはずです。投票を重視する前に出典を重視するべきでしょう。--三階菱 2010年8月15日 (日) 12:33 (UTC)

コメント 学術的に「九州の役」が正しいと言う根拠は乏しいはずです。単著があるだけで項目名が変わるべきではありません。--秋田城之介 2010年8月17日 (火) 10:38 (UTC)
(薔薇騎士団さんの2010年8月13日 (金) 22:22 (UTC)の御発言について)
1.改名提案を推進する上で、薔薇騎士団さんの御主張する「投票結果を尊重する」とは具体的にどういうことでしょうか?小判キングさんの主宰された参考投票は、条件・ルールの提示や告知がなく多数であることを理由とする議決には不適当です。私としては「改名候補の提示」であるとの理解から、各改名候補を投票させていただき、自他より出た改名候補を尊重しつつガイドラインから優先すべき論理論拠に従った検討を行ってきました。これ以上、何を尊重せよというのでしょうか?改名議論を推進するのであれば具体的な提案をお願いします。
2.同じく、薔薇騎士団さんの御主張する「上記提案は問題外です」とはどういうことでしょうか?私の提案は「記事命名に於けるガイドラインの各条件による改名候補の比較」を行うものですが、それ以上あるいはガイドライン以外の何を基準に議論の整理をするつもりですか?
3.薔薇騎士団さんに限らず、改名を推進するのであれば展望のある再整理をお願いします。--Yasumi 2010年8月17日 (火) 12:59 (UTC)
告知がないとおしゃっていますが、私は2010年6月24日 (木) 12:29 (UTC)付けでWikipedia:改名提案に告知しましたよ。嘘は言わないでください。あと、Wikipedia:調査投票の方法はあくまで「手引き書」であって、投票の形式について詳細に規定しているわけでありません。今回の投票は問題なかったと思います。
もう一つ指摘すると、Yasumi氏自体が投票に参加しておきながら「不適当」というは、いくら何でもおかしいのではないでしょうか。投票の無効を主張するなら最初から投票せずにまずその旨問題提起すべきでした。投票に参加しておいて、自分の意見が投票結果で否定されると、今度は手のひら返したように無効を主張するのは荒らしと変わりません。これはWP:POINT#いつまでも「納得」しないに該当します。
それと、わたしが2010年7月15日 (木) 01:48 (UTC)に「投票の締め切りと改名賛成確認」を書いてから一ヶ月以上が経過しました。早急な改名には反対との意見がありましたので一ヶ月経過を見ましたが、根本的な反論はありませんでした。できれば、ページ移動を行いたいのですが、一つ大きな問題が生じたのは、九州平定をChokorin氏が別記事で立項してしまったために、改名が事実上不可能になったということです。これは明らかに議事妨害ですので、Chokorin氏が当該記事の改名をするか、ご自分が責任を持って新たな提案をするかしていただきたいと思います。ちなみにChokorin氏は私の同意があったかのように云っていますが、私は「現在存在する記事との記事名の整合性は考慮してくださいね」と釘を刺しておきました。よく発言は読み返してくださいね。--薔薇騎士団 2010年8月18日 (水) 04:31 (UTC)
再度繰り返しますが、小判キングさんの主宰された参考投票は、合意された投票条件やルールが設定されておらず(当然議決投票であるという合意もない)、Wikipedia:投票にも告知がなく、多数であることを理由とする議決には不適当です。投票が多数であることを理由とする合意無き改名には反対します。既にTiyoringoさん達多数からも指摘済みであり、更にこの投票が議決に使えないことはノート:九州の役#前回および今回の投票の有効性・無効性についてにて多数の方から指摘を受けておることを再度ご確認ください。
薔薇騎士団さんの仰る「投票の無効」の定義が不明ですが、少なくとも合意がない以上は議決に使えないというのがルールです。私は参考投票として改名候補の抽出と再検討のために有意義に使用させていただきました。Wikipedia:論争の解決からしても、現状はステップ2の段階にあることを認めざるを得ません。
そして、以前からも述べていますが、参考投票の多数であることのみを理由とするページの移動(改名)には不同意です。特に記事の「戦争」を意味しない「九州平定」用例を根拠に多数と見せかけるような議論の展開には大きな疑問があり、照会に答えずに移動を強行する事は大問題でしょう。--Yasumi 2010年8月24日 (火) 20:53 (UTC)

いつまでも薔薇騎士団氏や秋田城介氏の詭弁につきあうわけにもいきませんから、議論終了の方向に向かうべきです。--三階菱 2010年8月19日 (木) 10:01 (UTC)

(薔薇騎士団さんに質問)2010年8月18日 (水) 04:31 (UTC)の書き込みで「できれば、ページ移動を行いたい」とおっしゃっていますが、これは、どの話し合いのどの結果を根拠になさっていますか。--Chokorin 2010年8月26日 (木) 02:00 (UTC)

