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| 芸名 = 手塚 理美
| 芸名 = 手塚 理美
| ふりがな = てづか さとみ
| ふりがな = てづか さとみ
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| 本名 = 手塚 理美(同じ)
| 本名 = 手塚 理美(同じ)
| 別名 = 手塚 さとみ
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| 出生地 = {{JPN}} [[東京都]][[大田区]]
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| 死没地 =
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| 国籍 =日本
| 国籍 =日本
| 民族 =日本人
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| 血液型 =AB
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| 生年 = 1961
| 生年 = 1961
| 生月 = 6
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| 生日 = 7
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| 没年 =
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| 職業 = [[俳優|女優]]
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| ジャンル = [[映画]]、[[テレビドラマ]]、[[舞台]]
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| 活動期間 = [[1974年]] - 現在
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| 活動内容 = 1974年:[[ユニチカ]]2代目マスコットガール<br />[[1982年]]:『[[ハイカラさん]]』<br />[[1983年]]:『[[ふぞろいの林檎たち]]』<br />[[1987年]]:『[[男女7人秋物語]]』<br />[[1993年]]:『[[チャンス!_(テレビドラマ)|チャンス]]』、『[[もう涙は見せない]]』
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| 配偶者 = [[真田広之]]([[1990年]] - [[1997年]])
| 配偶者 = [[真田広之]]([[1990年]] - [[1997年]])
| 家族 = 長男、二男
| 家族 = 長男、二男
| 公式サイト = [http://official.stardust.co.jp/tezuka/ 手塚理美オフィシャル・ウェブサイト]
| 公式サイト = [http://official.stardust.co.jp/tezuka/ 手塚理美オフィシャル・ウェブサイト]
| 主な作品 = <!--皆が認める代表作品を入力-->
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| アカデミー賞 =
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| AFI賞 =
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| 英国アカデミー賞 =
| 英国アカデミー賞 =
| セザール賞 =
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| エミー賞 =
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| ジェミニ賞 =
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| ゴールデングローブ賞 =
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| ゴールデンラズベリー賞 =
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| グラミー賞 =
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| ブルーリボン賞 =
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| ローレンス・オリヴィエ賞 =
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| 全米映画俳優組合賞 =
| 全米映画俳優組合賞 =
| トニー賞 =
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| 日本アカデミー賞 =
| 日本アカデミー賞 =
| その他の賞 =
| その他の賞 =
| 備考 =
| 備考 =
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[[1961年]]6月7日、東京都[[大田区]]に生まれる。[[大田区立梅田小学校]]、[[大田区立大森第四中学校]]を経て、[[東京都立赤坂高等学校]]卒業。
[[1961年]]6月7日、東京都[[大田区]]に生まれる。[[大田区立梅田小学校]]、[[大田区立大森第四中学校]]を経て、[[東京都立赤坂高等学校]]卒業。


小学生の頃より[[ジュニアモデル]]として活動を始め、中学1年生の時、[[ユニチカ]]の2代目マスコットガールに選ばれ本格的に芸能界デビューする。(初代は[[風吹ジュン]]、3代目は[[紺野美沙子]])当時は'''手塚さとみ'''名義。<ref>当時の媒体では写真集も含め「手<span style="font-size:120%;">&#64016;</span>さとみ」と「<span style="font-size:120%;">塚</span>」の字が現在と1画異なる表記が見られるが、これは1981年に[[常用漢字]]が制定される前後であり、[[旧字体]]が用いられていたためである。1982年から1983年以降は「手<span style="font-size:120%;">塚</span>」表記に統一されているが、[[芸名]]の変更があったわけではない。</ref>
小学生の頃より[[ジュニアモデル]]として活動を始め、中学1年生の時、[[ユニチカ]]の2代目マスコットガールに選ばれ本格的に芸能界デビューする。(初代は[[風吹ジュン]]、3代目は[[紺野美沙子]])当時は'''手塚さとみ'''名義。<ref>当時の媒体では写真集も含め「手<span style="font-size:120%">&#64016;</span>さとみ」と「<span style="font-size:120%">塚</span>」の字が現在と1画異なる表記が見られるが、これは1981年に[[常用漢字]]が制定される前後であり、[[旧字体]]が用いられていたためである。1982年から1983年以降は「手<span style="font-size:120%">塚</span>」表記に統一されているが、[[芸名]]の変更があったわけではない。</ref>


[[1974年]]、ユニチカのCMに[[三つ編み]]、赤の[[鉢巻]]、白無地の襟付き長袖[[体操服]]に濃紺無地の[[ブルマー]]という姿で出演、[[作曲家]]の[[小林亜星]]との共演で話題となる。その後[[テレビ]]番組、[[映画]]への出演や雑誌の[[グラビアモデル]]等、様々な分野で活躍し人気を博す。また歌手としてもシングル2枚、アルバム1枚をリリースしている。
[[1974年]]、ユニチカのCMに[[三つ編み]]、赤の[[鉢巻]]、白無地の襟付き長袖[[体操服]]に濃紺無地の[[ブルマー]]という姿で出演、[[作曲家]]の[[小林亜星]]との共演で話題となる。その後[[テレビ]]番組、[[映画]]への出演や雑誌の[[グラビアモデル]]等、様々な分野で活躍し人気を博す。また歌手としてもシングル2枚、アルバム1枚をリリースしている。


[[1981年]]、[[ヌード]]写真集『少女だった』([[沢渡朔]]撮影)を発表。前後して活動を女優業へシフト。[[1982年]]の[[日本放送協会|NHK]][[連続テレビ小説|朝の連続テレビ小説]]『ハイカラさん』では[[ヒロイン]]を務めた。同年2冊目のヌード写真集『四色の花火』([[篠山紀信]]撮影:同タイトルの[[LD|レーザーディスク]]もあり)を発表。<!--ドラマ出演中だったため、NHKからクレームが付いた。 放送時期、刊行時期から見て間違いでは-->
[[1981年]]、[[ヌード]]写真集『少女だった』([[沢渡朔]]撮影)を発表。前後して活動を女優業へシフト。[[1982年]]の[[日本放送協会|NHK]][[連続テレビ小説|朝の連続テレビ小説]]『ハイカラさん』では[[ヒロイン]]を務めた。同年2冊目のヌード写真集『四色の花火』([[篠山紀信]]撮影:同タイトルの[[レーザーディスク]]もあり)を発表。<!--ドラマ出演中だったため、NHKからクレームが付いた。 放送時期、刊行時期から見て間違いでは-->


