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==税収の推移==
==税収の推移==
年間税収は、近年は1兆円台で推移してる。
年間税収は、一貫して減少傾向でる。

額で見ると自動車重量税収や、タバコ税収よりも減少は急ピッチである。


財務省の統計を参照(単位:100万円)
財務省の統計を参照(単位:100万円)
*平成20年度 1,461,367
*平成19年度 1,524,183
*平成18年度 1,547,296
*平成17年度 1,585,338
*平成16年度 1,659,860
*平成16年度 1,659,860
*平成15年度 1,684,183
*平成15年度 1,659,860
*平成14年度 1,680,396
*平成14年度 1,684,183
*平成13年度 1,765,363
*平成13年度 1,680,396
*平成12年度 1,816,440
*平成12年度 1,765,363
*平成11年度 1,871,735
*平成11年度 1,816,440
*平成10年度 1,898,294
*平成10年度 1,871,735
*平成9年度 1,961,868
*平成9年度 1,898,294
*平成8年度 1,961,868


==酒造税から酒税へ==
==酒造税から酒税へ==

2009年11月7日 (土) 07:25時点における版

酒税 (しゅぜい) は、酒税法(昭和28年2月28日法律第6号)に基づき、酒類に対して課される国税である。消費税と同様に、間接税流通税に分類されるものである。

同法の酒類とは、アルコール分1%以上の飲料とされ、薄めてアルコール分1%以上の飲料とすることができるもの(酢やエタノール製剤用のアルコールは除かれる)、または、溶解してアルコール分1%以上の飲料とすることができる粉末状のものを含むもの、とされる。

酒類の分類

酒税法上では酒類は、大分類として発泡性酒類、醸造酒類、蒸留酒類、混成酒類の4酒類に分けられ、さらに中分類として清酒合成清酒、連続式蒸留焼酎、単式蒸留焼酎、みりんビール果実酒、甘味果実酒、ウイスキーブランデー、原料用アルコール、発泡酒、その他の醸造酒、スピリッツリキュール、粉末酒及び雑酒の17種類に分類される。なお、法令上、「焼酎」は「しようちゆう」「しょうちゅう」のように平仮名表記され、「ウイスキー」の「イ」に小書き(ィ)は用いない。

酒類免許は種類別、品目別になっているため、例えばウイスキーの免許で、ブランデーを造ることはできない。

税率について

税率は種類・品目別に、担税力に応じてきめ細かく設定されている。一般に、アルコール分が高いほど税率は高くなる。清酒ならアルコール分が22度未満で、1キロ・リットル当たり120,000円。2006年以前は、アルコール分1度毎に酒税率が上下していたが、2006年より酒税率の均一化が施行された。焼酎ならアルコール分が25度で、1キロ・リットル当たり250,000円。アルコール分が25度より1度上がるごとに10,000円高くなり、1度下がるごとに10,000円低くなる。

しかし一方で、ビールや果実酒(果実酒類・果実酒)のようにアルコール分にかかわらず定額のものもある。1キロ・リットル当たりビールは222,000円で、果実酒は70,472円と定められている。

上記の通り、ビールの酒税がアルコール分の割りに突出して高く設定されており、国民の健康を考える上ではビールを始めとしたローアルコール飲料の酒税をもっと優遇すべきではないかとの意見が根強い。また、その偏った税制のため、発泡酒や第3のビールといったカテゴリが生まれている。

税収の推移

年間税収は、一貫して減少傾向でる。

額で見ると自動車重量税収や、タバコ税収よりも減少は急ピッチである。

財務省の統計を参照(単位:100万円)

  • 平成20年度 1,461,367
  • 平成19年度 1,524,183
  • 平成18年度 1,547,296
  • 平成17年度 1,585,338
  • 平成16年度 1,659,860
  • 平成15年度 1,659,860
  • 平成14年度 1,684,183
  • 平成13年度 1,680,396
  • 平成12年度 1,765,363
  • 平成11年度 1,816,440
  • 平成10年度 1,871,735
  • 平成9年度 1,898,294
  • 平成8年度 1,961,868