2010年7月18日 (日) 06:22 (UTC)付けで小判キング氏が、投票結果を受けて、「1.について「改名すべき」、2.について「九州平定」、3.について「豊臣秀吉の- は付けるべきでない」が多数意見となりました。これらを軸にする」方向で議論を進めることを提案されましたが、Chokrin氏が2010年7月26日 (月) 02:55 付けで九州平定を立項したために、本記事を九州平定に改名移動することは不可能になりました。これはうっかりミスなのでしょうか、それとも、事実上私たちに九州平定への改名を断念させるための行為だったのでしょうか。--薔薇騎士団 2010年8月26日 (木) 06:02 (UTC)
お尋ねの件ですが、これはもちろん「議事妨害」などではありませんし、「うっかりミス」でもありません。本来的には、リダイレクトを解除して新記事を立項することは何ら禁じられた行為ではなく、誰かに立項を断らなくてはならない義務もないはずです。もともと私は「戦役」と「平定」はイコールとは結べないのではないかという意見をもっており、それを表明してもいました。ただし、本ノートで改名議論の対象になっている事項でもあることから、「たとえば、わたしが『九州平定』の記事を書くとしたら、『九州の役』とは全然違ったものになります」ということをわざわざ前もって断ったうえで、「わたしがリダイレクト解除して別記事立てることには反対されないのか」と伺いを立てたところ、このように完全な同意を薔薇騎士団さん御自身からいただいたわけです。それを受けてわたしは、自分が予告したとおりに「全然違った内容で」「別記事を」立てたわけです。したがって、完全に議事の進行どおりに物事を遂行したのであり、合意のないこと、予告しなかったことを無理やり強行したのではありません。その後も、わたしと薔薇騎士団さんとの間に合意が成立したことは、このコメントでも示していますが、それに対して、第三者がその合意に異を唱えたわけでもなく、薔薇騎士団さん自身からも撤回などの意志表示があったわけでもありません。したがって、薔薇騎士団さんとわたしの間で成立した合意は、コミュニティからの承認を受けたものと判断できます。しかしながら、薔薇騎士団さんは、2010年8月18日 (水) 04:31 (UTC)の書き込みで「ちなみにChokorin氏は私の同意があったかのように云っていますが、…」とおっしゃっています。これは完全に間違いですので、撤回なさってください。同意するつもりがないのであれば「反対する」とおっしゃるべきだったのです。もとより、これは決して「九州平定への改名を断念させるための行為」ではありません。今でも、別に、断念なさる理由はないと考えます。断念するかどうかはわたしの問題ではなく、薔薇騎士団さんたちの問題であり、「リダイレクト解除」して「別内容で」「別記事立てること」に同意した以上、当然、薔薇騎士団さんとしては断念しなくてはならない事態も想定しての同意だったはずです。何もわたしに断念しろだの断念するなだのと言える権限があるわけではありません。別記事を御覧になったうえで、内容的に両者が完全に重複するというふうに判断されるのならば、一方を削除依頼に出せばよろしいのであり、あるいは、「九州平定」の記事のなかに現状の「九州の役」を内包させて記事を作成したいというふうにお考えならば、両記事の統合提案をなさったうえで、コンセンサスを得て、そのうえで、あらためて改名提案をなさればよいだけの話です。--Chokorin 2010年8月26日 (木) 12:36 (UTC)(加筆)--Chokorin 2010年8月26日 (木) 13:06 (UTC)
2010年7月22日 (木) 16:24 (UTC)付けのコメントで、私は「ただ現在存在する記事との記事名の整合性は考慮してくださいね」と発言しています。これはChokorin氏が九州の戦役一覧のような記事を執筆するのには反対しないが、「記事名」については考慮してくださいね、と九州平定のような記事名にならないよう注意したわけです。あと、私と合意を得たからとおっしゃいますが、九州平定への改名支持者は、わたしだけでなく、秋田城之介氏、Hesolla氏、小判キング氏ら他3名の方々も投票で九州平定を支持されたわけですから、当然その人達の同意も得る必要があったのではないでしょうか。--薔薇騎士団 2010年8月26日 (木) 13:37 (UTC)
そもそも、リダイレクトを解除して「九州平定」の記事を書くと申し上げているわけですので、その通りにしたわけです。誰も一覧を書くなんて言っていません。--Chokorin 2010年8月26日 (木) 13:42 (UTC)
さて、薔薇騎士団さんの御質問についてはお答えしましたが、わたしからの薔薇騎士団さんへの質問に対しては、まともにお答えになってくださらないようで、残念に思います。「できれば、ページ移動を行いたい」ということですが、くだんの投票は議決投票ではなく、参考投票だったはずであり、議決投票としては無効という結論が出たはずです。差分の日付をよく御覧ください。小判キングさんの2010年7月18日 (日) 06:22 (UTC)付けコメント以降に、2人の方が議決としては無効である旨を指摘しており、それに先だつ2人の意見を加えると、4名が無効である旨を指摘しています。その指摘に対して、それ以後、議決投票として有効だと反論されている方は1人もいません。薔薇騎士団さん御自身も8月10日のコメントで、議決投票ではなく、参考投票であることを明言なさったはずですね。ところが、いまになって例の投票を議決として有効だと見なして扱う理由は何なのですか。まさにそういった点が今コメント依頼で話し合われているにもかかわらず、コメント依頼の出された今も、同じような行動を繰り返していることについて、何らかの御説明をいただきたいと存じます。--Chokorin 2010年8月26日 (木) 14:01 (UTC)
「くだんの投票は議決投票ではなく、参考投票だったはずであり」というのが、Chokorin氏の認識ならば、どうしてその「参考」を無視して、九州平定を立項したのか理解できません。また、ご指摘のリンクを見ますと、無効で合意をえたとカウントしている人物は、Chokorin氏、Fuji 3氏、Yasumi氏の3名だと思いますが、このうち投票に参加したのは1名だけです。また、小判キング氏は「今回は参考というか調査のための投票ですので、指針にはなっても即決するとなると反発が大きいですのでもう少し議論しましょう」として、九州平定を「指針」としながらさらに議論を続けましょうと発言されていますが、「無効」という言葉は使っていません。また、私を含む賛成票を投じた残り3名の方も無効表明はしておりません。この事実はChokorin氏も認めていただけると思います。--薔薇騎士団 2010年8月26日 (木) 22:45 (UTC)
Chokorin氏は九州平定で「豊臣秀吉の九州平定」の節を設けていますが、要するに本記事を「豊臣秀吉の九州平定」に改名したいのでしょうか?Chokorin氏のスタンスが分からないで困っております。--薔薇騎士団 2010年8月26日 (木) 22:55 (UTC)
結局、あなたとしては、投票結果は「有効」だから本記事を「九州平定」に改名することはコミュニティの同意を得た———という御判断なのでしょうか。--Chokorin 2010年8月27日 (金) 17:30 (UTC)
議論が続いていますので「同意を得た」とは言えませんが、かといって投票で賛成した4名が同意していないわけですから、「無効」というのも一方的すぎます。ただわたし個人としては、「豊臣秀吉の九州平定」でChokorin氏とすり寄れるのならそれでもいいと思っています。もちろん他3名の方が反対すればさらなるすりあわせは必要になると思います。--薔薇騎士団 2010年8月27日 (金) 21:22 (UTC)

(インデントもどします)本記事は戦争記事として立項され、戦争記事としての充実発展が期待されていることから、記事名として、戦争名称である「九州の役」を採用することは決して間違っていないと考えます。どうしても「九州の役」に不具合があって改名が必要というのであれば(そもそも、そこにコンセンサスがありません)、「九州攻め」という名称ならばわたしとしては同意可能です。個人的にはむしろ、中央政権による九州への侵攻戦であることが明確な「九州攻め」を推したいくらいです。ただし「九州の役」の名称も許容できますので、それについてはあまりこだわりはありません。

ただ、そのいっぽうで「平定」という言葉は「戦争」とはまったく次元の異なる、政治力学的な発想から生まれたことばであり、本来的には両者が全然別の概念であることは明らかになったのではないかと思います。確かに、「平定」を「平定戦」の意味で用いることなどによって結果的に重複する内容を指すことも多いわけですが、ことばというのは慣用的に適用範囲を広げることのあるいっぽう、原義に拘束されることも多いのですから、常に単純な置き換えが可能かというと置換できないことも多い。ですから、「九州平定」が参考投票で多数を占めたからといって「指針」として扱うのは不適切だと思います。つまり「戦争」≠「平定」だから「九州の役」≠「九州平定」、したがって本記事の改名候補として「九州平定」は適切ではないと考えます。