以降『ふぞろいの林檎たち』シリーズなどのドラマや『ア・ホーマンス』・『茶の味』などの映画で活躍。
以降『ふぞろいの林檎たち』シリーズなどのドラマや『ア・ホーマンス』・『茶の味』などの映画で活躍。
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== 出演 ==
== 出演 ==
=== テレビドラマ ===
=== テレビドラマ ===
* 娘が家出した夏 家庭ってなァに? (1981年、[[TBSテレビ|TBS]])
* 娘が家出した夏 家庭ってなァに? (1981年、[[TBSテレビ|TBS]])
* [[連続テレビ小説]] [[ハイカラさん]](1982年、[[日本放送協会|NHK]])
* [[連続テレビ小説]] [[ハイカラさん]](1982年、[[日本放送協会|NHK]])
* 夢の鐘 (1982年、TBS)
* 夢の鐘 (1982年、TBS)
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* [[関西テレビ制作・月曜夜10時枠の連続ドラマ|夏樹静子サスペンス『遺書をもう一度』]](1986年2月24日、関西テレビ)
* [[関西テレビ制作・月曜夜10時枠の連続ドラマ|夏樹静子サスペンス『遺書をもう一度』]](1986年2月24日、関西テレビ)
* 恋のタイトロープ (1987年、TBS)
* 恋のタイトロープ (1987年、TBS)
* お見合いドラフト会議 恋も男もクジ運まかせ? (1987年、テレビ朝日)
* お見合いドラフト会議 恋も男もクジ運まかせ? (1987年、テレビ朝日)
* 嫁姑赤ちゃん戦争! (1987年、テレビ東京)
* 嫁姑赤ちゃん戦争! (1987年、テレビ東京)
* パパ定年ボクお入園 嫁・姑・子育て戦争! (1987年、テレビ東京)
* パパ定年ボクお入園 嫁・姑・子育て戦争! (1987年、テレビ東京)
* 白昼の悪魔 狙われた人妻 (1987年、関西テレビ)
* 白昼の悪魔 狙われた人妻 (1987年、関西テレビ)
* 女子大生危険な片思い (1987年、TBS)
* 女子大生危険な片思い (1987年、TBS)
* ガラスの観覧車 (1987年、日本テレビ)
* ガラスの観覧車 (1987年、日本テレビ)
* [[男たちによろしく]](1987年、TBS) - 今野まなみ 役
* [[男たちによろしく]](1987年、TBS) - 今野まなみ 役
* [[男女7人秋物語]](1987年、TBS) - 島村一枝 役
* [[男女7人秋物語]](1987年、TBS) - 島村一枝 役
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* 優しいだけじゃオトコじゃない (1990年、テレビ東京)
* 優しいだけじゃオトコじゃない (1990年、テレビ東京)
* 父さんが子供を産むことになった理由 (1990年、TBS)
* 父さんが子供を産むことになった理由 (1990年、TBS)
* 普通の結婚式 (1990年、TBS)
* 普通の結婚式 (1990年、TBS)
* 火曜スーパーワイド 田園調布の玉の輿ただし小姑オニ二千匹つき (1990年、[[ABCテレビ|朝日放送]])
* 火曜スーパーワイド 田園調布の玉の輿ただし小姑オニ二千匹つき (1990年、[[ABCテレビ|朝日放送]])
* ふぞろいの林檎たちIII(1991年、TBS)
* ふぞろいの林檎たちIII(1991年、TBS)
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* [[もう涙は見せない]](1993年、フジテレビ)
* [[もう涙は見せない]](1993年、フジテレビ)
* [[君が見えない]](1993年、関西テレビ)
* [[君が見えない]](1993年、関西テレビ)
* 刑事の恋 正義か愛か、なんのためなら自分を捨てる? (1994年、テレビ朝日)
* 刑事の恋 正義か愛か、なんのためなら自分を捨てる? (1994年、テレビ朝日)
* [[森村誠一]]サスペンス 飼い主のない孤独 猫が見た密室殺人! 淋しい女達の愛と殺意 (1994年、ABC)
* [[森村誠一]]サスペンス 飼い主のない孤独 猫が見た密室殺人! 淋しい女達の愛と殺意 (1994年、ABC)
* 家族の食卓'95 (1995年、フジテレビ)
* 家族の食卓'95 (1995年、フジテレビ)
* [[その気になるまで]](1996年、TBS)
* [[その気になるまで]](1996年、TBS)
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* ふぞろいの林檎たちIV(1997年、TBS)
* ふぞろいの林檎たちIV(1997年、TBS)
* [[心療内科医・涼子]] (1997年、読売テレビ)
* [[心療内科医・涼子]] (1997年、読売テレビ)
* [[ハルモニア この愛の涯て]] (1998年、日本テレビ)
* [[ハルモニア この愛の涯て]] (1998年、日本テレビ)
* 秘めた絆 (1998年、TBS)
* 秘めた絆 (1998年、TBS)
* [[火曜サスペンス劇場]]「逃げる女」(1999年、日本テレビ)
* [[火曜サスペンス劇場]]「逃げる女」(1999年、日本テレビ)
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* 火曜サスペンス劇場「[[女検事・霞夕子|検事・霞夕子]]17・空白のアルバム」(2001年、日本テレビ) - 明石三奈 役
* 火曜サスペンス劇場「[[女検事・霞夕子|検事・霞夕子]]17・空白のアルバム」(2001年、日本テレビ) - 明石三奈 役
* [[月曜ミステリー劇場]]「[[告発弁護士シリーズ|弁護士猪狩文助]]・時の剣」(2001年、TBS) - 戸塚典子 役
* [[月曜ミステリー劇場]]「[[告発弁護士シリーズ|弁護士猪狩文助]]・時の剣」(2001年、TBS) - 戸塚典子 役
* [[星の金貨|新・星の金貨 Die Sterntaler]] (2001年、日本テレビ)
* [[星の金貨|新・星の金貨 Die Sterntaler]] (2001年、日本テレビ)
* 火曜サスペンス劇場 「15年目の夏」(2001年、日本テレビ)
* 火曜サスペンス劇場 「15年目の夏」(2001年、日本テレビ)
* 毎日放送50周年記念ドラマ 「ごきげんいかが?テティベア」(2001年、毎日放送)
* 毎日放送50周年記念ドラマ 「ごきげんいかが?テティベア」(2001年、毎日放送)
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* [[ガリレオ (テレビドラマ)|ガリレオ]] 第六章(2007年、フジテレビ) - 森崎由美子 役
* [[ガリレオ (テレビドラマ)|ガリレオ]] 第六章(2007年、フジテレビ) - 森崎由美子 役
* [[金曜プレステージ]]「永遠へ」 (2007年、フジテレビ)
* [[金曜プレステージ]]「永遠へ」 (2007年、フジテレビ)
* 土曜ワイド劇場「[[夏樹静子]]サスペンス 風極の岬」(2007年、テレビ朝日)
* 土曜ワイド劇場「[[夏樹静子]]サスペンス 風極の岬」(2007年、テレビ朝日)
*「ブロッコリー」(2007年、フジテレビ)
* 「ブロッコリー」(2007年、フジテレビ)
* [[土曜プレミアム]] [[千の風になって ドラマスペシャル]]「なでしこ隊」(2008年9月20日、フジテレビ)
* [[土曜プレミアム]] [[千の風になって ドラマスペシャル]]「なでしこ隊」(2008年9月20日、フジテレビ)
* 土曜ワイド劇場「新聞記者・鶴巻五郎 北陸金沢~加賀温泉郷  山中節殺人事件」(2008年、テレビ朝日)
* 土曜ワイド劇場「新聞記者・鶴巻五郎 北陸金沢~加賀温泉郷 山中節殺人事件」(2008年、テレビ朝日)
* 連続テレビ小説 [[つばさ (テレビドラマ)|つばさ]](2009年、NHK) - 大谷佐知江役
* 連続テレビ小説 [[つばさ (テレビドラマ)|つばさ]](2009年、NHK) - 大谷佐知江役
* [[ブザー・ビート〜崖っぷちのヒーロー〜]](2009年9月7日、フジテレビ) - 白河晴美 役
* [[ブザー・ビート〜崖っぷちのヒーロー〜]](2009年9月7日、フジテレビ) - 白河晴美 役
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* [[筆談ホステス|筆談ホステス〜母と娘、愛と感動の25年。届け!わたしの心〜]](2010年1月10日、毎日放送) - 永井杏子 役
* [[筆談ホステス|筆談ホステス〜母と娘、愛と感動の25年。届け!わたしの心〜]](2010年1月10日、毎日放送) - 永井杏子 役
* 4夜連続ドラマ 「[[卒うた|卒うた〜道〜]]」第2夜 (2010年、フジテレビ)
* 4夜連続ドラマ 「[[卒うた|卒うた〜道〜]]」第2夜 (2010年、フジテレビ)
* [[松本清張]]スペシャル 「書道教授」(2010年、日本テレビ) 
* [[松本清張]]スペシャル 「書道教授」(2010年、日本テレビ)
* 金曜プレステージ「[[いじわるばあさん]]2」 (2010年、フジテレビ)    
* 金曜プレステージ「[[いじわるばあさん]]2」 (2010年、フジテレビ)
* [[トリック (テレビドラマ)|トリック新作スペシャル2]](2010年5月15日、テレビ朝日)- 西園寺松子 
* [[トリック (テレビドラマ)|トリック新作スペシャル2]](2010年5月15日、テレビ朝日)- 西園寺松子

