「チューチョ・デ・メヒコ」の版間の差分
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'''チューチョ・デ・メヒコ'''(Chucho de Mexico 、[[1930年]] - )は、メキシコ出身のミュージシャン、[[アルパ]]奏者。 |
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当時はトリオ(3人組の男性コーラス)の全盛期で、揃いのソンブレロに粋なチャロと言う民族衣装で演奏するグループも多く、マリアッチとともにメキシコを代表する音楽グループの形であった。 |
当時はトリオ(3人組の男性コーラス)の全盛期で、揃いのソンブレロに粋なチャロと言う民族衣装で演奏するグループも多く、マリアッチとともにメキシコを代表する音楽グループの形であった。 |
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その当時はほとんどのトリオがギター3台での演奏形式をとっていたが、トリオ・デルフィネスは多くの楽器を操り、ボレロからメキシコ民謡、南米のフォルクローレまで幅広く演奏するグループとして異色の存在であった。 |
その当時はほとんどのトリオがギター3台での演奏形式をとっていたが、トリオ・デルフィネスは多くの楽器を操り、ボレロからメキシコ民謡、南米のフォルクローレまで幅広く演奏するグループとして異色の存在であった。 |
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1954年、メキシコの最大ラジオ局が主催するセミプロの為登竜門のコンクールで一位を獲得し、そのラジオ局の社長自らが名付け親となり「トリオ・デルフィネス」は誕生した。 |
1954年、メキシコの最大ラジオ局が主催するセミプロの為登竜門のコンクールで一位を獲得し、そのラジオ局の社長自らが名付け親となり「トリオ・デルフィネス」は誕生した。 |
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メキシコでの人気を不動のものにしたのち、南米各国で公演し、大好評を博す。メキシコを訪問した各国来賓の為のレセプションなどで数多く演奏。メキシコ大統領の随員として明国ホワイトハウスでも数回演奏。当時の米大統領ケネディ、ジョンソン大統領の前でも演奏をする。 |
メキシコでの人気を不動のものにしたのち、南米各国で公演し、大好評を博す。メキシコを訪問した各国来賓の為のレセプションなどで数多く演奏。メキシコ大統領の随員として明国ホワイトハウスでも数回演奏。当時の米大統領ケネディ、ジョンソン大統領の前でも演奏をする。 |
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日本へは1964年初来日。以降、17回来日しては、音協、民音などの全国公演、NHKテレビをはじめとしてラジオやコマーシャルなどで活躍。ヨーロッパ、旧ソ連公園も大成功を納める。 |
日本へは1964年初来日。以降、17回来日しては、音協、民音などの全国公演、NHKテレビをはじめとしてラジオやコマーシャルなどで活躍。ヨーロッパ、旧ソ連公園も大成功を納める。 |
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1986年、メンバーの一員であったチューチョの兄ホセが病に倒れトリオを解散。数十年経過した今も、メキシコのラジオからは、トリオ・デルフィネスの歌声が流れない日はないというほどの根強い人気を保っている。 |
1986年、メンバーの一員であったチューチョの兄ホセが病に倒れトリオを解散。数十年経過した今も、メキシコのラジオからは、トリオ・デルフィネスの歌声が流れない日はないというほどの根強い人気を保っている。 |
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== ソロ活動 |
== ソロ活動 == |
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== 外部リンク == |
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* アカデミア・デ・チューチョ[http://www.tepito.jp/delfines/index.php?data=./data/l3/] |
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* マリアッチ・ロス・コンパニェロス[http://www.tepito.jp/delfines/index.php?data=./data/cl3/] |
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[[Category:ミュージシャン]] |
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2009年10月28日 (水) 09:36時点における版
チューチョ・デ・メヒコ(Chucho de Mexico 、1930年 - )は、メキシコ出身のミュージシャン、アルパ奏者。
トリオ・デルフィネス時代
1952年に結成されたメキシコのコーラスグループ「トリオ・デルフィネス」(Trio Delfines)のリーダー。
当時はトリオ(3人組の男性コーラス)の全盛期で、揃いのソンブレロに粋なチャロと言う民族衣装で演奏するグループも多く、マリアッチとともにメキシコを代表する音楽グループの形であった。
その当時はほとんどのトリオがギター3台での演奏形式をとっていたが、トリオ・デルフィネスは多くの楽器を操り、ボレロからメキシコ民謡、南米のフォルクローレまで幅広く演奏するグループとして異色の存在であった。
1954年、メキシコの最大ラジオ局が主催するセミプロの為登竜門のコンクールで一位を獲得し、そのラジオ局の社長自らが名付け親となり「トリオ・デルフィネス」は誕生した。
メキシコでの人気を不動のものにしたのち、南米各国で公演し、大好評を博す。メキシコを訪問した各国来賓の為のレセプションなどで数多く演奏。メキシコ大統領の随員として明国ホワイトハウスでも数回演奏。当時の米大統領ケネディ、ジョンソン大統領の前でも演奏をする。
日本へは1964年初来日。以降、17回来日しては、音協、民音などの全国公演、NHKテレビをはじめとしてラジオやコマーシャルなどで活躍。ヨーロッパ、旧ソ連公園も大成功を納める。
1986年、メンバーの一員であったチューチョの兄ホセが病に倒れトリオを解散。数十年経過した今も、メキシコのラジオからは、トリオ・デルフィネスの歌声が流れない日はないというほどの根強い人気を保っている。
ソロ活動
兄ホセの引退により、惜しまれつつグループを解散したトリオ・デルフィネスではあったが、豊かな才能のチューチョはソロの弾き語りシンガーとして日本に活躍の場を移し、1887年より活動開始。イベントやディナーショーなどのステージを中心にで活躍。ホテルニューオータニのレギュラー演奏も18年間続いた。
1993年より音楽教室アカデミア・デ・チューチョを発足。数多くのアルパ奏者を育てる。
2000年、在日のラテン人ミュージシャンで「マリアッチ・ロス・コンパニェロス」を結成。イベントや、たまごっち、資生堂などのTV、ラジオコマーシャル等で活躍する。