「マイヨ・ロホ」の版間の差分
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[[ファイル:Denis Menchov 2.jpg|right|thumb|300px|[[ブエルタ・ア・エスパーニャ2007|2007年のブエルタ・ア・エスパーニャ]]にてマイヨ・オロを着用した[[デニス・メンショフ]]。]] |
[[ファイル:Denis Menchov 2.jpg|right|thumb|300px|[[ブエルタ・ア・エスパーニャ2007|2007年のブエルタ・ア・エスパーニャ]]にてマイヨ・オロを着用した[[デニス・メンショフ]]。]] |
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'''マイヨ・オロ''' (maillot oro) は、[[ロードレース (自転車競技)|自転車ロードレース]]・[[ブエルタ・ア・エスパーニャ]]において、個人総合成績1位の選手に与えられる金色の[[リーダージャージ]]である。各ステージの所要時間を加算し、合計 |
'''マイヨ・オロ''' (maillot oro) は、[[ロードレース (自転車競技)|自転車ロードレース]]・[[ブエルタ・ア・エスパーニャ]]において、個人総合成績1位の選手に与えられる金色の[[リーダージャージ]]である。各ステージの所要時間を加算し、その合計が最も少なかった選手がマイヨ・オロ着用の権利を得る。最終ステージの終了時点でマイヨ・オロ着用の権利をもっている選手がブエルタの総合優勝者となる。 |
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日本ではこの呼び方が一般的ではあるが、スペイン語版のWikipediaでは'''Jersey oro'''(ヘルセイ・オロ)とされている。 |
日本ではこの呼び方が一般的ではあるが、スペイン語版のWikipediaでは'''Jersey oro'''(ヘルセイ・オロ)とされている。 |
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三つの[[グランツール]]のうち、唯一開催初年度の1935年から用意され、そのステージ1で初めて袖を通したのは[[:es:Antoine Dignef]]、そして最後にこれを着て表彰台に登ったのは[[:en:Gustaaf Deloor]]である。 |
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2010年8月26日 (木) 23:12時点における版
マイヨ・オロ (maillot oro) は、自転車ロードレース・ブエルタ・ア・エスパーニャにおいて、個人総合成績1位の選手に与えられる金色のリーダージャージである。各ステージの所要時間を加算し、その合計が最も少なかった選手がマイヨ・オロ着用の権利を得る。最終ステージの終了時点でマイヨ・オロ着用の権利をもっている選手がブエルタの総合優勝者となる。
日本ではこの呼び方が一般的ではあるが、スペイン語版のWikipediaではJersey oro(ヘルセイ・オロ)とされている。
歴代の色
当初の色はヘルセイ・ナランハ(Jersey Naranja=オレンジ色)、その後何度も色を変え、1955年-1976年と1978年-1998年の合計41年間ヘルセイ・アマリーニョ(Jersey Amarillo=黄色ジャージ)となったのが最長。
年度 | リーダージャージ色 |
1935-1936 | オレンジ |
1941 | 白 |
1942 | オレンジ |
1945 | 赤 |
1946-1950 | 白 |
1955-1976 | 黄 |
1977 | オレンジ |
1978-1998 | 黄 |
1999-2009 | 金 |
2010(予定) | 赤 |
三つのグランツールのうち、唯一開催初年度の1935年から用意され、そのステージ1で初めて袖を通したのはes:Antoine Dignef、そして最後にこれを着て表彰台に登ったのはen:Gustaaf Deloorである。