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1993年の[[第40回衆議院議員総選挙]]以来、[[野田聖子]]が[[自由民主党]]として連続4選していたが、2005年の[[第44回衆議院議員総選挙]]では野田聖子が[[郵政民営化]]法案に反対票を投じたことから自由民主党の公認を得られず、自由民主党が新たに公認した[[落下傘候補]](選挙当時は「[[小泉劇場#刺客|女性刺客]]」とも呼ばれた)の[[佐藤ゆかり]]らと争ったが、野田聖子が制し |
1993年の[[第40回衆議院議員総選挙]]以来、[[野田聖子]]が[[自由民主党]]として連続4選していたが、2005年の[[第44回衆議院議員総選挙]]では野田聖子が[[郵政民営化]]法案に反対票を投じたことから自由民主党の公認を得られず、自由民主党が新たに公認した[[落下傘候補]](選挙当時は「[[小泉劇場#刺客|女性刺客]]」とも呼ばれた)の[[佐藤ゆかり]]らと争ったが、野田聖子が制し5期目の当選を果たした。小選挙区では負けた佐藤ゆかりは、[[比例代表制|比例名簿]]1位で復活当選している。 |
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選挙当時はマドンナ対決とマスメディアに大々的に報道され、大物政治家らが応援に来るなど全国的な注目区となった。この選挙では、自民党岐阜県連が党本部公認の候補を応援せずに対立候補を支援したため、選挙後処分が行われた。 |
選挙当時はマドンナ対決とマスメディアに大々的に報道され、大物政治家らが応援に来るなど全国的な注目区となった。この選挙では、自民党岐阜県連が党本部公認の候補を応援せずに対立候補を支援したため、選挙後処分が行われた。 |
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('''[[佐藤ゆかり#岐阜1区騒動|岐阜1区騒動]]''') |
('''[[佐藤ゆかり#岐阜1区騒動|岐阜1区騒動]]''') |
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野田が自民党に復党した後、どちらが自民党の公認を得るかが焦点となったが、野田の公認が決定、佐藤は2008年2月に[[東京都第5区|東京5区]]に転出することが決定した。 |
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しかし佐藤が転出した後の“[[岐阜市立岐阜商業高等学校#学校法人立命館への移管問題|立命館高校誘致(市岐阜商廃止)問題]]”で岐阜市の自民会派は分裂し、野田派11人と佐藤派13人の市議達の対立が続いている。<ref>[http://chubu.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyo090416_2.htm 岐阜市会最大会派 「自民」が分裂 (読売新聞)]</ref>8月に行われた野田聖子の事務所開きでも佐藤派の県議市議達は欠席しており<ref>[http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20090803/200908030843_8477.shtml 郵政選挙の「しこり」根深く 岐阜1区の自民 (岐阜新聞)]</ref>岐阜自民分裂の"しこり"は現在は残っている。 |
しかし佐藤が転出した後の“[[岐阜市立岐阜商業高等学校#学校法人立命館への移管問題|立命館高校誘致(市岐阜商廃止)問題]]”で岐阜市の自民会派は分裂し、野田派11人と佐藤派13人の市議達の対立が続いている。<ref>[http://chubu.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyo090416_2.htm 岐阜市会最大会派 「自民」が分裂 (読売新聞)]</ref>8月に行われた野田聖子の事務所開きでも佐藤派の県議市議達は欠席しており<ref>[http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20090803/200908030843_8477.shtml 郵政選挙の「しこり」根深く 岐阜1区の自民 (岐阜新聞)]</ref>岐阜自民分裂の"しこり"は現在は残っている。 |
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09年7月21日の衆議院解散後、自民党への不信感から岐阜市自民党の白山支部が対立候補である民主候補の[[柴橋正直]]の支援に動き<ref>[http://chubu.yomiuri.co.jp/news_top/090722_2.htm 岐阜1区 自民分裂 一部が民主支援 (読売新聞)]</ref>、解散していた佐藤ゆかりの後援会連合会の元役員20人も柴橋支援を決定した。 |
09年7月21日の衆議院解散後、自民党への不信感から岐阜市自民党の白山支部が対立候補である民主候補の[[柴橋正直]]の支援に動き<ref>[http://chubu.yomiuri.co.jp/news_top/090722_2.htm 岐阜1区 自民分裂 一部が民主支援 (読売新聞)]</ref>、解散していた佐藤ゆかりの後援会連合会の元役員20人も柴橋支援を決定した。 |
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そして故・笠原潤一参議院議員の次女の[[笠原多見子]]も自民党と野田への不信から自民党に離党届を提出し、県議を辞職 |
そして故・笠原潤一参議院議員の次女の[[笠原多見子]]も自民党と野田への不信から自民党に離党届を提出し、県議を辞職<ref>[http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20090815/200908151505_8589.shtml 笠原県議が離党届、民主支持 自民「影響ない」 (岐阜新聞)]</ref>。柴橋支援を表明し、民主党の比例東海ブロックの単独候補者となった。 |
