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球速はMAX155km/hで試合後半でも150km/hを超えるストレートを投げ込むスタミナとキレのある[[スライダー (球種)|スライダー]]が武器である。速球の平均は常時140km/h台後半で球界でもトップクラスの球速を誇る。他の球種は[[シュート (球種)|シュート]]、[[フォークボール|フォーク]]、[[カーブ (球種)|カーブ]]。投手コーチ、評論家からは「近年の投手の中では極めて美しい投球フォームをしている」と絶賛されている。しかし制球力は良いとは言えず、奪三振が少ないのに四球が多い。あわや完全試合という試合や、完投・完封という試合を作ったと思えば、次の登板では立ち上がりから捕まりKOという、好不調の波が激しいのが欠点。手がつけられない投球をする日もあれば、四球の連発で自滅する日もある。被本塁打も非常に多い。 |
球速はMAX155km/hで試合後半でも150km/hを超えるストレートを投げ込むスタミナとキレのある[[スライダー (球種)|スライダー]]が武器である。速球の平均は常時140km/h台後半で球界でもトップクラスの球速を誇る。他の球種は[[シュート (球種)|シュート]]、[[フォークボール|フォーク]]、[[カーブ (球種)|カーブ]]。投手コーチ、評論家からは「近年の投手の中では極めて美しい投球フォームをしている」と絶賛されている。しかし制球力は良いとは言えず、奪三振が少ないのに四球が多い。あわや完全試合という試合や、完投・完封という試合を作ったと思えば、次の登板では立ち上がりから捕まりKOという、好不調の波が激しいのが欠点。手がつけられない投球をする日もあれば、四球の連発で自滅する日もある。被本塁打も非常に多い。そのため、エース級のピッチングをすると「'''神竹'''」、大乱調で1イニング5失点など大量失点をすると「'''大ケケ'''」「'''アホ竹'''」と呼ばれることがある。 |
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2009年から[[チェンジアップ]]を投げる様になり、投球に安定感が増した。また精神面での制御法を見つけ、ピンチでも落ち着いた投球が出来る様になった。 |
2009年から[[チェンジアップ]]を投げる様になり、投球に安定感が増した。また精神面での制御法を見つけ、ピンチでも落ち着いた投球が出来る様になった。 |
2009年10月5日 (月) 09:43時点における版
広島東洋カープ #17 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 埼玉県八潮市 |
生年月日 | 1983年5月21日(40歳) |
身長 体重 |
182 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2001年 ドラフト1巡目 |
初出場 | 2003年9月26日 |
年俸 | 6,500万円(推定) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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大竹 寛(おおたけ かん、1983年5月21日 - )は、埼玉県八潮市出身の広島東洋カープ所属のプロ野球選手(投手)。
経歴
プロ入り前
浦和学院高では2年夏の甲子園で2回戦で敗退したが登板機会はなかった。当時は1学年上の坂元弥太郎がエースだったためである。その先輩が引退してエースとしてセンバツ出場を懸けて望んだ関東大会では、初戦の水戸商業戦で立ち上がりに制球を乱し塁上を賑わせた後で4番打者に長打を浴びて奪われた点が痛手となり惜敗した。翌年の春季大会では県大会で東京農大三高の好投手鯨井との投げ合いの末惜敗。勝ち運に恵まれない投手を感じさせた。
最後の夏として臨んだ3年夏の埼玉県大会では春日部共栄に9回表二死まで3-1とリードしていたが、味方のエラーで逆転され甲子園出場ならず県大会ベスト8、日本代表としてアジアAAA選手権に出場した。スカウトからの評価は牽制などの投手守備にも非凡なものを感じる本格派投手として高い評価を得た。
プロ入り後
即戦力と期待された1年目の2002年は故障により一軍登板はなかったが、2003年に一軍初登板、初勝利を記録した。
2004年は開幕直後は先発ローテーションの一角として5試合に先発し、その後は中継ぎに回った。永川勝浩の不調により、シーズン途中からクローザーに指名された。43試合に登板して防御率3.18、17セーブを挙げる好成績を残した、この年に最速155キロを投げた。
