「サイエンス・フィクション」の版間の差分

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ウェルズのもう一つの業績は、SF的ギミック(ガジェット)を数多く「発明」した事にある。たとえばウェルズ以前に書かれた時間小説として知られる、[[チャールズ・ディケンズ]]の『[[クリスマス・キャロル (小説)|クリスマス・キャロル]]』では、「妖精の力」で時を越えるのに過ぎなかったが、ウェルズは「タイムマシン」という時を越える道具を主人公に「発明」させる事で時間を越えている。ウェルズの発明はタイムマシン以外にも、蛸型火星人、[[透明人間]]、[[冷凍睡眠]]装置、[[最終戦争]]等、SFの基本的なギミックのほとんどは、かれが考え出したものである。このためウェルズを評して時に「SF作家はウェルズを読まないほうがいい。自分のやろうとしてる事をすでにウェルズがやっている事を知って愕然とするから」といわれる事がある。
ウェルズのもう一つの業績は、SF的ギミック(ガジェット)を数多く「発明」した事にある。たとえばウェルズ以前に書かれた時間小説として知られる、[[チャールズ・ディケンズ]]の『[[クリスマス・キャロル (小説)|クリスマス・キャロル]]』では、「妖精の力」で時を越えるのに過ぎなかったが、ウェルズは「タイムマシン」という時を越える道具を主人公に「発明」させる事で時間を越えている。ウェルズの発明はタイムマシン以外にも、蛸型火星人、[[透明人間]]、[[冷凍睡眠]]装置、[[最終戦争]]等、SFの基本的なギミックのほとんどは、かれが考え出したものである。このためウェルズを評して時に「SF作家はウェルズを読まないほうがいい。自分のやろうとしてる事をすでにウェルズがやっている事を知って愕然とするから」といわれる事がある。


ウェルズやヴェルヌに影響を受けた作家として、[[コナン・ドイル]]がいる。彼は、[[シャーロック・ホームズシリーズ]]などの推理小説以外にも、[[チャレンジャー教授]]を主人公とした『[[失われた世界]]』(1912年)や『[[毒ガス帯]]』(1913年)などのSFも書いた。死去する前年の[[1929年]]に発表された海洋SF小説『[[マラコット深海]]』は科学的予見に満ちたドイルの傑作である。さらに、ジョージ・グリフィスが大衆向けの作品で商業的に成功し<ref>『現代SFの歴史』p.77</ref>、イギリスやヨーロッパではSFが盛んになっていった。
ウェルズやヴェルヌに影響を受けた作家として、[[コナン・ドイル]]がいる。彼は、[[シャーロック・ホームズシリーズ]]などの推理小説以外にも、[[チャレンジャー教授]]を主人公とした『[[失われた世界]]』(1912年)や『[[毒ガス帯]]』(1913年)などのSFも書いた。死去する前年の[[1929年]]に発表された海洋SF小説『[[マラコット深海]]』は科学的予見に満ちたドイルの傑作である。さらに、[[ジョージ・グリフィス]]が大衆向けの作品で商業的に成功し<ref>『現代SFの歴史』p.77</ref>、イギリスやヨーロッパではSFが盛んになっていった。


==== ロボットの「発明」とアンドロイド ====
==== ロボットの「発明」とアンドロイド ====

2010年8月24日 (火) 12:06時点における版

H.G.ウェルズ宇宙戦争』のイラストレーション。Henrique Alvim Corr画(1906)
SF漫画雑誌『プラネット・コミックス』

サイエンス・フィクションScience Fiction、略語SFSci-fi)は、科学的な空想にもとづいたフィクションの総称。またSFは、SF漫画SFアニメSF映画などを総称する名称でもある。特に小説を指す場合にはSF小説とも呼ばれる。

日本では一般にSFと表記してエスエフと読む。以前は、「科学小説」「空想科学小説」「幻想科学小説」「未来科学小説」などの呼称もあり、この中でも科学小説は戦前、空想科学小説は戦後の一時期、かなり盛んに用いられたが、現在では一般的でない。

SFの定義

サイエンス・フィクションというジャンルは時代とともにその定義が変遷しており、また膨大なサブジャンル・隣接ジャンルを持つため、定義は容易ではない。SFという単語が生まれて間もない頃は、小説中に科学が扱われていさえすればSFなのだと単純にとらえられており、例えばアシモフは「SFとは未来の科学と科学者を扱った小説」であると述べているし、スタージョンは「科学的な部分を取り除いてしまった場合にストーリーがまったく無意味なものになってしまう作品にのみ、SFという言葉を適応できる」と述べている[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。。 SF作家であり文芸評論家でもあるデーモン・ナイトは、SFの定義に関する困難さを「SFと呼ばれるものがSFだ。("science fiction is what we point to when we say it")[1]」と述べ、またそれを受けてMark C. Glassyは、SFを定義することはポルノを定義するようなものだと述べた。つまり「何であるとは言えないが、目にすればそうであるとはっきり分かる[2]」と述べた。

ジョージ・ターナーは上のような認識を批判し、SFを「リアリスティックな小説と非リアリスティックな小説の間に位置する」ものとして規定している。黄金期のSF関係者達の中には、未来の外挿というキーワードを重視しているものも多く、例えばブライアン・オールディスは『十億年の宴』で、SFを現実から未来を外挿する小説として規定している。

しかしこの定義は、黄金期のSFにはよく当てはまる面もあるが、ニューウェーブSFにはあまり当てはまらない。また、こうした発言にも関わらずオールディス自身はニューウェーブの作家であった。実際、「未来の外挿」というキーワードは、多少なりともSFと現実社会や科学文明との繋がりを示唆するものであるが、一方でニューウェーブSFの存在はこうした繋がりそのものを否定している。

ニューウェーブの創始者の一人であるJ・G・バラードは、これからのSFは外宇宙より内宇宙が重要で、現実社会や科学といったものを重視する従来型のSFよりも人間の内面世界を描写する事が重要なのだと説く。このようにニューウェーブの作家達は従来「SF的である」ととらえられてきた事を否定し、実はそれらがSFの必要条件では無い事を示したが、一方で彼らは「ではSFとは何か?」という問いには答えなかった。

またSFの重要な要素として「病んでいる」事を挙げるものもおり、畑中佳樹のように「病んでない人間にはSFを読む資格は無い」と極言するものさえいる。[3]実際1950年代、1960年代にはフィリップ・K・ディックをはじめ病んだSFを書く作家も多かったので、「病んでいる」事はSFとは何かという問題に対してある種の答えを与えている。しかしヒロイックなスペースオペラの様にこの定義から大きく逸脱するジャンルも存在する。

またSFにファンタジー的要素を取り込んだ時期があったので、広義ではファンタジーもSFに分類されることがあるが狭義では通常含まない。拡大解釈では、「サイエンス・ファンタジー」「スペース・ファンタジー」というような取り方もしばしば見られる。

呼称について

世界初のSF雑誌『アメージング・ストーリーズ

サイエンス・フィクション」という名前を生み出したのは、世界初のSF雑誌『アメージング・ストーリーズ』の初代編集長ヒューゴー・ガーンズバックである。ただし、正確には「サイエンス・フィクション」ではなく、「サイエンティフィクション」〔Scientifiction, Scientific+Fiction〕と呼んだ。

SFにおけるニュー・ウェーブ運動の参加者は、「SFは科学小説ばかりではない」という見解から「SFはサイエンス・フィクションの略ではなく、スペキュレーティブ・フィクション(思索的小説)の略だ」と主張した。

Sci-Fi(サイ・ファイ)という略語は1954年にフォレスト・J・アッカーマンにより公式に用いられた[4]。ただし、ロバート・A・ハインラインはこれよりも6年早く、この用語を私的な書簡で用いている[5]。サイエンス・フィクションがポップカルチャーの世界に進出すると、熱心なSF作家やファン達は、“Sci-Fi”という略語を、低予算・低技術のB級映画や、低品質なパルプSFと関連付けるようになった[6][7][8]。1970年代までにはテリー・カーデーモン・ナイトらのSF批評家達が、略語“Sci-Fi”を真面目なSF作品からやっつけ仕事を区別する用語として使うようになり[9] 、1978年頃にはスーザン・ウッドその他の批評家により、“Sci-Fi”に対し「スキフィ」という発音が導入された。ピーター・ニコルスは、「SF(エス・エフ)」という略語が「SF作家と読者の間で好まれている適切な略語である」と述べた[10]デヴィッド・ラングフォードによるSFファンジン『Ansible』には、“As Others See Us(他人の目)”と題された連載記事があり、そこでは略語“Sci-Fi”がジャンル外の人々により侮蔑的な意味で使用されている多数の例が掲載されている[11]

以下の文章は、主に石川喬司の「SFででくたぁ」、『SFの時代』を参考にした。

SFに科学は必要か?