紙の百科事典ならば、「戦役」「平定」2つの項目があるというのは、紙面の制約上ゆるされないことが多いと思いますが、ウィキペディアが「紙の百科事典ではない」ということをわざわざ謳っているのであれば、許容できるのではないかと考えますし、手前味噌ながら、両方を読み比べることで理解が深まることも期待できると思います。本記事を「豊臣秀吉の九州平定」と改名することについては、上記のとおり「戦争」≠「平定」と考えるので、残念ながら同意できません。「九州平定」立項以前の、本記事しかなかった時点では、本記事を「豊臣秀吉の九州平定」と改名したうえで地域の政治統合や集権化などについて加筆するという選択肢もあったとは思いますが。。。ただし、「何が何でも改名反対」という意見でないことは冒頭に掲げた通りです。--Chokorin 2010年8月28日 (土) 01:28 (UTC)

平定に「戦争」の意味が含まれているのは、2010年7月22日 (木) 00:27 (UTC)付けコメントで『大辞泉』『大辞林』を引用して示しましたし、わたしが持っている『広辞苑』(第五版ですが)でも、「乱をたいらげること」「鎮定」としています。もちろん武力を伴わない調略活動だけによる平定もありうるでしょうが、一般には平定⊇戦争という認識で間違っていないと思います。さて、本記事は戦争、講和、戦後処理の各節から構成されており、軍事に特化した(あるいは除外した)記事構成にはなっていません。それゆえ、「平定」が適切だと思います。
さて、九州平定は別記事を立項され、「豊臣秀吉の九州平定」でも妥協できないとすると、わたしとしてはお手上げです。九州攻めについては、秋田城之介氏の2010年6月20日 (日) 16:41 (UTC)付けの歴史事典類の調査では、九州平定の半分しか件数がありませんから、九州平定を差し置いてこれを選ぶというのは、わたしとしては同意はむずかしいです。他の方の意見は知りませんが。--薔薇騎士団 2010年8月28日 (土) 02:32 (UTC)
失礼ながら、「武力を伴わない調略活動だけによる平定もありうるでしょう」という事実をお認めならば、「平定⊇戦争という認識」は成り立たないのではないでしょうか。秋田城之介さんも、「九州平定」の用例には「戦役としての意味が薄い」ものも多く含まれていることをお認めです。集合で言えば、両語はベン図において「重なる部分・重ならない部分の両方をもつ2つの円」になるのであり、2つの円が重なる部分(2集合の共通部分)に相当するのが「平定戦」ということになるでしょう。したがって、「秀吉の平定戦」の部分は「九州の役」「九州平定」双方に重複されて記載されてよいということだと思います。それと、「本記事は戦争、講和、戦後処理の各節から構成されており、軍事に特化した(あるいは除外した)記事構成にはなっていない」ということですが、これは、軍事により重点を置いた記事構成にしていくべきだと思っています。取り急ぎ略年表だけは加筆しましたが、秀吉軍の陣立が書かれる場所が本当にあそこでよいのかなど再考すべき点は多く、戦況の変化については、もっと詳細が書かれるべきとは思っています。もとより、薔薇騎士団さんの加筆も記事の充実発展の面からは歓迎されているところであり、何も記事の現状を固定化して考える必要はないと思います。それから、「『豊臣秀吉の九州平定』でも妥協できないとすると」というお言葉ですが、これには苦笑してしまいました。そもそもは、これで妥協できないかというふうにYasumiさん、薔薇騎士団さん双方にはたらきかけたのは、ほかならぬわたしでした。Yasumiさんは「平定」の原義より拒否、あなたは「政治的取引をしろというのか」などとおっしゃって拒否されたのではなかったでしょうか。お2人とも拒否ということなので、別の解決策を考えた結果の「九州平定」立項です。「九州平定を差し置いてこれを選ぶというのは、わたしとしては同意はむずかしい」ということですが、すでに立項されて「九州平定」の記事は存在するわけですから、そこに思う存分加筆なさればよろしいのではないでしょうか。わたしは立項はしたものの、記事を私物化するつもりは毛頭ないので加筆修正は大歓迎です。ちなみに、戦役記事として呼称がバラバラで統一が必要でないかということだったら「中国攻め」「四国攻め」にあわせて「九州攻め」、これならば「紀州攻め」(現状では紀州征伐)、「小田原攻め」(現状では小田原の役)で統一性は打ち出せると思います。ただ、関白任官や惣無事令などとのからみから九州以後は「九州の役」「小田原の役」でも間違いではありません(戦争を意味する「役」の原義として「軍事動員」の意味があることを重視してもという意味で)ので、そこはこだわるつもりもありません。「同意はむずかしい」とおっしゃる以前に、改名派のなかで「改名の必要性」についてもっと根拠を積み重ねる必要があるのではないでしょうか。そもそもわたしも含め、それほど改名の必要性を感じていない人もいるので。
わたしが「九州平定」を立項させた理由ですが、それは、ひとつにはYasumiさん、薔薇騎士団さん含むみなさんのやり取りを見ていて、「平定」という言葉は「戦争」という言葉とはまったく次元の異なるなのではないかということに気づいたということがあります。それで、自分なりに調べたり考えたりした結果、やっぱり両語は違うなというふうに確信したので、それを立項によって示したいというのがありました。薔薇騎士団さんがわたしの申し出を快諾してくださったことには、遅ればせながら感謝の意を表明いたします。くだんの「参考投票」の時点では、わたし自身も両者の違いを明瞭なかたちではわかっていませんでした。「九州平定」を推した薔薇騎士団さんを除く3人の方々も、みなさんのやり取りを見聞きした結果、「参考投票」の時点とは意見や考え方が変わった可能性があります。いったん「投票」してしまうと、その部分の軌道修正をかえって妨害してしまい、むしろ膠着要因になることも多いと痛感いたしますが、その後、だいぶ議論も積み重ねてきたわけなので、そこの部分もあらためて再議論し、改名の必要性があるかどうかからスタートして、提案を継続するという合意がふたたび形成されたのち、改めて提案されるという手順を採られてはいかがでしょうか。--Chokorin 2010年8月28日 (土) 20:14 (UTC)
ベン図云々のお話ですが、わたしは部分集合の図の意味で、「平定⊇戦争」と書きました(記号も部分集合のそれを使用しています)。あと、「平定戦」という語を提案されていますが、これもその言葉が「学術文献で一番使用頻度が高く、広く一般にも普及した用語か」という観点で論じるべきです。Chokorin氏がこの語を推すなら、秋田氏のように網羅的な文献調査に基づいてご提案していただければ幸いです。平定≠戦争について言えば、一般にはそうだと思いますが、しかし両語とも語の外延が曖昧ですので、厳密に議論するのはあまり有意義ではないと思います。「戦争(war)」という語も、軍事活動だけでなく、外交、講和、戦後処理、戦後の影響を含む場合がありますし(例:三十年戦争ナポレオン戦争太平洋戦争)、大規模・長期間の戦争になればむしろそちらの事例が増えてくるのではないでしょうか。
>すでに立項されて「九州平定」の記事は存在するわけですから、そこに思う存分加筆なさればよろしいのではないでしょうか。
ご提案の趣旨がよく分かりませんが、改名提案ではなく記事の統合提案をしてほしい、ということですか? それとも本記事は残したままで、九州平定にも本記事と同じボリュームで加筆するということですか(その場合、記事が二重になりますが)。それとも、本記事をもっぱら軍事活動に限定して(記事を分割ないしは削除)、講和・戦後処理の部分を九州平定で執筆するということでしょうか。
もともと今回の議論は改名提案ですから、わたしとしては統合提案する考えはありませんし、どうしても統合したいという方がいるのなら、Chokorin氏でも誰でもその方が提案すればいいと思います。わたしもChokorin氏の提案すべてに反対して、WP:POINT#いつまでも「納得」しないと言われたくありませんので、九州平定or「豊臣秀吉の九州平定」への改名ではなく、そうした方向に議論を進めるというのであれば、わたしは議論から降りて他のかたにお任せしたいと思います。--薔薇騎士団 2010年8月28日 (土) 22:33 (UTC)
やはり根本的な齟齬があるようですね。
秋田城之介さんと薔薇騎士団さんは「戦争」と「戦闘」の定義をはき違えてコメントしています。「戦闘=戦争」でも「平定=戦争」でもありませんし、戦争とは軍事行動だけではありません(それとは別レベルで歴史事典の定義により「九州平定=九州の役」は有り得るのです)。8/24の私のコメント[48]を読んで下記にYES/NOの回答と根拠提示をお願いします。
  1. 私は定義と出典に従って、この記事は「豊臣と島津の戦争」だと認識していますが、同定義で認識されていますか?
  2. 被平定側(島津・秋月等)の行動も平定なのですか?
  3. 平定未遂の状況(島津降伏以前)の行動も平定なのですか?
  4. (薔薇騎士団さんに質問)尊重すべき参考投票の結果とは具体的には得票数ですか?
--Yasumi 2010年8月29日 (日) 05:57 (UTC)