酒造税から酒税へ

日本において、酒類に関する課税は中世の頃から「壷銭」・「酒役(酒屋役)」・「麹役」として行われてきた。

江戸幕府では、酒造統制のために当初は酒株制度を導入していたが、1697年(元禄10年)、幕府が税収のさらなる向上を企図して、造り酒屋に対して現行の酒価格の五割もの酒運上(さけうんじょう)と呼ばれる運上金を課すことにした。ここでいう運上金とは、今でいえば「造り酒屋の営業税」と「酒株」という「免許」の発行手数料などのことである。ところが、酒屋たちが生産を控えるようになったため、はじめ幕府が期待したような税収は得られなかった。生産量が減って酒の値段は高騰したが、それで下々の者が飲酒をしなくなるかというと、そういう結果も出なかった。このため運上金は1709年(宝永6年)に廃止された。ただし、以後も冥加金として復活する事になる。また各藩でも独自に酒税を定める事があった。

明治維新後、新政府は1868年に旧来の免許石数の維持を命じるとともに冥加金として造酒100石ごとに金20両を課し、翌年には鑑札冥加として造酒100石ごとに金10両、毎年の冥加として同額(ただし濁酒は毎年7両に減額)を課した。

1871年酒株と酒造統制を廃止し、代わりに免許料(清酒10両・濁酒5両)、免許税(稼人1人あたり清酒5両・濁酒1両2分)、醸造税(製酒代金に対して清酒5分・濁酒3分)を徴収した。1875年には酒類税則を定めて免許料を廃して醸造税を販売代金の1割とした。1878年には再び醸造税を造石高1石に対して清酒1円・濁酒30銭・白酒及び味醂2円・焼酎1円50銭・銘酒3円と改めた。

1880年に新たに酒造税制を制定し、初めて「酒造税(しゅぞうぜい)」という呼称を用いた。従来の税制を酒造免許税と酒造造石税(造石高1石に対して醸造酒2円・蒸留酒3円・再製酒4円)の2本立てとした。1896年には酒造税法が成立し、旧来の酒税免許税を新税である営業税に譲ってこれを廃止して酒造造石税に一本化するとともに造石高1石に対して第1種(清酒・白酒・味醂)7円、第2種(濁酒)6円、第3種(焼酎・酒精)8円と定めて長く基本原則とした。

こうした度重なる制度改正と増税の背景には、酒類が多くの人にとって必需品である事、生産量が極めて多く明治初期の統計では日本で一番生産量の多い商工業製品であった事、当時日本製の酒類が日本国外で飲まれることは皆無に近く輸出量も極僅かであったために貿易摩擦の心配がなかった事などがあげられる。また、当時地主層出身議員が多かった帝国議会が自己の税負担に関わる地租の増徴には反対であったが、利害関係の乏しい酒造税の増徴には反対に回らなかった事も理由としてあげられる。

こうした事態に酒の醸造業者は強く反発して酒屋会議などを結成して抵抗したが、政府は濁酒を含む全ての自家用酒造を禁止(どぶろくを参照のこと)して醸造業者の保護を約束する事で増税を受け入れさせた。事実、日露戦争が始まった1904年を皮切りに1905年1908年1918年1920年1925年と増税が続き、日中戦争が始まった1937年以後は毎年増税される事となった。また、酒造税は1899年に地租を抜いて国税収入の第1位を占めると、第一次世界大戦下の大戦景気の数年間を例外として1935年所得税に抜かされるまで30年以上にわたって税収1位の地位を保持し続けたのである。なお、1902年には酒造税だけで全ての国税収入の実に42%を占めたこともあった。

1940年、これまで酒造税法の枠外に置かれて独自の課税体系に属していたビール工業用アルコールなどを全ての酒類を統括した「酒税法」が施行される。1944年には課税基準が造石高から庫出高に変更された。戦後は1950年に国税収入の18.5%を占めたのをピークに増税傾向の継続にも関わらず他産業の復興もあってその占める地位は低下しつつある。そんな状況下の1953年現行の酒税法が施行されている。

関連項目

外部リンク