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* なぜか[[横浜]]戦で打ち込まれるケースが多い。7回あたりになってくると、横浜側から「花田出せー」や「マサル氏!マサル氏!」などの[[言葉]]が飛び交うこともしばしば。 |
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* [[2006年]]8月19日の対[[阪神タイガース]]戦6回表二死から、[[藤本敦士]]の放った打球がライナーで花田のユニフォームの中に入り込む事件があった。当初花田はボールが何処へ行ったか把握できず、きょろきょろと辺りを見渡してからお腹を押さえてボールを確認した。駆け寄った審判の判定はアウトで、スリーアウトチェンジ。このとき試合は6点ビハインドと大きくリードを許していたが、このハプニングには当時の監督だった[[古田敦也]]も思わず笑いを浮かべていた。 |
* [[2006年]]8月19日の対[[阪神タイガース]]戦6回表二死から、[[藤本敦士]]の放った打球がライナーで花田のユニフォームの中に入り込む事件があった。当初花田はボールが何処へ行ったか把握できず、きょろきょろと辺りを見渡してからお腹を押さえてボールを確認した。駆け寄った審判の判定はアウトで、スリーアウトチェンジ。このとき試合は6点ビハインドと大きくリードを許していたが、このハプニングには当時の監督だった[[古田敦也]]も思わず笑いを浮かべていた。 |
2009年10月5日 (月) 10:27時点における版
東京ヤクルトスワローズ #24 | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 福岡県福岡市東区 |
生年月日 | 1977年10月25日(46歳) |
身長 体重 |
180 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1999年 ドラフト5位 |
初出場 | 2000年5月27日 |
年俸 | 2,600万円 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
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花田 真人(はなだ まさと、1977年10月25日 - )は、東京ヤクルトスワローズに在籍するプロ野球選手(投手)。
来歴・人物
アマチュア時代
- 1995年夏の甲子園大会で、柳川高校のエースとして活躍。1回戦2回戦共に自責点0で完投している。3回戦で敦賀気比高相手に延長15回途中まで投げて、自責点1で敗北を喫した。
- その後1996年から1999年まで中央大学に在籍。1999年春季リーグで活躍し、中央大11年ぶりの東都1部入りの原動力となった。リーグ2部通算16勝5敗、1部通算1勝7敗。
- 1999年のドラフト会議で、ヤクルトスワローズから5位で指名を受け入団。
プロ入り後
- プロ入り後は主に中継ぎとして起用されている投手である。
- 2002年に、中継ぎながら自らが三塁打を打つ活躍をみせ、プロ初勝利をあげた。
- 2003年には故障などで不安定な投球の続く先発投手陣が多い中、中継ぎで活躍を見せたため、先発に昇格。6度の先発で、5〜6回を無難にまとめていたが、自らも腰痛でリタイア。
- 以後2004年いっぱいまであまり目立った活躍は無かった。
- 2005年に一軍に定着し、40試合に登板。続く2006年には投球術に格段の進歩を見せ、落ち着いたマウンドさばきでセットアッパーとして勝ちゲームの投手リレーを支えた。自己最多の51試合に登板し、4勝2敗、防御率3.33の好投を見せている。
- 2007年シーズン序盤は不振にあえぎ5月半ばに登録抹消。ファームでも成績はピリッとしなかったが、一軍の投手陣も火の車で、7月28日に再登録。すると8月8日対横浜ベイスターズ戦9回表二死から4番手で登板し、木村昇吾を空振り三振に抑え、プロ初セーブ。3日後の8月11日には早くも2セーブ目を挙げると、8月14日には6回裏1死満塁のピンチで登板し、見事併殺で切り抜けて今シーズン初勝利を挙げている。
- 2009年10月2日、戦力外通告を受け、引退を表明した。
投球スタイル
- 躍動感のあるフォームから、切れの良いストレートを投げ込む。
- かつてはストライクゾーンからボールになるスライダーを決め球としたが、曲がりが大きすぎてプロでは相手に球種が分かってしまう為、曲がりを小さくする練習を試みていた事もある。2006年は速球とフォークを中心とした組み立てに、シュートとスライダーを混ぜる投球を見せた。
- アマチュア時代から四死球が少なく、中継ぎとして計算しやすい投手である。被本塁打がやや多めだが、これは切れ味を武器とする投手には良くある事である。
エピソード
- 2002年に大学の時から付き合っていた一般人の方と結婚している。
- 「花魔人」の愛称で呼ばれる事がある。
- 元横綱の花田勝氏とかけて「マサル氏」の愛称で呼ばれる事がある。