2005年は先発ローテーションに定着し、リーグ最多の先発登板28回を記録、防御率5点台ながら自身初となる2ケタ勝利を上げた。このシーズンは奪三振数が多く、最多奪三振のタイトルこそ逃したが、奪三振率はリーグ最高の数字を残した。しかし与四球、ボーク、暴投、失点、自責点のワースト5冠となってしまい、失点が100を超えた投手が出たのはリーグ13年ぶりの出来事だった。
2006年は開幕6連敗と波に乗れず、リーグワーストの13敗を喫してしまった。ストライク先行の投球を目指し、四死球を減らす事が出来た一方で、球威が落ちた印象があり、打者を威圧・圧倒する力が無くなったためか、良い意味での荒々しさが消えただけと言われてしまった。ストライク先行の投球もあまり出来なかった。
一方で、9月5日の横浜ベイスターズ戦(長崎)では、安定した投球を続け、8回二死まで1人のランナーも出さない投球を見せた。内川聖一にレフト前ヒットを打たれ、あとアウト4つのところで惜しくも完全試合を逃し、9回二死から石井琢朗にソロホームランを浴び、プロ初完封も逃してしまったが、この試合では自身2年ぶりとなる完投勝利を収めた。
2007年はワインドアップのフォームに戻し、新たにシュートを習得した。開幕前に「勝てる投手への脱皮」を宣言し、公約通り春先は非常に安定した投球を見せた。5月には5連敗を喫し、夏場には早期KOの試合も多かったが、9月になると復調し、9月23日の中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)では、何度も得点圏にランナーを進めるも、粘り強い投球を続け、入団6年目にして初の完封勝利を収めた。10勝にはあと一歩届かなかったものの防御率を3点台まで良化させてシーズンを終え、前年リーグワーストだった被本塁打数を25から15に激減させた。まだ投球に波があり、ボール先行になる投球はあるものの、先発転向後ではもっとも安定したシーズンとなった。
2008年はロサンゼルス・ドジャースに移籍した黒田博樹に代わるエース候補となる。3月28日の開幕戦ではプロ7年目で初の開幕投手を任され、8回を4安打1失点と好投したが、開幕当初抑えであったベン・コズロースキーが打たれ、引き分けに終わった。開幕当初は、広島ファンを含むプロ野球ファンから「新エース」と捉えられていたが、一時は2勝8敗という散々な成績になるなど勝ち星が伸びず、さらにコルビー・ルイスが勝ち頭になった事もあり、交流戦開幕時にはルイスが新エースという認識をされるようになってしまった。
それでも徐々に復調し、7月31日のオールスターゲームでは、故障で出場を辞退したルイスの補充選手として初出場。2回を投げ2安打無失点と好投、勝利投手の権利を手にするも、終盤試合が動いたためオールスター初勝利はならなかった。後半戦はクライマックスシリーズ進出に向け調子が上向きになったチームに同調するように投球に安定感が増し、最終的には9勝(12敗)にまで持ち直した。ルイスやその他の先発が負傷などで一時離脱する中、唯一1年間休まずにローテーションを守り続け、先発として最低限の役割は果たしたシーズンとなった。
2009年は、変化球でカウントを整えられない弱点を克服するため、新球としてチェンジアップを習得。これが見事にはまって、かねてからの課題だったランナーを背負ってからの投球でも大崩れすることがなくなり、開幕から抜群の安定感を見せている。4月28日の巨人戦初回から5月31日の楽天戦6回途中までは、佐々岡真司の持つ30イニング連続無失点の球団記録を大幅に更新し、セ・リーグ歴代6位となる43イニング連続無失点を記録。5月は月間4勝0敗、防御率0.51の成績で、自身初となる月間MVPを受賞した。この月は、月間5勝0敗、防御率1.56という甲乙つけ難い成績を残した読売ジャイアンツのディッキー・ゴンザレスとの同時受賞となったが、これは月間MVPが投手野手一括選考だった1986年以来23年ぶり2度目、投手だけで選考されるようになってからは初の月間MVP2人同時受賞となった。
人物・プレイスタイル
球速はMAX155km/hで試合後半でも150km/hを超えるストレートを投げ込むスタミナとキレのあるスライダーが武器である。速球の平均は常時140km/h台後半で球界でもトップクラスの球速を誇る。他の球種はシュート、フォーク、カーブ。投手コーチ、評論家からは「近年の投手の中では極めて美しい投球フォームをしている」と絶賛されている。しかし制球力は良いとは言えず、奪三振が少ないのに四球が多い。あわや完全試合という試合や、完投・完封という試合を作ったと思えば、次の登板では立ち上がりから捕まりKOという、好不調の波が激しいのが欠点。手がつけられない投球をする日もあれば、四球の連発で自滅する日もある。被本塁打も非常に多い。そのため、エース級のピッチングをすると「神竹」、大乱調で1イニング5失点など大量失点をすると「大ケケ」「アホ竹」と呼ばれることがある。