=== 映画 ===
=== 映画 ===
*正午なり(1978年)
* 正午なり(1978年)
*[[ア・ホーマンス]](1986年)
* [[ア・ホーマンス]](1986年)
*レボルバー(1988年)
* レボルバー(1988年)
*[[ジュリエット・ゲーム]](1989年)
* [[ジュリエット・ゲーム]](1989年)
*オサムの朝(1999年)
* オサムの朝(1999年)
*[[ISOLA 多重人格少女]](1999年)
* [[ISOLA 多重人格少女]](1999年)
*[[茶の味]](2003年)
* [[茶の味]](2003年)
*[[狼少女 (映画)|狼少女]](2005年)
* [[狼少女 (映画)|狼少女]](2005年)
*[[親指さがし]](2006年)
* [[親指さがし]](2006年)
*[[笑う大天使]](2006年)
* [[笑う大天使]](2006年)
*[[アルゼンチンババア]](2007年)
* [[アルゼンチンババア]](2007年)
*[[神童 (映画)|神童]](2007年) - 成瀬美香 役
* [[神童 (映画)|神童]](2007年) - 成瀬美香 役
*[[パッチギ! LOVE&PEACE]](2007年)
* [[パッチギ! LOVE&PEACE]](2007年)
*[[象の背中]](2007年)
* [[象の背中]](2007年)
*[[ALWAYS 続・三丁目の夕日]](2007年)
* [[ALWAYS 続・三丁目の夕日]](2007年)
*[[余命1ヶ月の花嫁]](2009年)
* [[余命1ヶ月の花嫁]](2009年)

=== 舞台 ===
=== 舞台 ===
* Good (1984年)
* Good (1984年)
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* 鹿鳴館 (1998年)
* 鹿鳴館 (1998年)
* ラ・テラス (2001年)
* ラ・テラス (2001年)

