「クルト・ゲーデル」の版間の差分
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2005年10月30日 (日) 12:07時点における版
クルト・ゲーデル(Kurt Gödel, 1906年4月28日-1978年1月14日)は、オーストリア・ハンガリー二重帝国(現チェコ)のブルノ生まれの数学者・論理学者である。
業績には、完全性定理及び不完全性定理、連続体仮説の相対的無矛盾性が知られる。
略歴
1924年にウィーン大学に入学したゲーデルは、まず物理学、のちに数学を学び、1930年には最初の重要な業績である「第一階述語論理の完全性定理」を発表し、学位を得た。
そして、翌1931年には20世紀の数学基礎論、論理学にとって最も重要な発見とされる「不完全性定理」を発表した。これはヒルベルトが数学の無矛盾性を証明するために推進した「ヒルベルト・プログラム」にからんで研究されたものであるが、「数学は自己の無矛盾性を証明することが不可能」であることを示した不完全性定理は、逆にそのプログラムに大きな打撃を与えた。不完全性定理は、ジョン・フォン・ノイマンら当代一流の学者の激賞を受け、「人間の理性の限界を示した」とも評されている。
その他の業績としては、アインシュタインの一般相対性理論におけるゲーデル解などがある。
ゲーデルはウィーン大学の講師を勤めたが、1940年頃にはナチス・ドイツを逃れて妻アデルともどもアメリカ合衆国に移住した。彼は米国の市民権を取得し、プリンストン高等研究所の教授となった。この研究所では、アルベルト・アインシュタインと家族ぐるみで親密に交流し、物理学や哲学などについて議論を交わした。
晩年は非常に内向的となり、精神にも失調をきたしていたらしく、毒を恐れて妻アデルが作った食事以外を口にしなかった。自室にこもって人前に出ることはあまり無く、「神の存在証明」を試みていた。最終的にはアデルが入院中に室内で餓死した。
ちなみに、 SF小説家のルーディ・ラッカーがフィリップ・K・ディック記念賞を受賞した作品『ソフトウェア』では、ゲーデルがホログラムとして登場している。