コメント 歴史事典には九州平定を戦役と定義付けるものもあり、九州平定は歴史事象と共に戦役的意味合いも持っていると言えます。よって豊臣と島津の戦争という定義にも対応し得ると考えます。歴史的にも被平定側(島津・秋月等)の行動は平定とは言い難いでしょうし、実際島津方の行動を「九州平定」としている資料は無きに等しいはずです。
平定未遂の状況は単に「平定中」としか言えないでしょう。歴史事象・歴史上の戦いなのですから、豊臣側によって平定完了されることはわかっているはずですので。また、「それとは別レベルで歴史事典の定義により「九州平定=九州の役」は有り得るのです」という発言の根拠はどこにあるのでしょうか?--秋田城之介 2010年8月29日 (日) 07:43 (UTC)

秋田城之介さんは、「島津方の行動を「九州平定」としている資料は無きに等しいはずです」とおっしゃっていますが、池上裕子は島津方の行動について「九州を平定」という語を用いていますし、桜井英治は今川貞世(了俊)の行動について「九州の平定」の語を用いています。記事「九州平定」の文献欄に出典を示していますので、ぜひ御確認ください。--Chokorin 2010年9月1日 (水) 11:08 (UTC)
島津方の行動は歴史事象として「九州平定」には成りえないです、達成されていないのですから。今川貞世の件に関しては一考の余地があると考えます。「豊臣秀吉の九州平定」に一定の支持をしたのはそのためですが、少なくとも、事典類では前提条件無しで秀吉のものを指す場合がほとんどだということです。--秋田城之介 2010年9月5日 (日) 14:23 (UTC)
「成りえない」といっても現に専門家によって「九州平定」の語は島津の行動についても使用されているのですから、そこを意図的に排除するのは中立性にも反するし、出典重視のWikipediaの精神にも反します。氏名の特定できないウェブ上では源範頼や懐良親王の事績について「九州平定」の語も多数用いられており、それは事実に即して考えれば、決して間違ってはいません。その意味では、「九州平定」の語は一義的に歴史用語・歴史学用語というわけでなく、同時に一般語でもあるということです。「達成されていない」ことは、それこそ「九州平定」のなかで記すべきことですから、「九州平定」の記事は秀吉の戦争記事とはまた別に必要だということになります。紙の事典類は、厖大な事象をコンパクトな体裁にまとめなくてはならないわけですから、言葉のずれやゆらぎを無理にでも1つにまとめなければならないという特殊事情があります。特殊事情をもってそれを一般的なルールに敷衍するのは誤りでしょう。--Chokorin 2010年9月8日 (水) 22:24 (UTC)
繰り返しになりますが、九州平定を達成していない島津氏が九州平定の主語には成り得ないです。「島津氏の九州平定計画」であれば間違いでは無いですが。また、島津の行動についても使用されていると言っても、「島津氏が九州を平定するために○○を攻め……」といった文章は有るかもしれませんが、「九州平定」の主語を島津氏として定義付けることは歴史事象の説明として不適切です。それから紙媒体との差異は確かにありますが、歴史事典などと解離しすぎるのも、それはそれで問題だと思います。--秋田城之介 2010年9月12日 (日) 12:08 (UTC)
秋田城之介さんが「『島津氏の九州平定計画』であれば間違いでは無い」というふうに、「九州平定」の主語として実際に島津氏の事例を含めて用いており、それが間違いでないのであれば、「九州平定」のなかに秀吉だけでなく、島津氏や今川了俊の事例をも含めることがむしろ適切であり、また、8月22日 (日) 10:29 (UTC)に秋田城之介さんがおっしゃった「小判キング氏が提案にあたって提示されたものだけでは、たしかに『九州平定』の戦役的意味合いは薄く感じます」という事実を踏まえるならば、「九州平定」の記事とは別に戦争記事(現状では「九州の役」)が必要だということでしょう。歴史事典との関係でいえば、「九州平定」という見出しの記事が既にあり、また、Otherusesによって戦争記事との相互参照が容易になっており、さらに、記事「九州平定」の冒頭で「…日本の歴史においては、九州停戦命令(惣無事令)にもとづいた豊臣秀吉による九州平定戦(九州の役)が特に有名である」との説明があるので、乖離は完全に回避されていると考えます。--Chokorin 2010年9月12日 (日) 22:31 (UTC)
小判キング氏が提案にあたって提示されたものだけでは、『九州平定』の戦役的意味合いは薄いだけであって、戦役的意味合いが無いわけではないので、別の戦争記事が必要というわけではありませんし、出典によっては戦役的意味合いが強い場合もあります。また、この記事名に対して「九州征伐」(元々の項目名)、「(豊臣秀吉の)九州平定戦」、「九州征討」など様々な呼称が有り、これらと比べて「九州の役」を採用するということは、Wikipedia外での歴史認識との乖離を生んでいる可能性が高いと思われます。--秋田城之介 2010年10月17日 (日) 04:46 (UTC)
この記事の「参考文献」欄にも記してあるように、「九州の役」は1992年の熱田公『天下一統』(集英社版日本の歴史)でも使用されている語であり、決して戦前の『日本戦史』以来まったく使われていないような言葉ではありません。したがって「Wikipedia外での歴史認識との乖離」ということはまったく問題にならないところであり、御懸念は無用と考えます。「九州平定」の語が、小判キング氏が提示した例のように戦役的意味合いが薄いこともあるのだったら、戦争記事の名称として「平定」はやはり不適切ということになるでしょう。出典によっては強いこともあるというのは何ら「九州の役」とくらべて「平定」が優位に立つ根拠にはなりません。さらに、「九州征伐」の語の使用は、池上裕子などの反対意見が専門家の間に存在しているので明らかに不適切です。そういうふうに消去法で考えた場合、戦争記事の名称としては「九州の役」か「九州攻め」が妥当ということになるでしょう。--Chokorin 2010年10月17日 (日) 05:45 (UTC)