=== バラエティー・教養番組 ===
=== バラエティー・教養番組 ===
*日曜特バン 輝け!!ヒットTVマンガ20年 帰ってきたヒーローたち(1977年、[[テレビ東京|東京12チャンネル]])
* 日曜特バン 輝け!!ヒットTVマンガ20年 帰ってきたヒーローたち(1977年、[[テレビ東京|東京12チャンネル]])
* 写真熱気球(テレビ東京)
* 写真熱気球(テレビ東京)
*[[森田一義アワー 笑っていいとも!]](フジテレビ) - 「[[テレフォンショッキング]]」ゲスト
* [[森田一義アワー 笑っていいとも!]](フジテレビ) - 「[[テレフォンショッキング]]」ゲスト
*[[さんまのまんま]](関西テレビ)
* [[さんまのまんま]](関西テレビ)
*[[クイズ面白ゼミナール]](NHK総合)
* [[クイズ面白ゼミナール]](NHK総合)
*[[連想ゲーム]](NHK総合)
* [[連想ゲーム]](NHK総合)
*[[スタジオパークからこんにちは]](NHK総合)
* [[スタジオパークからこんにちは]](NHK総合)
*[[今夜は最高!]](日本テレビ)
* [[今夜は最高!]](日本テレビ)
*[[徹子の部屋]](テレビ朝日)
* [[徹子の部屋]](テレビ朝日)
*[[いい旅・夢気分]](テレビ東京)
* [[いい旅・夢気分]](テレビ東京)
*[[一枚の写真]](フジテレビ)
* [[一枚の写真]](フジテレビ)
*[[スタイルプラス]] (東海テレビ)
* [[スタイルプラス]] (東海テレビ)
*[[人志松本のすべらない話|人志松本のすべらない話 第19弾 ザ・ゴールデンSP6]] (フジテレビ、2010年6月26日)
* [[人志松本のすべらない話|人志松本のすべらない話 第19弾 ザ・ゴールデンSP6]] (フジテレビ、2010年6月26日)

===ラジオ番組===
=== ラジオ番組 ===
*サウンド・アプローチ([[FM東京]])
* サウンド・アプローチ([[FM東京]])


== 出版 ==
== 出版 ==
=== 写真集 ===
=== 写真集 ===
* 少女だった(1981年5月20日、[[小学館]])撮影:[[沢渡朔]]
* 少女だった(1981年5月20日、[[小学館]])撮影:[[沢渡朔]]
*:雑誌『[[写楽]]』1980年9月号で発表されたカット群がベース。[[ヌード]]は手塚本人が撮影を希望していたとされる。ロケ地は主に[[ニューカレドニア]]。まだ少女の面影を残していた頃の手塚の瑞々しく自然な姿が映し出されている。
*: 雑誌『[[写楽]]』1980年9月号で発表されたカット群がベース。[[ヌード]]は手塚本人が撮影を希望していたとされる。ロケ地は主に[[ニューカレドニア]]。まだ少女の面影を残していた頃の手塚の瑞々しく自然な姿が映し出されている。
* 四色の花火(1982年11月10日<ref>奥付による。実際の発売日は1982年10月22日。A4判96Pオールカラー。当時の定価は1700円</ref>、小学館)撮影:[[篠山紀信]]
* 四色の花火(1982年11月10日<ref>奥付による。実際の発売日は1982年10月22日。A4判96Pオールカラー。当時の定価は1700円</ref>、小学館)撮影:[[篠山紀信]]
*:『少女だった』に触発された篠山の強い要望で製作が開始された。撮影は1981年春から約1年をかけて行われ、ロケ地は[[京都]]、[[福井県|福井]]、[[軽井沢]]、[[秋田県|秋田]]。それまでの手塚が持っていた清楚なイメージに加え、内面の激しさが引き出されている。セクシュアルなヌードのカットも数多く、被写体・手塚に対する篠山のアプローチは沢渡と好対照を為している。
*: 『少女だった』に触発された篠山の強い要望で製作が開始された。撮影は1981年春から約1年をかけて行われ、ロケ地は[[京都]]、[[福井県|福井]]、[[軽井沢]]、[[秋田県|秋田]]。それまでの手塚が持っていた清楚なイメージに加え、内面の激しさが引き出されている。セクシュアルなヌードのカットも数多く、被写体・手塚に対する篠山のアプローチは沢渡と好対照を為している。
* 妖精たちのレジェンドユニチカマスコットガール写真集-(1996年10月10日、あすか書房)
* 妖精たちのレジェンド-ユニチカマスコットガール写真集-(1996年10月10日、あすか書房)

=== カレンダー ===
=== カレンダー ===
*[[1975年]]度ユニチカカレンダー([[レイモン・ペイネ]]、[[遠藤周作]]、[[岡本太郎]]、[[伊丹十三]]、[[沢渡朔]] 、[[小林亜星]]の各氏が撮影)
* [[1975年]]度ユニチカカレンダー([[レイモン・ペイネ]]、[[遠藤周作]]、[[岡本太郎]]、[[伊丹十三]]、[[沢渡朔]] 、[[小林亜星]]の各氏が撮影)

== ディスコグラフィー ==
=== シングル ===
* パジャマSONG([[キングレコード]])
* ボビーに片想い([[フォーライフレコード]])

=== アルバム ===
* 15歳の肖像(キングレコード)

== 雑誌掲載 ==
=== 週刊誌 ===
* [[サンデー毎日]](1976年10月31日号、[[毎日新聞社]])
* [[週刊ポスト]](1977年1月14日号・1978年7月21号・1981年2月27日号・1981年7月24日号、小学館)
* [[週刊現代]](1977年10月6日号・1978年7月13日号・1979年6月14日号・1981年2月5日号、[[講談社]])
* [[週刊実話]](1978615日号、[[日本ジャーナル出版]])
* [[週刊朝日]](1979年76日号、[[朝日新聞出版]])
* [[週刊アサヒ芸能]](1979年7月19日号、[[徳間書店]])
* [[週刊読売]](1979930日号、[[読売新聞社]])
* [[週刊宝石]](1981年117日号、[[光文]]

