堀田 正邦(ほった まさくに、1734年-1772年)は、近江宮川藩の第4代藩主。父は第3代藩主・堀田正陳。母は水野勝比の娘。正室は太田資晴の娘。奥平昌成の娘。官位は従五位下。出羽守。
幼名は三四郎。1753年、父の死去により後を継ぐ。大番頭になった。
1772年6月2日、39歳で死去し、後を子の堀田正穀が継いだ。法号:実円常性諦了院。墓所:江戸浅草の金蔵寺。