ですから、「九州の役」の用例はすべて戦争呼称ですが、「九州平定」「九州征伐」などは見かけるのは戦争呼称以外の場合が殆どではありませんか?突き詰めれば記事に利用した出典のうち、戦争呼称で優位にあるものを選ばざるを得ません。平定用例のうち戦争呼称で使われたものに限定する必要があります、その上で秋田城之助さんが平定が優勢であると主張するのであれば、その根拠として使われた出典は具体的にどれとどれですか?
それともう一つ。「九州平定」に多数の意味があるのであれば、それはガイドラインの「曖昧でないもの」に抵触するので戦争記事の記事名としてはマイナス評価が必要です。--Yasumi 2010年10月17日 (日) 08:19 (UTC)
この記事を戦役記事と定義しても、「もっとも一般的に知られている名称を付ける」(Wikipedia:記事名の付け方)観点から、「九州役」より「九州平定」「九州征伐」「九州征討」などの方が適当であり、またこれらは事象だけでなく戦役としても意味されることは先にも出典を示した通りです。またそれ以前に、この記事を戦役記事として定義するかどうか(定義することが妥当なのか)という議論も出てきます。「九州征伐」は何故、戦役記事として定義される必要があったのでしょうか?またその説明がないまま「戦役記事として適切だから」という理由で「九州の役」に改名したわけですが、そういった経緯で、再改名に際して第一に定義論を持ち出すのは、違和感を感じざるを得ないです。
私としては、この節での議論は止めたいと思います。議論を進めるには新しい提起が必要だと感じるからです。--秋田城之介 2010年10月23日 (土) 03:43 (UTC)
記事の定義が違うのであれば、そこから合意を取る必要がありますので、コメントは質問の1項から3項(薔薇騎士団さんは4項もお願いします)に対応する形で、YES/NOと根拠を書く体裁でお願いします。--Yasumi 2010年8月29日 (日) 08:39 (UTC)
純然たる「豊臣と島津の戦争」とは理解していません。そもそも、この項目名はもともと「九州征伐」で豊臣秀吉による島津氏征伐を指していたわけですが、2005年10月24日 (月) 06:47 Maakun氏の加筆によって「戦争記事」とする定義文に置き換わってしまいました。「なぜ純粋な戦争記事と見なす必要があったのか?」という理由が無く、私としては「豊臣氏が島津氏を討つ為の戦役とその政治事象」として「九州平定」などと統合することも視野に入れて考えております。また、「それとは別レベル」とは何の事を言っているのか説明のほうお願いします。--秋田城之介 2010年9月5日 (日) 14:23 (UTC)
2010年9月5日 (日) 14:23 (UTC)の発言を見る限り、秋田城之介さん個人の改名提案には記事定義の再設定が前提に必要ですよね?なぜ改名と記事再定義をセットで提案して他の論者と調整をされないのか、例文を提出しないのか疑問です。現状は改名論者同士の調整さえ取れていません。秋田城之介さんの提案には九州の役九州平定の統合も含まれているように思えます。改名提案を続けるのであれば記事をどうするのかの展望を踏まえた再提案を整理して下さい。
「それとは別レベル」について、戦争の流れとしては 1585年に惣無事発令→1586年に中国・四国衆出陣→1587年3月秀吉出陣→5月島津降伏です。例えば年表や文章に「1587年、九州平定」あるいは「1587年、豊臣秀吉が九州を平定した」と表現されたのは日本語的には戦争ではなく平定の意味で使われている例です。そうでなく「九州平定」=「豊臣と島津の戦争」=「九州の役」の意味が成立するのは歴史事典の一部で定義されているからです。だからといって「平定」=「戦争」と主語を取り除いて定義するのは独自研究に基づく情報の合成でしょう。翻って、歴史事典で定義された「豊臣と島津の戦争」の意味で使われている「九州平定」が記事に利用できそうなどの出典に事例があるのでしょうか?私の読んだ様々な出典ではなかなか見ない表現です。むしろ「日本の戦史」「大日本戦史」「近世日本国民史」のように、「役」・「平定」・「征伐」はそれぞれ使い分けられている場合がありました。
「九州の役」および「九州役」の用例(確認済み分)
  • 2001年、中野等『立花宗茂』吉川弘文館
  • 1997年、毛利亮太郎「九州役の陣立書」
  • 1993年、清水紘一「外交体制と宗教 博多基地化構想をめぐって」(『近世日本の政治と外交』藤野保先生還暦記念会編、雄山閣出版)
  • 1992年、熱田公『日本の歴史11 天下一統』集英社
  • 1989年、日野久美子「宣教師から見た豊臣期の国替え」
  • 1988年、日野久美子「豊臣期および徳川初期の国替えの実態について」
  • 1974年、三鬼清一郎「豊臣政権の知行体系」
  • 1973年、徳富猪一郎『近世日本国民史6 豊臣氏時代丙篇』時事通信社(大正9-11年、民友社版の復刻)
  • 1969年、三鬼清一郎「朝鮮役における水軍編成について」
  • 1966年、林屋辰三郎『日本の歴史 第12 天下一統』中央公論社
  • 1959年、河合正治『安国寺恵瓊』吉川弘文館
  • 1942年、桑田忠親「九州の役」(高柳光寿編『大日本戦史 第4巻』三教書院)
  • 1911年、参謀本部編『日本戦史 九州役』元真社
    • 1980年、参謀本部編『日本戦史 九州役』村田書店(上記復刻版)
    • 1965年、旧参謀本部編『日本の戦史4 小牧・九州・小田原の役』徳間書店(上記現代語訳版)
--Yasumi 2010年9月11日 (土) 22:44 (UTC)
コメント この記事の定義が何なのかは重要ですが、定義文が2005年に変更された際にそれに関する議論が行われなかった中で九州征伐が戦役と定義されていたこと(その定義変更に合意があったのかどうか知りませんが)に関してYasumiさんはどのようにお考えでしょうか?
私はこの項目(元は九州征伐)については戦役と歴史事象の両方を意味するものであると考えます。しかし合意形成を得るためには統合にせよ改名にせよ整理が必要なことは私もYasumiさんも分かっていると思います。主語を取り除いた純粋な意味で「平定」=「戦争」とは言っていません。「平定」は「戦役」と「事象」を包含していますが、それぞれに対してイコールではありません。--秋田城之介 2010年9月12日 (日) 12:08 (UTC)