=== 写真誌 ===
* [[アサヒカメラ]](1978年2月号、朝日新聞出版)
* [[カメラマン]](1979年8月号、[[モーターマガジン社]])
* 変身のカメラワーク(1980年7月20日発行、[[ワニブックス]])
* カメラ小僧&ギャルズ50(1980年8月15日発行、講談社)
* [[カメラ毎日]](1980年12月号、毎日新聞社)
* [[日本カメラ]](1981年3月号、日本カメラ社)
* カメラ毎日写真講座5実践編(1981年11月1日発行、毎日新聞社)
* CAPA(1982年6月号、[[学研]])
* 写GIRL82(1982年10月15日発行、日本芸術出版社)
* 紀信の表紙写真館(1988年7月20発行、朝日新聞社)


=== 男性誌 ===
==ディスコグラフィー==
* [[週刊プレイボーイ]](1974年12月17日号・1975年9月30日号・1975年11月4日号・1976年1月6日号・1976年1月13日号・1976年3月16日号・1976年3月30日号・1976年6月8日号・1977年3月1日号・1977年9月6日号・1978年4月18日号・1979年1月9日号、[[集英社]])
===シングル===
* DXプレイボーイ特別編集VIRGIN CHI-CHI(1980年12月20日発行、集英社)
*パジャマSONG([[キングレコード]])
* 20世紀のヴィーナス(2000年12月15日発行、集英社)
*ボビーに片想い([[フォーライフレコード]])
* [[平凡パンチ]](1974年11月4日号・1975年3月31日号・1976年4月26日号・1976年4月26日号・1976年5月10日号・1976年7月26日号・1976年8月23日号・1977年1月10日号・1977年3月21日号・1977年5月9日号・1977年10月31日号・1978年12月11日号、[[マガジンハウス]])
===アルバム===
* ポケットパンチ Oh!(1976年6月1日号、マガジンハウス)
*15歳の肖像(キングレコード)
* [[GORO]](1975年4月24日号・1976年3月25日号・1976年11月11日号・1976年11月25日号・1977年4月28日号・1977年5月1日号・1977年11月10日号・1978年9月14日号・1979年5月24日号・1979年10月11日号・1980年1月24日号・1981年6月25日号・1981年9月24日号・1982年2月11日号・1982年10月28日号、小学館)
* 別冊BIG GORO [[激写]](1980年5月1日発行、小学館)


==雑誌掲載==
== イベント ==
=== 『四色の花火』発刊記念「手塚理美を囲む会」 ===
===週刊誌===
=== 東京 ===
*[[サンデー毎日]](1976年10月31日号、[[毎日新聞社]])
* 1982年10月22日(金)23日(土)ミドリヤ渋谷店B1[[オーディオ]]・[[ビジュアル]]・センター
*[[週刊ポスト]](1977年月14日号・1978年7月21号・1981年2月27日号・1981年7月24日号、小学館)
*: PM1:00/PM3:00 サイン入り写真集即売会、ビデオ上映会
*[[週刊現代]](1977年10月6日号・1978年7月13日号・1979年6月14日号・1981年2月5日号、[[講談社]])
*[[週刊実話]](1978615号、[[日本ャーナ出版]]
* 19821024(日)[[スタオア]]7Fスタジオ
*: PM3:00 サイン入り写真集即売会、ビデオ上映会、篠山紀信とのトークショー
*[[週刊朝日]](197976日号、[[新聞出版]])
*: PM6:00 サイン入り写真集即売会、ビデオ上映会
*[[週刊アサヒ芸能]](1979年7月19日号、[[徳間書店]])
*[[週刊読売]](1979年930日号、[[読売新聞]])
*[[週刊宝石]](1981117日号、[[光文社]])
===写真誌===
*[[アサヒカメラ]](1978年2月号、朝日新聞出版)
*[[カメラマン]](1979年8月号、[[モーターマガジン社]])
*変身のカメラワーク(1980年7月20日発行、[[ワニブックス]])
*カメラ小僧ギャルズ50(1980年8月15日発行、講談社)
*[[カメラ毎日]](1980年12月号、毎日新聞社)
*[[日本カメラ]](1981年3月号、日本カメラ社)
*カメラ毎日写真講座5実践編(1981年11月1日発行、毎日新聞社)
*CAPA(1982年6月号、[[学研]])
*写GIRL82(1982年10月15日発行、日本芸術出版社)
*紀信の表紙写真館(1988年7月20発行、朝日新聞社)
===男性誌===
*[[週刊プレイボーイ]](1974年12月17日号・1975年9月30日号・1975年11月4日号・1976年1月6日号・1976年1月13日号・1976年3月16日号・1976年3月30日号・1976年6月8日号・1977年3月1日号・1977年9月6日号・1978年4月18日号・1979年1月9日号、[[集英社]])
*DXプレイボーイ特別編集VIRGIN CHI-CHI(1980年12月20日発行、集英社)
*20世紀のヴィーナス(2000年12月15日発行、集英社)
*[[平凡パンチ]](1974年11月4日号・1975年3月31日号・1976年4月26日号・1976年4月26日号・1976年5月10日号・1976年7月26日号・1976年8月23日号・1977年1月10日号・1977年3月21日号・1977年5月9日号・1977年10月31日号・1978年12月11日号、[[マガジンハウス]])
*ポケットパンチ Oh!(1976年6月1日号、マガジンハウス)
*[[GORO]](1975年4月24日号・1976年3月25日号・1976年11月11日号・1976年11月25日号・1977年4月28日号・1977年5月1日号・1977年11月10日号・1978年9月14日号・1979年5月24日号・1979年10月11日号・1980年1月24日号・1981年6月25日号・1981年9月24日号・1982年2月11日号・1982年10月28日号、小学館)
*別冊BIG GORO [[激写]](1980年5月1日発行、小学館)


