「ジェイソン・ボッツ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
2行目: 2行目:
|選手名 = ジェイソン・ボッツ
|選手名 = ジェイソン・ボッツ
|英語表記 = Jason Botts
|英語表記 = Jason Botts
|所属球団 = 北海道日本ハムファイターズ
|所属球団 =
|背番号 = 39
|背番号 =
|選手写真ファイル名 = JasonBotts.jpg
|選手写真ファイル名 = JasonBotts.jpg
|写真サイズ = 300
|写真サイズ = 300
22行目: 22行目:
|年俸 = 4,700万円(2009年)
|年俸 = 4,700万円(2009年)
|経歴 = <nowiki></nowiki>
|経歴 = <nowiki></nowiki>
*[[テキサス・レンジャーズ]] (2005 - 2008)
*[[テキサス・レンジャーズ]](2005 - 2008)
*[[北海道日本ハムファイターズ]] (2008 - )
*[[北海道日本ハムファイターズ]](2008 - 2009)
}}
}}
'''ジェイソン・ボッツ'''('''Jason Carl Botts''' , [[1980年]][[7月26日]] - )は、[[日本プロ野球|NPB]][[北海道日本ハムァイターズ]]に所属している[[プロ野球選手]]([[内野手]])。
'''ジェイソン・ボッツ'''('''Jason Carl Botts''' , [[1980年]][[7月26日]] - )は、[[アメリカ合衆国]][[カリォルニア州]]パソロブレス出身の元[[プロ野球選手]]([[内野手]])。パソロブレス出身としてはハル・レインに次いで史上2人目のメジャーリーガーである

[[アメリカ合衆国]][[カリフォルニア州]][[パソロブレス (カリフォルニア州)|パソロブレス]]出身。パソロブレス出身としてはハル・レインに次いで史上2人目のメジャーリーガーである。


== 来歴・人物 ==
== 来歴・人物 ==
78行目: 76行目:
:*初安打・初打点:2008年[[7月9日]]対千葉ロッテマリーンズ14回戦(千葉マリンスタジアム) ― 7回表、投手:[[川崎雄介]]
:*初安打・初打点:2008年[[7月9日]]対千葉ロッテマリーンズ14回戦(千葉マリンスタジアム) ― 7回表、投手:[[川崎雄介]]
:*初本塁打:2008年[[7月15日]]対[[東北楽天イーグルス]]14回戦([[東京ドーム]]) ―2回裏、投手:[[長谷部康平]]
:*初本塁打:2008年[[7月15日]]対[[東北楽天イーグルス]]14回戦([[東京ドーム]]) ―2回裏、投手:[[長谷部康平]]

== 登場テーマ曲 ==
* [[GYM CLASS HEROES]] / [[COOKIE JAR]]


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2009年10月11日 (日) 10:47時点における版

ジェイソン・ボッツ
Jason Botts
レンジャーズ時代のボッツ(2008年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州パソロブレス
生年月日 (1980-07-26) 1980年7月26日(43歳)
身長
体重
198 cm
113 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 指名打者一塁手外野手
プロ入り 1999年 46順目
初出場 MLB / 2005年9月14日
NPB / 2008年7月8日
年俸 4,700万円(2009年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ジェイソン・ボッツJason Carl Botts , 1980年7月26日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州パソロブレス出身の元プロ野球選手内野手)。パソロブレス出身としてはハル・レインに次いで史上2人目のメジャーリーガーである。

来歴・人物

2005年9月14日の対ボルチモア・オリオールズ戦でテキサス・レンジャーズの選手としてメジャーデビュー。この年は27打数で8安打3打点を挙げたものの13三振を喫した。2006年5月28日オークランド・アスレチックス戦でカーク・サールースからメジャー初本塁打を放つ。しかしこの年もほとんどを3Aで過ごすことになった。2007年8月1日に再昇格し、自己最多の48試合に出場。打率.240、2本塁打、14打点という成績を残す。また、指名打者での出場がほとんどだった。