SFが「科学小説」(=科学のプロパガンダ小説)と見なされる事を嫌がるSF関係者も多い。SFの創成期には「科学小説」が数多く発表されたがそれらは今のSFと比べればストーリー性も深みもなかった。こうした事情が彼らに「科学小説」と同一視される事を嫌悪させるのだと考えられる。

石川喬司のようにSFが科学と関連づけられる事すら嫌うものもおり、彼は「SFと科学を関連づけるのはいい加減やめて欲しい」と言う趣旨の発言を繰り返している[12][13]。彼は矢野健太郎が「SFによって科学に興味を持つ子供が多くて嬉しい」という趣旨のSFに肯定的な発言をした時にもこのような発言をしているので、科学と関連づけられるのを彼がいかに嫌っていたかが分かる。

ロバート・A・ハインラインは「SF」は「サイエンス・フィクション(=科学小説)」ではなく「スペキュレイティブ・フィクション(=思索の小説)」の略であると主張し、SFと「科学小説」との差別化を計ろうとした。

「スペキュレィティブ・フィクション(=思索の小説)」は1960年代のニュー・ウェーブSF運動が主導した概念と思われがちだが、実際は「オールド・ウェーブ」の代表格のハインラインが既に主張していたのである。

だが、ニュー・ウェーブの時代の「スペキュレィティブ・フィクション(=思索の小説)」は、ハインラインが想定したものと大きくかけ離れた、前衛的・文学的な作品が多かった。実際に科学がほとんどもしくは一切出てこないSF小説が多数書かれており、SF性が科学とは無関係な概念である事がはじめて証明された時代であった。そのため、当時のSF関係者の主流な意見であったと思われるし、今もそう考えているSF関係者も多い。

一方、SF考証(=SFを科学的に見えるようにする議論・手法)を重要視し、ライトノベル側のSF関係者である山本弘はこの意見に異を唱えている。彼によれば「SFはスペキュレーティブ・フィクション」なのだというハインラインの発言は「意味の分からない」ものであり、SF考証に基づいたSFこそが真のSFであるということらしい。[14]

UFO研究はSFか?

UFO研究がSFと同一視される事を嫌悪するSF関係者は数多い。

彼らの主張によれば、UFO研究は単なる疑似科学ないしオカルトに過ぎず、文学であるSFはUFO研究とは明らかに一線を画するものだという。

「SF関係者はSF小説の内容を(まるでUFO研究家のように)現実のものだと信じている」という見識を「SFに対する誤解」として捉えているSF関係者も多く、例えばアイザック・アシモフはこうした人物の一人であった。

この手の「誤解」に常々辟易していた彼は、SFを現実のものとして捉えているかというインタビュアーの質問に対して、以下の趣旨の発言をしている。


「ではあなたは、童話作家は妖精が存在したり、動物達が口を利けると信じてると思いこんでるんですね?」

インタビュアーがそんな事はないと発言すると、アシモフはこう答えた。

「ならなぜSF作家がSFの内容を現実のものだと信じていると思うのですか?」

(注:正確な引用ではない。正確なセリフを覚えている方フォローをお願いします)


またSFとUFO研究者と同一視されるのを嫌がる背景には、一般大衆からはあまり好意的な目では見られる事が無いUFO研究者と同一視される事を嫌がるのだという事情もあるのかもしれない。

しかし一方でSFと疑似科学との関係は深いという現実もある。

例えば日本最初のSF同人誌「宇宙塵」の創設メンバーの多くが「空飛ぶ円盤研究会」の元会員であったり、キャンベルやヴォクトのような黄金期のSFの立役者が何度と無く疑似科学カルトに騙されている。また、ダイアネティックスの創始者L・ロン・ハバードは元SF作家であるし、ハインラインの『異星の客』の作中に出てくる宗教を実際に現実世界で創始した人物もいる。

SFアニメはSFか?

巨大ロボットアニメをはじめとしたSFアニメは日本で育まれたものではあるが、欧米のSF小説ないしその系譜上に位置する伝統的な日本のSF小説とは内容的文化的に大きく異なる。

機動戦士ガンダム』の放送当時には、「ホワイトベースが大気圏中を低速飛行している」などの理由を付けられて「SFではない」「SFマインドが欠如している」などという主張・批判が展開されたこともあった[15]

しかし、永井豪のようにSF小説の土壌を理解しつつ同時にSFアニメに大きな足跡を残した人物もまた多い。また、今日のSFアニメの隆盛は科学考証においてもいくつもの新機軸を生み出し、伝統SFの運動とは別の意味でのサイエンス・フィクションとして影響を与えている。

SFの歴史

創世以前のSF

最初のSF作家として普通認知されているのは、ジュール・ヴェルヌもしくはH・G・ウェルズである。しかしそれ以前にもSFではないがSF的な文学は存在した。おそらく最古のSF的小説は、古代ギリシアの作家ルキアノスの書いた『本当の話』と『イカロメニッパス』であろう。[16]『イカロメニッパス』では、主人公のメニッパスが両手に翼をつけてオリュンポス山の上からイカロスのように(イカロ)飛び立って月の世界に行き、そこで月の哲学者と会う。そしてかれに、目を千里眼にしてもらって地上を見て、世界の小ささを実感する。日本の竹取物語平安時代)では月から人が来るし、浦島太郎室町時代)では時間の流れの歪みが描かれている。14世紀にダンテ・アリギエーリによって書かれた『神曲』も、当時の科学的知見が盛り込まれ、天国篇では、主人公ダンテが天動説宇宙に基づいて構想された天界を遍歴し、恒星天の上にまで昇っていく。

17世紀には天文学者ヨハネス・ケプラーが天動説が主流であった当時、地動説の考えに基づいて書いた小説『ケプラーの夢』(ラテン語 Somnium)がある。この小説は、アイスランド人ドゥラコトゥスが地球(ヴォルヴァ)と月(レヴァニア)を自由に往復する精霊に連れられて月世界へと旅行する物語である。

映画『フランケンシュタイン』(1910)

さらに、1816年に当時19歳のメアリー・シェリーが書いた『フランケンシュタイン-あるいは現代のプロメテウス』がある。科学者ヴィクター・フランケンシュタインが死体を集めて繋ぎ合わせ、人造人間を作ることに成功する。こうした人造人間は「こころ」を持ち、フランケンシュタインに対して自分の伴侶となり得る異性を一人造るように要求する。しかし人造人間は、自己の存在に悩み人間への絶望から殺人を重ね、最後は北極の海へと消えて行く。

