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'''空想的社会主義'''(くうそうてきしゃかいしゅぎ、[[英語|英]]:utopian socialism, [[ドイツ語|独]]:Utopischer Sozialismus)または'''ユートピア社会主義'''とは、近代的な[[社会主義]]の[[思想]]の最も始まりに位置する思想を指して言う言葉である。[[シャルル・フーリエ]]、[[アンリ・ド・サン=シモン]]、[[ロバート・オウエン]]に代表される。
'''空想的社会主義'''(くうそうてきしゃかいしゅぎ、[[英語|英]]:utopian socialism, [[ドイツ語|独]]:Utopischer Sozialismus)または'''ユートピア社会主義'''とは、近代的な[[社会主義]]の[[思想]]の最も始まりに位置する思想を指して言う言葉である。[[シャルル・フーリエ]]、[[アンリ・ド・サン=シモン]]、[[ロバート・オウエン]]に代表される。


理想社会に対する人間の夢は古くは[[プラトン]]の『[[国家 (対話篇)|国家]]』にもみられ、さらに近世初頭の[[16世紀]]~[[17世紀]]には[[トマス・モア]]の『[[ユートピア]]』、[[トマソ・カンパネッラ]]の『太陽の都』、[[フランシス・ベーコン (哲学者)|フランシス・ベーコン]]の『新アトランティス』などに現れており、広義にはこれらを含めて空想的社会主義と呼ぶこともある。
理想社会に対する人間の夢は古くは[[プラトン]]の『[[国家 (対話篇)|国家]]』にもみられ、さらに近世初頭の[[16世紀]]~[[17世紀]]には[[トマス・モア]]の『[[ユートピア]]』、[[トマソ・カンパネッラ]]の『太陽の都』、[[フランシス・ベーコン (哲学者)|フランシス・ベーコン]]の『新アトランティス』などに現れており、広義にはこれらを含めて空想的社会主義と呼ぶこともある。また神学者の[[トマス・ミュンツァー]]なども含まれる。


空想的社会主義という言葉は、[[カール・マルクス]]と[[フリードリヒ・エンゲルス]]が、自らの主張する社会主義を「科学的に構築される社会主義」([[科学的社会主義]])との対比として名付けたものである。科学的社会主義では空想的社会主義を次のように定義している。
空想的社会主義という言葉は、[[カール・マルクス]]と[[フリードリヒ・エンゲルス]]が、自らの主張する社会主義を「科学的に構築される社会主義」([[科学的社会主義]])との対比として名付けたものである。科学的社会主義では空想的社会主義を次のように定義している。

2010年9月27日 (月) 09:52時点における版

くうそうてきsy

空想的社会主義(くうそうてきしゃかいしゅぎ、:utopian socialism, :Utopischer Sozialismus)またはユートピア社会主義とは、近代的な社会主義思想の最も始まりに位置する思想を指して言う言葉である。シャルル・フーリエアンリ・ド・サン=シモンロバート・オウエンに代表される。

理想社会に対する人間の夢は古くはプラトンの『国家』にもみられ、さらに近世初頭の16世紀17世紀にはトマス・モアの『ユートピア』、トマソ・カンパネッラの『太陽の都』、フランシス・ベーコンの『新アトランティス』などに現れており、広義にはこれらを含めて空想的社会主義と呼ぶこともある。また神学者のトマス・ミュンツァーなども含まれる。

空想的社会主義という言葉は、カール・マルクスフリードリヒ・エンゲルスが、自らの主張する社会主義を「科学的に構築される社会主義」(科学的社会主義)との対比として名付けたものである。科学的社会主義では空想的社会主義を次のように定義している。

  1. 仮説上の完全な共産主義社会のビジョンを創造した
  2. しかし、そのような社会の実現方法や維持方法を考えなかった

フリードリヒ・エンゲルスは著書『空想から科学への社会主義の発展』の中で、サン=シモン、フーリエ、オウエンについて次のように述べている。

  • 「資本主義的生産の未熟な状態、未熟な階級の状態には、未熟な理論が対応していた。社会的な課題の解決は、未発展の経済関係のうちにまだ隠されていたので、頭のなかからつくりだされなければならなかった。・・・・・・いまではただこっけいなだけのこれらの空想について、しかつめらしくあらさがしをしてまわったり、このような「妄想」にくらべて自分の分別くさい考え方がすぐれていることを主張したりすることは、文筆の小商人たちにまかせておけばよい。われわれはむしろ、空想の覆いの下からいたるところで顔を出しているのにあの俗物たちの目には見えない天才的な思想の萌芽や思想をよろこぶものである。」[1]
  • 「サン=シモンには天才的な視野の広さが見いだされ、この視野の広さのおかげで彼の思想には、厳密に経済的な思想ではなかったけれども、後代の社会主義者たちのほとんどすべての思想が萌芽としてふくまれている」[2]
  • 「イギリスの労働者の利益のためにおこなわれた社会運動やほんとうの進歩はすべて、オウエンの名と結びついている。」(1880年頃の記述)[3]

また、エンゲルスは空想的社会主義と対比させて科学的社会主義の特徴を次のように述べている。

「社会主義の課題は、もはや、できるだけ完全な社会体制を完成することではなくて、これらの階級とその対立抗争を必然的に発生させた歴史的な経済的な経過を研究し、この経過によってつくりだされた経済状態のうちにこの衝突を解決する手段を発見することであった。」[4]

「空想的社会主義」という言葉が特定の政治運動というよりむしろ幅広いカテゴリを意味する言葉であるため、精確に言葉を定義するのは難しい。ある定義によれば、フランス革命から1830年代中頃までに著作を出版した著者の思想を指すとしているが、別の定義ではイエス・キリストを空想的社会主義者に加えるといった具合である。いっぽう、時期的には後の19世紀後半のフェビアン協会を含む考え方もある。

語義上は歴史上のどの時点の人物であっても空想的社会主義者であってもいいわけだが、この語は19世紀の最初の四半期に生きていた空想的社会主義者にもっとも頻繁に適用される。19世紀中頃から、他の系統の社会主義が空想的社会主義を知的発達と支持者の数において圧倒しはじめる。空想的社会主義者は現代の共同体や社会運動、例えばオープンソース運動やTechno communismの形成にとって重要だった。

マルクス主義者が、自らのバージョンの社会主義を説明するために、科学的社会主義という言葉を用いることもある。これは、彼らの社会主義が社会科学に基づいて開発されたものであることを強調し、非科学的で観念的と見なす空想的社会主義との違いを際立たせるためである。

しかしながら、「科学的」を自称するマルクス主義・社会主義国家が次々と崩壊・挫折していく一方で、シャルル・フーリエのように20世紀以降において再評価される思想家もいる。また、協同組合運動については、その源流をロバート・オウエンとしており、オウエンの思想は順当に発展していったとも解釈できる。「科学的社会主義」に対する「空想的社会主義」なる語の使用は、単に「より旧世代である」というレッテル貼りでしかない[要検証]

脚注

  1. ^ エンゲルス『空想から科学へ』第1章、大月書店 国民文庫p.63
  2. ^ エンゲルス『空想から科学へ』第1章、大月書店 国民文庫p.66
  3. ^ エンゲルス『空想から科学へ』第1章、大月書店 国民文庫p.73
  4. ^ エンゲルス『空想から科学へ』第2章、大月書店 国民文庫p.86

関連項目