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陸軍治罪法は、[[大日本帝国]]時代に[[大日本帝国陸軍]]の[[軍人]]を主な対象に施行された[[軍法]]の一つである。
陸軍治罪法は、[[大日本帝国]]時代に[[大日本帝国陸軍]]の[[軍人]]を主な対象に施行された[[軍法]]の一つである。


まず、1883年(明治16年)に[[太政官布告]]の形式で陸軍治罪法(明治16年太政官布告第24号)が制定された。1888年(明治21年)に太政官布告の陸軍法を全面改正して法律の形式で陸軍治罪法(明治21年法律第2号)が制定された。
まず、1883年(明治16年)に[[太政官布告]]の形式で陸軍治罪法(明治16年太政官布告第24号)が制定された。1888年(明治21年)に太政官布告の陸軍治罪法を全面改正して法律の形式で陸軍治罪法(明治21年法律第2号)が制定された。


[[陸軍刑法]](明治41年4月10日法律第46号)の制定後に、刑事手続法の一般法である[[刑事訴訟法]](明治23年法律第96号)にならって訴訟手続を改正すべきとの法曹界からの意見を受け、[[1921年]](大正10年)に「陸軍軍法会議法」(大正10年4月26日法律第85号)が制定され、陸軍治罪法(明治21年法律第2号)は、[[1922年]](大正11年)4月に廃止された。
[[陸軍刑法]](明治41年4月10日法律第46号)の制定後に、刑事手続法の一般法である[[刑事訴訟法]](明治23年法律第96号)にならって訴訟手続を改正すべきとの法曹界からの意見を受け、[[1921年]](大正10年)に「陸軍軍法会議法」(大正10年4月26日法律第85号)が制定され、陸軍治罪法(明治21年法律第2号)は、[[1922年]](大正11年)4月に廃止された。

2009年10月22日 (木) 08:55時点における版

陸軍治罪法
日本国政府国章(準)
日本の法令
通称・略称 なし
法令番号 明治16年太政官布告第24号
種類 公法刑事法
効力 消滅 - 明治22年1月1日
(明治21年法律第2号前文)
公布 1888年10月20日
主な内容 陸軍軍人に対する刑事裁判手続特別法
関連法令 刑事訴訟法陸軍刑法陸軍軍法会議法
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陸軍治罪法
日本国政府国章(準)
日本の法令
通称・略称 なし
法令番号 明治21年法律第2号
種類 公法刑事法
効力 廃止 - 大正11年4月1日
(大正10年法律第85号)
公布 1888年10月20日
主な内容 陸軍軍人に対する刑事裁判手続特別法
関連法令 刑事訴訟法陸軍刑法陸軍軍法会議法
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陸軍治罪法(りくぐんちざいほう)は、廃止された日本の法令。1883年明治16年)に制定された陸軍治罪法(明治16年太政官布告第24号)と、それを1888年(明治21年)に全面改正して制定された陸軍治罪法(明治21年10月2日法律第2号)がある。

陸軍治罪法(明治21年法律第2号)は、1922年大正11年)に「陸軍軍法会議法」(大正10年4月26日法律第85号)により廃止された。

概要

陸軍治罪法は、大日本帝国時代に大日本帝国陸軍軍人を主な対象に施行された軍法の一つである。

まず、1883年(明治16年)に太政官布告の形式で陸軍治罪法(明治16年太政官布告第24号)が制定された。1888年(明治21年)に太政官布告の陸軍治罪法を全面改正して法律の形式で陸軍治罪法(明治21年法律第2号)が制定された。

陸軍刑法(明治41年4月10日法律第46号)の制定後に、刑事手続法の一般法である刑事訴訟法(明治23年法律第96号)にならって訴訟手続を改正すべきとの法曹界からの意見を受け、1921年(大正10年)に「陸軍軍法会議法」(大正10年4月26日法律第85号)が制定され、陸軍治罪法(明治21年法律第2号)は、1922年(大正11年)4月に廃止された。

構成

  • 第一章 総則
  • 第二章 軍法会議ノ構成
  • 第三章 軍法会議ノ権限
  • 第四章 陸軍検察
  • 第五章 審問
  • 第六章 判決
  • 第七章 再審
  • 第八章 復権
  • 第九章 特赦

関連項目

参考文献

  • 三浦裕史『近代日本軍制概説』信山社、2003年。