==イベント==
=== 大阪 ===
* 1982年10月29日(金)[[阪急]]イングス2Fイベントスペース
===『四色の花火』発刊記念「手塚理美を囲む会」===
*: PM3:00 [[毎日放送]]公開番組
===東京===
*1982年10月22日(金)23日(土)ミドリヤ渋谷店B1[[オーディオ]]・[[ビジュアル]]・セ
* 1982年10月30日(土)31日(日阪急イングス2Fイベトスペ
*:PM1:00/PM3:00 サイン入り写真集即売会、ビデオ上映会
*: PM1:00/PM3:00 サイン入り写真集即売会、ビデオ上映会
*1982年10月24日(日)[[スタジオアルタ]]7Fスタジオ
*:PM3:00 サイン入り写真集即売会、ビデオ上映会、篠山紀信とのトークショー
*:PM6:00 サイン入り写真集即売会、ビデオ上映会
===大阪===
*1982年10月29日(金)[[阪急]]イングス2Fイベントスペース
*:PM3:00 [[毎日放送]]公開番組
*1982年10月30日(土)31日(日)阪急イングス2Fイベントスペース
*:PM1:00/PM3:00 サイン入り写真集即売会、ビデオ上映会


==エピソード==
== エピソード ==
*兄弟は弟が2人。子供の頃、まだ赤ん坊の弟たちが泣き声をあげるたびに、心配そうな顔でその方向に目をやったという。
* 兄弟は弟が2人。子供の頃、まだ赤ん坊の弟たちが泣き声をあげるたびに、心配そうな顔でその方向に目をやったという。
*5歳の時、[[オリンピック]][[体操]]種目の金メダリスト・[[小野喬]]の池上スポーツクラブに入門。この頃の夢はオリンピック選手になる事だった。
* 5歳の時、[[オリンピック]][[体操]]種目の金メダリスト・[[小野喬]]の池上スポーツクラブに入門。この頃の夢はオリンピック選手になる事だった。
*はじめてモデルの仕事をしたのは8歳の時。七五三の撮影でモデルを務める予定だった7歳の女の子が病気になり、代役を頼まれたのがきっかけ。(ただし弟は手塚よりも先に子供服のモデルをやっていた。)
* はじめてモデルの仕事をしたのは8歳の時。七五三の撮影でモデルを務める予定だった7歳の女の子が病気になり、代役を頼まれたのがきっかけ。(ただし弟は手塚よりも先に子供服のモデルをやっていた。)
*[[初潮]]は12歳。小学校6年生の[[運動会]]の前の日だった。知識はあったが、誰にも打ち明けられずひとりで悩んだという。
* [[初潮]]は12歳。小学校6年生の[[運動会]]の前の日だった。知識はあったが、誰にも打ち明けられずひとりで悩んだという。
*ユニチカマスコットガールに選ばれたのは、中学入学前に出演した[[不二家]]の[[チョコレート]]の[[CM]]がユニチカのスタッフの目に留まったのがきっかけ。
* ユニチカマスコットガールに選ばれたのは、中学入学前に出演した[[不二家]]の[[チョコレート]]の[[CM]]がユニチカのスタッフの目に留まったのがきっかけ。
*少女時代に好きだった[[ミュージシャン]]は[[井上陽水]]、[[ビートルズ]]、[[クイーン]]。
* 少女時代に好きだった[[ミュージシャン]]は[[井上陽水]]、[[ビートルズ]]、[[クイーン]]。
*高校に入学してすぐ、クラスの男子に交際を申し込まれたが「まだあなたのこと全然知らないし、好きになってもいないのに、交際なんて私にはできません。」としどろもどろになりながら断った。
* 高校に入学してすぐ、クラスの男子に交際を申し込まれたが「まだあなたのこと全然知らないし、好きになってもいないのに、交際なんて私にはできません。」としどろもどろになりながら断った。
*2枚目のシングル「ボビーに片想い」のレコーディング合宿で、[[吉田拓郎]]に「おまえは生意気だ。おまえはちっとも自分の意見を言わないじゃないか。自分の意見をはっきり言えないのは、いつも知ったかぶりで済ませてきたからだ。」と説教された。
* 2枚目のシングル「ボビーに片想い」のレコーディング合宿で、[[吉田拓郎]]に「おまえは生意気だ。おまえはちっとも自分の意見を言わないじゃないか。自分の意見をはっきり言えないのは、いつも知ったかぶりで済ませてきたからだ。」と説教された。
*10代の頃はアイドル歌手としての活動もしていたが、人前で歌う事の恥ずかしさから、テレビの歌番組には一度も出演しなかった。
* 10代の頃はアイドル歌手としての活動もしていたが、人前で歌う事の恥ずかしさから、テレビの歌番組には一度も出演しなかった。
*初めてのキスシーンはドラマ「娘が家出した夏 家庭ってなァに?」の第2話。
* 初めてのキスシーンはドラマ「娘が家出した夏 家庭ってなァに?」の第2話。
*「写真熱気球」では[[ゲスト]]への[[インタビュー]]の最後に必ず「あなたにとっていい写真とは何ですか」と尋ねた。
* 「写真熱気球」では[[ゲスト]]への[[インタビュー]]の最後に必ず「あなたにとっていい写真とは何ですか」と尋ねた。
*「ハイカラさん」のヒロインには878名の候補者の中から選ばれたが、[[記者会見]]での「今の心境は?」という質問に「ガラスの箱の中にいるような気分です。高い台に立たされて、背中まで見透かされてしまっているみたい……」と答えている。
* 「ハイカラさん」のヒロインには878名の候補者の中から選ばれたが、[[記者会見]]での「今の心境は?」という質問に「ガラスの箱の中にいるような気分です。高い台に立たされて、背中まで見透かされてしまっているみたい……」と答えている。
*「ハイカラさん」の撮影中、ヒロイン・文(ふみ)の新婚時代、夫とふたりでベランダの手すりにもたれて外の景色を眺める[[シーン]]があった。その際、手すりを握る手塚の手に偶然夫役の俳優の手が触れた。ほとんど無意識的かつ反射的に手塚は自分の手をそらしてしまった。そのシーンの[[オンエア]]を観た母親は「あれは無いわよ。とても新婚夫婦には見えなかったわよ」と告げたという。
* 「ハイカラさん」の撮影中、ヒロイン・文(ふみ)の新婚時代、夫とふたりでベランダの手すりにもたれて外の景色を眺める[[シーン]]があった。その際、手すりを握る手塚の手に偶然夫役の俳優の手が触れた。ほとんど無意識的かつ反射的に手塚は自分の手をそらしてしまった。そのシーンの[[オンエア]]を観た母親は「あれは無いわよ。とても新婚夫婦には見えなかったわよ」と告げたという。
*21歳の頃のボディサイズは、身長160cm、体重45kg、B80cmW58cmH84cm。
* 21歳の頃のボディサイズは、身長160cm、体重45kg、B80cmW58cmH84cm。
*真田との離婚後は再婚はせず、[[シングルマザー]]として女手一つで二人の息子を育てている。
* 真田との離婚後は再婚はせず、[[シングルマザー]]として女手一つで二人の息子を育てている。


