「デレック・ベル」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
SieBot (会話 | 投稿記録)
m ロボットによる 追加: ru:Белл, Дерек
TXiKiBoT (会話 | 投稿記録)
m ロボットによる 追加: nl:Derek Bell (coureur)
287行目: 287行目:
[[fr:Derek Bell (pilote)]]
[[fr:Derek Bell (pilote)]]
[[it:Derek Bell (pilota)]]
[[it:Derek Bell (pilota)]]
[[nl:Derek Bell (coureur)]]
[[pt:Derek Reginald Bell]]
[[pt:Derek Reginald Bell]]
[[ru:Белл, Дерек]]
[[ru:Белл, Дерек]]

2009年10月29日 (木) 19:21時点における版

デレック・ベル
F1での経歴
国籍 イギリスの旗 イギリス
所属チーム フェラーリ, マクラーレン, サーティース, テクノ
活動時期 1968 - 1972, 1974
出走回数 16 (9 starts)
優勝回数 0
通算獲得ポイント 1
表彰台(3位以内)回数 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 1968年イタリアGP
初勝利
最終勝利
最終戦 1974年カナダGP
タイトル 0
テンプレートを表示

デレック・ベルDerek Reginald Bell MBE 1941年10月31日 -)は、イングランドミドルセックス州ピナー出身の元レーシングドライバーである。ベルはスポーツカーレースで高い成功を収め、ル・マン24時間レースで5勝を挙げた。また、フェラーリサーティーステクノよりF1にも参戦した。

ウィートクロフトレーシングのブラバム・BT26をドライブするデレック・ベル(ニュルブルクリンク、1970年)
フェラーリ・312B3 "Spazzaneve"テストカーをドライブするデレック・ベル(グッドウッド フェスティバル オブ スピード、2008年)

農場で育ったベルは、ペイガム湾近郊でオートキャンプ場(caravan site)の経営を手伝い、1964年に継父のバーナード・ヘンダーの勧めによりロータス・7でレースを始めた。翌年にはF3へステップアップしロータス・31をドライブした。1966年にロータス・41にマシンを変更すると、グッドウッドサーキットで初勝利を収め、1967年には7勝を挙げることに成功した。1968年、ベルはF2にステップアップし、継父の持つチャーチファームレーシングよりプライベーターとしてブラバム・BT23Cで参戦した。ここでベルは活躍を見せてフェラーリの注目を集め、モンツァでF1デビューを果たした。1969年にはシルバーストンのレースにフェラーリで参戦し、イギリスグランプリにはマクラーレンの4WD車、M9Aで参戦した。M9AのF1参戦はこのレースが唯一であった。

ベルはスティーブ・マックイーン主演の映画、栄光のル・マン1970年)に多くのドライバーとともに出演した。ベルは撮影中に幸運にも難を逃れている。ベルのドライブするフェラーリ・512はあるシーンの撮影に入るところで突然出火した。ベルは車両が炎に包まれる直前に脱出することに成功し、軽い火傷を負っただけで済んだ。車両は大きな損傷を受けたが、後に再生された。

ベルは1970年のヨーロッパF2にも参戦し、マーチをドライブした。1972年にはテクノF1チームよりナンニ・ギャリのチームメートとして参戦した。その後はサーティースチームから何度も参戦したが、スポーツカーレースにおいても高い評価を得た。

ベルはスポーツカー世界選手権タイトルを2度(1985年1986年)獲得し、デイトナ24時間レースでは3勝(1986年、1987年、1989年)し、ル・マン24時間レースでは5勝(1975年、1981年、1982年、1986年、1987年)を挙げている。ベルはポルシェ936956962で参戦した多くのレースでジャッキー・イクスと組んでおり、モータースポーツ史での著名なペアの一つと見なされている。

ベルはモータースポーツへの尽力が認められ、1986年大英帝国勲章MBEを叙勲した。

1996年、ベルはスペクトル・R42プロジェクトのチェアマンに就任したが、プロジェクトは失敗し1997年に解体された。2001年、ベルはベントレーのコンサルタントに就任し、翌々年のル・マンでの勝利に貢献した。その後ベルはアメリカとボグナーレジスを行き来する生活を送り、F1レースのコメンテーター、ヒストリックイベントでのドライブ、ポルシェの大使役となった。

ベルの息子、ジャスティン・ベルもレーシングドライバーになった。ベル親子は1991年のデイトナ24時間レース、1992年のル・マン24時間レースでチームを組んだ。2008年のデイトナ24時間でもコンビを組んだが、デレックが乗車する前にレースをリタイヤした。

F1での生涯成績

(key)

チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 WDC Pts
1968 Scuderia Ferrari フェラーリ 312/68 フェラーリ V12 RSA
ESP
MON
BEL
NED
FRA
GBR
GER
ITA
Ret
CAN
USA
Ret
MEX
- 0
1969 Bruce McLaren Motor Racing マクラーレン M9A コスワース V8 RSA
ESP
MON
NED
FRA
GBR
Ret
GER
ITA
CAN
USA
MEX
- 0
1970 Tom Wheatcroft Racing ブラバム BT26A コスワース V8 RSA
ESP
MON
BEL
Ret
NED
FRA
GBR
GER
AUT
ITA
CAN
22nd 1
Team Surtees サーティース TS7 USA
6
MEX
1971 Team Surtees サーティース TS9 コスワース V8 RSA
ESP
MON
NED
FRA
GBR
Ret
GER
AUT
ITA
CAN
USA
- 0
1972 Martini Racing Team テクノ PA123 テクノ
F12
ARG
RSA
ESP
MON
BEL
FRA
DNQ
GBR
GER
Ret
AUT
ITA
DNQ
CAN
DNS
USA
Ret
- 0
1974 Bang & Olufsen Team Surtees サーティース TS16 コスワース V8 ARG
BRA
RSA
ESP
BEL
MON
SWE
NED
FRA
GBR
DNQ
GER
11
- 0
Team Surtees AUT
DNQ
ITA
DNQ
CAN
DNQ
USA
先代
アンリ・ペスカロロ
ジェラール・ラルース
ル・マン24時間優勝者
1975 with:
ジャッキー・イクス
次代
ジャッキー・イクス
ジィズ・ヴァン・レネップ
先代
ジャン・ロンドー
ジャン=ピエール・ジョッソー
ル・マン24時間優勝者
1981 with:
ジャッキー・イクス
次代
ジャッキー・イクス
デレック・ベル
先代
ジャッキー・イクス
デレック・ベル
ル・マン24時間優勝者
1982 with:
ジャッキー・イクス
次代
バーン・シュパン
アル・ホルバート
ハーレイ・ヘイウッド
先代
クラウス・ルドヴィク
パオロ・バリッラ
"ジョン・ウィンター"
ル・マン24時間優勝者
1986 with:
ハンス=ヨアヒム・スタック
アル・ホルバート
次代
デレック・ベル
ハンス=ヨアヒム・スタック
アル・ホルバート
先代
デレック・ベル
ハンス=ヨアヒム・スタック
アル・ホルバート
ル・マン24時間優勝者
1987 with:
ハンス=ヨアヒム・スタック
アル・ホルバート
次代
ヤン・ラマース
ジョニー・ダンフリーズ
アンディ・ウォレス
先代
ステファン・ベロフ
スポーツカー世界選手権チャンピオン
1985-1986,
1985: with ハンス=ヨアヒム・スタック
次代
ラウル・ボーセル