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*[[東野辺薫]] - [[作家]]、第18回[[芥川賞]]受賞、[[福島県立福島女子高等学校]]等教諭、國漢科卒
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*[[当間重民]] - [[那覇市]]長、[[貴族院議員]]
*[[当間重民]] - [[那覇市]]長、[[貴族院議員]]
*[[趙憲泳]] - [[大韓民国制憲議会]]議員、[[趙芝薫]]の実父、英語科卒
*[[千葉亀雄]] - [[評論家]]、[[ジャーナリスト]]、[[読売新聞社]]編集局長、中退
*[[千葉亀雄]] - [[評論家]]、[[ジャーナリスト]]、[[読売新聞社]]編集局長、中退
*[[利根山光人]] - 画家、[[海城学園]]等教諭、國漢科卒
*[[利根山光人]] - 画家、[[海城学園]]等教諭、國漢科卒

2010年10月30日 (土) 14:49時点における版

早稲田大学高等師範部(わせだだいがくこうとうしはんぶ)は、かつて日本に存在した高等教育機関。早稲田大学教育・総合科学学術院の前身。

概要

1903年7月に専門学校令に基づく高等教育機関として開設(当時の私立大学は全てこの勅令によるものである)。國語漢文科、歴史地理科、法制経済科、英語科の4学科により編成(修業年限三ヶ年、高等予科半ヶ年)。
当時の中等教育界は、官立の高等師範学校および帝国大学の出身者によって独占されていたが、これに対陣を張るために高田早苗らによって“To make man”をその趣旨として設立された。
高等師範部は文部省師範学校中学校高等女学校教員検定試験文検)の無試験検定校であり、卒業生は主に旧制中学校高等女学校などの旧制中等教育学校で教鞭を執った。
1949年の私立学校法の公布に伴い早稲田大学は教育学部を開設。1951年、高等師範部は教育学部に改組され、その歴史に幕を下ろした。
なお、新制早大教育学部は、開設当初から学部生に教育職員免許状取得を義務付けない点で旧制高等師範部と異なる。

沿革

  • 1903年7月 高等師範部開設
  • 1909年7月 廃止
  • 1910年2月 高等師範部を4月より復活させることを決議
  • 1910年4月 予科と第一部(國語漢文及歴史科、英語及歴史科)、第二部(数学科、理化学科)を開設
  • 1913年9月 國語漢文及歴史科,英語及歴史科は歴史関係の科目を廃止して國語漢文科,英語科と改称
  • 1917年9月 國語漢文科および英語科の研究科開設
  • 1918年4月 第一部が初の1年制予科修了生を迎える
  • 1919年3月 第二部廃止
  • 1919年7月 第一部の3年生が卒業し,以後,第一部・第二部の呼称が消滅するとともに高等師範部の学年開始期は予科、本科とも4月となる
  • 1920年4月 高等師範部を高等師範科(国語漢文科,英語科)と改称して専門部に編入のうえ1年制予科を廃止して4年制に改める
  • 1921年3月 高等師範部(4年制)を再び専門部より分離・独立
  • 1922年9月 早稲田教育会設立
  • 1924年3月 予科を再設して、予科1年・本科3年となる
  • 1924年5月 高等学校(旧制)・大学予科と同等以上の学校と認定され、卒業生には高等文官試験予備試験が免除されるとともに、選考試験を経て学部へ進学する道が開かれる(高等師範部と同様に専門学校令による設置であった大学部は1919年より免除)
  • 1932年4月 1年制予科を廃して3年制本科を4年制に改める
  • 1942年4月 国民体錬科開設
  • 1946年4月 女子の入学を認めるとともに社会教育科開設、国民体錬科を体育科と改称
  • 1949年4月 教育学部開設
  • 1951年5月 廃止

著名な関係者

教員
出身者

参考文献

『早稲田大学小史』(2003年,島善高,早稲田大学出版部

関連項目

外部リンク