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://official.stardust.co.jp/tezuka/ 手塚理美オフィシャル・ウェブサイト]
* [http://official.stardust.co.jp/tezuka/ 手塚理美オフィシャル・ウェブサイト]
* [http://www.unitika.co.jp/amuse/history/profile-mg/mg1975/index.html ユニチカマスコットガールスイムウェアキャンペーンモデルアーカイブ]
* [http://www.unitika.co.jp/amuse/history/profile-mg/mg1975/index.html ユニチカマスコットガール&スイムウェアキャンペーンモデルアーカイブ]


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2010年7月12日 (月) 05:41時点における版

てづか さとみ
手塚 理美
本名 手塚 理美(同じ)
別名義 手塚 さとみ
生年月日 (1961-06-07) 1961年6月7日(62歳)
出生地 日本の旗 日本 東京都大田区
国籍 日本
民族 日本人
血液型 AB
職業 女優
ジャンル 映画テレビドラマ舞台
活動期間 1974年 - 現在
活動内容 1974年:ユニチカ2代目マスコットガール
1982年:『ハイカラさん
1983年:『ふぞろいの林檎たち
1987年:『男女7人秋物語
1993年:『チャンス』、『もう涙は見せない
配偶者 真田広之1990年 - 1997年
著名な家族 長男、二男
公式サイト 手塚理美オフィシャル・ウェブサイト
テンプレートを表示

手塚 理美(てづか さとみ、1961年6月7日 - )は、日本女優、元グラビアアイドルスターダストプロモーション所属。

来歴・人物

1961年6月7日、東京都大田区に生まれる。大田区立梅田小学校大田区立大森第四中学校を経て、東京都立赤坂高等学校卒業。

小学生の頃よりジュニアモデルとして活動を始め、中学1年生の時、ユニチカの2代目マスコットガールに選ばれ本格的に芸能界デビューする。(初代は風吹ジュン、3代目は紺野美沙子)当時は手塚さとみ名義。[1]

1974年、ユニチカのCMに三つ編み、赤の鉢巻、白無地の襟付き長袖体操服に濃紺無地のブルマーという姿で出演、作曲家小林亜星との共演で話題となる。その後テレビ番組、映画への出演や雑誌のグラビアモデル等、様々な分野で活躍し人気を博す。また歌手としてもシングル2枚、アルバム1枚をリリースしている。

1981年ヌード写真集『少女だった』(沢渡朔撮影)を発表。前後して活動を女優業へシフト。1982年NHK朝の連続テレビ小説『ハイカラさん』ではヒロインを務めた。同年2冊目のヌード写真集『四色の花火』(篠山紀信撮影:同タイトルのレーザーディスクもあり)を発表。

以降『ふぞろいの林檎たち』シリーズなどのドラマや『ア・ホーマンス』・『茶の味』などの映画で活躍。

1990年、俳優の真田広之と結婚し2児をもうけたが、真田と女優葉月里緒菜との不倫報道などが原因で1997年離婚した。

出演

テレビドラマ

映画

舞台

  • Good (1984年)
  • 危険な関係 (1988年)
  • 日本橋 (1989年)
  • 昭和歌謡大全集 (1997年)
  • 出雲の阿国 (1998年)
  • 鹿鳴館 (1998年)
  • ラ・テラス (2001年)

バラエティー・教養番組

ラジオ番組

  • サウンド・アプローチ(FM東京

出版

写真集

  • 少女だった(1981年5月20日、小学館)撮影:沢渡朔
    雑誌『写楽』1980年9月号で発表されたカット群がベース。ヌードは手塚本人が撮影を希望していたとされる。ロケ地は主にニューカレドニア。まだ少女の面影を残していた頃の手塚の瑞々しく自然な姿が映し出されている。
  • 四色の花火(1982年11月10日[2]、小学館)撮影:篠山紀信
    『少女だった』に触発された篠山の強い要望で製作が開始された。撮影は1981年春から約1年をかけて行われ、ロケ地は京都福井軽井沢秋田。それまでの手塚が持っていた清楚なイメージに加え、内面の激しさが引き出されている。セクシュアルなヌードのカットも数多く、被写体・手塚に対する篠山のアプローチは沢渡と好対照を為している。
  • 妖精たちのレジェンド-ユニチカマスコットガール写真集-(1996年10月10日、あすか書房)

カレンダー

ディスコグラフィー

シングル

アルバム

  • 15歳の肖像(キングレコード)

