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'''エドゥアルド・トルドラ'''(''Eduard Toldrà''、[[1895年]][[4月7日]] - [[1962年]][[5月31日]])は[[スペイン]]の[[作曲家]]・[[指揮者]]・[[ヴァイオリニスト]]。 |
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ビラノバ・イ・ラ・ヘルトル出身。最初父親から[[ヴァイオリン]]を学び、後に[[バルセロナ]]の[[リセウ高等音楽院]]でヴァイオリンと[[和声]]を学んだ。[[1912年]]にソロデビューし、また弦楽四重奏団を結成。以後10年の間に国内外で演奏活動を行った。[[1921年]]、リセウ高等音楽院のヴァイオリンの教授に任命された。1921年から[[1936年]]まで[[パブロ・カザルス]]のオーケストラで[[コンサートマスター]]と副指揮者を務め、自作も発表している。また[[1924年]]から[[1934年]]までアマチュアオーケストラの[[指揮 (音楽)|指揮]]も行っ |
ビラノバ・イ・ラ・ヘルトル出身。最初父親から[[ヴァイオリン]]を学び、後に[[バルセロナ]]の[[リセウ高等音楽院]]でヴァイオリンと[[和声]]を学んだ。[[1912年]]にソロデビューし、また弦楽四重奏団を結成。以後10年の間に国内外で演奏活動を行った。[[1921年]]、リセウ高等音楽院のヴァイオリンの教授に任命された。1921年から[[1936年]]まで[[パブロ・カザルス]]のオーケストラで[[コンサートマスター]]と副指揮者を務め、自作も発表している。また[[1924年]]から[[1934年]]までアマチュアオーケストラの[[指揮 (音楽)|指揮]]も行った。 |
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[[1943年]]にバルセロナ市立オーケストラが結成されると指揮者となり、[[カタルーニャ州|カタルーニャ地方]]にスペインや外国の現代的な音楽 |
[[1943年]]に[[カタルーニャ音楽堂]]でバルセロナ市立オーケストラが結成されると指揮者となり、[[1957年]]に副指揮者に就任した友人の[[リカルド・ラモーテ・デ・グリニョン]]とともに、[[カタルーニャ州|カタルーニャ地方]]にスペインや外国の現代的な音楽を普及させる大きな役割を果たした。また[[マリア・カナルス・バルセロナ国際音楽演奏コンクール]]の審査員も務めた。 |
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弟子に[[ハビエル・モンサルバーチェ]]などがいる。 |
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作品には6つのヴァイオリンとピアノのためのソナタ、30のサルダナ(カタルーニャ地方の舞曲)、52の[[歌曲]]、[[オペラ]]、[[弦楽四重奏曲]]、ピアノ曲、[[管弦楽曲]]などがある。作風はカタルーニャ民謡に基づき、さらに戦間期の[[フランス]]音楽の影響を受けている。 |
作品には6つのヴァイオリンとピアノのためのソナタ、30のサルダナ(カタルーニャ地方の舞曲)、52の[[歌曲]]、[[オペラ]]、[[弦楽四重奏曲]]、ピアノ曲、[[管弦楽曲]]などがある。作風はカタルーニャ民謡に基づき、さらに戦間期の[[フランス]]音楽の影響を受けている。 |
2010年8月9日 (月) 17:35時点における版
クラシック音楽 |
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作曲家 |
ア-カ-サ-タ-ナ ハ-マ-ヤ-ラ-ワ |
音楽史 |
古代 - 中世 ルネサンス - バロック 古典派 - ロマン派 近代 - 現代 |
楽器 |
鍵盤楽器 - 弦楽器 木管楽器 - 金管楽器 打楽器 - 声楽 |
一覧 |
作曲家 - 曲名 交響曲 - ピアノ協奏曲 ピアノソナタ ヴァイオリン協奏曲 ヴァイオリンソナタ チェロ協奏曲 フルート協奏曲 弦楽四重奏曲 - オペラ 指揮者 - 演奏家 オーケストラ - 室内楽団 |
音楽理論/用語 |
音楽理論 - 演奏記号 |
演奏形態 |
器楽 - 声楽 宗教音楽 |
イベント |
音楽祭 |
メタ |
ポータル - プロジェクト カテゴリ |
エドゥアルド・トルドラ(Eduard Toldrà、1895年4月7日 - 1962年5月31日)はスペインの作曲家・指揮者・ヴァイオリニスト。
ビラノバ・イ・ラ・ヘルトル出身。最初父親からヴァイオリンを学び、後にバルセロナのリセウ高等音楽院でヴァイオリンと和声を学んだ。1912年にソロデビューし、また弦楽四重奏団を結成。以後10年の間に国内外で演奏活動を行った。1921年、リセウ高等音楽院のヴァイオリンの教授に任命された。1921年から1936年までパブロ・カザルスのオーケストラでコンサートマスターと副指揮者を務め、自作も発表している。また1924年から1934年までアマチュアオーケストラの指揮も行った。
1943年にカタルーニャ音楽堂でバルセロナ市立オーケストラが結成されると指揮者となり、1957年に副指揮者に就任した友人のリカルド・ラモーテ・デ・グリニョンとともに、カタルーニャ地方にスペインや外国の現代的な音楽を普及させる大きな役割を果たした。またマリア・カナルス・バルセロナ国際音楽演奏コンクールの審査員も務めた。
弟子にハビエル・モンサルバーチェなどがいる。
作品には6つのヴァイオリンとピアノのためのソナタ、30のサルダナ(カタルーニャ地方の舞曲)、52の歌曲、オペラ、弦楽四重奏曲、ピアノ曲、管弦楽曲などがある。作風はカタルーニャ民謡に基づき、さらに戦間期のフランス音楽の影響を受けている。