コメント戦闘については述べていませんがお尋ねのようなので答えますと、とりあえず平定(suppression)⊇戦争(war)⊇戦闘(battle)というのがわたしの認識ですです。もちろんわたしは軍事学の門外漢ですので、クラウゼヴィッツその他専門家の定義や学説の対立などに通暁しているわけではありませんので、これ以上専門的な回答を要求されますとわたしの手には負えませんので、あしからずご了承ください。

さて、改名提案についてはすでにわたしの調整能力をすでに超えているようですので、わたし自身による改名提案は撤回いたします。小判キング氏その他の方が改名提案を引き続き行われるようでしたら、もちろん行っていただいて結構です。九州平定との統合提案その他については、わたしのほうからする意思はもとよりありませんので、Chokorin氏その他提案される方がいらっしゃるなら、どうぞ行ってください。最後に投票確認のコメントで記事を強行移動するかのように印象を受けたという指摘が何名の方からされましたので、その点についてはわたしの表現の至らなさだっと反省する次第です。--薔薇騎士団 2010年8月29日 (日) 10:49 (UTC)

正面から質問に答えて頂けなく残念です。秋田城之介さんの回答は1.Yes、2.No、3.No。薔薇騎士団さんの回答は1.No、2.未回答、3.未回答、4.未回答。このように理解てもよろしいでしょうか?
秋田城之介さん、つまり「国語辞書の定義で、平定≠戦争」であることと「歴史事典や歴史研究の定義で、豊臣と島津の戦争=九州の役=九州平定=九州征伐=九州攻め」であることは切り分けなければならず、「九州平定」には「豊臣秀吉が九州を平定した事績」と「豊臣と島津の戦争の代名詞」という二つの定義の異なる意味があると言うことは合意できるのではないかと思います。--Yasumi 2010年9月4日 (土) 02:51 (UTC)
薔薇騎士団氏からも秋田城之介氏からもマトモな反論は返って来ないようなので改名議論の早期終了をすべきです。項目名ばかりに拘るのは不毛です。--三階菱 2010年9月7日 (火) 09:36 (UTC)

終了 議論の中心は次節に移っており、薔薇騎士団さんも撤退するとのことですから、終了としましょう。--三階菱 2010年9月10日 (金) 07:06 (UTC)

まだ議論中です。勝手に幕引きをするのは辞めてください。--秋田城之介 2010年9月12日 (日) 12:08 (UTC)

議論の中心を記事内容に遷しては

議論が延々と続いていますが、容喙します。改名議論なのは承知しておりますが、どの名称がいいのかということも大事でしょうが、この辺で少し方向を変えてみては如何でしょうか。その方向はすでにChokorin氏によって提示されています。本ノートの#改名の提案根拠節の「記事名だけをいじるのは本末転倒です。………、「この記事をどうするのか」という一番肝心なことを決めないで投票で記事名だけを決めるのには反対します。とあります。この提案が受け止められず、記事名変更や改名投票の手続きなどの議論で終始している様に思います。この提示に沿った議論に移ってみたらどうでしょうか。すでに所々で記事内容に触れてはいるようですが、議論の中心にはなっていないようですので、提案してみました。出口が見えるかも知れません。保障はしませんが。--Sashimu 2010年8月30日 (月) 13:15 (UTC)

同感です。このノートはSashimuさんの書き込みで23万6,496バイトに達しています。しかるに、本記事は小判キングさんの改名提案のあった6月13日の時点でたったの1万2,473バイトしかありませんでした。現在でも2万0,868バイトにしか増えていません。改名提案タグが邪魔したのかもしれませんが、ノートでの議論や収集したデータさえ記事にはほとんど反映されていません。仮に改名議論で対立したとしても、記事執筆の面ではもっと協力しあえるのではないかと思います。さらに言うと、戦局の流れがつかみにくい構成になっていると感じますし、日付ももっと細かく付さないと戦史記事としては不充分ではないかと考えます。--Chokorin 2010年8月30日 (月) 14:10 (UTC)
提案者に同意。既に「九州の役」として成立している記事にも関わらず、延々と改名議論を続けるのは執筆者に対する妨害になりかねませんし。--三階菱 2010年9月2日 (木) 03:14 (UTC)
議論を目的とする議論をしていたつもりはないのですが、これは改名議論をクローズするというご提案でしょうか?であれば基本的には賛成です。ただ、当たり前かも知れませんが「本記事の主題は豊臣と島津の戦争である」「当面の記事名を維持し、再度の改名議論をする場合は論理論拠の再提示を行うこととする」等の結論なり合意なりが必要だと思います。--Yasumi 2010年9月4日 (土) 02:35 (UTC)
まだ、議論終了の合意はなされていないので、もとにもどしました。--Chokorin 2010年9月26日 (日) 09:43 (UTC)
議論終了と思っていない人が一人でも残っている段階で「議論終了」を理由に強硬に削除する理由が分かりません。またノート:関ヶ原の戦いでお分かりの通り関ヶ原の戦いとも関わって来ると思いますので、個人的にも議論終了とは思いません。よって元に戻しました。--プリズム11 2010年10月4日 (月) 13:00 (UTC)
プリズム11氏は議論を続けるおつもりなのですか?ならば、立場を表明の上、改名の根拠を提示してください。そういった意思が無いなら、しばらく後に過去ログ化です。--三階菱 2010年10月9日 (土) 07:22 (UTC)

