「グナエウス・コルネリウス・スキピオ・アシナ」の版間の差分

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2010年1月23日 (土) 15:29時点における版

グナエウス・コルネリウス・スキピオ・アシナGnaeus Cornelius Scipio Asina, 紀元前3世紀、生没年不詳)は、第一次ポエニ戦争期の共和政ローマの政治家・軍人。「アシナ」とはラテン語ロバを意味する。

ローマ筆頭の名門のひとつコルネリウス氏族スキピオ家に生まれる。父はルキウス・コルネリウス・スキピオ・バルバトゥス、兄弟にはルキウス・コルネリウス・スキピオがいる。

261年執政官(コンスル)に当選、新設のローマ海軍を率いる。そしてメッシーナ海峡を巡回している際にリパラがローマ側に寝返るとの情報を得る。戦略上重要な拠点を占拠して勝利を栄誉を得ようと焦り、リパラに急行するが、これは敵将ギスコの謀略で、港に乗り上げた際に海上を封鎖されてしまう。海戦に不馴れなローマ兵はパニックに陥り、自分達が乗っている船に構わず陸地に逃れてしまい、大した戦闘もなく易々とスキピオ・アシナは捕虜となってしまった。そして彼はローマ史上最初に海戦にて敗北した人物となった。

この失敗により、後年スキピオは政敵に「ロバ」という意味の「アシナ」という呼び名で呼ばれるようになった。しかし254年に再びコンスルにアウルス・アティリウス・カラティヌスとともに当選している。

家族

関連項目