「大田原藩」の版間の差分

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2005年10月9日 (日) 11:52時点における版

大田原藩(おおたわらはん)は、下野国に存在した

大田原氏は下野国の大名であった那須氏に属する豪族衆・那須七党(那須七騎)の一人であった。

1590年豊臣秀吉小田原征伐のとき、主家の那須氏は小田原に参陣しなかったが、大田原晴清は小田原に参陣したため、7000石の所領を安堵された。1600年関ヶ原の戦いで、晴清は東軍に与して下野国小山に参じた後、帰国して会津の上杉氏(西軍)の動きに備えた戦功により、戦後、徳川家康から5000石を加増され、1万2000石を領する大名となった。

以後、大田原氏は小藩ながら、大名として明治時代まで存続した。

歴代藩主

関連項目