この小説は、メアリー・シェリーが夫(パーシー・シェリー)とともにバイロンの別荘に行った時に書かれたものである。ある日バイロンは3人が怪奇小説を書いて互いに見せ合うことを提案した。パーシーとバイロンは途中で小説を投げ出してしまった(バイロンがこの時書いた構想を借りて、ポリドリが『ヴァンパイア』を書いた)が、メアリーはこれを仕上げた。

メアリーの『フランケンシュタイン』はSF的テーマを扱いながらも「怪奇小説」であり、科学小説を書こうというモチベーションによって書かれたわけではないが、ブライアン・オールディスをはじめとする後世の多くの作家や評論家たちがメアリーに先駆的な業績を認め、SFの先駆者あるいは、創始者であると捉えている。[17]一方で、『フランケンシュタイン』は確かに重要な作品ではあるが、SFの起源とすることはSFの領域を拡張させ過ぎている、という意見も存在する。[18]

19世紀前半の作家エドガー・アラン・ポーも、SFの開祖の一人である。彼の作品は人間心理の異常性に踏み込んだ怪奇・恐怖小説が多いが、『鋸山奇譚』・『大渦に呑まれて』・『ハンス・プファールの無類の冒険』など、科学知識を応用した作品も見られる。特に『ハンス・プファールの無類の冒険』は、気球による月世界旅行を描いたもので、当時の最新の科学知識を用いた、まさに正統派のSFであった。ヴェルヌやウェルズもポーの影響を受けており、現代SFの発展に功績があったといえる。[19]

創世期のSF

ジュール・ヴェルヌ

ファイル:Verne-Mesic-ilustrace2.jpg
ジュール・ヴェルヌ月世界旅行』挿絵(1868)。SFイラストレーションの嚆矢でもある。

ジュール・ヴェルヌは若い頃は大デュマに師事してロマン劇を書いていたが、愛読書のエドガー・アラン・ポーの小説にある科学技術を織りまぜて現実性をより高めるという手法に注目し、1863年に冒険小説『気球に乗って五週間』を発表して好評を博した。この作品は純粋なSFではないが、ヴェルヌの作風に多大な影響を与えた。

本格的な科学小説としては1865年に書かれた『月世界旅行』(邦題では『月世界探検』とも)が最初といえる。月世界旅行では砲弾に乗って月へ行くという科学的な宇宙旅行が初めて描かれておりSFの嚆矢としての意義は大きい。その後も『海底二万里』や『インド王妃の遺産』など多くの科学小説が書かれた。ヴェルヌの作風は当時正しいとされていた科学知識を活用したものがほとんどで、当時としては現実味と説得力があり、その点が、それまでの(上述されたような)作品群と異なる。科学を賞賛した一方で人間が科学に支配されることについて危機感を抱くという先見の明もあり、『国旗に向かって』(別題:『悪魔の発明』)や『二十世紀のパリ』などの作品で強い警鐘を鳴らしてもいる。

ハーバート・ジョージ・ウェルズ

H・G・ウェルズ

ヴェルヌの『月世界旅行』の30年後にイギリスでH・G・ウェルズが『タイム・マシン』を書いた。

『タイム・マシン』は、主人公のタイムトラベラー(名前は明かされない)が時間を移動する機械を発明し、西暦80万2701年の世界へ行く物語。人類が二種に分岐した未来の世界では、美しい体つきをしたエロイという人類が、理想郷的な世界で無為に暮らしている。地下にはモーロックというもう一種の不気味な人類がいて、エロイ達を喰って生きている。タイムマシンをモーロック達に持ち去られた主人公は、恋人となったエロイのひとりとともにタイムマシンを探し出し、地下世界から奪い返す。そしてさらに未来へと旅立ち、人類の終焉、生物と地球の終焉を見た後に現代に帰還する。

注目したいのは、ヴェルヌが冒険小説的な科学小説を書いたのに対し、ウェルズはファンタジーをベースにしたSF小説を書いている点である。ヴェルヌは、『海底二万里』などで(当時の)現代世界を描き、ともすれば単なる科学礼賛になりがちであったのに対し、ウェルズは未来世界を描き、ファンタジーの要素を取り入れる事で「現実から外挿される世界を書きながらも現実という束縛を離れる」という現代SFの特徴を最初に取り入れている。しかもユートピアにおけるファンタジーを描きながらも、アンチ・ユートピア的な側面をも描き、文明批判を描いて思想小説的な要素をも取り入れるという離れ業に成功している。ウェルズは、優生学の信奉者だったが、『タイム・マシン』でエロイが有閑階級の、モーロックが労働者階級の成れの果てであるのは、この思想と無関係ではないだろう。また、この小説が、「生物の終焉」を扱っている事も見逃してはならない。世界、地球、人類等の終焉(終末テーマ)は、後にウェルズ自身の『最終戦争の夢』、ネビル・シュートの『渚にて』、アーサー・C・クラークの『幼年期の終り』等数多くの小説で描かれるテーマであるが、SFの最初期に書かれたこの小説が、すでに生物の終焉を扱っている事は注目に値する。

ウェルズのもう一つの業績は、SF的ギミック(ガジェット)を数多く「発明」した事にある。たとえばウェルズ以前に書かれた時間小説として知られる、チャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』では、「妖精の力」で時を越えるのに過ぎなかったが、ウェルズは「タイムマシン」という時を越える道具を主人公に「発明」させる事で時間を越えている。ウェルズの発明はタイムマシン以外にも、蛸型火星人、透明人間冷凍睡眠装置、最終戦争等、SFの基本的なギミックのほとんどは、かれが考え出したものである。このためウェルズを評して時に「SF作家はウェルズを読まないほうがいい。自分のやろうとしてる事をすでにウェルズがやっている事を知って愕然とするから」といわれる事がある。

ウェルズやヴェルヌに影響を受けた作家として、コナン・ドイルがいる。彼は、シャーロック・ホームズシリーズなどの推理小説以外にも、チャレンジャー教授を主人公とした『失われた世界』(1912年)や『毒ガス帯』(1913年)などのSFも書いた。死去する前年の1929年に発表された海洋SF小説『マラコット深海』は科学的予見に満ちたドイルの傑作である。さらに、ジョージ・グリフィスが大衆向けの作品で商業的に成功し[20]、イギリスやヨーロッパではSFが盛んになっていった。

ロボットの「発明」とアンドロイド

映画『地球の静止する日』に登場するロボット

ロボット」という言葉は1921年チェコ・スロバキアの作家カレル・チャペックが書いた戯曲R.U.R ロッサムの万能ロボット会社』(「R.U.R」はチェコ語なので「エル・ウー・エル」と読む)で初めて使われた(この戯曲に出てくるロボットは、機械人間ではなく人造人間に近い)。この戯曲では、ロボットは人間に代わる労働力として扱われている。

科学が発展の限りを尽くしたが、子供が何故か生まれなくなり人間が減少し、労働力としてロボットが大量に生産される世界が舞台となる。ある時一人の人道主義者の女性が、ロボット達のこの境遇に同情してロボットに心を持たせるよう、ロボット会社R.U.Rに掛け合う。彼女の申し出は、ロボット会社の技術者達が彼女に惚れていたため、即刻叶う事になる。心を持ったロボットらは、自分たちの境遇に憤怒し、反乱を起こして人類を滅ぼしてしまう。この小説は、ただ1人生き残った人類が、男女のロボットが互いに相手をかばい合うのを見て、ロボットたちに「」が目覚めたのを知ったところで終わる。解釈はいくつかあるが、非人間的になった人類と人間的なロボットとの対比を用いて、科学批判を行っているという解釈が主流である。

ロボットと並ぶ人造人間の名称、「アンドロイド」は、ヴィリエ・ド・リラダンの長編小説『未来のイヴ』(1886年)によってはじめて世に出された。この作品では、エワルド卿が、完璧な肢体と美貌を持ちながら内面はどうしようもない俗物であった美女アリシャ・クラリーに恋焦がれながら、その内面に失望して、友人のエジソン博士に相談を持ちかけた。エジソンはアリシャそっくりのアンドロイド、アダリーを作るが、アダリーもまたどうしようもない俗物であった。

