「デレック・ベル」の版間の差分
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2009年10月29日 (木) 19:21時点における版
F1での経歴 | |
---|---|
国籍 | イギリス |
所属チーム | フェラーリ, マクラーレン, サーティース, テクノ |
活動時期 | 1968 - 1972, 1974 |
出走回数 | 16 (9 starts) |
優勝回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 1 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
初戦 | 1968年イタリアGP |
初勝利 | - |
最終勝利 | - |
最終戦 | 1974年カナダGP |
タイトル | 0 |
デレック・ベル(Derek Reginald Bell MBE 1941年10月31日 -)は、イングランドのミドルセックス州ピナー出身の元レーシングドライバーである。ベルはスポーツカーレースで高い成功を収め、ル・マン24時間レースで5勝を挙げた。また、フェラーリ、サーティース、テクノよりF1にも参戦した。
農場で育ったベルは、ペイガム湾近郊でオートキャンプ場(caravan site)の経営を手伝い、1964年に継父のバーナード・ヘンダーの勧めによりロータス・7でレースを始めた。翌年にはF3へステップアップしロータス・31をドライブした。1966年にロータス・41にマシンを変更すると、グッドウッドサーキットで初勝利を収め、1967年には7勝を挙げることに成功した。1968年、ベルはF2にステップアップし、継父の持つチャーチファームレーシングよりプライベーターとしてブラバム・BT23Cで参戦した。ここでベルは活躍を見せてフェラーリの注目を集め、モンツァでF1デビューを果たした。1969年にはシルバーストンのレースにフェラーリで参戦し、イギリスグランプリにはマクラーレンの4WD車、M9Aで参戦した。M9AのF1参戦はこのレースが唯一であった。
ベルはスティーブ・マックイーン主演の映画、栄光のル・マン(1970年)に多くのドライバーとともに出演した。ベルは撮影中に幸運にも難を逃れている。ベルのドライブするフェラーリ・512はあるシーンの撮影に入るところで突然出火した。ベルは車両が炎に包まれる直前に脱出することに成功し、軽い火傷を負っただけで済んだ。車両は大きな損傷を受けたが、後に再生された。
ベルは1970年のヨーロッパF2にも参戦し、マーチをドライブした。1972年にはテクノF1チームよりナンニ・ギャリのチームメートとして参戦した。その後はサーティースチームから何度も参戦したが、スポーツカーレースにおいても高い評価を得た。
ベルはスポーツカー世界選手権タイトルを2度(1985年、1986年)獲得し、デイトナ24時間レースでは3勝(1986年、1987年、1989年)し、ル・マン24時間レースでは5勝(1975年、1981年、1982年、1986年、1987年)を挙げている。ベルはポルシェの936、956、962で参戦した多くのレースでジャッキー・イクスと組んでおり、モータースポーツ史での著名なペアの一つと見なされている。
ベルはモータースポーツへの尽力が認められ、1986年に大英帝国勲章MBEを叙勲した。
1996年、ベルはスペクトル・R42プロジェクトのチェアマンに就任したが、プロジェクトは失敗し1997年に解体された。2001年、ベルはベントレーのコンサルタントに就任し、翌々年のル・マンでの勝利に貢献した。その後ベルはアメリカとボグナーレジスを行き来する生活を送り、F1レースのコメンテーター、ヒストリックイベントでのドライブ、ポルシェの大使役となった。
ベルの息子、ジャスティン・ベルもレーシングドライバーになった。ベル親子は1991年のデイトナ24時間レース、1992年のル・マン24時間レースでチームを組んだ。2008年のデイトナ24時間でもコンビを組んだが、デレックが乗車する前にレースをリタイヤした。
F1での生涯成績
(key)
年 | チーム | シャシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | WDC | Pts |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1968 | Scuderia Ferrari | フェラーリ 312/68 | フェラーリ V12 | RSA |
ESP |
MON |
BEL |
NED |
FRA |
GBR |
GER |
ITA Ret |
CAN |
USA Ret |
MEX |
- | 0 | |||
1969 | Bruce McLaren Motor Racing | マクラーレン M9A | コスワース V8 | RSA |
ESP |
MON |
NED |
FRA |
GBR Ret |
GER |
ITA |
CAN |
USA |
MEX |
- | 0 | ||||
1970 | Tom Wheatcroft Racing | ブラバム BT26A | コスワース V8 | RSA |
ESP |
MON |
BEL Ret |
NED |
FRA |
GBR |
GER |
AUT |
ITA |
CAN |
22nd | 1 | ||||
Team Surtees | サーティース TS7 | USA 6 |
MEX |
|||||||||||||||||
1971 | Team Surtees | サーティース TS9 | コスワース V8 | RSA |
ESP |
MON |
NED |
FRA |
GBR Ret |
GER |
AUT |
ITA |
CAN |
USA |
- | 0 | ||||
1972 | Martini Racing Team | テクノ PA123 | テクノ F12 |
ARG |
RSA |
ESP |
MON |
BEL |
FRA DNQ |
GBR |
GER Ret |
AUT |
ITA DNQ |
CAN DNS |
USA Ret |
- | 0 | |||
1974 | Bang & Olufsen Team Surtees | サーティース TS16 | コスワース V8 | ARG |
BRA |
RSA |
ESP |
BEL |
MON |
SWE |
NED |
FRA |
GBR DNQ |
GER 11 |
- | 0 | ||||
Team Surtees | AUT DNQ |
ITA DNQ |
CAN DNQ |
USA |
先代 アンリ・ペスカロロ ジェラール・ラルース |
ル・マン24時間優勝者 1975 with: ジャッキー・イクス |
次代 ジャッキー・イクス ジィズ・ヴァン・レネップ |
先代 ジャン・ロンドー ジャン=ピエール・ジョッソー |
ル・マン24時間優勝者 1981 with: ジャッキー・イクス |
次代 ジャッキー・イクス デレック・ベル |
先代 ジャッキー・イクス デレック・ベル |
ル・マン24時間優勝者 1982 with: ジャッキー・イクス |
次代 バーン・シュパン アル・ホルバート ハーレイ・ヘイウッド |
先代 クラウス・ルドヴィク パオロ・バリッラ "ジョン・ウィンター" |
ル・マン24時間優勝者 1986 with: ハンス=ヨアヒム・スタック アル・ホルバート |
次代 デレック・ベル ハンス=ヨアヒム・スタック アル・ホルバート |
先代 デレック・ベル ハンス=ヨアヒム・スタック アル・ホルバート |
ル・マン24時間優勝者 1987 with: ハンス=ヨアヒム・スタック アル・ホルバート |
次代 ヤン・ラマース ジョニー・ダンフリーズ アンディ・ウォレス |
先代 ステファン・ベロフ |
スポーツカー世界選手権チャンピオン 1985-1986, 1985: with ハンス=ヨアヒム・スタック |
次代 ラウル・ボーセル |