雑誌掲載

週刊誌

写真誌

  • アサヒカメラ(1978年2月号、朝日新聞出版)
  • カメラマン(1979年8月号、モーターマガジン社
  • 変身のカメラワーク(1980年7月20日発行、ワニブックス
  • カメラ小僧&ギャルズ50(1980年8月15日発行、講談社)
  • カメラ毎日(1980年12月号、毎日新聞社)
  • 日本カメラ(1981年3月号、日本カメラ社)
  • カメラ毎日写真講座5実践編(1981年11月1日発行、毎日新聞社)
  • CAPA(1982年6月号、学研
  • 写GIRL82(1982年10月15日発行、日本芸術出版社)
  • 紀信の表紙写真館(1988年7月20発行、朝日新聞社)

男性誌

  • 週刊プレイボーイ(1974年12月17日号・1975年9月30日号・1975年11月4日号・1976年1月6日号・1976年1月13日号・1976年3月16日号・1976年3月30日号・1976年6月8日号・1977年3月1日号・1977年9月6日号・1978年4月18日号・1979年1月9日号、集英社
  • DXプレイボーイ特別編集VIRGIN CHI-CHI(1980年12月20日発行、集英社)
  • 20世紀のヴィーナス(2000年12月15日発行、集英社)
  • 平凡パンチ(1974年11月4日号・1975年3月31日号・1976年4月26日号・1976年4月26日号・1976年5月10日号・1976年7月26日号・1976年8月23日号・1977年1月10日号・1977年3月21日号・1977年5月9日号・1977年10月31日号・1978年12月11日号、マガジンハウス
  • ポケットパンチ Oh!(1976年6月1日号、マガジンハウス)
  • GORO(1975年4月24日号・1976年3月25日号・1976年11月11日号・1976年11月25日号・1977年4月28日号・1977年5月1日号・1977年11月10日号・1978年9月14日号・1979年5月24日号・1979年10月11日号・1980年1月24日号・1981年6月25日号・1981年9月24日号・1982年2月11日号・1982年10月28日号、小学館)
  • 別冊BIG GORO 激写(1980年5月1日発行、小学館)

イベント

『四色の花火』発刊記念「手塚理美を囲む会」

東京

  • 1982年10月22日(金)23日(土)ミドリヤ渋谷店B1オーディオビジュアル・センター
    PM1:00/PM3:00 サイン入り写真集即売会、ビデオ上映会
  • 1982年10月24日(日)スタジオアルタ7Fスタジオ
    PM3:00 サイン入り写真集即売会、ビデオ上映会、篠山紀信とのトークショー
    PM6:00 サイン入り写真集即売会、ビデオ上映会

大阪

  • 1982年10月29日(金)阪急イングス2Fイベントスペース
    PM3:00 毎日放送公開番組
  • 1982年10月30日(土)31日(日)阪急イングス2Fイベントスペース
    PM1:00/PM3:00 サイン入り写真集即売会、ビデオ上映会

エピソード

  • 兄弟は弟が2人。子供の頃、まだ赤ん坊の弟たちが泣き声をあげるたびに、心配そうな顔でその方向に目をやったという。
  • 5歳の時、オリンピック体操種目の金メダリスト・小野喬の池上スポーツクラブに入門。この頃の夢はオリンピック選手になる事だった。
  • はじめてモデルの仕事をしたのは8歳の時。七五三の撮影でモデルを務める予定だった7歳の女の子が病気になり、代役を頼まれたのがきっかけ。(ただし弟は手塚よりも先に子供服のモデルをやっていた。)
  • 初潮は12歳。小学校6年生の運動会の前の日だった。知識はあったが、誰にも打ち明けられずひとりで悩んだという。
  • ユニチカマスコットガールに選ばれたのは、中学入学前に出演した不二家チョコレートCMがユニチカのスタッフの目に留まったのがきっかけ。
  • 少女時代に好きだったミュージシャン井上陽水ビートルズクイーン
  • 高校に入学してすぐ、クラスの男子に交際を申し込まれたが「まだあなたのこと全然知らないし、好きになってもいないのに、交際なんて私にはできません。」としどろもどろになりながら断った。
  • 2枚目のシングル「ボビーに片想い」のレコーディング合宿で、吉田拓郎に「おまえは生意気だ。おまえはちっとも自分の意見を言わないじゃないか。自分の意見をはっきり言えないのは、いつも知ったかぶりで済ませてきたからだ。」と説教された。
  • 10代の頃はアイドル歌手としての活動もしていたが、人前で歌う事の恥ずかしさから、テレビの歌番組には一度も出演しなかった。
  • 初めてのキスシーンはドラマ「娘が家出した夏 家庭ってなァに?」の第2話。
  • 「写真熱気球」ではゲストへのインタビューの最後に必ず「あなたにとっていい写真とは何ですか」と尋ねた。
  • 「ハイカラさん」のヒロインには878名の候補者の中から選ばれたが、記者会見での「今の心境は?」という質問に「ガラスの箱の中にいるような気分です。高い台に立たされて、背中まで見透かされてしまっているみたい……」と答えている。
  • 「ハイカラさん」の撮影中、ヒロイン・文(ふみ)の新婚時代、夫とふたりでベランダの手すりにもたれて外の景色を眺めるシーンがあった。その際、手すりを握る手塚の手に偶然夫役の俳優の手が触れた。ほとんど無意識的かつ反射的に手塚は自分の手をそらしてしまった。そのシーンのオンエアを観た母親は「あれは無いわよ。とても新婚夫婦には見えなかったわよ」と告げたという。
  • 21歳の頃のボディサイズは、身長160cm、体重45kg、B80cmW58cmH84cm。
  • 真田との離婚後は再婚はせず、シングルマザーとして女手一つで二人の息子を育てている。

関連項目

脚注

  1. ^ 当時の媒体では写真集も含め「手さとみ」と「」の字が現在と1画異なる表記が見られるが、これは1981年に常用漢字が制定される前後であり、旧字体が用いられていたためである。1982年から1983年以降は「手」表記に統一されているが、芸名の変更があったわけではない。
  2. ^ 奥付による。実際の発売日は1982年10月22日。A4判96Pオールカラー。当時の定価は1700円

外部リンク