両作品とも、急速な科学技術の発展や普及を危惧し、警告するという意図で書かれていると言われる。しかし 『R.U.R』や『フランケンシュタイン』の強烈な印象により、以降のロボット・人造人間物は「ロボットが製作者を破滅させる」というプロットの繰り返しとなり、これは後にアイザック・アシモフロボット工学三原則を編み出すまで続く事となった。

黎明期のSF

科学小説としてのSF:ラルフ124C41+

ウェルズによって最初の完成を見たSF小説であったが、SFがアメリカに輸入されたところで、再び、未来予測的で科学礼賛的な希望に満ちた科学小説の時代になる。

このような傾向を持ったSFの頂点に立つのが、1911年にガーンズバックによって書かれた『ラルフ124C41+』だろう。文章もプロットも今から見れば単純だが、未来予測という点では画期的であった。本作は近未来の生活を扱ったロマンス小説で、執筆当時にはまだ発明されていなかった未来の道具が100以上も描かれている。例えば、蛍光照明、飛行機による文字広告、テレビラジオプラスチックナイター、3D映写機、ジュークボックス液体肥料自動販売機睡眠学習、電波を利用した電力送信、ガラス繊維ナイロンなどである。

ヒロイック・ファンタジーの流行

エドガー・ライス・バローズ火星のプリンセス』表紙(1917)

この頃のアメリカSFのもう一つの潮流としては、エドガー・ライス・バローズ火星シリーズに代表されるヒロイック・ファンタジーの流行がある。バローズは1912年、火星シリーズの第一作『火星の月の下で』(後の『火星のプリンセス』)を書く。

火星シリーズのストーリーは単純にして荒唐無稽である。主人公のジョン・カーターは、ある時肉体から魂が飛び出てしまい、魂だけが火星に飛ばされてしまう。火星は地球よりも科学力が何千年も進んでいるが、文化的には中世を想像させる。地球よりも重力が小さいため、元々体力のあるカーターは、火星ではスーパーマンも同然である。火星の悪人どもを剣でなぎ倒し、ヘリウム大帝国の王女にして絶世の美女でもあるデジャーソリスを救い、彼女と結婚して「火星の大元帥」の地位に収まる。

この作品はヴェルヌのような科学的な説明は無く、御都合主義的で設定に矛盾が多いが商業的には大きく成功した。[21]「バローズ風の」作品は一大ブームを巻き起こし、後のSFとファンタジーに絶大な影響を与えた。バローズが生きている頃には数百人の模倣者がいて、その模倣者の中でも有力な者にはさらに数百人の模倣者がいたという伝説がある[22]

スペース・オペラ

小説のファンタスティックな中世側面からはヒロイック・ファンタジーという剣と魔法で戦うロマンチックな冒険談が生まれ、SF的な火星側面からは、1920年代にスペースオペラと呼ばれる宇宙活劇が産まれた。

当時の代表的なスペースオペラ作家には、エドモンド・ハミルトンE・E・スミスマレイ・ラインスター等がいる。宇宙戦争ロボットなど、現在でもしばしばSF小説やSF映画に登場する数々のモチーフの多くが、この頃までに現れている。

アンチ・ユートピアSF

だが、すでに192030年代からSF作家たちは、そのような架空の世界に楽天的な空想をはせるだけではなく、科学技術の急速な進歩とその悪用に対して倫理的な歯止めが必要であるとの認識も示していた。死んだ人間の首から上だけを人工的に復活させるグロテスクな技術を描くアレクサンドル・ベリャーエフの『ドウエル教授の首』などがそれであり、さらに第二次世界大戦後には、科学技術による全体主義的管理社会を描いた「アンチ・ユートピア(ディストピア)」ものの代表作であるジョージ・オーウェルの『1984年』も書かれた。

1940年代のSF

1940年代はSFの全盛期と、アメリカでは歴史的に言われており、1940年代SFを「黄金時代」(ゴールデンエイジ)のSFと呼ぶ。ただし、現在の目で見れば、1950年代のSFの方が「黄金時代」と呼ばれるにふさわしい。

ハードSFの誕生

1940年代はSFの一大転換期である。それまで荒唐無稽なB級小説に過ぎなかったSFにリアリズムの概念が初めて導入された。リアリスティックなSFの出現は、SF雑誌『アスタウンディング』(後の『アナログ』誌)の3代目編集長ジョン・W・キャンベルの影響が強い。1940年代以前のSFにありがちな荒唐無稽なSFが編集長である彼の元に送られてくると、キャンベルはそれらをこてんぱんに批判した。たとえば、宇宙人が地球人を食用の家畜として飼う話を「食用にするなら地球人を育てるより牛を育てたほうがずっと効率的だ」と批判したり、宇宙人が地球人女性を性の奴隷として連れ去る話を「ちょっと美の感覚が違えば、人間の女でなくとも豚でもよかったはずだ」と批判した。[23]このため、「準光速で走っている宇宙船が突然直角に曲がる」ような小説は無くなった。

最新の物理学的、あるいは天文学的な知識に基づいた科学的な作品はハードSFと呼ばれるジャンルを成立させ、アスタウンディングではアーサー・C・クラークアイザック・アシモフロバート・A・ハインラインなどが活躍し始める。

しかし「科学的」(に見える事)にこだわったキャンベルは、最終的にダイアネティックスを始めとする疑似科学に傾倒してしまう。[24]ハリー・ハリスンの暴露本によれば、ダイアネティクスにはまったキャンベルは、彼のかかえる作家達に「ダイアネティクス的な」SF小説を書かせる事を強制したという。

出版形態の変化

当時、SF作家の主な活躍の場はSF雑誌に掲載される短編であり、それらの雑誌は『アスタウンディング』を中心に1940年代初頭には隆盛を極めていたが、第二次世界大戦によりアメリカのあらゆる産業・資源が軍需に振り向けられる様になると、紙不足により多くのSF雑誌は規模の縮小や休刊を余儀なくされた。

戦後、出征中に家族に過去の雑誌コレクションを勝手に処分されてしまったSFファンの需要を見込んで、そうした過去の雑誌掲載短編を集めた短編集やアンソロジーの出版が盛んになり、さらに書き下ろしのSF長編も出版される様になっていった。また新しいSF雑誌の創刊も相次いだ。

加えて、SF作家の妄想に過ぎなかった筈の原子爆弾が現実の物になった事で、それまで子供騙しの低俗小説と軽視されていたSFは一躍「未来を予測する洞察的文学」とみなされるようになり、1947年にハインラインの『地球の緑の丘』がサタデー・イブニング・ポスト誌に掲載されたのを皮切りに、それまでSFに見向きもしなかった大手の出版社・雑誌もがSF作品を刊行・掲載するようになった。こうしてSFの社会的地位と市場規模は一気に拡大し、多くの作家・読者が加わっていった。

1950年代のSF

当時は「黄金時代」と見えた1940年代のSFは、現在の目で見れば、稚拙な作品が散見する。現在から見ると、実際の「真の黄金時代」は、1950年代のSFがふさわしい。

社会学的・風刺的SF 文学的SF

1950年代は、キャンベルに代わり、雑誌『ギャラクシー』の編集者ホレース・L・ゴールドと、『ファンタジー&サイエンス・フィクション』の編集長アンソニー・バウチャーがジャンルの主導権を握った。