- 苗字が「花田」であるのか、登板時の曲はポケットモンスターのハナダシティのBGMである。
- なぜか横浜戦で打ち込まれるケースが多い。7回あたりになってくると、横浜側から「花田出せー」や「マサル氏!マサル氏!」などの言葉が飛び交うこともしばしば。
- 2006年8月19日の対阪神タイガース戦6回表二死から、藤本敦士の放った打球がライナーで花田のユニフォームの中に入り込む事件があった。当初花田はボールが何処へ行ったか把握できず、きょろきょろと辺りを見渡してからお腹を押さえてボールを確認した。駆け寄った審判の判定はアウトで、スリーアウトチェンジ。このとき試合は6点ビハインドと大きくリードを許していたが、このハプニングには当時の監督だった古田敦也も思わず笑いを浮かべていた。
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2000 | ヤクルト | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 24 | 4.2 | 8 | 0 | 3 | 0 | 0 | 5 | 1 | 0 | 4 | 3 | 5.79 | 2.36 |
2001 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 22 | 5.1 | 4 | 0 | 1 | 0 | 1 | 2 | 1 | 0 | 2 | 1 | 1.69 | 0.94 | |
2002 | 22 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 145 | 34.1 | 30 | 7 | 14 | 1 | 0 | 36 | 0 | 0 | 15 | 15 | 3.93 | 1.28 | |
2003 | 21 | 6 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | -- | .750 | 227 | 53.1 | 51 | 7 | 15 | 2 | 1 | 43 | 5 | 0 | 23 | 21 | 3.54 | 1.24 | |
2004 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 40 | 7.2 | 15 | 4 | 2 | 0 | 2 | 5 | 1 | 0 | 11 | 11 | 12.91 | 2.22 | |
2005 | 40 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 3 | .000 | 197 | 49.2 | 45 | 7 | 9 | 0 | 2 | 30 | 0 | 0 | 21 | 21 | 3.81 | 1.09 | |
2006 | 51 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 2 | 0 | 14 | .667 | 232 | 54.0 | 65 | 9 | 6 | 1 | 0 | 43 | 3 | 0 | 29 | 20 | 3.33 | 1.31 | |
2007 | 41 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 2 | 2 | .500 | 217 | 50.2 | 49 | 6 | 17 | 3 | 0 | 43 | 1 | 0 | 29 | 27 | 4.80 | 1.30 | |
2008 | 23 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | .000 | 105 | 24.2 | 30 | 3 | 5 | 0 | 0 | 15 | 2 | 0 | 12 | 12 | 4.38 | 1.42 | |
通算:9年 | 212 | 7 | 0 | 0 | 0 | 10 | 7 | 2 | 21 | .588 | 1209 | 284.1 | 297 | 43 | 72 | 7 | 6 | 222 | 14 | 0 | 146 | 131 | 4.15 | 1.30 |
- 2008年度シーズン終了時
記録
投手記録
- 初登板:2000年5月27日、対阪神タイガース8回戦(千葉マリンスタジアム)、9回表に救援登板・完了
- 初奪三振:同上、9回表に新庄剛志から
- 初勝利:2002年8月10日、対横浜ベイスターズ18回戦(明治神宮野球場)、4回表に救援登板
- 初先発:2002年10月17日、対広島東洋カープ28回戦(明治神宮野球場)、6回1失点
- 初先発勝利:2003年5月4日、対阪神タイガース8回戦(阪神甲子園球場)、5回2失点
- 初セーブ:2007年8月8日、対横浜ベイスターズ9回戦(明治神宮野球場)
打撃記録
- 初安打・初打点:2002年8月10日、対横浜ベイスターズ18回戦(明治神宮野球場)、4回裏に杉本友から右翼へ2点適時三塁打
背番号
- 24 (2000年 - 2009年)