コメント 改名より中身が大事という意見もわかりますが、私としてはまず、一般的にも学術的にも必ずしも頻出ではない「九州の役」を頑なに項目名に使い続ける理由が未だにわからないのです。--小判キング 2010年10月8日 (金) 05:51 (UTC)

なぜ今までの議論を読もうとしないのでしょうか?今更出てきてムシの良いコメントでは?--三階菱 2010年10月9日 (土) 07:22 (UTC)
三階菱さんよくぞ仰った。今までの議論を読む重要性、改名の根拠を提示する重要性をやっと理解されたようですね。ノート:征伐ノート:関ヶ原の戦いノート:長州征討での今までの議論を読んで根拠を出して下さい。--プリズム11 2010年10月9日 (土) 10:24 (UTC)
コメント 私は小判キングさんの提案する「九州平定」が豊臣と島津の戦争の呼称として一般的にも学術的にも必ずしも頻出ではないと思うわけです。そこで、これまでのような議論の経過と状況において、改名提案者の小判キングさんはどのように改名議論を解決するつもりなのでしょうか?お聞かせ下さい。--Yasumi 2010年10月10日 (日) 11:11 (UTC)
コメント ノートを何度も読み返した結果、移動先としては「九州征伐」が一番適切であるように思います。「九州平定」なら個人的には許容範囲です。「九州の役」のまま置くことだけはおかしいように思われます。--プリズム11 2010年10月10日 (日) 14:50 (UTC)
改名派の方には、どのようにご提案の改名議論をまとめるつもりのなのか、ご主張の論理論拠をまとめてWikipedia:論争の解決などに従った議事進行をしていただきたいです。--Yasumi 2010年10月11日 (月) 21:12 (UTC)
△11としては「記事名称は何であるべきか」皆で考える場とばかり思っていましたが、派閥の話なんですかね。--プリズム11 2010年10月12日 (火) 10:11 (UTC)
無意味な議論延長と妨害行為はやめてください。派閥がどうとかイチャモン付けるために来たのですか?--三階菱 2010年10月15日 (金) 05:05 (UTC)
(苦笑)そういうあなたは何しに来てるんですか。是非ご教示下さい。--プリズム11 2010年10月15日 (金) 09:14 (UTC)
プリズム11は毎月100件以上書き込んで、その大半がイチャモンという奇特な方ですので、放っておけば良いのですよ(大苦笑220.215.96.176 2010年10月15日 (金) 16:08 (UTC)

当方は執筆もしつつ、なぜ「九州の役」が優越するのか、を述べてきました。少なくとも、現状を変えようという意見を小判キングさんやプリズム11さんは述べているわけですが、その論理も論拠も述べることなくただ結論と希望を述べるだけであって、論理の摺り合わせや議事を進行する気は全くないと言うことでしょうか?--Yasumi 2010年10月15日 (金) 22:16 (UTC)

いいえ。Wikipedia:記事名の付け方の冒頭に「記事の題名は、まず何よりも「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」とあります。これに従いまず出て来る基準が「認知度が高い」「見つけやすい」「曖昧でない」「簡潔」「首尾一貫している(△11注:他の記事でもよく使われている、との意)」と続きます。複数の有力候補が残った場合は「記事名は信頼できる情報源における慣例を参考にしつつ、議論して」「編集者の関心よりも読者の関心を、専門家よりも一般的な利用者の関心を重視して」決めて下さい、とあります。要するに、この記事を最初に作るのに参考にした本で使っている名称だからといって「『九州の役』が優越する」ということは全くないわけです。無論どちらも同様によく使われていてどっちでもいいけどどっちにしましょうね、という議論になった場合にはそういう小さい話で決めて行けば良いかも知れません。しかしYasumiさんも含めてここにいる人で「『九州の役』はあまり使われていない」ということに反論はされていませんし、今もありませんよね?--プリズム11 2010年10月15日 (金) 23:10 (UTC)
「九州の役」はあまり見かけないという話と、この記事の定義ではそれなりに「九州の役」が使われているという話を混同してはいけませんよ。それで「豊臣秀吉が九州ほ征伐したこと」や「豊臣秀吉が九州を平定したこと」ではなく、この記事の定義である「豊臣と島津の戦争」の呼称のうち、記事の出典で多数を占めているのが何であるのか?示して頂けませんか?対象を限定せずに、見かけの多さなら無印の「平定」が多いでしょうね(記事と関係ない場合が多いでしょうけど)。--Yasumi 2010年10月15日 (金) 23:52 (UTC)
う〜んこれまでの議論で他の方が散々根拠を出して「九州の役はあまり使われていない」と説明されていると思うのですが、まさか笑いを取るために仰っているわけではないですよね?--プリズム11 2010年10月16日 (土) 00:58 (UTC)
Yasumiさんは、歴史事典における「九州平定」や「九州征伐」の項目が、本記事とは関係無いと言いたいのでしょうか?それはYasumiさんが都合よく出典を排除しているだけではないでしょうか?--小判キング 2010年10月16日 (土) 08:14 (UTC)

一日で50件とか、プリズム11は大丈夫ですか?Wiki中毒?まさか笑いを取るためにやってるわけではないですよね?219.99.87.235 2010年10月16日 (土) 05:19 (UTC)