ゴールドは狭義の自然科学のみならず、社会学により未来を予測した社会学的風刺SFを主導した。また、バウチャーは文学的な香りの高い作品を主に掲載した。

心地よい破滅テーマ

カミーユ・フラマリオン『世界の終わり』(1894)のイラストレーション。破滅テーマは初期から連綿と続くモチーフ。

1950年代以降、冷戦核戦争による人類の滅亡が現実的な問題[25]となってくると、そのような状況を反映した「終末もの」SF作品が多数生み出された。この時期の「終末もの」の代表作としてネビル・シュートの『渚にて』がある。核戦争が起こって北半球が死の灰に覆われてしまっている。人類は南半球で、次第に南下してくる死の灰におびえながら生活している。

しかし、この時期に書かれた破滅もののSFが真にリアリスティックなものであったかどうかに関しては疑問の声もある。この頃書かれたSF小説は、世界が破滅するという絶望的なシチュエーションでありながら、主人公はなぜか幸福な生活をして哲学者のように来るべき破滅を達観しているものが多い。ブライアン・オールディスはこうした特徴を持つ小説群を指して、皮肉を込めて「心地よい破滅テーマ」と呼んだ(『十億年の宴』)。

1960年代のSF

SFの模索期であった1960年代には、1950年代ほどの人気が無かったので、黄金期(ゴールデンエイジ)のSFと呼ばれる1950年代SFと比べて1960年代SFをシルバーエイジのSFと呼ぶ事がある。

ニュー・ウェーブSF

1960年代には、イギリスを中心にニュー・ウェーブSFの流れが起きた。これは、対象を外宇宙から内宇宙へ、内省的・思弁的な方向に向けたもので、マイケル・ムアコックの主宰する『ニューワールズ』誌を中心に、J・G・バラードブライアン・オールディスなどが前衛的な作品を発表した。この流れはアメリカにも波及し、SFと他のジャンルとの中間的な作品や、SFの中で文学的実験を行おうとする作品も現れ、ニュー・ウェーブSFの登場を印象づけた。ムーブメントはフィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』やハーラン・エリスンロバート・シルヴァーバーグなどに代表される。かれらに共通するのは、人間の社会や歴史、文明、文化に対する巨視的で批判的な視点であり、また、単なる科学の礼賛やその批判ではなく、SFを人間にかかわるあらゆる問題に対する文学的思索(スペキュレーション)の手段として利用していることである。寓話性や哲学性を持った文学的価値も高いSFが増えてきたのも、この頃からである。

その極北的な作品として、トマス・M・ディッシュの『リスの檻』がある。この作品ではSF的ギミックも疑似科学もいっさいでてこない。主人公(実はディッシュ自身)は、ドアも窓もない部屋に閉じ込められている。(理由は説明されない)。あるのはタイプライター一台だけ。毎日新聞が届けられるが、なぜか次の日には消えてしまう(これも理由は説明されない)。この小説はその一台だけあるタイプライターに、主人公が暇潰しに書いた文章というスタイルを取っている。その為「暇だからちょっと物語を書いてみよう」といって、話を書き始めたかと思うと、「やっぱり飽きたのでやめる」といって突然話を中断したりする。

ディッシュはこの物語で、現代人の孤独を浮き彫りにしようとしたのだと言われているが、それを読みとれた読者は多くなかったであろう。この物語は、文学性を意識し過ぎるあまり、余りにも難解になり過ぎていた。既存のSFの枠を打ち壊して文学的であろうとしたニューウェーブはその目的ゆえついには娯楽の小説であるはずの大衆小説ですらなくなってしまい、最終的に商業性と読者を失って急速に萎んでしまう。

ファンタジーとの融合

この時期はまたファンタジーとの融合が試みられた時期でもある。

1970年代のSF

1980年代のSF

サイバー・パンク

1980年代になるとウィリアム・ギブスンが『ニューロマンサー』を書き、サイバーパンクの時代になる。サイバーパンクではコンピュータネットワーク内のサイバースペースが主な舞台となる。既にデビューしていたブルース・スターリングがこの分野の旗を振るようになった。この分野の作家には『重力が衰えるとき』のジョージ・アレック・エフィンジャールーディ・ラッカーが挙げられる。サイバーパンクの雰囲気を日本語に訳すために黒丸尚はルビを多用した独自の訳文を使った。「サイバースペース」という用語は、1990年代に実社会においてインターネットが普及すると、それを表現するキーワードとして注目された。

その後、主体となる技術をコンピュータから蒸気機関に移し替えたスチームパンクと呼ばれる派生作品も書かれるようになる。そこでは19世紀の蒸気機関車時代あるいはそれに似た世界を舞台に、極端に発達した蒸気機関による文明が描かれた。

ポスト・サイバー・パンク

やがてサイバーパンクは収束していき、ポストサイバーパンクの時代となる。ポスト・サイバーパンクではニール・スティーヴンスンの『スノウ・クラッシュ』などが有名である。

日本SFの歴史

戦前

第二次世界大戦以前にも、押川春浪海野十三などが後世にSFとして見なされる様な作品を手掛けている。また、1878年には日本初の翻訳SF小説となる新未来記(原著の作者はジオスコリデス)を近藤真琴が書いた。彼ら以外にも、江戸時代から昭和前期にかけて古典SF作家が存在し、多数の先駆的SF作品を発表してきた。

こうした作品群は、横田順彌によって『日本SFこてん古典』シリーズにまとめられており、現在も日本古典SF研究会等で研究が続けられている。

戦後

現在の日本SFに連なる流れは、戦後、進駐軍の兵士の読んでいたペーパーバックが古書店に並び、その影響の下に再開された。1954年に日本初のSF雑誌「星雲」が刊行されたものの創刊一号のみで頓挫。その後、様々なSF叢書・シリーズが出されたがいずれも商業的成功を収めるにはほど遠く、出版界では「SFと西部劇に手を出すとつぶれる」ジンクスが通念となった。1960年の前後に、SF同人誌「宇宙塵」の創刊、早川書房の発行する『S-Fマガジン』の創刊、第1回日本SF大会の開催が続き、ここにようやく本格的な日本SFが始まる。戦後初の本格的なSF長編が、今日泊亜蘭の『刈得ざる種』(1962年。のち『光の塔』と改題)である。ただし、1953年のSF長編『鉛の小函』(丘美丈二郎)などがあり、『光の塔』以前にSF長編がまったく書かれなかった訳ではない。また、手塚治虫らのSFマンガとアニメ、東宝特撮映画などのビジュアル分野でのSFも小説分野と少なからぬ連携を持ち続けた。早川SFコンテストには東宝が出資しており、1960年代に多くのSF作家はアニメ脚本の仕事を手がけている。

S-Fマガジン』で募集された早川SFコンテストから、小松左京筒井康隆半村良光瀬龍平井和正豊田有恒などが次々とデビュー。早川書房が発行する雑誌・書籍以外でも、眉村卓星新一、今日泊亜蘭などがSF作品を発表した。これらの作家は、欧米のSFの影響を受けながらも、それぞれに特徴ある作風で日本独自のSFを展開していった。また平井和正、豊田有恒、柴野拓美などは、SF漫画の原作やSFアニメ脚本SF考証などを手がけ、小説に留まらない活躍をした。

また、ミステリの巨人江戸川乱歩は、必ずしも系統だてたSFの紹介者ではなかったものの、戦前より続く探偵小説と空想科学小説の縁などもあり、この分野に理解を示し、盟友大下宇陀児らとともに自身の経営する雑誌「宝石」で積極的な新人紹介を行った。ここからデビューしたのが、星新一と筒井康隆である。ただ、この貢献と、早川、東京創元社の二大出版社がミステリの老舗でもあったことなどから、本来別のジャンルであるSFがミステリのサブジャンルであるかのような誤解も生まれていく。今日でも、特にSFミステリを書いているわけでもないSF作家が日本推理作家協会に加盟するような慣例が残っている。