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8月30日の投票の結果、柴橋が野田を抑え当選、岐阜1区で民主党が初めて議席を得た。小選挙区で敗れた野田は重複立候補していた比例代表東海ブロックで復活当選した。 |
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また、柴橋の応援に回った笠原も比例代表で当選した。 |
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== 小選挙区選出議員 == |
== 小選挙区選出議員 == |
2009年10月7日 (水) 19:39時点における版
岐阜県第1区 | |
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行政区域 |
岐阜市 (2024年1月1日現在) |
比例区 | 東海ブロック |
設置年 |
1994年 (2022年区割変更) |
選出議員 | 野田聖子 |
有権者数 |
33万4642人 1.476 倍(一票の格差・鳥取1区との比較) (総務省・2023年9月1日) |
岐阜県第1区(ぎふけんだい1く)は、日本の衆議院議員総選挙における選挙区域。現在の選挙区は1994年の公職選挙法改正で設置。
行政区域
歴史
1993年の第40回衆議院議員総選挙以来、野田聖子が自由民主党として連続4選していたが、2005年の第44回衆議院議員総選挙では野田聖子が郵政民営化法案に反対票を投じたことから自由民主党の公認を得られず、自由民主党が新たに公認した落下傘候補(選挙当時は「女性刺客」とも呼ばれた)の佐藤ゆかりらと争ったが、野田聖子が制し5期目の当選を果たした。小選挙区では負けた佐藤ゆかりは、比例名簿1位で復活当選している。
選挙当時はマドンナ対決とマスメディアに大々的に報道され、大物政治家らが応援に来るなど全国的な注目区となった。この選挙では、自民党岐阜県連が党本部公認の候補を応援せずに対立候補を支援したため、選挙後処分が行われた。 (岐阜1区騒動)
野田が自民党に復党した後、どちらが自民党の公認を得るかが焦点となったが、野田の公認が決定、佐藤は2008年2月に東京5区に転出することが決定した。
しかし佐藤が転出した後の“立命館高校誘致(市岐阜商廃止)問題”で岐阜市の自民会派は分裂し、野田派11人と佐藤派13人の市議達の対立が続いている。[1]8月に行われた野田聖子の事務所開きでも佐藤派の県議市議達は欠席しており[2]岐阜自民分裂の"しこり"は現在は残っている。
09年7月21日の衆議院解散後、自民党への不信感から岐阜市自民党の白山支部が対立候補である民主候補の柴橋正直の支援に動き[3]、解散していた佐藤ゆかりの後援会連合会の元役員20人も柴橋支援を決定した。
そして故・笠原潤一参議院議員の次女の笠原多見子も自民党と野田への不信から自民党に離党届を提出し、県議を辞職[4]。柴橋支援を表明し、民主党の比例東海ブロックの単独候補者となった。
8月30日の投票の結果、柴橋が野田を抑え当選、岐阜1区で民主党が初めて議席を得た。小選挙区で敗れた野田は重複立候補していた比例代表東海ブロックで復活当選した。
また、柴橋の応援に回った笠原も比例代表で当選した。
小選挙区選出議員
選挙名 | 年 | 当選者 | 党派 |
---|---|---|---|
第41回衆議院議員総選挙 | 1996年 | 野田聖子 | 自由民主党 |
第42回衆議院議員総選挙 | 2000年 | 野田聖子 | 自由民主党 |
第43回衆議院議員総選挙 | 2003年 | 野田聖子 | 自由民主党 |
第44回衆議院議員総選挙 | 2005年 | 野田聖子 | 無所属 |
第45回衆議院議員総選挙 | 2009年 | 柴橋正直 | 民主党 |
選挙結果
当落 | 得票数 | 惜敗率 | 候補者 | 党派 | 経歴 |
---|---|---|---|---|---|
当 | 111,987 | 柴橋正直 | 民主党 | 新 | |
比当 | 99,500 | 88.8% | 野田聖子 | 自由民主党 | 前 |
9,832 | 鈴木正典 | 日本共産党 | 新 | ||
2,508 | 小沢和恵 | 幸福実現党 | 新 |
当落 | 得票数 | 惜敗率 | 候補者 | 党派 | 経歴 |
---|---|---|---|---|---|
当 | 96,985 | 野田聖子 | 無所属 | 前 | |
比当 | 81,189 | 83.7% | 佐藤ゆかり | 自由民主党 | 新 |
38,349 | 39.5% | 柴橋正直 | 民主党 | 新 | |
9,970 | 10.3% | 小川理 | 日本共産党 | 新 |
※所属党派は開票日時点。
当落 | 得票数 | 候補者 | 党派 | 経歴 |
---|---|---|---|---|
当 | 92,717 | 野田聖子 | 自由民主党 | 前 |
71,644 | 浅野真 | 民主党 | 新 | |
15,951 | 木下律子 | 日本共産党 | 新 |
当落 | 得票数 | 候補者 | 党派 | 経歴 |
---|---|---|---|---|
当 | 100,425 | 野田聖子 | 自由民主党 | 前 |
56,751 | 渡辺嘉蔵 | 民主党 | 元 | |
21,523 | 木下律子 | 日本共産党 | 新 | |
11,171 | 戸田二郎 | 社会民主党 | 新 | |
1,975 | 間宮清介 | 自由連合 | 新 |
当落 | 得票数 | 候補者 | 党派 | 経歴 |
---|---|---|---|---|
当 | 70,799 | 野田聖子 | 自由民主党 | 前 |
66,892 | 松田岩夫 | 新進党 | 前 | |
33,640 | 渡辺嘉蔵 | 民主党 | 前 | |
19,509 | 木下律子 | 日本共産党 | 新 |
- この回の選挙は当時自由民主党唯一の女性衆議院議員として注目された野田聖子と社会党出身で当時内閣官房副長官であった渡辺嘉蔵、官僚出身の松田岩夫が激しい選挙戦を繰り広げた。自民党を離党した松田岩夫への反発や自民党岐阜県連に大きな影響力を持っている自民党岐阜市連が結束して野田聖子を全面支援したこともあり、野田聖子が当選を果たした。松田はこの落選後参議院議員へ(民主党会派入りを経て自民党へ移籍)。