(プリズム11さんの2010年10月16日 (土) 00:58 (UTC)へ)プリズム11さんの言われる今までの議論とは、批判を受けた主観のみの意見から、辞書定義・出典調査など客観的なものまであるわけですが、プリズム11さんは基準も意見の取捨も表明せずに主観的な結論を延べただけで、議論の進行はしないつもりですか?
(小判キングさんの2010年10月16日 (土) 08:14 (UTC)へ)逆ですね、歴史事典において「九州平定」や「九州征伐」の項目が豊臣と島津の戦争と定義されている部分については記事でも述べているように「九州の役」の異称とされる根拠になり得ます。しかし、比較してみれば実際の出典ではそれらは別の意味で使われている場合が殆どです(小判キングさんが当初持ち込んだ自治体サイトの記事も平定を戦争の意味ではなく「平定した」という秀吉の行為の意味で使われていますよね?)。私は出来るだけ客観的に出典を読んでいるつもりですが、項目名に九州平定を使っている出典でさえ、戦争を対象とした呼称は(豊臣秀吉の)例えば「島津攻め」であったり、(豊臣秀吉の)「対島津戦」であったりと揺れています。対象を正しく捉えた上で、記事の定義である戦争を表す呼称のうちで何が相応しいのかを議論すると言うことが重要でしょう。この辺のことは「九州の役」を使っている出典を読めば文中に出てくる「九州平定」や「九州征伐」との使い分けが顕著であるので理解しやすいと思います。--Yasumi 2010年10月17日 (日) 08:06 (UTC)
(コメント) Yasumiさんの懸念されている通り、プリズム11氏も小判キング氏も、定義と呼称への理解が十分に無いようですね。--三階菱 2010年10月19日 (火) 12:22 (UTC)
三階菱さんは自分のことを先に心配して、しばらく黙っていて下さいね。--プリズム11 2010年10月19日 (火) 12:28 (UTC)
議論妨害の公言でしょうか?黙った方がいいのはあなたでは?--三階菱 2010年10月26日 (火) 10:25 (UTC)

今後の議事進行について

現状の「九州の役」を改名しようという意見でアクティブな論者は小判キングさん、秋田城之介さん、プリズム11さんの3人のようですが、九州平定も立項されているという現状から、どのように議事進行をするつもりであるのか、合意形成へのビジョンを示して頂きたいです。それとも希望を述べているだけであって、改名議論を推進するつもりはないということなのでしょうか?--Yasumi 2010年10月22日 (金) 21:16 (UTC)

コメント 議論が長期化し論点が定まらず、提案当初とも状況が変わっているので、議論を一旦終了しても良いのではないかと思います。--秋田城之介 2010年10月23日 (土) 03:43 (UTC)
議論終了には賛成ですが、定議論を無視した単純な改名提案が今後出ないようにすべきです。--三階菱 2010年10月26日 (火) 10:25 (UTC)
どちらにせよ現項目名に問題があるということに異論はなかったので、一旦終了させるとしても再度提起せざるを得ません。一旦議論を終了させるとどんなメリットがあるのかよく分かりませんのでご教示下さい。
改名反対の方に三階菱さんについて申し上げますが、この方ここでは「マトモな反論は返って来ないようなので改名議論の早期終了をすべきです。項目名ばかりに拘るのは不毛です。」「改名の根拠を提示してください。」と発言しながらノート:関ヶ原の戦いでは全く根拠を出さないまま「関ヶ原の役」に改名提案しており、その後も周囲から求められるも全く根拠を出さないまま「前提の理解がないとやはり難しいのでしょうか。」と責任転嫁して終了しています。ノート:長州征討でも全く根拠を出さず「「征長の役」への改名をしたいと思います。」「征伐とか征討だとかは差別的で不適切な用語だと思うので。」と内部矛盾を包含する動議を出し、矛盾を指摘されると「まあ、長州の役に改名という形でもいいですが。」と検討対象すら不明にしてしまい、その後も周囲から根拠を求められるも全く応じず、最終的に「提案に対してマジメに向き合う方が皆無で、議論の進捗が無く、ここで賛同を得るのは難しいと感じた」と責任転嫁の捨て台詞を吐いて退場しており、要するに根拠なく記事名を「〜の役」にしたいだけなので、まともに取り合う価値がないと思われます。改名反対の票に数えると恥を掻くことになりますのでご留意下さい。--プリズム11 2010年10月29日 (金) 23:40 (UTC)
恥を掻いているのはプリズム氏ですね。曲解によって他者を中傷するのはやめてください。
他の項目での行為についてコメント依頼/三階菱を提出しました。皆様の参加を宜しくお願い致します。--プリズム11 2010年10月31日 (日) 06:38 (UTC)

「九州征伐」への再改名提案

「九州平定」への改名議論(九州平定という記事は九州平定事象全般の記事として、議論中に作成されてしまいました)は未だに終了していませんが、私はこの項目を「九州征伐」という項目名に戻すことを提案します。Wikipedia:記事名の付け方にある、「認知度の高さ」「見つけやすさ」において「九州の役」より適切であると感じるからです。「九州征伐」を、豊臣氏による島津氏攻撃・天下統一事業の一環として使用している書籍を以下に数点挙げます。

  • 図解戦国史     成美堂出版  2009
  • 豊臣秀吉と天下統一 双葉社    2008
  • 豊臣秀吉事典    新人物往来社 2007
  • 大辞林       小学館    2006 
  • 大辞泉       小学館    1998
  • 万有百科大辞典   小学館    1973
  • 豊臣時代史     明治書院   1925

そもそも「九州の役」への改名は、以下の2点を動機として行われていました。

  • 「征伐」という言葉が中立的でない。
  • 記事をより戦役として厳密に定義するためには「九州の役」が最適である。

しかし、前者は「中立的な観点」の履き違えであり、後者に関しては「この記事を純粋な戦役記事とする」という前提が合意されてないように思われます。対して「九州征伐」は戦役的な意味合いも歴史事象的な意味合いも持っています(この点は九州平定も同様ですが)。したがって、この記事名の根拠は非常に脆弱なのです。改名提案に当たって、みなさんの意見を求めます。--秋田城之介 2010年10月30日 (土) 15:06 (UTC)

反対 戦役としての経緯を無視した上で、わざわざ差別的な言葉に言い換える必要はない。Yasumi氏も指摘していますが、流行語大賞を決めているわけではないのです。定義に関して深く考えることもせず、出典だけ挙げればいいというものでもないでしょう。--三階菱 2010年10月31日 (日) 05:17 (UTC)

賛成 「差別的な言葉だ」という理由に根拠が出ていないのですから手続きに則って粛々と改名しましょう。--プリズム11 2010年10月31日 (日) 05:51 (UTC)

反対 差別的かどうかは抜きにして、100%豊臣側視点に立つ用語であり、少しも中立的でないことは明白でしょう。詳細な理由は後で書きますが、とりあえず反対の意思表示をしておきます。--Chokorin 2010年11月1日 (月) 01:12 (UTC)

コメント - 態度表明まで行かないのですが、ちょっと永原慶二監修『岩波 日本史辞典』(1999年10月)で調べてみました。「小田原攻め」は「関東平定」の項で、「紀州平定」、「九州平定」(秀吉が島津を破り、九州を政権の支配下に置いた)、「四国平定」と「平定」に揃えています。つまり、上にあげた戦いは、秀吉の全国平定事業の一環として行われたという観点・見方・考えのようです。--Sashimu 2010年11月2日 (火) 01:08 (UTC)