さらに、日本SFの特徴として、矢野徹野田昌宏浅倉久志伊藤典夫などの優秀な翻訳家の存在が挙げられる。彼らは優れた欧米のSFを紹介するだけでなく、どういうSFが面白いのかという点でSFファンのオピニオン・リーダーとしての役割を果たしていた。また、『S-Fマガジン』初代編集長の福島正実は雑誌編集だけでなく、翻訳や創作も手がけ、確固たる信念に基づいて日本SFの普及に努めた。そしてこれらが後のSFブームの下地となってゆく。

SFの浸透と拡散

スターウォーズのロボットR2-D2と記念写真に写るNASA宇宙飛行士

1970年代には日本万国博覧会大阪で開かれたこともあって、SFのみならず科学全般に対する世間の関心が一挙に高まった。更に、小松左京の『日本沈没』がベストセラーになり、従来の国産SFアニメに比べて本格的な設定が施された『宇宙戦艦ヤマト』がTV放映される。1970年代後半には、映画『スター・ウォーズ』の日本公開などもあり、日本においてSFが世間から注目を集めた。一方でSF作家が他分野へ進出するようになり、筒井康隆が「SFの浸透と拡散」と表現した日本SFの変質の始まりでもあった[26]

半村良の伝奇SF平井和正の「ウルフガイ・シリーズ」は、菊地秀行夢枕獏高千穂遙の諸作品を経て、ライトノベルへと連なる流れの源流の一つとなった。SF雑誌も、『奇想天外』、『SFアドベンチャー』、『SF宝石』などが相次いで創刊され、それぞれ新人賞を設けるなどして新人の発掘にあたったため、『S-Fマガジン』とあわせて、堀晃横田順彌田中光二山田正紀かんべむさし野阿梓神林長平大原まり子火浦功草上仁新井素子夢枕獏田中芳樹菅浩江などが続々とデビューした。

1980年代になると、引き続きビジュアル面でのSFは繁栄を示し、『風の谷のナウシカ』や『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』が公開され、サンライズが『機動戦士ガンダム』を経て『装甲騎兵ボトムズ』というハードSFを打ち立てる一方、SFイラスト集団のスタジオぬえも『超時空要塞マクロス』でSFアニメに参加する。日本SF大会DAICON IIIDAICON IVでの優れたオープニングアニメでファンの注目を集めた集団がガイナックスを設立し、商業アニメに進出する。日本SF作家クラブはメディアにとらわれない日本SF大賞を設けた。

SFマインド

この1980年代は、日本のSFファンの間において「SFマインド」という概念が多用された時代でもある。

この概念はやや抽象的なものでその解釈・理論・思想・理想なども人によって少しずつ異なり、それこそ1980年代に「SF者」と呼ばれたSFファンが10人いれば10通りの解釈が出てくるほどのものではあり、時にある種のイデオロギーが含まれる事もある。ただ、概ね共通しているのは、多少のオーバーテクノロジー的描写は容認しつつも、正確なSF考証科学理論物理法則自然科学を最重視し、ストーリーや映像描写が厳密にこれに則って展開されている作品を「SFマインドにあふれている」として歓迎し、逆にドラマ上の演出や撮影技術面の都合などによる理論・法則の無視・軽視、非科学的なメカのデザイン[27]、あるいは(SFに精通したものにとって)勘違いな描写[28]や、他にも相対的に見て絶対的な存在[29]が物語世界の中心でストーリー全体を左右する事を、徹底的に嫌忌・否定する姿勢である。

この概念の登場によって、日本においてはそれまではかなり曖昧で、現在でいう異世界ファンタジーなどすら含む事も見られたSFというジャンルの固定化・細分化には役に立ったという一面があるのは事実である。だが、多くのSF色を含む作品[30]が「SFマインドにあふれているか否か」という事で議論の俎上に上げられ、SF業界関係者や「SF者」として認知されている雑誌ライターなどの間で大真面目に激しい論争が行われる事になった。その中では、たとえ人物描写やストーリー構成などで高評価を受けた作品であっても、SF描写についての何らかのわずかな瑕疵を探し出しては、それを理由に「SFマインドが足りない」というレッテルを付けて物語性自体を強く否定・批判したり、さらに作品や作者に対して誹謗中傷や人格批判を行うという、概念を利用したクリエイターへの攻撃という事態も少なからず発生した。また、SFマインドという言葉自体も抽象的なもので、やがては概念自体が一人歩きをする様になると、この概念自体を巡っての肯定否定の議論、挙句には「SF者」同士が非難合戦を繰り広げる光景も数多く見られる様になった。この様な状況に至り、SF作品で商業デビューした作家やクリエイターの一部にも、この種のある意味で不毛な議論や誹謗中傷に巻き込まれる事を嫌ったかの様に、徐々にSFから距離を置いていった者が見られる[31]

だが、SFマインド肯定派にとっては皮肉なことに、当時「SF者」の代表格の1人と見なされていたSF論客でもある高千穂遥が「SFとは言えない」とアニメ雑誌の誌上[32]などで徹底的にこき下ろした『機動戦士ガンダム』が、日本のアニメ史に残る商業的な大成功を収める。この作品が及ぼした影響は大きく、以降、アニメ産業には「リアルロボットアニメ」というSFマインド肯定派にとっては容認できない「一見ハードSFに見せかけた似非SF」的なジャンルが成立し、1980年代に入ると玩具メーカーとのタイアップの下、このフォーマットに基づいた作品が大量に製作される事になった。その一方で、SFマインド肯定派の者たちが支持した筈の「SFマインドにあふれたハードSF作品」からは『ガンダム』ほどの成功と言える作品が漫画・アニメ・映画などでも出なかった上[33]、SF専門雑誌のみならずアニメ雑誌や映画雑誌などの読者欄やコラムなどでも、「SF者」の読者やライターによる激しい議論や、相互を貶める中傷ばかりが繰り返され目立った事で、やがてはSF自体が一般大衆にはとっつきにくいイメージを抱かれてしまい、後にSFジャンル全体が停滞に陥り、後述する転換期に突入してゆく一因にもなった。

なお、この当時の議論を知らぬ現在の若いSFファンには、SFマインドという言葉が当時持っていた本来の意味を知らない者がもはや珍しくはなく、「なんだかSFっぽい」という程度の意味で使用している者も見られる。

SFの転換期

小説以外のSFはそれなりに栄えていた一方で、1980年代後半になると増えすぎて完全に過当競争状態に陥ったSF雑誌が次々と廃刊に追い込まれる。どうにか生き残ったS-Fマガジンも「早川SFコンテスト」を中断し、若手や新人のSF作家たちの行き場は失われる。

小説では新井素子神林長平夢枕獏などが活躍する一方、当時の和製スペースオペラの代表格であった田中芳樹の『銀河英雄伝説』正伝が1987年に完結する。

行き場を失った若手・新人SF作家の事実上の受け入れ口となったのは、当時勃興期にあったライトノベルであった。ライトノベル系の文庫レーベルに、野尻抱介山本弘嵩峰龍二笹本祐一らが登場し、SF、スペースオペラを発表していた。そして文庫や新書を中心として発売されたこれら若手SF作家の作品群の多くは、SFであると同時にライトノベルとして分類される様になり、SF自体もまたライトノベルにその一分野として取り込まれてゆく事になる。 だが、SFの受け皿となったのはライトノベルだけではない、 『奇想天外』などの休刊後、SF雑誌は再び『S-Fマガジン』一誌のみとなったが、SFを志す者は日本ファンタジーノベル大賞日本ホラー小説大賞からデビューし続けた。酒見賢一鈴木浩司佐藤亜紀瀬名秀明ら、優れた作家たちがそこから生まれてきた。 あるいは笙野頼子久間十義のように、純文学とSFの融合を志向する流れも新たに生まれてきた。批評家ラリィ・マキャフリィは、ウィリアム・ギブスンの言葉を借り、そうした兆候をアヴァン・ポップと呼んだ。

