「外道」の版間の差分
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'''外道'''(げどう)とは、[[仏教用語]]で、悟りを得る[[内道]](ないどう)、つまり仏の教えに対する言葉である。転じて道に外れた人をさして言うようになった。外道という漢訳語は、他の教えを語る者(para-pravaadin)と、他の宗派の僧・教祖(anya-tiirthya)があるが、インドにおける本来の意味は渡し場・沐浴場・霊場を作る人(tiiha-kara)のことで、一派の教祖を意味する。 |
'''外道'''(げどう)とは、[[仏教用語]]で、[[悟り]]を得る[[内道]](ないどう)、つまり仏の教えに対する言葉である。転じて道に外れた人をさして言うようになった。外道という漢訳語は、他の教えを語る者(para-pravaadin)と、他の宗派の僧・教祖(anya-tiirthya)があるが、インドにおける本来の意味は渡し場・沐浴場・霊場を作る人(tiiha-kara)のことで、一派の教祖を意味する。 |
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元来外道とは、仏教以外の教え、またそれを信奉する人びとを総称した呼称である。もともとインドに仏教が興った紀元前5~6世紀ごろ、[[マガダ国]]に存在した[[六師外道]]という自由思想家たちや異教の思想一般を指して言った。これから転じて、正論者から異論邪説を唱える人たちを貶めていうようになった。これがまた転じて日常用語となり、人(主に卑劣な者)を罵って使う言葉や、[[釣り]]で狙ってもいないのに釣れた魚を指す用語として使われるようになった。 |
元来外道とは、仏教以外の教え、またそれを信奉する人びとを総称した呼称である。もともとインドに仏教が興った紀元前5~6世紀ごろ、[[マガダ国]]に存在した[[六師外道]]という自由思想家たちや異教の思想一般を指して言った。これから転じて、正論者から異論邪説を唱える人たちを貶めていうようになった。これがまた転じて日常用語となり、人(主に卑劣な者)を罵って使う言葉や、[[釣り]]で狙ってもいないのに釣れた魚を指す用語として使われるようになった。 |
2010年9月12日 (日) 00:02時点における版
外道(げどう)とは、仏教用語で、悟りを得る内道(ないどう)、つまり仏の教えに対する言葉である。転じて道に外れた人をさして言うようになった。外道という漢訳語は、他の教えを語る者(para-pravaadin)と、他の宗派の僧・教祖(anya-tiirthya)があるが、インドにおける本来の意味は渡し場・沐浴場・霊場を作る人(tiiha-kara)のことで、一派の教祖を意味する。
元来外道とは、仏教以外の教え、またそれを信奉する人びとを総称した呼称である。もともとインドに仏教が興った紀元前5~6世紀ごろ、マガダ国に存在した六師外道という自由思想家たちや異教の思想一般を指して言った。これから転じて、正論者から異論邪説を唱える人たちを貶めていうようになった。これがまた転じて日常用語となり、人(主に卑劣な者)を罵って使う言葉や、釣りで狙ってもいないのに釣れた魚を指す用語として使われるようになった。