「平手氏」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
12行目: 12行目:
}}
}}
'''平手氏'''(ひらてし)は、[[日本]]の[[氏族]]。
'''平手氏'''(ひらてし)は、[[日本]]の[[氏族]]。
__TOC__
<br clear="both" />


==出自==
==出自==
27行目: 29行目:


また、[[織田長益|長益]]系[[織田長政 (大名)|長政]]流の[[芝村藩]]の平手氏は[[江戸時代]]に藩の[[家老]]や[[用人]]を輩出している。[[織田輔宜]]の用人に『平手角右衛門』、[[織田長教]]の家老に『平手術守』、[[織田長易]]の筆頭家老に『平手覚馬』の名がある。
また、[[織田長益|長益]]系[[織田長政 (大名)|長政]]流の[[芝村藩]]の平手氏は[[江戸時代]]に藩の[[家老]]や[[用人]]を輩出している。[[織田輔宜]]の用人に『平手角右衛門』、[[織田長教]]の家老に『平手術守』、[[織田長易]]の筆頭家老に『平手覚馬』の名がある。



==脚注==
==脚注==

2009年11月15日 (日) 17:27時点における版

平手氏
引両
本姓 出自不詳
種別 武家
著名な人物 平手政秀
支流、分家 野口氏武家
凡例 / Category:日本の氏族

平手氏(ひらてし)は、日本氏族


出自

平手氏は『尾張諸家系図』によれば、新田氏世良田氏から分岐した「平手義英」[1]なる人物を祖とする氏族と伝わる。

しかし、これは後世の系譜の仮冒とされ、実際は久松氏と同族とされ、菅原氏から出たとの説もある。さらに尾張国豪族荒尾宗顕在原荒尾氏)の系統、賀茂氏の流れなど諸説あって判然としない。

戦国時代には織田信長傅役を務めたことで有名な平手政秀がいる。

政秀は若き頃の血気盛んな信長の奇行を諌めるため自害。子の平手久秀が信長と諍いを起こしたことが原因との説もある。久秀の子、平手汎秀は、武田信玄上洛軍に敗れて、討ち死にした(三方ヶ原の戦い)。

政秀の甥である平手季胤(秀胤)は織田信雄に仕えた。

なお、政秀の兄弟である政利から野口氏という庶流も出ている。

また、長益長政流の芝村藩の平手氏は江戸時代に藩の家老用人を輩出している。織田輔宜の用人に『平手角右衛門』、織田長教の家老に『平手術守』、織田長易の筆頭家老に『平手覚馬』の名がある。


脚注

  1. ^ 『尾張諸家系図』の注記によると、義英は生年は永享3年(1431年)生まれで、通称は「加賀守」で、「尾州愛知郡平天城主」と記されている。

系図

荒尾宗顕?
 ¦
秀家(平手氏)
 ┃
秀定英秀経英
 ┣━━━━━━━━━┳━━━━━━━┳━━━━━━━┓
政秀        季定(秀定) 野口政利     長成
 ┣━━━━┓    ┃       ┃
長政   久秀   季胤(秀胤)  政知
      ┃            ┃
     汎秀           政矩
                   ┣━━━━┓
                  政種   政清