SF潮流の脱構築

1990年代後半にはSFとライトノベルの境界はますます不明確になり、特に若手作家のそれは第一義にはまずライトノベルとして取り扱われる事も多くなった。その様な状況下、日本SFの牙城たる早川書房ハヤカワ文庫からもついに、森岡浩之の『星界の紋章』(1996年)が出版される。その一方で笹本祐一野尻抱介など、ライトノベル系のSFを書いていた作家が、同時に本格的なハードSFも書きはじめる。さらに古橋秀之(1996年デビュー)や上遠野浩平(1998年デビュー)が電撃文庫から出現し、ライトノベル系文庫、一般文庫を問わずに活躍。後続作家に多大な影響を与えた。こうしてそれまでの日本におけるSF受容の流れに代わって、ライトノベル系と一般出版が渾然一体となった領域にSF文学は広がりつつある。

またライトノベル系の新人賞からも次々とSF作家がデビューしていた。2000年前後には日本SF作家クラブ主催の日本SF新人賞角川春樹事務所主催で小松左京が最終選考を務める小松左京賞が設けられ、本格的に新人の発掘が再開された。2001年には徳間書店がビジュアル先行型の新SF雑誌「SF Japan」を創刊した。

2000年代前半には、新作の発表が途絶えていた飛浩隆が『グラン・ヴァカンス』を書き始め、『猫の地球儀』や『イリヤの空、UFOの夏』の秋山瑞人、『マルドゥック・スクランブル』で日本SF大賞最年少受賞を果たした冲方丁、『第六大陸』と『老ヴォールの惑星』で星雲賞を受賞した小川一水らが活躍した。その活躍の場を提供したのが、早川書房による2つのレーベル「ハヤカワSFシリーズ Jコレクション」(2002年-)と「次世代型作家のリアル・フィクション」(2003年-2007年)である。

また同時期には、有川浩が『自衛隊三部作』・『図書館戦争』シリーズ(2006年-2007年)でSFをあまり読まない女性層からも注目を集めた。2007年には「リアル・フィクション」が刊行終了するも、その後も早川書房から『オブ・ザ・ベースボール』で芥川賞候補になった円城塔や、デビュー作『虐殺器官』が絶賛を得て日本SF大賞候補となった伊藤計劃が相次いでデビューして、彼らはSFジャンルの内外問わず活躍した。だが、文芸評論の分野などからも21世紀の和製SFを担う牽引役として期待を集める存在となった[34]伊藤計劃は実働わずか4年・34歳の若さでガン死してしまい、「早逝の天才」として評価は死後もなお高まるが、その死はSF界にとって決して小さからぬ損失となった。

ライトノベルSFでは、ハリウッド映画化が決定した桜坂洋All You Need Is Kill』(2004)や、近未来のウィーンを舞台にした冲方丁のライトノベル引退作である『シュピーゲル・シリーズ』(2007-)、アルフレッド・ベスターグレッグ・イーガンなどのオマージュ作であるうえお久光紫色のクオリア』(2009)などかなり本格的なものも出現してきた。

SF調の要素を設定に取り込んだアニメはますます盛んで、1990年代半ばにガイナックスの『新世紀エヴァンゲリオン』が、『宇宙戦艦ヤマト』、『機動戦士ガンダム』以来の大ヒットとなり、一般の若者に衝撃を与えるとともに共感を呼んだ。エヴァンゲリオンの影響は大きく、高橋しんの漫画『最終兵器彼女』、先述の上遠野の『ブギーポップシリーズ』等とともにセカイ系と呼ばれるプロットの源流となる。これら作品はメディアミックス企画が立ち上げられ、小説、漫画、アニメ、ゲームといった既存のメディアの違いを越えて展開されている。

2000年代後半には拡張現実を取り扱った『電脳コイル』(2007)や、夢枕獏のSFをリスペクトした『天元突破グレンラガン』(2007)、『時をかける少女』の細田守による『サマーウォーズ』(2009)といったSFアニメが登場した。

2009年には、日本SFの英訳シリーズ「Haikasoru」の刊行がアメリカで開始された。また、「年刊日本SF傑作選」(2007年版-)、「NOVA 書き下ろし日本SFコレクション」(2009年-)といった短編アンソロジーの刊行も始まっている。

もちろん、アヴァン・ポップの潮流も開花し、円城塔・樺山三英(2007年デビュー)といった前衛的SF作家のデビューのほか、翻訳SFの「奇想コレクション」(2003年-)や「未来の文学」(2004年-)が刊行されるなかで、日本の作家による新たな文学叢書「想像力の文学」(2009年-)も生まれ、また評論家の東浩紀のSF小説『クォンタム・ファミリーズ』(2009)が三島由紀夫賞を受賞するなど、SF小説内も無類の豊穣さを見せている。

道具立ての変遷

NASA火星探査機ローバー

SFの道具立て(ガジェット)は、科学技術の進歩に伴って変遷する。

かつて現実味を持ちえた「もしも火星に知的生命体がいたら」などの仮定は、天体観測技術の発展・さらには火星探査機での調査により科学的には否定され、ファンタジーやパロディ的作品の設定として利用するか、その仮定を成立させるためのバックグラウンドの構築をともなうことでしか成立しなくなった。

逆に、手塚治虫らがSF的設定として描いた「人間の接近を感知して自動的に開閉する扉」は、現代では自動ドアとして日常的になっており、未来技術を演出するSFの小道具ではなくなった。どこにいても発着信・通話が可能な携帯電話などもまた然りである。また、コンピュータの進歩によってサイバースペースAIを小道具に使ったり、バイオテクノロジーナノテクノロジーなどの最新の研究やその発想を押し進めたSFも書かれている。

その一方で、タイムマシン超光速航法超光速通信反重力などの架空の技術は、考案された当初は様々な架空理論による理論づけがされたが、現在では特別な架空理論を伴わずに、物語開始の時点で既に技術が確立され汎用化しているという前提をもって作品中で使用されることも多い。

SFと科学技術

SFと現実の科学技術の関係については、科学的知見がSF物語のネタやたたき台となることが多いのは当然だが、逆にSFが科学の発展を方向付けることもある。

その典型的な例がロボットである。手塚治虫の『鉄腕アトム』や横山光輝の『鉄人28号』、あるいは機動戦士ガンダムなどに憧れてロボット工学の道を進んだ技術者は大勢おり、日本ロボット工学で世界の最先端にいるのはこれが原因だ、と分析する人もいる。アメリカでも、「『2001年宇宙の旅』のHAL 9000を実際に作ってみたい」という動機で人工知能の研究を行っている研究者が多い。

ジュール・ヴェルヌの『月世界旅行』も、コンスタンチン・E・ツィオルコフスキーロバート・H・ゴダードヴェルナー・フォン・ブラウンらのように少年期にこれを読んでロケット工学の研究に着手し、この分野で名を成した研究者がおり、彼らの手によってついには実際にまで人間を運ぶに至った。一方、H.G.ウェルズのファンであった科学者レオ・シラードは、『解放された世界』に登場した原子力兵器に触発されて核エネルギーの開発に着手、結果的に原子爆弾を実現させる事となった。

携帯電話テレビ潜水艦なども、最初はSFの世界で登場して「未来にはきっと存在するであろう技術」として概念が普及し、その後に現実世界でも実現した。このように、ある意味ではSFが科学技術へと影響を与えている一面があるとも考えられる。

