「世尊寺家」の版間の差分

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2010年5月5日 (水) 14:22時点における版

世尊寺家
家紋
本姓 藤原北家伊尹流
家祖 藤原行成
種別 公家
出身地 山城国
主な根拠地 山城国
著名な人物 藤原行成
凡例 / Category:日本の氏族

世尊寺家(せそんじけ)は、藤原北家から出た公家。祖の藤原行成以降代々書道の家系であり、その流派は
世尊寺流として受け継がれた。



由来

藤原行成が晩年母の里方の代明親王の邸宅だった桃園第[1]に隠棲し、邸宅内に世尊寺を建立、その子孫が代々そこを住居としたため世尊寺家を名乗る。

その後

初代藤原行成から17代を数えるが、世尊寺の家名で知られるのは世尊寺行能以後とされる。鎌倉時代から室町時代にかけて堂上家として続き、室町時代には正二位参議極官としたが、室町時代末の17代目世尊寺行季薨去により断絶、絶家となった。

太平記』に新田義貞の妻として登場する勾当内侍は、世尊寺経尹の娘という[2]


一族

  1. 藤原行成(972-1027)
  2. 藤原行経(1012(あるいは1009)-1050)
  3. 藤原伊房(1030-1096)
  4. 藤原定実(?-1131)
  5. 藤原定信(1088-1156)
  6. 藤原伊行(1139?-1175?)
  7. 藤原伊経(?-1227)
  8. 世尊寺行能(1179-1225)
  9. 世尊寺経朝(1215-1276)
  10. 世尊寺経尹(1247-1311)
  11. 世尊寺行房(?-1337)
  12. 世尊寺行尹(?-1350)
  13. 世尊寺行忠(?-1381)
  14. 世尊寺行俊(?-1407)
  15. 世尊寺行豊(?-1454)
  16. 世尊寺行高(?-1478)
  17. 世尊寺行季(1476-1532) - 正二位参議

世尊寺家系譜

     伊尹
      ┣━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓
     挙賢  義孝  義懐  親賢  惟賢  周挙  光昭  行源  懐子
              ┃   ┣━━━┳━━━┓
             行成  成房  伊成  延円
      ┏━━━┫
     実経  行経
      ┃   ┃
     師仲  伊房
      ┃   ┣━━━┓
     師子  定実  公伊
              ┃
             定信
              ┃
             伊行
              ┣━━━━━━┓
             伊経  建礼門院右京大夫

脚注

  1. ^ 元は清和天皇皇子で清和源氏の祖である貞純親王の邸宅であった。場所は平安京一条の北、大宮の西、大内裏の北郊で現京都市上京区大宮通一条上ルの西方にあったとされる。
  2. ^ 尊卑分脈