2009年からチェンジアップを投げる様になり、投球に安定感が増した。また精神面での制御法を見つけ、ピンチでも落ち着いた投球が出来る様になった。
ちなみに、打撃にも定評があり、セ・リーグ投手内での打率では常に上位である。チームメイトである前田健太や大島崇行と仲がいいようだ。
エピソード
この節には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
- おもに四球を出した後に腕を回す癖がある。「腕の振りに気をつけよう」という仕草であろうが[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。、相手打者に、この仕草が出た時は調子が良くないということが分かってしまう為、OBなどからしばしば指摘を受ける事がある。
- 弟は東京アート株式会社という紙袋などを製造している会社に勤めている。[1]
- 2007年は、3回までに本塁打を打たれると勝利投手になれないというデータが出た。[2]
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2003 | 広島 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | -- | .500 | 36 | 8.0 | 9 | 2 | 3 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 6 | 5 | 5.63 | 1.50 |
2004 | 43 | 5 | 1 | 0 | 0 | 6 | 5 | 17 | -- | .545 | 351 | 82.0 | 68 | 11 | 40 | 1 | 4 | 91 | 2 | 0 | 33 | 29 | 3.18 | 1.32 | |
2005 | 28 | 28 | 0 | 0 | 0 | 10 | 12 | 0 | 0 | .455 | 734 | 161.2 | 171 | 22 | 87 | 1 | 7 | 161 | 9 | 4 | 110 | 101 | 5.62 | 1.60 | |
2006 | 30 | 29 | 2 | 0 | 1 | 6 | 13 | 0 | 0 | .316 | 682 | 157.0 | 172 | 25 | 54 | 2 | 2 | 110 | 4 | 0 | 92 | 86 | 4.93 | 1.44 | |
2007 | 27 | 24 | 3 | 1 | 0 | 9 | 10 | 0 | 0 | .474 | 623 | 145.2 | 137 | 15 | 59 | 2 | 6 | 104 | 11 | 0 | 72 | 61 | 3.77 | 1.35 | |
2008 | 28 | 27 | 3 | 1 | 0 | 9 | 13 | 0 | 1 | .409 | 752 | 171.0 | 189 | 19 | 67 | 1 | 5 | 99 | 6 | 1 | 89 | 73 | 3.84 | 1.50 | |
通算:6年 | 159 | 115 | 9 | 2 | 1 | 41 | 54 | 17 | 1 | .432 | 3178 | 725.1 | 746 | 94 | 310 | 7 | 24 | 570 | 32 | 5 | 402 | 355 | 4.40 | 1.46 |
- 2008年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
背番号
- 17(2002年 - )
記録
- 初登板・初先発:2003年9月26日、対横浜ベイスターズ27回戦(広島市民球場)、1回5失点で敗戦投手
- 初奪三振:同上、1回表に吉見祐治から
- 初勝利・初先発勝利:2003年10月13日、対ヤクルトスワローズ26回戦(広島市民球場)、6回1失点(自責点は0)
- 初完投勝利:2004年4月21日、対ヤクルトスワローズ5回戦(明治神宮野球場)、9回1失点
- 初完封勝利:2007年9月23日、対中日ドラゴンズ(ナゴヤドーム)
- 初セーブ:2004年5月29日、対ヤクルトスワローズ10回戦(千葉マリンスタジアム)
- 43イニングス連続無失点記録〔球団新〕:2009年4月28日~2009年5月31日、対読売ジャイアンツ4回戦~対東北楽天ゴールデンイーグルス1回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島~クリネックススタジアム宮城)