SFの賞

SF小説に対して贈られる賞には数多くあるが、そのなかでも世界で最も古く権威のある賞と考えられているのは、ワールドコンのSF作家・編集者・評論家などの専門家によって選考されるヒューゴー賞である。また、SFファンコミュニティの投票によって選ばれるネビュラ賞も知名度が高い。この2賞は主に英語圏で発表された作品を対象としているが、他に特定の国で発表された作品に対する賞もあり、日本も例外ではなく日本SF大賞星雲賞などの賞がある。

SFの分類

形式による分類

SFには表現のスタイルによって以下のような分類がある。しかし、それぞれのジャンルに特化することのない「ふつうのSF」が最も多いと思われる。

  • ハードSF - アイデアの科学性に重きを置いた作品群。ハードコアSFとも。
  • スペースオペラ - 波瀾万丈の宇宙活劇。その基本となったのは西部劇を換骨奪胎したもの。
  • ワイドスクリーン・バロック - 宇宙的スケールの豪華絢爛な展開。
  • ニュー・ウェーブ - 従来の外宇宙志向SFに背を向けて、内宇宙を目指す作品群。
  • サイバーパンク - 電脳世界と濃密にリンクした世界を描く。しばしば退廃的で混沌とした世界観をテーマにする。
  • スチームパンク - 蒸気機関が高度に発達した「ありえたかもしれない未来」を描く。
  • ニュー・スペースオペラ(NSO) - 1970年代アメリカの、ニーヴンの作品あたりをはじめとする、ハードSF的な設定など質的向上を遂げたスペースオペラ的作品がそう呼ばれた。また、1990年代イギリスからの(アメリカでも書かれている)、シンギュラリティ思想やサイバーパンクの影響も見られる、やはりハードSFを意識したスペースオペラ作品群。
  • SFコメディ - SF的な設定・光景を舞台にして、どこかおかしな登場人物たちがギャグやコメディが入り混じったシュールな会話と物語を繰り広げる。また、ハードSFなど他作品のパロディもギャグとして織り込まれる事がある[35]

テーマによる分類

SFでは以下のようなテーマによる分類がなされるが、必ずしも小説の主題となっているとは限らない。

舞台による分類

小説の舞台によって次のような分類がなされる。

  • 宇宙SF - 宇宙空間に進出した人類文明とその中で活動する人の姿を描く。スペースオペラ、ワイドスクリーン・バロックを含む。
  • 海洋SF - 宇宙に匹敵する多くの謎を秘めた海洋を舞台とする。深海に住む謎の生命など。地球上の陸地が全て水没しているという設定もある。
  • 歴史SF - タイムマシンを扱った歴史改変もの、もしくは過去の歴史時代を舞台としたSF。
  • ロストフューチャー - SF的な道具立てを用いて、「ありえたかもしれない未来」を描く。スチームパンクを含む。
  • 未来SF - 未来世界を描くSF。未来史など。タイムマシンや冷凍睡眠などで過去人が未来世界に紛れ込むというテーマもある。
    • 近未来SF - 数十年程度の、比較的近い未来を舞台としたSF。作品が創作された時代の技術進歩の方向性が反映しやすい。
    • 遠未来SF - 数百年-数千年、あるはそれ以上の遠い未来を舞台としたSF。
  • 学園SF - 学校を舞台とし、主に学生の少年や少女が物語の中核をなすSF作品。ジュヴナイルライトノベル系に多い。

脚注

  1. ^ Knight, Damon Francis (1967). In Search of Wonder: Essays on Modern Science Fiction. Advent Publishing, Inc.. p. xiii. ISBN 0911682317 
  2. ^ Nabokov, Vladimir Vladimirovich (1973). Strong opinions. McGraw-Hill. pp. 3 et seq. ISBN 0070457379 
  3. ^ 『読書の快楽ブックガイド・ベスト1000』、ぼくらはカルチャー探偵団編、角川文庫、1985年 ISBN 4-04-163502-0
  4. ^ (2000) The American Heritage Dictionary of the English Language, Fourth Edition. Houghton Mifflin Company.
  5. ^ "www.jessesword.com/sf/view/210". Retrieved on 2007-02-02.
  6. ^ Whittier, Terry (1987). Neo-Fan's Guidebook.
  7. ^ Scalzi, John (2005). The Rough Guide to Sci-Fi Movies.
  8. ^ Ellison, Harlan (1998). "Harlan Ellison's responses to online fan questions at ParCon". Retrieved on 2006-04-25, 2006.
  9. ^ John Clute and Peter Nicholls, ed. (1993). ""Sci fi" (article by Peter Nicholls)". Encyclopedia of Science Fiction. Orbit/Time Warner Book Group UK.
  10. ^ John Clute and Peter Nicholls, ed. (1993). ""Sci fi" (article by Peter Nicholls)". Encyclopedia of Science Fiction. Orbit/Time Warner Book Group UK.
  11. ^ "Ansible". David Langford.
  12. ^ 『SFの時代』「SFででくたぁ」1996年 p.379-381
  13. ^ 『SFの時代』「SFででくたぁ」1996年 p.394
  14. ^ 『トンデモ本?違う、SFだ!』より
  15. ^ 後にホワイトベースはミノフスキークラフトという架空の反重力装置で揚力を得ているとの設定が付加されている。
  16. ^ 『現代SFの歴史』p.30-p.31
  17. ^ 『十億年の宴』p.28-31
  18. ^ 『現代SFの歴史』p.30-p.32
  19. ^ 『現代SFの歴史』p.31-p.35
  20. ^ 『現代SFの歴史』p.77
  21. ^ 『現代SFの歴史』p.53
  22. ^ リチャード・A.ルポフ『バルスーム』厚木淳訳、東京創元社、1982年
  23. ^ 『十億年の宴』p.261-263
  24. ^ 『SF百科図鑑』p348
  25. ^ 「現実的な問題」というのは、政治情勢次第でこの様な破滅が引き起こされる事が、科学技術的に不可能ではなくなった、という意味である。
  26. ^ 『SFの時代』1996年 p.308-316
  27. ^ 言い換えれば、SF理論に対する知識の不足や、作品に出資したスポンサーなどの意向が優先された、玩具的なメカデザインである。
  28. ^ これらの例としては、宇宙空間を水泳の要領で泳ぐ、宇宙空間で見ている星がまたたく、必要な装備を持たない大型ロボットが大気圏突入を実行して無事に着陸する、など。
  29. ^ 端的に言えば超古代文明、『ガンダム』におけるニュータイプの様な存在である。
  30. ^ この中には、少女漫画作品(竹本泉あおいちゃんパニック!』など)の様に、作者や出版社がSFとは銘打っていない、またハードSFとはおよそほど遠い内容の作品も含まれていた。
  31. ^ “戦後”及び“SFの浸透と拡散”の項目で挙げられているSF作家の中にも、この時期を境にSF分野の作品の比重が少なくなった者が少なからずおり、作家の場合は伝奇小説大衆小説ミステリー小説、イラストレーターなどはファンタジーや自然科学、その他ジャンルの出版物のイラスト・挿絵など、様々な分野に活路を求めて行った。
  32. ^ 『ガンダム雑記』月刊OUT 1980年4月号など
  33. ^ その中では、ハードSF自体がテレビアニメのスポンサーとなる玩具メーカーなどに敬遠されたという事情も窺い知れる。よく知られる例としては『超時空要塞マクロス』の項を参照のこと。
  34. ^ 【レビュー・書評】虐殺器官 [著伊藤計劃] - asahi.com(朝日新聞社2010年6月6日
  35. ^ 宇宙船レッド・ドワーフ号』『銀河ヒッチハイク・ガイド』など英国喜劇の影響を受けた作品に代表され、日本では横田順彌のナンセンスギャグを主題とした「ハチャハチャSF」と呼ばれる作品群が知られる。

関連項目

参考文献

外部リンク


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