2008年は2本塁打を放ったものの打率.158と結果を残すことが出来ず、4月29日にレンジャーズから戦力外に。その後傘下の3Aでプレーしていたが、6月13日に日本の北海道日本ハムファイターズから入団が発表された(名前が「ジェイソン」だったことと、当日が「13日の金曜日」だったことでファンの間で話題となった)。

日本ハム入団後の7月1日のファームデビュー戦でいきなりサヨナラ本塁打を放つと、7月5日には左右両打席で本塁打を放ち、首脳陣の度肝を抜いた。

翌週には一軍に昇格するが、日本特有の落ちるボールに苦戦し、しばらくは打率.160と低迷。左打席では1本も安打を打てず、右投手相手に右打席に入ったこともあった。[1]しかし、8月中旬森本稀哲から精神面でのアドバイスを受けたことや、自らが日本の野球に慣れたことで8試合連続安打2本塁打と打撃が軌道に乗り始め、終盤は左投手相手のスタメンや代打などでの出場が増え、8月以降の打率が.307という活躍で最終的には打率も.254まで上げた。さらに右打席では3割5分を超える打率を残した。 来日一年目で、シーズンとクライマックスシリーズを通し、自身が在籍する日本ハム以外のパ・リーグ5球団から本塁打を打っている。

応援歌は、来日当初はトニー・ブリューワ用に作られ、後にマイク・マーシャルナイジェル・ウィルソンに使われたものが用意された。さらに、同年8月10日の対埼玉西武ライオンズ戦では、『崖の上のポニョ』の主題歌のサビが関東の球場限定の応援歌として使用開始。この応援歌の歌誌の最後は、当初「大きなファウル」だったが、後に彼の調子が上がっていき、「大きなホームラン」に変わった。2009年シーズンより新しい応援歌が作られた

当初は2008年のシーズン終了までの契約だったが、後半戦の活躍から来季の飛躍を期待するとして12月3日に1年間の契約延長が正式に発表され、ブライアン・スウィーニーターメル・スレッジと共に2009年も日本ハムに在籍することになった。

2009年はキャンプを一軍でスタートするも、オープン戦で結果を残すことができず開幕は二軍スタートとなった。 5月に不調に陥ったルイス・ヒメネスに変わり一軍に昇格。チームの都合上すぐ抹消されたが、印象に残る満塁本塁打や火の出るようなタイムリーを放って存在感をアピールした。2009年10月11日付で退団となった。[2]

年度別打撃成績

















































O
P
S
2005 TEX 10 30 27 1 8 0 0 0 8 3 0 0 0 0 3 0 0 13 1 .296 .367 .296 .663
2006 20 60 50 8 11 4 0 1 18 6 0 0 0 2 8 1 0 18 0 .220 .317 .360 .677
2007 48 190 167 19 40 8 1 2 56 14 1 0 0 1 19 0 3 59 8 .240 .326 .335 .661
2008 15 46 38 2 6 3 0 2 15 5 0 0 0 0 8 0 0 18 0 .158 .304 .395 .699
日本ハム 55 159 142 14 36 9 0 5 60 16 0 0 0 1 14 0 2 53 2 .254 .327 .423 .750
MLB:4年 93 326 282 30 65 15 1 5 97 28 1 0 0 3 38 1 3 108 9 .230 .325 .344 .669
NPB:1年 55 159 142 14 36 9 0 5 60 16 0 0 0 1 14 0 2 53 2 .254 .327 .423 .750
  • 2008年度シーズン終了時

記録

NPB

脚注

  1. ^ この間、当時ヒット中だった映画『崖の上のポニョ』をもじって「崖っぷちのボッツ」と新聞の見出しにされたこともあった。
  2. ^ http://www.fighters.co.jp/news/detail/945.html

関連項目

外部リンク